ふぉん・しいほるとの娘 上
江戸後期から幕末・明治に至る時代を背景に、シーボルトとお滝(公的な妾)、その子孫たち、そして関わった人々を描いた大作である。上巻はシーボルトとお滝を中心に物語が展開し、下巻ではふたりの間に産まれたお稲とその娘タダ(高子)を中心に語られる。詳細な資料を元にする著者の実証主義がつらぬかれている。
本作は吉川英治文学賞(第13回 1979年)を受賞した。
ふぉん・しいほるとの娘〈上〉 吉村 昭 新潮文庫 1993年 |
1823年8月、オランダ商館付きの医官として長崎に着いたフランツ・フォン・シーボルトはドイツ人であり、オランダ語は日本人の通使より下手だったという。
シーボルトはオランダ政府から日本の国情調査を依頼されていた。つまりスパイの役割を担っていた。
シーボルトは、蘭方医の学習所兼診療所・鳴滝塾を開設する(1824年)。塾には、西洋の医学を吸収したいという日本の意欲あふれる医家たちが詰めかけ活況を呈した。
シーボルトは、門弟たちに惜しみなく医学を教え、日本の情勢をオランダ語で書かせレポートとして提出させた。優秀作品には賞を与えた。門弟たちにスパイ行為をさせていたことになる。
1825年(文政8年)2月、相次ぐ異国船の出没に、幕府は異国船掃攘令を発した。
4年に1回行われた商館長(カピタン)の江戸参府の旅に、シーボルトも同行した(1826年) 。
シーボルトは江戸に着くまで、各地で測量を行い植物を採取した。シーボルトの行く先々で、学者たちや大名たちがシーボルトに会いに宿舎に来訪した。
江戸では、シーボルトはさまざまな人物に会い、日本地図をはじめ数々の国禁の資料を手に入れた。
17歳の滝は「オランダ行き」と呼ばれるオランダ人向けの遊女で、27歳のシーボルトの妾になった。やがてお稲が生まれる(1827年)。
お稲が生まれて1年2ヶ月を経た頃、シーボルトは帰国の準備を始めた。
収集した1000種に及ぶ植物や日本地図を含めた膨大な資料を、オランダ船に乗せ長崎から持ち出そうとしたが、九州地方を襲った大暴風雨によって、シーボルトが帰国に使う船が坐洲してしまった。
これはシーボルトに疑いの目を向けていた幕府にとって好都合なことだった。
幕府の下知状が早飛脚によって長崎幕府にもたらされた。
シーボルトの所持している日本地図、蝦夷地図をはじめとする国禁の品々を取り戻し、シーボルト及び禁制の品々の譲渡に関係した者たちの取り調べを行うようにとの内容であった。
江戸では幕府の天文方・高橋作左衛門をはじめ、シーボルトに日本国の国禁の資料をわたした嫌疑で、シーボルトに接した人物が次々に捕まり、重罪となった(シーボルト事件1828年)。
したたかなシーボルトは、幕府の厳しい詮議をなんとかかわし、長崎を去ったのは、1829年12月であった。お稲は2歳半であった。
お滝は遊女の籍から解放され、関問屋俵屋の時次郎と結婚した。情が厚い時次郎はお稲を引き取った。お稲は寺子屋で評判になるほど聡明であった。
1840年、13歳のお稲は、お滝の反対を押し切って、シーボルトの弟子であった宇和島藩領卯之町で医業を営む蘭方医・二宮敬作に師事するために旅立った。
この時、お稲は混血児である自分は普通の結婚生活はできないと、悟っていた。→人気ブログランキング
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