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2018年3月

2018年3月27日 (火)

書店主フィクリーの物語 ガブリエル・セヴィン

1ページに1冊くらいの割合で本について触れられている。主人公のセリフだったり、比喩に使われたり、本書の中の書店での売れ筋の本だったり、怪獣のことだったり、子供用の本だったり、ともかく本が多く登場する。書店員が選ぶ本屋大賞を受賞するにふさわしい本だ。
Image_20201202144801書店主フィクリーのものがたり
ガブリエル ゼヴィン/小尾芙佐 訳 
ハヤカワepi文庫
2017年

島に1軒しかない本屋の店主A・J フィクリーは偏屈な男やもめである。1年半前に妻を交通事故で亡くした。
そんなA・Jに、稀覯本が盗まれる事件と、マヤという2歳の赤ん坊が書店に置き去りにされる事件が起こった。翌日海岸に黒人女性の死体が打ち上げられ、IDカードからマヤの母親と判明した。自殺と断定された。
稀覯本の盗難は警察に届け、手続き上困難なこともあったが、マヤはA・Jが育てることになった。

マヤは人懐っこくって利発。マヤを見に島の人が本屋を訪れ、訪れる口実に本を買う。マヤのおかげで店は繁盛し、さらに、A・Jは本の営業で店をしばしば訪れていたアメリアと結婚にこぎつけた。警察署長のように、それまであまり本を読まなかった人が、本を読むようになった。

やがて、マヤの母親が自殺した理由や父親の正体が明らかになる。
それとは関係なく、マヤはすくすくと育っていく。郡の短編小説コンテストで、20の高校から40の作品が集まり、マヤの作品は上位3編に選ばれた。
母親の望みどおり本好きの少女に育ったのだ。

電子書籍の普及による本屋存続の危機という出版界が抱える問題にも、さりげなく触れている。
クリスマスにA・Jの母親がアリゾナから遊びに来て、3人にプレゼントを渡す。電子図書リーダーだった。A・Jはたちどころに不機嫌になる。アメリアは、母親に感謝の言葉をかけ、A・Jの立腹をなだめ、ふたりの間をとりなそうとする。

物語はハッピーエンドでは終わらない。
やがて、A・Jの持病である、気を失う回数が多くなって、言葉を間違うようになった。島の医者は本土の専門医に、A・Jを紹介した。A・Jの手術にはかなりの金がかかるのだった。
悲しい出来事もユーモアを交えて淡々と描いていて、落ち着いたストーリーになっている。→人気ブログランキング  

2018年3月24日 (土)

等伯 安部龍太郎

信長の天下取り、秀吉の世、そして家康の台頭までの激動の時代を生きた画家、長谷川等伯の半生を描いた。等伯は自己と戦いながら全身全霊を傾けて絵を描いた。本書は等伯の絵にも通じる力のこもった傑作である。2013年直木賞受賞作。

能登の武士の家に生まれた等伯は七尾の商家の養子となった。
等伯の留守に屋敷に賊が押入り、義父母は捕まり自害した。養父母を死なせてしまったことで等伯は居場所がなくなり、妻と息子とともに七尾をあとにした。

Photo_20201207083701等伯
安部 龍太郎
文春文庫  2015年
Photo_20201207083702等伯
安部 龍太郎
文春文庫  2015年

上洛する途中、等伯は比叡山の焼き討ちに巻き込まれ、信長軍に襲われた。その時、子どもを抱いた僧を助けたが、子どもは、のちに有力な公家として活躍する近衛前久の息子だった。このことが後々なにかと、等伯にとって有利に働くことになる。
その後、織田の武士たちは等伯を目の敵にして追い続けため、信長が亡くなるまで、等伯は表舞台に出ることができなかった。

狩野永徳の父狩野松栄は等伯を高く評価し、狩野派の技術を教え、永徳との仲を取り持った。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野派の総帥永徳は、ことあるたびに等伯に嫌がらせを仕掛けた。

等伯はどのようにして絵師として認められていったのか。義父は、等伯はいずれ京にまで聞こえる絵師に成るだろうと高く評価していた。もともと絵の才能は抜群なものがあったが、等伯は依頼された仕事に対し圧倒的な集中力で描き上げた。依頼主が感動するような仕事をした。等伯の性格を表現するのに著者は次のように書いている。〈等伯の最大の美質は愚直なばかりの粘り強さであった。〉

狩野派の絵は定石通りで面白みに欠けるという利休の助言により、等伯は京都・大徳寺の山門の天井画と柱絵の制作を依頼された。長年この世界に君臨してきた狩野派の牙城を、裸一貫から身を起こした等伯が突き破ったのだ。その後は、利休や秀吉に重用され、狩野派を凌ぐほどにまで上り詰めた。

秀吉の逆鱗に触れ利休が切腹に追い込まれた後、秀吉の嫡男鶴松が亡くなった。利休の祟りだとの噂が流れた。鶴松のために祥雲寺を造ることになり、その襖絵を描く絵師に等伯が命じられた。

事故死と片付けられた息子久蔵の無念を晴らすために、非礼を顧みず等伯が狩野派の陰謀によって殺されたと秀吉に直訴した。誰もが驚くような絵を描いたら、無礼を免じるということになった。
三日三晩飲まず食わずで一心不乱で描き続けたあと、気を失った。そして描きあげた「松林屏風」は、誰もが言葉を失うほど見事であった。→人気ブログランキング

平城京/安部龍太郎/角川文庫/2021年
信長の革命と光秀の正義 真説本能寺/安部龍太郎/幻冬社新書/2020年
姫神/安部龍太郎/文春文庫/2018年
等伯/安部 龍太郎/文春文庫/2015年

2018年3月22日 (木)

小型哺乳類館 トマス・ピアース

機知に富んだユーモアたっぷりの12の短篇が並んでいる。文章が緻密でうまくて、話の運びがうまい。珠玉ぞろいの素晴らしい短編集だ。なかでも秀逸なのは「実在のアラン・ガス」。
同棲相手の女は夢の中で結婚しているという。相手の名前はアラン・ガスと打ち明ける。男の頭の中でアラン・ガスの存在がどんどんの大きくなっていく。
3ce0088374e244c0b10cbfbb549dd256小型哺乳類館
トマス ピアース Thomas Pierce/真田由美子
早川書房
2017年

息子が自宅に小型のクローン・マンモスを連れてくる。息子が出張で家を開けることになり、母親はひとりでマンモスの世話をすることになる。「シャーリー・テンプル三号」

息子が火遊びをした。2回目だ。なんとか息子の気を火からそらそうと、父親は息子をつれてグラスホッパーの会のキャンプに向かう。「グラスホッパー・キング」

イルカ好きのエリーは、男を振りそして振られる。その後バーテンダーと交際し、母の勧めた会社の面接試験を受けるとトップの成績で採用される。小論文の出来がよかったらしい。そして前に振った男とであう。「私たちはなぜ泥を食べたのか」

古い家を購入して修理をすると壁からオポッサムらしき頭蓋骨が出てきた。それを聖ホッシーと名付けた。妻が生物学を教えている同僚に調べてもらうと、得体がしれないという。「聖ホッシー」

コメディアン夫妻が飛行機に乗っている。コメディアンには息子がいて、その息子の母親が結婚式を挙げようとしている。母親はシングルマザーなのだ。母親の夫になる男が空港に迎えに来ている。
コメディアン夫婦と、息子と母親と夫になる男と、母親の両親とが一緒に散歩する。コメディアンは大人気ない行動に出る。「いまだ至らぬフィリークス」

転ぶ人々が次々につながるシチュエーション。つながりは見事に仕組まれている。「転ぶ人々のビデオ集」

気球遊覧飛行を生業にしている女が、ある金持ちの男を乗せる話。男はたったひとりで鳥かごに入れたインコとともに気球に乗る。男はわがままだ。「おひとりさま熱気球飛行ツアー」

鉱物の調査を仕事としていた弟の遺体は政府機関が厳重に管理しているという。死因の調査のため政府機関の女性を介して、隔離された弟の遺体の状況が何年にもわたって伝えられる。地球全体にとっても著しく危険な遺体なのだ。「追ってご連絡差し上げます」

子持ちの女と付き合っている。その子どもを連れて動物園に行き、人気の小動物の列に並ぶ。この子どもが可愛げがない生意気なガキだ。「小型哺乳類館」

アカデミーの会員が太古の骨の化石から巨大生物をでっち上げる見世物師を目の敵にする話。「いまの時代の私たち」

ドーベルマン2頭に餌をやって郵便物を取り込むことを、留守にする知人から頼まれた。妹は事故で高次脳機能がやられた兄とともに食品庫に隠れているのだが、犬をおとなしくさせる魔法の言葉を忘れてしまった。さあどうする。「バーバブーン」
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2018年3月20日 (火)

オンブレ エルモア・レナード

「オンブレ」のほか、「三時十分発ユマ行き」が収録されている。
「オンブレ」は、危機に瀕した登場人物たちの切羽詰まった様子が「私」の目を通して淡々と描かれている。舞台は乾燥しきった灼熱の荒野。もちろん西部劇の見所である銃撃戦も堪能できる。傑作だ。
村上春樹の「掘り出し物を翻訳したぞ、どうだ」というニュアンスの長い解説つき。
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エルモア・レナード/村上春樹訳
新潮文庫 2018年

「オンブレ」
鉄道の発達で、駅馬車の路線が廃止される状況の中での話。
駅馬車に乗り合わせるのは、まずは、ジョン・ラッセル、別名「オンブレ」、メキシコ人だ。
3/4は白人の血が入っていて、あとはメキシコ人の血、目は青い。6歳から12歳までアパッチと一緒に暮らしていた。その後ラッセル氏と暮らし、学校に通った。
かつて、第3騎兵隊の補給ラバ隊と行動を共にしたラッセルは、アパッチに襲われたが、3人分の働きをしてアパッチを撃退したという武勇伝の持ち主。そして「オンブレ(男)」と呼ばれるようになった。
次は、アパッチに連れ去られて1か月以上アパッチと暮らしていた美しく芯の強い17歳の白人娘マクラレン。好奇心の的になる存在だ。
あとは、ドクター夫妻、除隊兵、御者メンデスと助手の「私」アレンの計6人。
ドクターといっても医学を極めたわけではない。いわばインディアン管理官、神学博士だという。金儲けのために聖職についた男だ。政府からだまし取った巨額の金を持参している。妻は夫より15歳ほど若く30歳ぐらい。ふたりの関係は冷え切っているようだ。強盗が狙うのはドクターの金だ。

出発直前に、無頼漢のブレデンが現れ、除隊兵に席を譲れと迫る。アレンがメンデスを呼んでこようとすると、ブレデンは2人の問題だから、他人が割り込むなという。結局、除隊兵はブレデンに脅され駅馬車から降りた。
こんなメンバーだから、何が起こっても不思議ではない。
そして近道をしたばっかりに、がけ崩れで道をふさがれたところで立ち往生してしまい、強盗に襲われる。

「三時十分発ユマ行き」
囚人の仲間が見守る中、保安官補佐がひとりで囚人をホテルから連行し、街中を通り、駅にたどり着くまでを描く。→人気ブログランキング

オンブレ/新潮文庫/2018年3月
ラブラバ/ハヤカワ・ミステリ/2017年
ラム・パンチ/角川文庫/1998年(『ジャッキー・ブラウン』DVD)
ミスター・マジェスティック/文春文庫/1994年

2018年3月16日 (金)

その犬の歩むところ ボストン・テラン

犬は主人のピンチに身を呈して助けようとする忠誠心がある。物語は犬の鑑ともいうべきギヴとともに、アメリカを縦横に旅する。犬の視点は抑え気味にして、ギヴにかかわる人びとを描くことで、ギヴの愛らしさや善意や忠誠心が描き出されている。
Image_20210126095701その犬の歩むところ
ボストン テラン/田口俊樹 訳
文春文庫
2017年

アンナは交通事故に遭い脳が損傷され嗅覚が過敏になってしまった(カリフォルニア)。
ある雨の夜に老犬がアンナのモーテルに現れた、首輪から名前はギヴとわかった。アンナは生まれてきたギヴの息子にもギヴと名付けた。

モーテルにタトゥーだらけの兄弟が訪れた。ハードロッカーの兄弟は父親から盗みを教えられていた。そして兄はギヴを盗んだ。

タトゥー・アーティストのルーシーは、弟のイアンと意気投合し、ニューオリンズで一緒に生活をすることにした(ダラス)。ルーシーはギヴを連れて車でニューオリンズに向かい、ミズ・エルの家で暮らし始めたが、後から来るはずのイアンは行方不明となった。
ハリケーン・カトリーヌがニューオリンズを襲ったとき、ギヴはルーシーを助けよう身を呈したが、ルーシーは洪水に流され命を落とした。

イラクで片方の腎臓を失ったディーンは、シルバー・スター(銀星賞)を授与された戦争ヒーローであった。
ディーンがケンタッキーの暗闇を車で走っていると突然ギヴが現れた。
どのような3年間を送ったか不明でだが、プラスチックの檻から脱出したばかりのギヴは瀕死の状態であった。ギヴにはマイクロチップが埋め込まれていて、住所はニューオリンズ、名前はギヴ、飼い主はルーシーと判明した。

ディーンはニューオリンズに向かった。ミズ・エルの家に近づくと、ギヴは車から飛び降りて、カトリーナの爪痕が残る家に突進した。
ミズ・エルの息子で警察官のレイファーからギヴの過去を聞かされ、ディーンはギヴに関わった人物に会って、本を書くことを決意する。
イアンは兄に殺されたのではないかとレイファーはいう。ディーンはオクラホマ刑務所にいる兄に面会した。

ディーンは、退役軍人たちのトレーラーハウスが集合しているカリフォルニアのキャンピング・カー・パークに向かった。イラクで亡くなった仲間の兵士の父親に逢うためだ。ディーンはイラク戦争の英雄として歓待を受けた。
その公園で火事が起こり、軍人の体の不自由な息子が巻き込まれ、収拾がつかなくなった。
テレビで火事に立ちむかうディーンとギヴのことを知ったアンナは駆けつけた。ギヴは行方が分からなくなっていた。ここでアンナの異常なほど過敏な嗅覚が頼りになる。
そして、物語は大団円にむかう。→人気ブログランキング

2018年3月13日 (火)

オスカー・ワォの短く凄まじい人生 ジュノ・ディアス

悲惨な運命もたらす呪いをドミニカではフクという。オスカーを中心に、フクに取りつかれたカブレラ家三代を描く。骨太のストーリーに、ポップでナードな比喩がこぼれ落ちんばかりふんだんに使われる。ぶっ飛んでいる傑作だ。

オスカーは、アニメ、ゲーム、SFをこよなく愛するオタクであり、なににも増して女性に大いに興味があるが、まったくモテない。高校2年生になると、オタク気質にますます磨きがかかり、体重は110キロになった。
姉のロラは忠告する。変わらなければ、童貞のまま死ぬことになるわよと。ドミニカ人は性的にイケイケなのだ。
その後のオスカーの生活は、ロラの忠告通り女性っ気の乏しいものだった。オスカーは、女性に対しちょっとのことでのぼせ上がってしまい、ものの見事にふられ、絶望のどん底に落ちるのだった。
Image_20201124110901オスカー・ワオの短く凄まじい人生
ジュノ ディアス/都甲幸治・久保尚美 訳
新潮社 2011年

祖父アベラードはかなりの地位の医者であり、一族はドミニカの名家だった。
ドミニカ人はトルヒーヨの20年にも渡る極悪非道の恐怖政治に苦しめられた。ドミニカは悪霊に取りつかれていた。
美しい娘がいれば献上させ妾にし、拒めば父親は投獄され拷問される。
カブレラ家にはとびっきり美しい娘がふたりいた。アベラードはトルヒーヨから招待されたパーティに、妻と娘を連れていかなかったことで、投獄された。そのとき妻は妊娠していた。
妻は自殺し二人の娘も死に、残ったのは妻が産んだばかりのあまりにも色の黒いペリシアだった。そのペリシアがオスカーとロラの母親である。

ペリシアは年頃になると、禁じられた恋(相手はトルヒーヨの娘と結婚しているギャング)に落ち、祖国を追われニューヨークに移り住んだ。そして妊娠した。

大学を卒業しアメリカからドミニカにやってきたオスカーの目標は、SFの超大作を書くこと。そんなオスカーが元娼婦に恋をした。今度ばかりは脈がありそうなので、はねつけられても構うことなく猪突猛進する。それが命取りになった。

スティーヴン・キングは『書くことについて』のなかで、本書を紹介している。
オスカーの愛読書としてキングの小説が何回も出てくるので、キングは気を良くしたのかもしれない。→人気ブログランキング

2018年3月 6日 (火)

13・67 陳 浩基

現在2013年から1967年にさかのぼる逆年代記(リバース・クロノジー)で構成された6編の連作中篇集。政治に翻弄され続ける香港社会を舞台に、ひねりの効いた設定で詳細かつ濃厚に描かれた質の高い本格警察小説。
まずは香港の簡単な歴史から。香港はイギリスとのアヘン戦争(1839〜1842年)後、イギリスの植民地となった。第2次世界大戦(1941〜1945年)の間は、日本に占領されたものの、戦後は中国に返還されず、イギリスの統治が1997年まで続いた。そして中国に返還され現在に至る。香港の住民は中国での戦争や共産主義体制から逃れてきた人々が多いという。

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陳 浩基/天野健太郎訳
文藝春秋
2017年

最初の章「黒と白のあいだの真実」は、本書の終章に相当する内容である。
1997年の香港の祖国復帰以降、警察のイメージは失墜した。警察は政府の犬と墜ち、偏った法の執行者として官憲の悪事を見逃す、政府のためのサービス業に成り果てたと、人びとは警察を批判した。
そんな逆風のなか権力におもねらず、ただひたむきに事件を解決する「やり手デカ」ロー警部が活躍する。
がんに侵されたクワンが臨終の床にいながら捜査に加わるという、奇想の設定である。
大富豪の殺人事件が起こった。館にいた5人いずれも犯人の可能性がある。5人が事情徴収で集められたのは病院の病室。
ロー警部は、がんの全身転移によって意識が朦朧としている「天眼」と呼ばれたクワン警視の力を借りたいという。クワン警視の頭にはカチューシャのような輪っかがつけられた。
ディスプレイの上半分が白地にYESの文字、下半分が黒字にNOの文字となっている。クワン警視がYES・NOで答えてくれるだけで、ロー警部たちの捜査の大きな手助けになるという。
そして、ロー警部は5名を前に事件の経過を話しはじめる。

終章「借りた時間に」は、返還される30年前の1967年の話。クワンが警察官として働き始めた年だ。
香港近代史では、労働者と資本家の間の軋轢は、中国とイギリスの国家間の軋轢に投影される。この時代はイギリスが民衆の非難の矢面に立つ。返還後は事情がまったく異なる。民衆は中国政府の締め付けに苦しむことになるのだ。

そのほか「任侠のジレンマ」「クワンの一番長い日」「テミスの天秤」「借りた場所に」のいずれも傑作である。→人気ブログランキング

2018年3月 3日 (土)

百年泥 石井遊佳

自らの混沌とした生き様を、マジックリアリズムの手法を用いて描いた作品。
南インドのチェンナイに来て3ヶ月半たったある日、目覚めると1階の門扉が隠れるくらいの洪水だった。アダイヤール川が氾濫し、100年に1度の大洪水に見舞われたのだ。電気・水道がとまり、インターネットが不通になった。
主人公が受け持つ日本語のクラスは当然休講になる。
Image_20201128153601百年泥
石井 遊佳
新潮社
2018年

男に騙されて多重債務者になり、ヤミ金の借金を元夫に返済してもらった代わりに、チェンナイにある会社の日本語講師の職を斡旋してもらった。5年かけて元夫からの借金を返すことになった。
つい最近、大阪とチェンナイは友好都市の提携を結び、大阪市にあるすべての招き猫とチェンナイ市のガネーシャ像を交換したという。
日本語クラスの生徒は、名のあるIT企業の新入社員4名。一流大学を卒業したばかりの若い男たちだ。
生徒たちとやりとりは、初めはもちろんスムースに行かなかった。そのうちに無駄口の多い生徒が、質問によって授業の道筋をつけてくれているのではないかと思い始めた。

洪水の3日後に街に出ると、川の底に溜まっていた100年分の泥が道の端にず高く積まれていた。街は大洪水の後を見物しようとする群衆でごった返している。翼で飛翔する通勤者が現れたりする。
その百年泥から、大阪万博のコインペンダントや人魚のミイラや人間など、さまざまなものが現れてくる。

架空の話と現実の話が混じり合い、場所や時制が切れ目なく変わり、苦悩の過去やなんとかやり過ごせそうな現在が饒舌に語られる。筆さばきが見事だ。
第158回芥川賞受賞作(2018年1月)。→人気ブログランキング

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