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2018年1月

『がん光免疫治療の登場』永山悦子 小林久隆(協力)

NIH(米国立衛生研究所)の小林久隆博士が開発した「光免疫治療」の臨床治験が、2018年3月から国立がん研究センター東病院で始まろうとしている。
「光免疫治療」は化学物質を結合させた分子標的薬(抗体)を静脈注射すると、薬ががん細胞と結びつき、それに近赤外線を当てると、化学物質が反応してがん細胞を破壊するというもの。アメリカで2015年に始めた治験では、他の治療で効果が認められなかった15人に行われ、14人でがんは縮小し7人はがんが消失したという。

がん光免疫療法の登場──手術や抗がん剤、放射線ではない画期的治療
永山 悦子 小林久隆(協力)
青灯社   2017年8月
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化学物質とは、新幹線などの車体の塗料に含まれる物質を水酸化させた「IR700」。「IR700付き抗体」を注射すると、抗体は全身のがんにたどりつき細胞膜にくっつく。そこに体外から近赤外線を当てると、「IR700」が水に溶けない性質に戻り細胞膜に傷がつく。細胞膜の傷から水分が入り込み、がん細胞が破壊される。この働きから「IR700付き抗体」を「ナノ・ダイナマイト」と名付けた。
細胞膜に1万個以上の傷がつくと、がん細胞が破壊されることが分かった。
この治療の利点は副作用が少ないことである。

がん細胞が破壊されると免疫の司令塔である免疫樹細胞ががんの存在に気づき、がんを攻撃する免疫の仕組みが作動し始める。がん細胞が破れない死に方では、樹細胞ががん細胞の死に気づかず免疫は誘導されない。

もうひとつの方法は、制御性T細胞を破壊する方法である。がん細胞が増殖するのは、体内の異物を攻撃する免疫が手出しできないように守られているためである。このがん細胞を免疫の攻撃から守っている「門番役」が、制御性T細胞。
制御性T細胞をピンポイントで攻撃した場合、目覚めたT細胞やNK細胞は制御性T細胞が守っていたがん細胞を攻撃するが、正常な細胞は攻撃しない。従って副作用は起こらない。
いったん目覚めたT細胞は、再び制御性T細胞と出会っても眠りにつくことはない。だから転移がんの周りに集まった制御性T細胞に邪魔されることなく、離れた場所のがん細胞も攻撃、破壊し続けることができると考えられる。
転移性がんが大きかったり、全身に散らばったりしている場合は、複数の場所のがんで制御性T細胞を破壊し、多くの攻撃型のT細胞を目覚めさせることで、一層攻撃力を高める方法が考えられているという。

オプジーボなどの免疫チェックポイント阻害剤を投与すると、がんを攻撃する免疫のみならず全身の免疫の働きが高まるため、自己免疫反応が避けられず、急性の間質性肺炎やⅠ型糖尿病など様々な副作用を起こす可能性がある。事実、副作用例が報告されている。

米国で治験を開始するための資金がなく足踏みしていところ、楽天の三木谷会長が資金提供をして研究の後押しをしたという。
ところで、光免疫療法の費用は10数万から数十万円と小林博士は見込んでいる。ちなみにオプジーボは3500万円。

小林博士の見通しによれば、「がん光免疫治療」は2〜3年後に厚労省の認可を得られ、10年以内には7〜8割のがん患者が使える抗体をそろえることができるようになるという。→人気ブログランキング

がん光免疫治療の登場/永山悦子  小林久隆(協力) /青灯社/2017年
がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ•ムカジー/早川NF文庫/2016年

『京都嫌い 官能編』井上章一

京都の歴史的な色欲ネタをピックアップして出来上がったのが本書。
女性とくに美人が政治の駆け引きに使われたり、まるで贈答物のように扱われたエピソードを書物から拾い出し、これでもかとばかり紹介している。女性には薦められない内容。
鎌倉の性的な魅力を伝える文芸は一つもないという。そのことを考えれば、京都には宮廷文化によって培われた色欲的な要素が多分にあったということだ。

京都ぎらい 官能篇 (朝日新書)
京都ぎらい 官能篇
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井上章一
朝日新書  2017年12月
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漱石は京都を小馬鹿にしていたことはよく知られているという。
『三四郎』の中で、主人公の三四郎が福岡から汽車で上京するさいに、女の乗客に誘惑されるが、その女が乗車してきたのが京都駅である。
漱石は京大の教授招聘を断っている。

1960年代半ばから京都観光の様子が変わってきたという。
新幹線の開通で女性客が増え、1970年代になると一人旅の女性が見られるようになった。そんな女性が、大学受験期の著者が住む奥嵯峨にも現れたという。それまで、京都は好色都市のレッテルが貼られていた。

京都観光の女性化は、とりも直さず色街のイメージの払拭であった。
しかし、そう簡単に払拭できるわけではない。ノーパン喫茶は大阪発祥と誤解されているが、実は、最初の店は1979年に京都の北郊、西賀茂に出店されたという。
最近は色欲とはかかわらない京都のイメージができあがっている。デオドラント化に成功した感がある。

著者は建築学を専門とする立場で唱える。
宮廷文化の精華である桂離宮の造形と、遊郭の揚屋の造りが酷似している部分があるという。この建築様式の類似は、宮中から一般民衆に、性がアウトソーシングされたことを示すと大胆に解釈している。→人気ブログランキング

京都嫌い 官能編
京都ぎらい
関西人の正体
京都はんなり暮らし』澤田瞳子

『ストラディヴァリウス』横山進一郎

著者は写真家、ヴァイオリン制作者。
ストラディヴァリが作った現存する楽器は約600本。著者はそのうち300本に実際に出会い、100本以上を撮影してきた。

1987年、北イタリアのクレモナで、ストラディヴァリ没後250年祭が行われた。クレモナはイタリア北西部ロンバルディア州南部の小都市、ミラノの南東部80キロにある。人口7万人、南西部にイタリア最大のポー河が流れている。ヨーロッパの乾燥したイメージとは違い湿っぽいところ。

ストラディヴァリウス (アスキー新書)
横山進一郎
アスキー新書  2008年

アントニオ・ストディヴァリは、1642年に生まれ、93歳で亡くなった。
12歳で家具職人に弟子入りし、16歳でヴァイオリンづくりの名匠であるニコロ・アマティに弟子入りした。23歳の頃結婚し、4男2女に恵まれた。
50歳になる頃にはかなりの金持ちになっていたようで、当時ロンバルディア地方で、「ストラディヴァリのようなお金持ち」という言葉が流行語となり、半世紀以上も使われていたという。
妻がなくなり再婚し、新たに4人の息子と1人の娘が生まれた。
この再婚の55歳から76歳頃までの20年間にストラディヴァリは楽器製作の黄金期を向かえた。
ところがクレモナの貴族たちは、こうしたヴァイオリン職人たちの活躍を快く思わなかった。

なぜ、今もってストラディヴァリウスを超えるヴァイオリンが作れないのか。
様々な研究が行われ推論がなされているが、結論はストラディヴァリが飛び抜けた技量を持った天才職人であったことに尽きる。

ストラディヴァリウスは、演奏家にとっては「弓を弦に乗せて動かすだけで、音が流れ出る」、聴者にとっては「一音一音があたかも自分だけのために弾いているように聴こえる」という。

ストラディヴァリウスの保有数は、国別では、イギリス、アメリカ、日本の順番であり、日本には約70本ある。
日本音楽財団は単体でストディヴァリウスを所有する世界一の団体となった。こうした団体が楽器を有望な演奏家に貸与し援助していることは、演奏家にとっても楽器にとっても喜ばしいことだという。楽器は他の美術品と違って生きていることが大事だ。→人気ブログランキング

ストラディヴァリとグァルネリ/中野 雄/文春新書/2017年
ストラディヴァリウス/横山進一郎/アスキー新書/2008年

『浮世絵鑑賞辞典』高橋克彦

編者は、前著・ハードカバーの『浮世絵辞典』が、コンパクトな文庫サイズで再出版されることに意義があると書いている。文庫本だから、誰でもが簡単に手にすることができるからだ。

59人の絵師たちの作品が、オールカラーで掲載され、絵師や作品について要諦をおさえた解説がついている。浮世絵の歴史や浮世絵が出来上がるまでの工程も紹介している。
浮世絵は、風俗画、美人画、役者絵、風景画、春画など、その守備範囲は広い。あくまで大衆が対象である。庶民に育まれて発達した浮世絵は、日本から輸出される陶磁器を包む紙として船でヨーロッパに運ばれた。売れ残ったか、あるいは用済みとなった浮世絵は、ショック・アブソーバーとして最後のご奉公で海を渡ったのだ。18世紀のヨーロッパで、人びとは紙切れに描かれた絵に驚かされた。
このエピソードは、浮世絵らしくていい。

浮世絵鑑賞事典 (角川ソフィア文庫)
浮世絵鑑賞事典
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高橋 克彦
角川ソフィア文庫  2016年

編者は、北斎の4つの作品を掲載している。1枚は赤富士を描いた『凱風快晴風』。
他の3点は、『おしをくりはとうつうせんのず』『賀奈川沖本杢乃図』『神奈川沖浪裏』である。3点とも海、特に波を描いているが、どう見ても前2点は習作の趣である。『おしをくりはとうつうせんのず』の波は、餃子の皮のようで頼りない。『神奈川沖浪裏』で、迫力にしても構図にしても究極に行きついたのだ。
この3点から、北斎は天才であるがたゆまぬ努力の人でもあったことを、編者は伝えたかったのだと思う。

本書は、たとえば、浮世絵美術展に行くときなどにポケットに忍ばせておいて、事前に電車の中でチェックするのに便利だ。何しろコンパクトだからどこにでも持っていける。
解説は杉浦日向子。→人気ブログランキング

『ルビンの壺が割れた』宿野かほる

書簡体小説のフェイスブック版。
フェイスブックでのやりとりだけで構成されているミステリ。はじめは遠慮しがちでぎこちないやりとりだが、次第にスピード感が増していく。

水谷は、結城未帆子という名前をフェイスブックで見つけメッセージを送る。
最初、未帆子は無視する。
28年前、水谷と未帆子は結婚することになっていたが、結婚式に未帆子は現れなかった。それ以来、ふたりは会っていない。
ふたりだけしか知らない出来事について水谷が書いたことで、未帆子は返信することにする。

ルビンの壺が割れた
ルビンの壺が割れた
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宿野 かほる
新潮社 2017年8月
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水谷と未帆子が結婚の約束をした経緯が語られる。
大学の演劇部の部長だった水谷に、下級生の女子は誰もが憧れを抱いていた。田舎娘と思われ。
ていた未帆子も例外ではなかった。
水谷が書いた戯曲「ルビンの壺が割れた」の稽古で、ヒロイン役が休んだときに、未帆子が代役を買って出て、ヒロイン役を完璧にこなした。
水谷は未帆子の役者としてのセンスに驚嘆し、未帆子を主役に抜擢した。
公演は大成功に終わり、プロの脚本家からも賞賛された。
ふたりは付き合い始める。
水谷には優子という許嫁がいたが、そのことを承知で、未保子は水谷と結婚することにした。

結婚式に未帆子は現れなかった理由を書く。そして、それぞれが秘密にしていた過去が語られ、ストーリーは思いもよらない結末に向かう。→人気ブログランキング

『やきとりと日本人 屋台から星付きまで』 土屋美登世

かつて、やきとり屋には煙とおじさんとビールか焼酎かコップ酒がつきものだった。ごちゃごちゃ感と一体感が入り混じっていた。ところがやきとり屋でワインが出てくるようになり、柔らかい間接照明の下でBGMはジャズが流れ、女性客が珍しくなくなった。素材はブロイラーから地鶏や銘柄鶏になり、野菜焼きが加わりパテやサラダが登場し、やきとりのコースも一般化した。やがて、『ミシュラン・ガイド』にもやきとり屋が載るようになり、さらに外国人の好きな日本料理の第1位にも選ばれた。

まずは歴史。そもそも、やきとりに関する資料が乏しいという。ここ50年くらいの動きについてすら資料があまり見当たらない。やきとり屋の店主や鶏卸業者の証言を拾い、畜産史や食に関する随筆などで裏付けながらつなげていったという。

やきとりと日本人~屋台から星付きまで~ (光文社新書)
光文社新書
2014年12月
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文献に鶏が現れるのは『古事記』のなかで天岩戸に天照大神が隠れたときに、尾長鶏が鳴いたというシーンが出てくる、これが最初。
江戸時代後半には軍鶏鍋や鶏鍋が流行った。
やきとりは江戸後期から明治初期にかけて屋台の商売として確立していった。
明治時代までは鶏はもっぱら採卵が目的だったので、廃鶏になってから肉を食べた。
日本橋牡蠣町の「伊勢廣」という鶏肉卸問屋に勤めていた人物が、1921年、のれん分けのかたちで京橋で「伊勢廣」を開業した。開業当時からコース仕立てのメニューだったという。
大正から昭和初期、東京の屋台系はもつ焼きを出していた。鶏もあるが焼き豚ともつ焼きがメインだった。
戦後、やきとりともつ焼きが混沌としていた時代のなかで、やきとりといえば鶏と決定づけた出来事は、1960年頃のブロイラーの登場である。
それまでは、鶏といえば相変わらず採卵のための鶏か、鍋に使われる軍鶏が多かった。

著者はやきとりブームを3期に分ける。
ブロイラーが普及した1960年前後から1970年代までを「第1次やきとりブーム」とする。
バブル期と一致する80年代からの10年間を、「第2次やきとりブーム」と位置づける。地鶏や銘柄鶏が使われるようになり、野菜焼きが一般的になった。『ミシュラン・ガイド東京版・2010年度版』に5店舗が星1つで掲載された。
「第3次やきとりブーム」は、2010年代から。オリジナリティ豊かなメニュー、ワインが取り揃えてあって、カフェ風あるいはビストロ風のおしゃれな店が現れた。→人気ブログランキング

『神秘大通り 上下』ジョン・アーヴィング

メキシコ・オアハカでの少年時代、アイオワシティでの高校生から小説家として大成するまで、そして雪のケネディ空港から香港を経由してフィリピンに行き繰り広げられる現在のこと、これらの3つのシチュエーションが、シームレスに幾度も変わりながら語られる。
主人公の半生がマイノリティに対する優しい視点で描かれている。

フワン・ディエゴは友人の女医からベータ遮断薬とバイアグラを処方されていて、ベータ遮断剤を飲むか飲まないか、あるいは半錠を飲むか2錠かは、彼の行動と精神状態に深く関わると思っている。

彼はメキシコのオアハカのゴミ捨て場で育った。教育を受けたことがなかったが、ゴミの山から本を見付け出しては片っ端から読み漁り、スペイン語はもちろん英語も読み書きし話すことができる。
妹のルペは声帯に異常があり、話す内容を理解できるのは兄だけである。人の心を読むことができて、未来が見える。母親はイエズス会教会の掃除婦であり、夜は娼婦として働いている。3人はイエズス会教会の一室を住居として与えられている。
アイオワからやってきたイエズス会の神学生が兄妹と深く関わり合いをもつようになる。
14歳のときにトラックに脚を轢かれ、フワン・ディエゴは足を引きずるようになった。

神秘大通り(上)
神秘大通り(上)
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ジョン・アーヴィング
小竹由美子訳
新潮社 2017年7月

フワン・ディエゴはアイオワンの宣教師と男娼の夫婦の養子になり、大学町のアイオワシティに移り住んだ。高校では母親が女でないという理由でいじめの洗礼を受けた。
そこから話は飛んで、フワン・ディエゴは名の通った小説家になり、有名作家を多く輩出した創作クラスで教える立場になった。彼はその後の人生の大半を、アイオワシティでひとりで暮らしてきた。

フワン・ディエゴがフィリピンに滞在する目的は、ルペの片思い男、アメリカ人徴兵忌避者のたっての願いを実行するためだった。太平洋戦争で戦死したその男の父親の墓に墓参することを約束したのだ。
フィリピンで小説家として成功した、創作クラスの教え子が、親戚総出で鬱陶しいくらい大々的にフワン・ディエゴを歓待してくれる。彼は行く先々で出没する謎の母娘と、バイアグラの力を借りて性的関係をもってしまうが、母娘とのことが夢なのか現なのかはっきりしない。

フワン・ディエゴは、繰り返し過去に引き戻されてしまうことを不思議に思うようになり、深い眠りに襲われるようになる。→人気ブログランキング

『がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か』NHKスペシャル取材班

がん細胞の遺伝子を解析して、その結果をもとに行われる治療は「プレシジョン・メディシン(精密医療)」と呼ばれる。
本書は2016年11月に放送された番組『NHKスペシャル』に、2017年7月における最新情報を加味したものである。

がん遺伝子とは正常な細胞が持っている遺伝子の中で、変異する(傷がつく、DNA配列が変わる)と、細胞の異常増殖を引き起こす遺伝子のこと。がん抑制遺伝子とは細胞のがん化を抑制する遺伝子。正常な細胞ががん細胞に変わるきっかけとなるのは、がん遺伝子やがん抑制遺伝子にできた傷である。

がん遺伝子は、傷がつくことで遺伝子変異が生じて、異常なタンパク質が作られるようになり、このタンパク質が原因となって、異常な細胞増殖がはじまる。これががんの誕生である。
現在までに数100のがん遺伝子、100前後のがん抑制遺伝子がみつかっている。

がん治療革命の衝撃―プレシジョン・メディシンとは何か (NHK出版新書 527)

分子標的薬が標的とする分子は、主にがん細胞の異常増殖を促している異常たんぱく質である。分子標的薬はその異常たんぱく質と結合して働きを抑え込み、がん細胞の増殖を止める。
あるいは、がん細胞に栄養を運ぶ新たな血管を作る分子の働きを抑えて、がん細胞を兵糧攻めにするタイプ、また最近では、複数の分子を標的にするマルチターゲット薬と呼ばれる分子標的薬も開発されている。
分子標的薬のメリットは、効果が期待できるかどうか、治療の前に予想がつきやすいことである。しかし、分子標的薬は使い続けるとがんが耐性を獲得して、早ければ半年、長くとも数年で効かなくなることが多い。

がん細胞には正常な免疫細胞の攻撃を止める攻撃ブレーキボタンを押す機能がある。免疫チェックポイント阻害剤は免疫細胞のブレーキボタンをがん細胞から守る役割をもつ。免疫チェックポイント阻害剤の優れている点は、効き目が長く持続することである。
免疫チェックポイント阻害剤には劇的な効果があるため、がん治療にパラダイムシフトをもたらす新薬として注目されている。
現在、日本で保険が適応される免疫チェックポイント阻害剤は、オプジーボ(一般名ニボルマブ)、ヤーボイ(イピリムマブ)、キイトルーダ(ペンブロリズマブ)の3剤。

アメリカで動き出した次世代のプレシジョン・メディシンは、人工知能を使うというもの。がんに関する論文は世界で年間10数万件が発表され、1日では数百になる。IBMが開発したワトソン・ゲノミクスは、これらの情報をを学習し、患者のデータを入力し治療スケジュールを決める。その時間はわずか2〜3分だという。

プレシジョン・メディシンによりがん治療の考え方が根本から変わる。薬選びは臓器別から遺伝子変異別となる。がん治療は「あと5年で劇的に変わる」という。→人気ブログランキング

がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ•ムカジー/早川NF文庫/2016年

『著作権法がソーシャルメディアを殺す』城所岩生

日本はネットビジネスの植民地と化しているという。
その原因は既得権をもつ諸団体の力が強く、せっかく生まれた日本発の画期的なアイディアが育たないことによる。日本が足踏みしている間に、同じようなアイディアが外国でビッグビジネスに育っていく。ネット業界は勝者総取りであるゆえ、日本を草刈り場にしてしまう。これは、日本にとって大きな損失であると著者は訴える。

そうしたことが起こる背景には、審議会の委員構成に問題があるという。既得権益を守る団体をバックに持つ委員の占める比率が高い。つまり役所が操作しているということだ。はじめに結論ありきの審議会運営が行われるという。

著作権法がソーシャルメディアを殺す (PHP新書)
PHP新書 2014年
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日本版フェアユースが実現されるまでに4年もかかり、さらに、その法律は見るも無残な骨抜きの形になってしまったという。
日本のデジタル経済に向きあう姿勢が問われている。規制をゆるめないと世界で戦えないことは、素人にも理解できる。イギリスのように、まずデジタル経済で世界をリードするという戦略を打ち出して、そのためにどうするかを議論するのが正しいアプローチでだという。

フェアユースとは、「公正な利用」であれば、著作権者の許諾がなくても著作物を利用できる制度。
アメリカのフェアユースでは、1)利用の目的性質、2)利用された著作物の性質、3)利用された著作物の量や実質性、4)利用行為が著作物の市場や価値に与える影響、の4つの条件を総合的の考慮し、その利用が公正な利用であったかどうかを判断する。

かつて、日本で国産検索エンジンがアメリカと同時に誕生していたが、著作権法の壁に阻まれ、アメリカに日本は負けた。日本にはフェアユースという迂回路がなく、個別の権利制限規定を追加するという対応に遅れをとった。そしてアメリカ勢の草刈り場となってしまった。こうした惨状を招いた立法、行政、司法の責任は大きいという。

アメリカは、公共の福祉が優先されどんな事業であっても国民の大半がその恩恵を受けるなら認めるというフェアユースの社会である。これに対し日本ははじめから規制がかかるオブトイン方式である。この差は大きい。
著作権法をなんとかしななければ、日本はネットビジネスの植民地化してしまう。→人気ブログランキング

正しいコピペのすすめ/宮武久佳/岩波ジュニア新書/2017年
著作権法がソーシャルメディアを殺す/城所岩生/PHP新書/2013年
デジタル時代の著作権/中野祐子/ちくま新書/2010年