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2018年6月

『シャーデンフロイデ』中野信子

本書のテーマは、人間性(とくに日本人の)を裏側から覗くと見えてくるのはなにかである。シャーデンフロイデ(Schadenfreude)とは「他人の不幸を喜ぶ」というドイツ語。他人が失敗したときに、思わずわき起こってくる喜びの感情のことだ。「ざまあみろ」という感情であり、「隣(他人)の不幸は鴨(蜜)の味」ということわざのことであり、ネット・スラングの「メシウマ(他人の不幸で飯が旨い)」に相当する感情のことである。

シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)
中野信子
幻冬社新書   2018年1月

ほとんどすべての人間は、目立つ人が失敗することを社会正義だと信じているという。人の脳はだれかを裁きたくなるようにできている。
自分だけが正しくて、ズルしている誰かが許せない。そんなやつに対して暴力をふるっても構わない。そんな心理状態で起こされる行動がサンクション(制裁)である。
不謹慎な人を検出して攻撃するのが、シャーデンフロイデという感情と考えることができる。サンクションが起こりやすいのは、大きな天災があった場合だという。

社会的排除の標的となる人に共通するのは、「一人だけいい思いをしていそうだ」「得をしていそうだ」「一人だけ異質だ」という条件を持つ。誰もがこの条件に当てはまるから、誰でも標的になりうる。相手の不正を許さないのは、協調性の高い人である。

日本人が集団の協調性を尊ぶのは、稲作と災害の多さによる。稲作も災害からの復興もお互いの協力がないとうまくいかない。そうした遺伝子をもつ人が淘汰されて残ってきたのだろうという。

ネットで行われているのは、悪いところを無理やりにでも見つけ出して悪者を設定し、我が身は大勢が支持するはずの正義を代表する立場において、悪者を容赦なく攻撃する。
向社会性が強い人にとって愛と正義は最も重要なもの。しかしそれによって不寛容な社会が作り出されることもある。愛と正義のために、合理的な解決法が見えなくなってしまう。

著者は、戦争ほど非人道的なものはないというのは逆ではないかと主張する。人として守るべき道を進んでしまうからこそ、違う道を進んでいる人を許せず、争いに発展する。戦って生き延びてきた祖先のDNAを継いだ人間は戦うことが大好きで、戦うことによってしか発展し、生き延びることができなかったというのが根拠である。

あらゆる紛争は干渉している側が愛と正義に立脚しているという認識を持っているという。ネットで日々起こっている不寛容のスパイラルに警鐘を鳴らす。→人気ブログランキング

シャーデンフロイデ  他人を引きずり下ろす快感/ 幻冬社新書/2018年
サイコパス/文春新書/2017年
ヒトは「いじめ」をやめられない/小学館新書/2017年

『ピラミッド』ヘニング・マンケル

北欧警察小説の金字塔・クルト・ヴァランダー警部シリーズのスピンオフの短篇版。ヴァランダーが警察官になったばかりからベテラン警部になるまで、つまりシリーズ第1作の『殺人者の顔』の手前までが描かれている。読者からの「若い頃のヴァランダーを描いてほしい」という要望に著者が応えたという。

スウェーデン南部の中核都市にあるマルメ署で警察官なりたての血気盛んな頃を描いた「ナイフの一突き」、マルメ署から小さな町のイースタ署に移る30歳頃を描いた「裂け目」。その後の3編「海辺の男」「写真家の死」「ピラミッド」と進むにつれ、中堅どころからベテラン警部として署での重要な立場を占めるようになっていく。

ピラミッド (創元推理文庫)
ピラミッド
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ヘニング・マンケル/柳沢由実子
創元社推理文庫社
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最初の「ナイフの一突き」は、ヴァランダーが警察官になったばかりの頃の話である。
ヴァランダーは同じ若者として後ろめたさを感じながら、ベトナム戦争反対のデモ隊の警備にあたる。
アパートの隣人が自殺する前にダイアモンドの原石を飲み込んでいた。隣人が自殺した後に何者かが原石を探しに忍び込み、そのあとアパートに火をつけたのだ。
ヴァランダーは自分の推理が当たっているかを確かめるために単独で行動した。上司から秘密裏の捜査は許されないと叱責され、捜査のイロハを教えられる。

恋人のモナと結婚しリンダが生まれる。リンダはふたりを繋ぎとめる絆となるが、それはリンダが幼い頃までのこと。警察官という職業柄、夫婦はすれ違いが宿命だった。ついには別居し、リンダは高校を中退してモナについて行き、ヴァランダーはひとりになってしまう。ヴァランダー家の変遷を書くことで、時間の経過を表す手法をとっている。

本書のタイトルにもなっている最後の「ピラミッド」では、父親がエジプトに一人旅に出て事件を起こし警察に捕まる。身元を引き取りにヴァランダーはエジプトに行く羽目になる。
本作では、シリーズに引き継がれる、ヴァランダーの元妻への未練、若い女性新任検察官への片思い、父親との確執などが描かれている。→人気ブログランキング

→『ピラミッド
→『霜の降りる前に
→『北京からきた男
→『ファイアーウォール
→『リガの犬たち
→『背後の足音
ヘニング・マンケルを追悼する/2016年4月

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭

『週刊新潮』の「ヤツザキ文学賞」は、書評家・豊﨑由美が文学賞受賞作を紹介するコラムである。6月14日号には、第3回斎藤茂太賞を受賞した漫才コンビ「オードリー」 の若林正恭が書いた『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』というタイトルの「4泊5日弾丸キューバ旅行紀」が紹介されている。文学賞ウォッチャーを自認する豊﨑が知らなかった同賞は、日本旅行作家協会が2016年に作ったできたてほやほやの文学賞だ。

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
若林 正恭
KADOKAWA 2017年7月
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2016年6月、著者はマネージャーから、今年は5日の夏休みがとれると告げられた。
航空券の予約サイトでたった一つの空席を見つけたあと、宿を予約し、入国のさいに必要なツーリストカードを取りに、東麻布にある調剤薬局のようなキューバ大使館領事部に出向いたりして、準備を整えた。マネージャーからの後輩を連れていったらどうかという助言を却下した。

新自由主義の東京と共産主義のハバマを対比しつつ、苛立ちながら生活している自らの心情を率直に表現しているところが大いに共感できる。純文学といっていい。
本書を読んでの結論、若林は残る。→人気ブログランキング

→『表参道のセレブ犬とヴァーニャ要塞の野良犬』KADOKAWA 2017年
→『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込』角川文庫 2015年

『合成生物学の衝撃』須田桃子

2010年3月、ワシントン州ロックビルにあるベンダー研究所で、人工ゲノムを移植した細菌(マイコプラズマ・ジェニタリウム)の培養皿に明るい青色のコロニーが出現した(表紙写真)。コロニーのゲノムには、前もって組み込んでおいた「すかし」(研究者のたちの名前やメールアドレスなど)があることが確かめられた。生命の維持に欠かせない最小のゲノムは何かを追求する「ミニマル・セル・プロジェクト」が、20年の歳月をかけて、人工ゲノムから生物を誕生させたのだ。→クレイグ・ベンダー:人工生命について発表する(TED Ideas worth speading)

合成生物学ついて、STAP細胞の騒動の顛末を記した『捏造の科学者』で大宅壮一ノンフィクション賞や科学ジャーナリスト大賞を受賞した著者が、精力的なフィールドスタディをもとに合成生物学の現状を解説する。

合成生物学の衝撃
合成生物学の衝撃
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須田 桃子
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MITの学生トム・ナイトは、1990年頃までに、「ムーアの法則」に物理的な限界がきていることに気づいていた。「ムーアの法則」とは、集積回路の上のトランジスターの量(ICの処理能力)は18か月ごとに倍になるというもの。「ムーアの法則」の限界は生物を使えば乗り切れるかもしれないと考えた。
ナイトがやろうとしたことは、トランジスターとシリコンチップに代えてDNA入れ、細菌(大腸菌)を用いて生物マシンを作ることであった。そして、規格化したDNA部品「バイオブリック」を考案した。
今や、毎年、生物版のロボコンである国際学生コンテスト「iGEM」が開催されている。
カタログに登録されたバイオブリックを利用して生物マシンを作り競う。当初は100個余りだったバイオブリックは、2017年現在2万個以上が登録され、機能的に分類されている。バイオブリックはプログラミング言語と同じであり、今は言語開発のごく初期の段階にいるという。

遺伝子の中には次世代へ50%以上の確率で受け継がれる利己的遺伝子(ジェンキンスが唱える利己的遺伝子とは異なる)がある。代を重ねていけばその種は利己的遺伝子で占められることになる。これが遺伝子ドライブである。
ゲノムを自在に編集する技術「CRISPR-Caa9(クリスパー・キャスナイン)の開発により、ゲノムの編集作業が飛躍的に簡素化された。人工的にはRNAとクリスパー機能(遺伝子を切断して別のDNAを差し込む)を持った遺伝子を組み込むことにより、人為的に遺伝子ドライブをを起こさせる。
例えば兵士を派遣した場合、兵士を感染症から守るために、その地域に生息する有害な昆虫を遺伝子ドライブするようなことが行われるかもしれない。

合成生物学の最大の資金源はDARPA(国防高等研究所)である。国防総省が合成生物学に投資することが、生物兵器の開発につながりはしないかという点で問題である。DARPAを取材した著者は、アメリカの多くの研究開発が防衛目的の予算で賄われていることは大きな問題をはらんでいると指摘する。DARPAは、終身雇用資格を獲得した大学教授がその身分をなげうって集まるような魅力的な職場だという。

合成生物学は倫理上のさまざまの問題にぶつかる。臓器移植用のクローン人間たちを描いていたカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』について述べ、研究者たちが倫理的課題を解決しないまま突っ走る現状に著者は警鐘を鳴らしている。→人気ブログランキング

合成生物学の衝撃/須田桃子/文藝春秋/2018年
ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃/小林雅一/講談社現代新書/2016年
エピジェネティクス/仲野 徹/岩波新書/2014年
破壊する創造者ーウイルスがヒトを進化させた/フランク ライアン/ハヤカワNF文庫/2014年
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007年

『壬生義士伝』浅田次郎

武士の世の終焉を舞台に、新撰組隊士として生きた吉村貫一郎と彼に関わった人物たちを描いた著者渾身の大傑作。南部藩の下級武士の息子だったふたりの男の友情と家族愛が貫かれている。

大阪の南部藩蔵屋敷に、刃がこぼれ曲がって鞘に収まらない刀を握りしめた満身創痍の吉村貫一郎が現れた。貫一郎は6年前に南部藩を脱藩し新撰組に入隊した。鳥羽伏見の戦いで負傷し、蔵屋敷に現れ帰参を願い出たのだ。蔵屋敷を仕切っていた大野次郎右衛門(次郎衛)は名刀・大和守安定を与え、切腹を命じた。

壬生義士伝(上)
壬生義士伝(上)
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浅田次郎
2012年
文春文庫
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同じ足軽長屋で育った貫一郎と次郎衛は親友だった。それが次郎衛は大野家の嫡男の急逝により、 妾腹の身ながら大野家の跡取りとして迎えられた。大野家の養子になったことで、400石の御高知(おたかち、上級武士)となり、一方は二駄二人扶持の足軽と、あまりに身分が違いすぎて、人前では親しく言葉もかわせない関係になってしまった。
しかし、貫一郎が脱藩し京へ上ると決意した時、次郎衛は泣いて止め、最後は道中手形と紋付袴を用意して密かに送り出したのだ。

本書で再三使われる「二駄二人扶持」とは、家禄が馬二頭に積める米と二人扶持の米という意味である。具体的には、一年に玄米が四俵と御倉米が十俵、しめて十四俵。これに薪と塩と味噌とがつくが、他のことはすべて米で賄わなければならない。貫一郎にとって妻子を食べさせていくには、二駄二人扶持はあまりにも少なすぎた。
貫一郎は金を稼げるように、学問に剣術の稽古に必死に励んだ。そして北辰一刀流の免許をいただいて御指南代を務め藩校の助教も務めるようになったが、見返りはなく、かえって内職する暇がなくなった。いくら文武両道に優れていても金にならない。貫一郎の脱藩の理由は金だった。

新撰組は、京都において反幕府勢力を取り締まる武装勢力である。新撰組は会津藩お預かりとはいえ、もとをただせば、食い詰め浪人と俄侍の寄せ集め、乱暴で行儀が悪い。内紛による粛清や切腹の強要などが行われていた。新撰組が京に構えた屯所が壬生にあったため、新撰組隊士は壬生にたむろする浪人・壬生浪(みぶろう)と呼ばれていた。新撰組には会津藩からの潤沢な金があったのだ。

貫一郎と関わった4人(新撰組隊士の生き残り3名、大野家の中間)が、新聞記者に語る形で、新撰組の内情や貫一郎の人物像が明らかにされていく。
新撰組の中で剣の腕が五本の指に入る貫一郎は、見習い隊士に剣術の稽古をつけ読み書きも教えていた。しかし守銭奴が度を越していたという。自らは粗末な服を着てひたすら金を郷里に送り続けた。

新撰組三番隊長の人斬り斎藤一(新撰組三部作『一刀斎夢録』の主人公)の次の言葉が、貫一郎の人となりを見事に表している。
「人の器を大小で評すなら、奴は小人じゃよ。侍の中で最もちっぽけな、それこそ足軽雑兵の権化のごとき小人じゃ。しかしそのちっぽけな器は、あまりにも硬く、あまりにも確かであった。おのれの分というものを徹頭徹尾わきまえた、あれはあまりに硬く美しい器の持ち主じゃった。世の行く末など、奴にはどうでもよいことだったのじゃ。人間獣の一頭の牡として妻子を養うこと、それだけがやつの器じゃった。」

そして、新聞記者は、次郎衛の子どもや貫一郎の子どもにも取材を行って、物語は穏やかに終わる。→人気ブログランキング

壬生義士伝
『一刀斎夢録』
『輪違屋糸里』