『世界のすべての七月』 ティム・オブライエン
1960年代後半のベトナム反戦運動に国が揺れる時代に、大学生活を送った若者たちは、今や50代前半になっている。ダートン・ホール大学1969年卒業生の30年目の同窓会が、2000年7月にミネアポリスにある母校の体育館で開かれている。翌日は物故者の追悼式が予定されている。実は幹事がうっかりしていて30年ではなく31年目になってしまった。アポロ11号が月に向かっている暑い7月の頃だ。
登場人物は、男3女7名、そして亡くなった男女1名ずつと、それぞれの人物に関わりのあった人たち、いわゆるベビーブーマーである。
ロバート・アルトマンの映画のような群像劇の手法で物語は進行する。つまり、複数の人物が同じ時間に別のシークエンスで行動する。時間軸は過去と現在を行ったり来たりして、卒業生たちの人生の転機となったエピソードが描かれる。形としては連作短編になっている。
50歳を過ぎた男女が、久しぶりの再会に心躍らせ、呑んだくれて、歌ったり踊ったり、話し込んだり大声で笑ったり泣いたりする。女同士は男との出会いや別れを打ち明けあい、境遇を嘆いたりうらやんだり、目の前で夫が溺れて死んでしまった女は涙を流して悲嘆にくれたり、あるいは離婚や再婚が話題にのぼる。かつて振られた男は未練がましくねちねちと振った女に絡んだり、ベトナム戦争で片脚を失った男がいたり、乳がんで片方の乳房をなくした女がいたりする。肥満で心臓病がいつ爆発するかわからない状況で呑んだくれ踊ろうとする男は、果たせなかった性的関係をまたしても成就できなかったり、その対象の女は相変わらず男たちに笑顔を振りまいてそこらじゅうを飛び回っている。LSDでラリった者や、あるいは隠れてセックスをするカップルを、周りは見て見ぬ振りをする。
なにしろ50歳を超えて人生の黄昏にさしかかっているのだ。若いとはいえず、さりとて年寄りともいえない卒業生たちの「いったい私たちに何が起こったんだ」みたいなことばかりをぐだぐだと言っている往生際の悪さは、同世代として共感できる。
二日酔いの男女が参列する追悼式では不規則な言動がまかりとおった。
町のバーでは、鼻に銀をつけた青白い若い男から、「60年代のめそめそしたゴミみたいな音楽」をジュークボックスでかけまくるのはやめてくれないかと苦情を言われたりした。
そして呑んだくれた2日間もいよいよ別れの時が訪れようとしている。
最後は、卒業生たちが、三三五五、車であるいはジェット機であるいは歩いて日常に戻っていく姿が、スライドショーのように描き出される。→人気ブログランキング