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『等伯 上下』安倍龍太郎

信長の天下取り、秀吉の世、そして家康の台頭までの激動の時代を生きた画家、長谷川等伯の半生を描いた。等伯は自己と戦いながら全身全霊を傾けて絵を描いた。本書は等伯の絵にも通じる力のこもった傑作である。2013年直木賞受賞作。

能登の武士の家に生まれた等伯は七尾の商家の養子となった。
等伯の留守に屋敷に賊が押入り、義父母は捕まり自害した。養父母を死なせてしまったことで等伯は居場所がなくなり、妻と息子とともに七尾をあとにした。


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上洛する途中、等伯は比叡山の焼き討ちに巻き込まれ、信長軍に襲われた。その時、子どもを抱いた僧を助けたが、子どもは、のちに有力な公家として活躍する近衛前久の息子だった。このことが後々なにかと、等伯にとって有利に働くことになる。
その後、織田の武士たちは等伯を目の敵にして追い続けため、信長が亡くなるまで、等伯は表舞台に出ることができなかった。

狩野永徳の父狩野松栄は等伯を高く評価し、狩野派の技術を教え、永徳との仲を取り持った。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野派の総帥永徳は、ことあるたびに等伯に嫌がらせを仕掛けた。

等伯はどのようにして絵師として認められていったのか。義父は、等伯はいずれ京にまで聞こえる絵師に成るだろうと高く評価していた。もともと絵の才能は抜群なものがあったが、等伯は依頼された仕事に対し圧倒的な集中力で描き上げた。依頼主が感動するような仕事をした。等伯の性格を表現するのに著者は次のように書いている。〈等伯の最大の美質は愚直なばかりの粘り強さであった。〉

狩野派の絵は定石通りで面白みに欠けるという利休の助言により、等伯は京都・大徳寺の山門の天井画と柱絵の制作を依頼された。長年この世界に君臨してきた狩野派の牙城を、裸一貫から身を起こした等伯が突き破ったのだ。その後は、利休や秀吉に重用され、狩野派を凌ぐほどにまで上り詰めた。

秀吉の逆鱗に触れ利休が切腹に追い込まれた後、秀吉の嫡男鶴松が亡くなった。利休の祟りだとの噂が流れた。鶴松のために祥雲寺を造ることになり、その襖絵を描く絵師に等伯が命じられた。

事故死と片付けられた息子久蔵の無念を晴らすために、非礼を顧みず等伯が狩野派の陰謀によって殺されたと秀吉に直訴した。誰もが驚くような絵を描いたら、無礼を免じるということになった。
三日三晩飲まず食わずで一心不乱で描き続けたあと、気を失った。そして描きあげた「松林屏風」は、誰もが言葉を失うほど見事であった。→人気ブログランキング

信長の革命と光秀の正義 真説本能寺/安倍龍太郎/幻冬社新書/2020年
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