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2018年1月10日 (水)

やきとりと日本人 屋台から星付きまで 土屋美登世

かつて、やきとり屋には煙とおじさんとビールか焼酎かコップ酒がつきものだった。ごちゃごちゃ感と一体感が入り混じっていた。ところがやきとり屋でワインが出てくるようになり、柔らかい間接照明の下でBGMはジャズが流れ、女性客が珍しくなくなった。素材はブロイラーから地鶏や銘柄鶏になり、野菜焼きが加わりパテやサラダが登場し、やきとりのコースも一般化した。やがて、『ミシュラン・ガイド』にもやきとり屋が載るようになり、さらに外国人の好きな日本料理の第1位にも選ばれた。
まずは歴史。そもそも、やきとりに関する資料が乏しいという。ここ50年くらいの動きについてすら資料があまり見当たらない。やきとり屋の店主や鶏卸業者の証言を拾い、畜産史や食に関する随筆などで裏付けながらつなげていったという。
Image_20201223105301やきとりと日本人~屋台から星付きまで~
土屋美登世
光文社新書
2014年

文献に鶏が現れるのは『古事記』のなかで天岩戸に天照大神が隠れたときに、尾長鶏が鳴いたというシーンが出てくる、これが最初。
江戸時代後半には軍鶏鍋や鶏鍋が流行った。
やきとりは江戸後期から明治初期にかけて屋台の商売として確立していった。
明治時代までは鶏はもっぱら採卵が目的だったので、廃鶏になってから肉を食べた。
日本橋牡蠣町の「伊勢廣」という鶏肉卸問屋に勤めていた人物が、1921年、のれん分けのかたちで京橋で「伊勢廣」を開業した。開業当時からコース仕立てのメニューだったという。
大正から昭和初期、東京の屋台系はもつ焼きを出していた。鶏もあるが焼き豚ともつ焼きがメインだった。
戦後、やきとりともつ焼きが混沌としていた時代のなかで、やきとりといえば鶏と決定づけた出来事は、1960年頃のブロイラーの登場である。
それまでは、鶏といえば相変わらず採卵のための鶏か、鍋に使われる軍鶏が多かった。

著者はやきとりブームを3期に分ける。
ブロイラーが普及した1960年前後から1970年代までを「第1次やきとりブーム」とする。
バブル期と一致する80年代からの10年間を、「第2次やきとりブーム」と位置づける。地鶏や銘柄鶏が使われるようになり、野菜焼きが一般的になった。『ミシュラン・ガイド東京版・2010年度版』に5店舗が星1つで掲載された。
「第3次やきとりブーム」は、2010年代から。オリジナリティ豊かなメニュー、ワインが取り揃えてあって、カフェ風あるいはビストロ風のおしゃれな店が現れた。→人気ブログランキング

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