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2016年9月

『ミスター・メルセデス』スティーヴン・キング

霧が煙る早朝、市民センターで催される就職フェアの開場を待っていた行列に、メルセデス・ベンツが突っ込み、8人の死亡者と多数の負傷者を出す事件が起こった。
担当刑事だったビル・ホッジスは定年退職し、事件は迷宮入りとなっていた。
凶器となったメルセデスSL500は、市の高級住宅地に建つコンドミニアムに住むミセス・トローニーが所有していたもの。ミセス・トローニーは路上駐車したさいに、鍵をかけ忘れてはいないと主張したが、警察もマスコミも彼女を疑っていた。
そして、ミセス・トローニーは巨額の遺産を妹のジャネルに残し、高齢の母親をおいて自殺してしまった。犯人が彼女にコンタクトをとり自殺に追い込んだのだ。

ミスター・メルセデス 上
ミスター・メルセデス
スティーヴン・キング
白石 朗 訳
文藝春秋
2016年8月
ミスター・メルセデス 下
ミスター・メルセデス
スティーヴン・キング
文藝春秋

妻と離婚し娘が出ていった家で、ひとりで暮らすホッジスは自殺を考えたりもした。ある日、ホッジスのもとにメルセデス・キラーと名乗る男から、挑戦状ともとれる手紙が届く。それで、ホッジスは俄然、生きる張り合いができた。

「同じことをまたやりたいなんて気持ちがこれっぽっちもない。一回やれば充分なんだ」と手紙には書いているが、メルセデスで味をしめた犯人は、前より大規模な人殺しを企てるはずだと、ホッジスは踏んでいた。

ミセス・トローニー亡きあと、コンドミニアムで暮らす妹のジャネルの依頼もあって、ホッジスはメルセデス・キラーを捕まえようと動き出す。私立探偵の免許を持たない退職刑事が、事件を捜査することは違法行為法だが、そんなことで躊躇していられない。

犯人は、退職刑事の行動を行動心理学者も顔負けの緻密さで分析していた。それというのもホッジスをつぶさに観察していたからだ。
犯人の正体は早々と明らかにされる。犯人はフレイディ・ハーツフィールド、家電量販店の店員で、コンピューターのトラブルを出張して解決するサイバー・パトロールを担当していた。さらに、もうひとつの仕事を持っていて、移動販売車で町をゆっくり巡回するアイスクリーム・マンでもあった。

ホッジスは、ハーバード大学へ進学する予定の黒人高校生のジェロームと、ジャネルの従姉妹で抗うつ剤レクサプロを服用する40歳過ぎのホリーの協力を得て、いかれた犯人を洗い出す。

キングはホラーのイメージが強いが、本書はホラーっけなしの長編ミステリ。もちろん、本書にはキングが得意とする「下品ネタ」もそこかしこに散りばめられている。
「訳者あとがき」によると、本書はアメリカのミステリ小説の最高峰であるエドガー賞(長編部門、2015年)を受賞した。さらに、本書に登場したホッジス、ジェローム、ホリーのトリオが活躍する、第2作『Finders Keepers』(2015年)、第3作『End of Watch』(2016年)が、アメリカですでに刊行されベストセラーになっていて、間もなく日本語訳が発刊されるという。大いに楽しみだ。

ミスター・メルセデス
ジョイランド
11/22/63
書くことについて
幸運の25セント硬貨
1922
ビッグ・ドライバー
スタンド・バイ・ミー』(DVD)

『女には向かない職業』P.D.ジェイムズ

共同経営者のバーニイが癌を儚んで自殺してしまったので、弱冠22歳のコーデリア・グレイは、「プライド探偵事務所」を一人でやっていかなければならなくなった。

火葬場から事務所に戻ると、使いの女性が待っていて、ロナルド卿がコーデリアに直接会って仕事を依頼するかどうか決めたいという。息子のマークが自殺した理由を調べて欲しいという。
この辺りまではあっさりと話が進むが、マークの4人の友人が出てきてから、話が広がり複雑になっていく。

女には向かない職業 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
女には向かない職業
posted with amazlet at 16.09.12
P.D.ジェイムズ/小泉喜美子
ハヤカワ・ミステリ文庫 1987年9月

大学生だった21歳のマークは、突然、大学を退学した。
コーデリアが退学した理由を指導官に電話で訊ねると、わからない、問題のない学生だったとの答えであった。
退学したあと、マークはマークランド少佐の広大な《サマーツリーズ》邸で、庭師として働いていた。庭に放置してあったカテージに住んでいた。
そして首を吊った状態で死んでいるのを発見されたのだ。警察は自殺として片付けた。

コーデリアがカテージの周りを捜索すると、雑誌の女のヌード写真を丸めたものが雑草の中から出てきた。マークは偏執的に几帳面できれい好きだったと思われるが、鋤を手入れせず、仕事用の靴を脱ぎっぱなし、コーヒーカップは洗っていない、シチューを作っていた鍋はストーブに乗ったまま。自殺を考えている者が、食べるつもりもない料理を用意するだろうか。

コーデリアは、カテージに泊まることにした。
その前に、愛車のミニでケンブリッジへ行って、新聞社で事件の記事を調べ、マークの友人に会い、警察で担当刑事に会う予定を立てた。時間があったので、ケンブリッジを観光した。なんという余裕だ。
コーデリアにはタフな理由がある。すでに亡くなった父親は旅回りのマルキシスト詩人でアマチュア革命家。父親はしょっちゅう争い事の渦中にいた。そんな親の近くで育ったのだ、コーデリアはタフにならざるを得なかった。
彼女はバーニーが遺した38口径の拳銃を携え、愛車のミニを乗り回し、身に降りかかる火の粉を物ともせず、ひた向きに真相に迫っていく。

本作は事件の全貌が明らかになってからも山場がある。
コーデリアはスコットランドヤードに呼び出され、事件について尋問される。この尋問で、バーニイの上司だったスコットランドヤードの警部は、コーデリアの受け応えから、バーニイとの付き合い方が間違っていたことを思い知るのだった。

『ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃』 小林雅一

遺伝子工学や生命科学の分野で、過去に類を見ない驚異的な技術革新が進んでいる。
その技術革新とは、「クリスパー(正確には、クリスパー・キャス9遺伝子改変技術)」。クリスパーは遺伝子をピンポイントで切断したり改変したりを容易にできる。
従来の遺伝子組み換え技術は、100万回に1回という途方もなく低い成功率であったため、膨大なコストと時間を要した。

ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃 (講談社現代新書)
小林 雅一
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2016年8月
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クリスパー(CRISPER)とは「Clustered Reguraly Interspaced Short Palindromic Repeats」、日本語に訳せば「規則的に間隔を置いた短い回文の反復」である。クリスパーは、数10文字の短い回文が、一定の間隔を置いて繰り返し出現する塩基配列を指す。その間隔(スペーサー)の部分には、回文とはまったく関係がない塩基配列が存在する。
クリスパーは、過去のウイルス攻撃の爪痕であり、次に同じウイルスと接触したときに自分の敵であることを知らせるための情報である。スペーサーが、過去に攻撃を受けたウイルスのDNAの文字列である。
このスペーサーの塩基配列に食らいつき切断してしまう「分子のハサミ」Csn1遺伝子を、エマニエル・シャルパンティエ博士(スウェーデン・ウメオ大学教授)とジェニファー・ダウドナ博士(カリフォルニア大バークレー校教授)の共同チームが見つけ出し、2012年6月に『サイエンス』に発表した。
ところがクリスパーの特許を手にしたのは、フェン・チャン博士(ブロード研究所)だった。クリスパー技術の特許に関して、シャルパンティエ氏・ダウドナ氏とチャン氏の研究チームが法廷闘争を繰り広げている。
いずれにせよ、ここ数年間のうちにクリスパー技術で、ノーベル賞をこの3人が獲得するのは間違いないと、著者は予測している。

遺伝子編集の技術によって、農畜産分野では、「肉量の豊富な家畜や魚」や「腐りにくい野菜」などが開発されている。
一方、医療分野では、筋ジストロフィー、細胞移植療法、エイズ、アルツハイマー病などに対する応用、ダウン症あるいは全ゲノムが解明しているメンデル遺伝病などに対する基礎研究が始まっている。

アマゾンやグーグルなどの世界的なハイテク企業は、無数の患者から集めたゲノムデータを集積している。こうしたビッグデータを最先端AIで分析することにより、複雑な病気の原因遺伝子や発症メカニズムを解析することができる。

臓器移植の分野では、豚の臓器を人間に移植する際、問題になるのは豚のDNAに62カ所にレトロウイルスの塩基配列が組み込まれていること。これをクリスパーで除くことに、2015年10月、ハーバード大学医学大学院のジョージ・チャーチ教授が成功した。
チャーチ教授はクリスパー研究の第一人者で、センセーショナルな行動で有名。「骨を強化する」「心臓病にかかりにくくする」など10項目に上がる候補遺伝子を特定し、人類を強化するという計画を明らかにしている。
それは技術的に可能でも、倫理的に許されるのか?
優生学的な思想の復活につながるのではないかという危惧がある。
なお、2016年5月、日本では厚生労働省研究班は移植患者を生涯にわたって定期検査することなどの条件付きで、異種移植の実施を許可した。

遺伝子組み換え作物(GOM Genetically Modified Orgasnisms)の定義は、「バクテリア由来の外来遺伝子を、同じくバクテリア(アグロバクテリウム)の力を使って食物に組み込んだもの」。外来遺伝子には、Bt(バチルス・チュリンゲンシス)と呼ばれる殺虫性バクテリアの遺伝子や、あるいは除草剤への耐性を備えた細菌の遺伝子などがある。「感染力」や「毒性」など、ある種の危険性を持つバクテリアがGMO栽培には関与しているので規制が必要と考えられた。
ゲノム編集クリスパーを使って作成された30種類の農作物は、GMOではないとされアメリカでは規制の対象にはなっていない。

「遺伝子ドライブ」という問題がある。遺伝子工学を使ってマラリアを媒体する蚊などを駆逐してしまう技術のことだが、蚊を駆逐することで、長い目で見て生態系に思わぬダメージを与える恐れがある。一旦、破壊された生態系は元に戻らない。このため米国科学アカデミーなどが、遺伝子ドライブにモラトリアム(一時停止)をかけようとしている。しかし、ジカ熱の流行で遺伝子ドライブを行うべきだとする意見は強力である。

生殖細胞と体細胞で研究のスタンスが異なる。
体細胞をクリスパーで治療することはさしたる問題がないが、現時点で生殖細胞のゲノムを編集することは、デザイナー・ベービー(頭の良い、背の高い、容姿端麗な子)を作ることにつながる。まさに映画『ガタカ』の世界である。

遺伝子治療は、「生体外」と「生体内」がある。
ヒトの病気を動物に発症させて薬の効果や病気のメカニズムを解明する。
「生体内」は正常な遺伝子を組み込んだウイルスを異常な遺伝子を有する細胞に侵入・感染させることにより、正常な遺伝子に置き換わることを期待する。
生殖細胞の、体外受精で得た受精卵を調べ、メンデル遺伝病がないことを確認して子宮に着床させる。

生殖細胞へのゲノム編集は当面慎むべきである。体細胞へのゲノム編集は基本的に行って構わない。ただし、その際にはすでにある医療規制の枠内で行わなければならない。
「人遺伝子編集についての国際サミット」(2015年12月)での結論は、研究は「しかるべき法的倫理的な監督下に置かなければならない」。
しかし、こうした自主規制が破られるのは時間の問題だろうという見方が強い。

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『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』 ジェニファー・アッカーマン

人間は一生の間に200回ほど風邪をひくという。成人なら年に1〜2回、小児なら10回以上だ。
著者は、風邪に関する文献を渉猟し、風邪の研究者たちに直接インタビューし、時にはホテルで缶詰になり、スプレーで風邪ウイルスを鼻に噴霧する人体実験に参加し、あるいは風邪に効くとされる市販薬やグッズや、お婆ちゃんのチキンスープなどの民間療法に言及し、風邪の全容を明らかにしようとする。

かぜの科学:もっとも身近な病の生態 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ジェニファー・アッカーマン/鍛原多恵子
ハヤカワNF文庫 2014年12月

アメリカでは、病院の年間外来患者数のうち風邪の患者はのべ1億人にもなる。風邪で緊急治療室に搬送される患者は150万人を超え、欠勤日数はのべ数億日にもなり、経済損失は推定年間600億ドルに上る。

アメリカの子どもたちでは、風邪の罹患率は他の病気すべてを合わせたより高く、のべ1億9800万日もの学校欠席につながっている。
平均的な生徒は風邪で11日間学校を休む。これは欠席理由の半分に近い。
風邪が子どもたちの間では、学校が始まる夏の終わりから秋のはじめに流行するということは、現在よく知られている(日本の事情とは異なる)。学校が始まって17日すると呼吸器感染症がピークを迎え、通常の4〜5倍となる。人々はバカンスに行ってウイルスを持ち帰り、それを子どもたちが友達全員と共有するわけである。

著者が参加した治験では全員がウイルスに感染したが、発症したのは75%、残りは無症候性感染だった。別の実験では、同じ屋根の下で暮らす夫婦間で風邪がうつるのは全体の30〜40%だったという。
信じがたいほど風邪に強い人がいる一方で、誰かがくしゃみをするのを見ただけで風邪をひく人がいるのはなぜだろう。この無症候性感染が理由のひとつである。

1950年代、イギリスのCCU(コモンコールド・ユニット)のデイヴィッド・ティレルは、人間の鼻が一番ウイルスの増殖に適していると考えた。培養器の温度を33℃に下げると、ウイルスの培養に成功した。のちに、鼻(rhinoラテン語)を好むことから、ライノウイルスと名付けた。

風邪の原因には少なくとも200種の異なるウイルスが関与する。
その風邪ウイルスには少なくとも5つの属がある。ピコルナウイルス(ライウイルスを含む)、アデノウイルス、コロナウイルス、パラインフルエンザウイルス、インフルエンザウイルスだ。

ウイルスによって居心地の良い場所が異なる。ライノウイルスは鼻咽喉、パラインフルエンザウイルスは声帯と気管、呼吸系シンチウムウイルスは肺の末梢気道を、インフルエンザウイルスは肺そのものを好む。ただし、インフルエンザウイルスが軽い風邪の症状のこともあれば、ライノウイルスが重症な肺症状を出すこともある。感染した場所、宿主の状態などの要素によるのだ。
空気感染するインフルエンザは、風邪と別の病気と考えたほうがいい。

風邪ウイルスが鼻に侵入してから、増殖を完了し新しいウイルスが鼻の分泌物内に放出されるのに、早くとも8〜12時間かかる。くしゃみと鼻汁の分泌は感染から12時間以内に始まり、48〜72時間のあいだにピークを迎える。

ライノウイルスは空気感染もするが、多くの場合、直接感染である。
私たちの大半は、無意識のうちに5分に1〜3回も顔を触る(1日に換算すると200〜600回)。この癖によって風邪ウイルスが鼻孔に侵入するのだ。風邪の予防は手洗いの励行である。

風邪をひいている人の鼻粘膜の生検を行ったところ、上皮細胞にはまったく傷がついていなかった。風邪の諸症状はウイルスに対する身体反応の結果である。ウイルスが侵入すると、体が一連の炎症過程を起こし始める。こうした炎症プロセスによって、ウイルスが撃退あるいは破壊される一方で、私たちは苦痛を強いられるのだ。風邪の症状は、サイトカイン産生と抗ウイルス反応によるのである。
換言すれば、風邪の症状を起こすのは、ウイルスではなく私たちの免疫機構である。

抗生物質は細菌が細胞壁を作ることを阻むことで細菌を殺す。ウイルスは細胞膜を持たないので、抗生物質は風邪にまったく効かない。殺菌効果をうたう石鹸、シャンプー、ローションが風邪の病原体に効果を持たない理由でもある。
それでもアメリカ疾病予防管理センター(CCD)によれば、風邪に抗生物質が出される処方箋は年間4000万件超という、適正さを書いた凄まじい勢いで、抗生物質は風邪患者に処方される。なぜか?
医学校では、両親には「これはただの風邪ウイルスです」と告げ、患者を家に返すように教えられる。しかしそうすると親たちは不満である。そこで医師は効く保証もない治療法を提供し始める。

ありふれた病気である風邪に対するワクチンや薬ができないのはなぜか?
ひとつは、何日かすれば治ってしまう風邪を、医療界全体が軽くみてきたこと。
もうひとつは、風邪を起こすウイルスの数が多く、さらにウイルスは簡単に変異を起こす。風邪があまりにも多数の病原体によって起きるために、現在までワクチンが完成していないことによる。