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2016年8月

『エスカルゴ兄弟』津原泰水

本物のエスカルゴ料理が看板メニューの店をオープンさせ、軌道に乗せようと悪戦苦闘する人たちの物語。
著者のグルメ蘊蓄が炸裂し、ストーリーのキーとなっている。

編集社に勤める柳楽尚登(なぎらなおと 27歳)は、エスカルゴ専門店の厨房を任されることになった。エスカルゴ料理の店を出す理由は、絶滅寸前のブルゴーニュ種エスカルゴ「ポマティア」の完全養殖に成功した人物を、カメラマンの雨野秋彦が取材したことがきっかけであった。社に出入りする秋彦の話に社長がのったのだ。

エスカルゴ兄弟
エスカルゴ兄弟
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津原泰水(Tsuhara Yasumi
KADOKAWA/角川書店
2016年8月

開店に向けて、秋彦の父親がやっている立ち飲みモツ煮込み屋のリニューアル計画は、尚登の意志に関係なく進んでいて、店名は秋彦がこだわる「ぐるぐる」を意識して「スパイラル」になった。
モツ煮込み屋の看板娘・白髪の剛さんは「解雇されるから来るな」というし、秋彦の妹・梓は「上手くいくわけない」と、尚登にとってまったく旗色が悪い。

実家が讃岐うどん屋の尚登は、松坂のエスカルゴ・ファームに研修に行ったさいに、コシが命の讃岐うどんの宿敵である、ふにゃふにゃ食感の伊勢うどん屋の看板娘・ソフィー・マルロー似の桜に一目惚れしてしまう。そんな桜には、喉越し抜群の秋田稲庭うどんの老舗から縁談がきて、うどんの名産地が三つ巴の状況になる。

リニューアルにさいし解雇した剛さんを拝み倒して再雇用したことで、店はなんとか軌道に乗りつつあったが、尚登の出向取り消しという社長の無軌道な命令が下る。思いつきで事を決断する社長と秋彦に、尚登は振り回されるばかりである。
この危機に、料理に天賦の才をもつ梓が厨房に入るのだが、そうそう上手くはいかない。

終章は「続編に続く」を匂わせている。

『ジョイランド』スティーヴン・キング

年老いた編集者が、1973年の夏から秋を回想するかたちの青春小説。
大学生の「ぼく」ことデヴィンは、結構うまくいっていた恋人と「あれ」に至らなかったことが原因ではなさそうだが、振られた。
傷心のデヴィンは、夏休みいっぱい、ノースカロライナの海辺の遊園地ジョイランドで、犬のぬいぐるみを着て動き回る体力勝負のバイトに励むことになった。
そこで、大学生のトムとエリンと親しくなる。

ジョイランド (文春文庫)
ジョイランド
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スティーヴン・キング/土屋 晃 訳
文春文庫 2016年7月

デヴィンは、かつて遊園地の〈ホラーハウス〉で起きた若い女性の殺人事件が頭から離れなくなる。トムは〈ホラーハウス〉で、殺された女性の幽霊を目にしたという。未解決の殺人事件は、ほかの遊園地でも起こっていた。
デヴィンは1年間休学してジョイランドで バイトを続けることにした。表向きは恋人のこと、なにより女性の幽霊を見たかったし、連続殺人鬼を突き止めたいとも思った。

デヴィンはジョイランドへの通勤のさいに、人懐っこそうな車椅子の少年と犬、若い母親に会った。やがて豪邸で暮らすこの美人のシングルマザーに惹かれていく。

キングお得意の、ユーモアとジョークと、たっぷりの皮肉が込められた言いまわしで繰り広げられる純愛ホラーミステリ。『スタンド・バイ・ミー』や『63/11/22』に通じる古き良き時代を舞台にした、切なく心暖まる恋愛物語である。

ミスター・メルセデス
ジョイランド
11/22/63
書くことについて
幸運の25セント硬貨
1922
ビッグ・ドライバー
スタンド・バイ・ミー』(DVD)

『ラブラバ』エルモア・レナード

マイアミが舞台のせいが、切羽詰まった感がなく陽気に感じられる。
フランク・シナトラやロバート・ミッチャムなどが出演する過去のノアール映画のシーンが重ね合わせられ、事件の核心を暗示する。アメリカ探偵作家クラブ賞(MWA、Mystery Writers of America)最優秀長篇賞受賞作(1984年)。

160814_4 ラブラバ (ハヤカワ・ノヴェルズ)
エルモア レナード/鷲村達也 訳
ハヤカワ文庫
1988年

マイアミ・ビーチでホテルを経営者する老紳士モーリスが、息子ほど年の離れたカメラマンのラブラバを画廊経営者の女性に売り込むところから物語ははじまる。

モーリスは往年の銀幕女優ジーン・ショーンにコンドミニアムを提供している。
30代後半の優男ラブラバは、カメラマンの前は大統領のシークレット・サービスだった。その前は国税疔の査察官(マルサ)だった。
ラブラバが、生涯で初めて夢中になって恋い慕った映画スターがジーンだった。
ラブラバとジーンは、映画の話題で盛り上がる。ラブラバはシークレット・サービスだった頃の感がよみがえって、ジーンには危険なことが起こりそうな予感がした。

ジーンには、怪しい男がつきまとう。
大男のノーブルズは、ジーンが住むコンドミニアムの警備会社の警備員で、ジーンと話すようになった。ジーンはノーブルズをキュートと言っているが、ラブラバには危険人物にしか見えない。典型的な社会病質者で、精神的な発達がどこかで止まっていて、何をするかわからない不気味さが漂う男だ。
ノーブルズと組むキューバ人のグンドーは、殺人で刑務所に入り脱獄してマイアミにやってきた。悪党でないときは、ゴーゴーダンサーとしてバーで踊っている。
ノーブルズとクンドーは女優を騙して金を巻き上げようとしている。

そして、ジーンのもとに、いかにもノーブルズが書いたと思わせる60万ドルの脅迫状が届く。
ラブラバは後ろで糸を引く人物がいるのではないかと疑った。ラブラバが脅迫の手口がジーンが出演した映画に似ていると気づいたことから、犯行の糸口が見えてくる。

『小暮荘物語』三浦しをん

小田急線の世田谷代田駅から徒歩5分、木造2階建のオンボロアパート小暮荘に関わる人びとを描いた短編連作集。なにかが終わりなにかが始まる、登場人物たちのそれぞれの人生の一コマが、凝縮されて描かれていて、厚い長編の読後感がある。
性が隠れたテーマだ。

木暮荘物語 (祥伝社文庫)
木暮荘物語
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三浦 しをん
祥伝社文庫
2014年10月

小暮荘の大家は、70歳過ぎにもかかわらずセックスをしたいという強い願望で悶々としている。
同棲中の繭は花屋に勤めている。3年前に姿を消したカメラマンの並木が突然現れて、小菅荘の繭の部屋に居候する奇妙な状況になる。
サラリーマンの神崎は、屋根裏から複数の男が出入りする女子大生の部屋を覗き見することが日課となった。神崎には、だらしないバカ女子大生としか思えない光子は、神崎が覗いていることを知っている。
以上の4名が小暮荘に住んでいる。
その光子のもとに、同級生が生んだばかりの乳飲み子を預けていった。小暮荘の住人はその赤ん坊に振り回される。

トリマーの美彌は、小暮荘の前を通るたびに、庭を走り回る犬にシャンプーをしたいと思っていた。駅の柱に水色のキノコのような突起物が見える者同士の、美彌とヤクザの男は、ヤクザの愛犬を通して交流する。
最近、夫の入れるコーヒーは泥の味がすると、繭は花屋の妻から打ち明けられた。繭と妻は深夜に家を抜け出す夫の後をつけた。
並木は、繭が勤める花屋をストーカーと疑われない程度にチェックしていた。謎の金持ちのニジコは並木に声をかけ、並木はニジコのマンションで寝泊まりするようになる。ふたりは繭の小暮荘からの引越しを遠巻きに見届けて、並木は繭のことが吹っ切れる。

小暮荘物語
舟を編む
舟を編む』(DVD)

『破壊する創造者 ーウイルスが人を進化させた』 フランク・ライアン

ウイルスは、ゲノムの中に入り込んで生物の進化に重要な役割を演じているという「ヒトーウイルス共生進化論」が、本書のメインテーマである。
上橋菜穂子は、本書を読んで2015年度の本屋大賞に輝いた『鹿の王』のアイデアが芽生えたという。

破壊する創造者――ウイルスがヒトを進化させた (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
フランク ライアン/夏目 大 訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫
2014年12月

ヒトゲノム(DNA)は全体で31億文字ある。設計図のDNAからタンパク質を作る過程で作業用のコピーであるメッセンジャーRNAが働く。この「DNA→mRNA→タンパク質」という流れは生命現象の基本で、「セントラルドグマ(中心教条、分子生物学の中心原理)」と呼ばれている。
ところが、「セントラルドグマ」に関わる機能遺伝子は、ゲノム全体のたった1.5%でしかない。そのほかは、過去に感染したウイルスの名残とされるHERV(Human Endogenous RetroVirus ヒト内在性レトロウイルス)が9%、何のために存在するのかわからない LINE(Long Interspersed Nuclear Element 長鎖散在反復配列)が21%、同じく存在理由がわからないSINE(Short Interspersed Nuclear Element 短鎖散在反復配列)が13%、さらに不明な部分が52%もある。
かつてはヒトゲノムの98%は、「ジャンクDNA」と不名誉な呼び方がされていたが、いまでは過去の遺伝子進化の名残、将来の遺伝子進化の予備軍、あるいは遺伝子機能のオン・オフ調節の役目を担っていると見直されている。

現時点で知られているウイルスは、同位種も含めて5000株ほどである。海もウイルスで満ちているとわかったのはほんの最近のことだ。現在では生物の大部分にウイルスが侵入していることがわかっている。その多くが、レトロウイルスと呼ばれるRNAウイルスの一種である。レトロウイルスは、自らのRNAゲノムを逆転写酵素と呼ばれる酵素によって同等のDNAに逆転写し、宿主のゲノムの中に入り込む。
こうした共生体によって進化が起こり、新たな種が生まれたり、器官が形成されることを「共生発生」という。

ネオダーウィニズム(1940年〜)の基礎となったのが「総合説」。「総合説」の3つの要素(自然選択説、突然変異説、メンデル遺伝学)のうち、化学的理論と言えるのは自然選択説だけであり、あとの2つは理論ではなく事実の記述である。
進化遺伝学では突然変異以外にも「遺伝可能な変異」をもたらし得るメカニズムがいくつも見つかっている。例えば、遺伝子は親から子へと垂直に移動する突然変異だけでなく、種から種へと水平にも移動するという。
現在の進化遺伝学は、4つの推進力(突然変異や共生発生、異種交配とエピジェネティクス)と自然選択との相互作用で起きる現象として、進化を捉えている。
カンブリア爆発は、古生代カンブリア紀のおよそ5億4200万年前から5億3000万年前の間に、突如として今日見られる動物の門が出揃った現象である。カンブリア爆発は、突然変異の時間的なスピードを上げる異種交配が盛んに行われた結果ではないかとの説が有力である。

エピジェネティクスとは、ジェネティクス(遺伝子の働き)を操作するメカニズムであり、本書では「魔神」と呼んでいる。この「魔神」により、個々の遺伝子や時には染色体全体のもつ機能が、DNA配列に変化を生じなくても、生物は変化し得るという。エピジェネティクなプロセスによって遺伝子のスイッチが適切なタイミングでオン・オフされているという。
DNA→mRNA→タンパク質の「セントラルドグマ」は、最近になって何通りもの流れがあることがわかってきた。その流れを決めるのがエピジェネティクスであるという。

また、進化の主体は個体ゲノムではなく、ホロゲノムこそが進化のユニットとする「ホロゲノム進化論(宿主と微生物を合わせて進化ユニットにする)」という仮説を著者は支持している。

なお、解説者によれば、著者が主張する「ヒトーウイルス共生進化論」には未だに賛否両論があり、また比較的新しい概念の「ホロゲノム進化論」は、「総合説」で否定された獲得形質が遺伝するという「ラマルクの進化論」が復活しかねず、根強い反対意見があるのが現状だという。


『そして誰もいなくなった』 アガサ・クリスティー

イギリスの孤島に招待された10人が、マザーグースの童謡のとおりに、次々に殺されていく。しかも、殺されるたびにダイニングにおかれた10個の人形が、ひとつずつ消えていくというクローズド・サークル物の代表作。
原著は1939年に発刊された。原題は、And Then There Were None。
日本語訳は、同年、清水俊二により『死人島』というタイトルで、雑誌『スタア』に連載された。

招待主が姿を現さないまま、初日の晩餐がはじまった。 晩餐が終わる頃、「あなた方は、次に述べる罪状で告発されている」と、レコードから甲高い声が流れた。誰もが脛に傷もつ身なのだ。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティー/青木久惠 訳
ハヤカワ文庫
2010年11月

晩餐のあと無軌道な若者(自動車で子ども2人を轢き殺した)が毒殺された。翌朝、執事の妻(発作を起こした老女を見捨てて死なせた)がベッドの中で死んでいた。海は荒れ始め、残った者たちは島から脱出できないことを知る。
海辺にいた退役将軍(妻の愛人の部下を死地に向かわせた)が後頭部を殴打され殺された。
殺人が起こるたびに人形がひとつずつ減っていく。
残った7名は、島へ招待されたのは自分たちを殺すためであり、自分たちの中に犯人がいると思うようになった。
そうこうしているうちに、蜂の刺傷騒ぎに乗じて、年増女(使用人に厳しく当たり自殺に追いやった)が毒薬を注入され殺された。
翌朝、執事(妻と同じように、発作を起こした老女を見捨てて死なせた)が洗濯室で後頭部を斧で割られて殺された。老判事(陪審員を誘導して無実の被告に死刑判決を出させた)がピストルで額を撃ち抜かれ殺された。そして医師(酔って手術をして患者を死なせた)が海で溺死した。
残った3人はそれぞれが殺人鬼ではないかと疑心暗鬼に陥る。
元警部(無実の人物に銀行強盗の罪を負わせ死に至らしめた)は大理石のクマに押しつぶされた。元陸軍大尉(アフリカで食料を奪い21人を死なせた)は女教師とのピストルの奪い合いで射殺された。
そして女性教師(病弱な子供を泳がせ溺死させた)は首を吊って自殺した。

スコットランド・ヤードが館を捜査すると、首を吊るために足台として使った椅子が、壁際に片付けられていた。殺害されたもののうち何人かが日記を書いて、おおよその謎が解決したが、どうしても辻褄が合わないことがあった。 そして、トロール船の船長から犯人の手記と思われる文書がスコットランド・ヤードに送付され謎が解ける。

恐怖感や緊迫感が希薄なのは翻訳のせいだろう。言い回しが軽い。
女性教師が過去の事件を振り返る場面を、青木久恵と清水俊二との訳と比較してみると、それがわかる。
〈夏休み前の学期は、本当にしんどかった。ヴェラ・クレイソーンはつくづく思った。〉青木久恵 訳
〈はげしい教師の勤めに疲れきっていたヴェラ・クレイソーンはいつも考えるのだった。〉清水俊二 訳
京都弁の「しんどかった」はイエローカードだろう。

ねずみとり』1950年
さあ、あなたの暮らしぶりを話して』1946年
そして誰もいなくなった』1939年
アクロイド殺し』1926年