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2018年2月 1日 (木)

風神雷神 柳広司

秀吉が催した醍醐の花見(1598年 慶長3年)からはじまり、宗達が醍醐寺の依頼の屏風を描き上げ、花見をむかえるところで終わる。
宗達はふたりの人物によってその才能が開花させられた。ふたりとは、万能の文化人・本阿弥光悦と公卿の粋人・烏丸光広である。

京の扇屋・俵屋の養子である宗達は、20歳を超えたというのにぼんやりしていて、絵付け職人としてはとびぬけて秀でているが、客あしらいがなっていない。そんなアスペルガー症候群的な性癖である。
Photo_20201113142601 風神雷神 風の章

柳 広司
講談社
2017年
Photo_20201113142602 風神雷神 雷の章

 

 

本阿弥光悦から書籍の下絵の依頼を受け、嵯峨本の制作に携わる。
嵯峨本とは、紙師宗仁が提供する高級和紙に、宗達が下絵を描き、光悦の文字を配した製本書籍のこと。嵯峨本は、世界でも類を見ない美しさを備えた製本書籍と、今もなお称えられている。

光悦は、家康から洛北鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などの 仲間を率いて移住した。宗達も誘われたが、断って俵屋の後を継ぐことにした。
宗達が店を仕切るようになると、俵屋は大いに繁盛した。そして、俵屋は屏風絵、絵巻、掛物、貝絵、カルタなど、何にでも絵付けする絵屋に生まれ変わった。
ある日、宗達の前に烏丸宏光が現れた。宗達は烏丸に連れられて公家の家に上がり込み、秘蔵の名品を見せてもらい模写した。烏丸のおかげもあってか、公卿屋敷や寺社から注文がくるようになった。
やがて、絵師として最高位の「法橋」の位を授かった。

醍醐寺から花見の時に使う二曲一双の屏風の注文を受けた。宗達は2年の猶予を願い出、隠居した。納期に間に合わせ絵を仕上げたあと、発作に見舞われて亡くなった。
仕事場に、誰も見たことがない構図の「風神雷神」の屏風が残されていた。そこには落款も署名もなかった。

本作では、3人の女性が宗達と関わる。初恋の女性・出雲の阿国、宗達が密かに心を寄せる光悦の娘・いく、そしてすべてをお見通しの妻・みつ。観桜の日、3人が連れ立って醍醐寺に現れる。→人気ブログランキング

【絵師が主人公の歴史小説】
風神雷神』柳広司 2017年
北斎まんだら』梶よう子 2017年
眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
ヨイ豊』梶よう子 2015年
若冲』澤田 瞳子 2015年
北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン 2014年
東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年

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