東京新大橋雨中図 杉本章子
明治初期の激しく移り変わる世に、『東京新大橋雨中図』や『猫と提灯』などの名作を描き、最後の木版浮世絵師と称される小林清親の半生を描いた、杉本章子の時代小説である。直木賞(第100回、昭和63年度下半期) 受賞。
清親は、身の丈六尺のいかつい顔をした偉丈夫だったという。
東京新大橋雨中図 杉本章子 文春文庫 1991年 |
御家人であった清親は、明治時代の到来とともに職を失い、住み慣れた江戸をあとにし、幕臣たちとともに駿府に移った。財政が逼迫する静岡藩に定職があるはずもなく、清親は3年で東京に戻ってきた。
浮世絵や錦絵の版元屋の2階に居を構えた清親が、暇に飽かせて描いた絵が、有力な版元の大黒屋の目に止まり、一本立ちの浮世絵師を目指しての修行がはじまった。この時、清親29歳、絵の修行をはじめるには遅すぎる歳だった。
自ら「画鬼」と名のる天才絵師・河鍋暁斎の口利きで、写真家・下岡蓮杖の弟子・桑山が経営する写真館で色つけの修行をはじめ、めきめきと腕を上げていった。
そんな折、桑山から極秘で色つけを頼まれた写真の女性は、音信不通となっていた兄・虎造の妻・佐江であった。病に臥す虎造から、共同事業を持ちかけられた相棒に騙され借金を背負ったと聞かされる。清親は虎造の借金を返そうと、金を工面して佐江に渡すのだった。
自ら光線画と名付けた『東京新大橋雨中図』は、爆発的に売れた。雨の降る中を蛇の目傘をさした後ろ姿の女は、清親が淡い思慕の念を抱いた佐江を描いたものだった。
こうして光線画は脚光を浴び、清親は「明治の広重」と呼ばれるようになる。また、洋画の手法をとりいれた『猫と提灯』を、第1回内国勧業博覧会博覧会(明治10年)に出品し、好評を博した。
月岡芳年の弟子だという井上安治郎が、清親に弟子入りを願い出た。安治郎は「血まみれ芳年」の激しい画風についていけず、光線画に憧れているという。
やがて、光線画の人気も下火になり、西南戦争の錦絵や大久保利通と西郷隆盛の似顔絵などの、商業ベースの注文に応えざるを得なくなる。
さらに、版元から火事場に出向き臨場感あふれる絵を描くよう求められるようになった。この時、身重の妻と幼い娘を家において、火事の現場に出向いたことが原因となり、妻は実家に帰ってしまった。夫婦の関係は修復されず、ついには、清親が娘をひきとり離縁となった。
「火事場の絵なんぞ書く暇があったら、『猫と提灯』のようなこれぞという上質の絵を描くことだと言ったろう」という暁斎の言葉が、清親は気にかかって仕方がなかった。そうは言っても、背に腹を変えられぬ清親は新聞や雑誌のポンチ絵(風刺画)を描くようになる。
そんなある日、足をくじいて歩けなくなった老女を背負って家まで送り届けたことが縁で、清元の師匠・延世志(のぶよし)と親密な仲になるのだが、清親はひとり娘をかかえ、延世志は老いた母をかかえる上に3人の子持ちであった。→人気ブログランキング
【絵師が主人公の歴史小説】
『東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年
『眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
『ヨイ豊』梶よう子 2015年
『若冲』澤田 瞳子/2015年
『北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
『フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン/2014年
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