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『遺伝子 親密なる人類史』 シッダールタ・ムカジー

がん研究者である著者は前作の『がん-4000年の歴史-』(『病の皇帝「がん」に挑む-人類4000年の苦闘』から改題)で、ピュリッツアー賞(2011年)を受賞している。幅広い知識と的確な比喩と鋭い発想と巧みな話運びで、前作に比肩する内容である。

アリストテレスのメッセージの形で遺伝情報は伝えられるにはじまり、メンデルのエンドウ豆の実験から、遺伝子の生物化学的な解明、ゲンムの解読、遺伝子治療までの遺伝子にまつわる歴史が語られている。
そうした歴史とは別に、プロローグでは、著者の親族の3人が統合失調症や双極性障害と診断されたことを書いている。複数の遺伝子によって発症する、しかも高い確率で発症する精神疾患に、著者は不安を抱いているのである。

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上
シッダールタ ムカジー/
仲野徹監修・田中文訳
早川書房
2018年2月
遺伝子‐親密なる人類史‐ 下
シッダールタ ムカジー
Siddhartha Mukherjee

そうした遺伝子の歴史だけではなく、優生学の標的となり断種手術を受けさせられた女性や、虚偽のデータに基づいてウイルスを用いた遺伝子治療が行われた男性など、歴史の犠牲者たちの生涯にも触れている。
また研究者たちの生い立ちや家族構成や人物像などのバックグラウンドや、ちょっとしたエピソードが語られて、研究者たちの息遣いが感じられ、まるで大河小説のようである。

後半は遺伝子学が直面する倫理的な問題に多くのページが割かれている。
遺伝子を操作することと、ゲノムを操作することはまったく話が違うと力説する。近い将来に予想される社会として、遺伝的な弱点が洗い出された男女と、改変された遺伝子を持つ男女が暮らす世界になるという。

〈生殖細胞系列の特定の遺伝子に「改変可能な」変異が存在することがわかったなら、両親には、精子や卵子の遺伝子を改変する遺伝子手術を受けるか、あるいは変異遺伝子を持つ胚の着床を避けるための着床前スクリーニングを受けるという選択肢が与えられる。このようにして最も重症なタイプの病気をもたらす遺伝子が、積極的な、あるいは消極的な選択によって、またはゲノム修正によって、ヒトゲノムからあらかじめ取り除かれる。〉

ミュータントを消し去ることで、人類の遺伝子のプールから病的な要素を生み出す遺伝子を消し去られる。遺伝子治療もしくは遺伝子操作の考え方がエスカレートすると、病気は次第に世界から消えて行くかもしれないが、それと同時にアイデンティティも消え、悲しみは消えるだろうが優しさも消えるだろうという。

完全な声明文マニフェスト(あるいはヒッチハイク・ガイド)を書くという課題は次の世代に任せるとして、13項目にわたるとりあえずの声明文を巻末に記している。→人気ブログランキング

遺伝子 親密なる人類史/早川書房/2018年
がん-4000年の歴史-/早川NF文庫/2016年

巻末の年表にいくつか書き加えたものが以下である。
紀元前350年:アリストテレスが遺伝情報はメッセージの形で伝達されるとする。
1859年:ダーウィンが『種の起源』を出版。
1865年:メンデルが個別の遺伝単位を特定する。
1869年:ゴールトンが 『遺伝的天才』を執筆し、「優生学」という用語を生み出す。
1900〜1909年:メンデルの研究が再発見され、「遺伝子」という言葉が作られる。
1908〜1915年:モーガンと学生たちが遺伝的連鎖および「乗り換え」という現象を発見する。
1927年:知的に劣ると診断されたキャリー・バックが卵管結紮による断種手術を受ける。
1933〜1939年:「生物学的国家」であるドイツが民族衛生のキャンペーンを始動させる。
1934〜1935年:ドイツ人の血と名誉を守るための法律、ニュルンベルグ法が制定される。
1943年:メンゲレがアウシュビッツでユダヤ人の双生児を対象とした実験を開始する。
1941〜1944年:エイヴリーが、DNAが遺伝情報を担うことを発見する。
1953年:ワトソン、クリック、ウィルキンズ、フランクリンがDNAの構造を解明する。
1945〜1960年:遺伝子はRNAをコードすることによって作用することが解明される。遺伝子調節が発見される。
1961〜1963年:遺伝子暗号が解明される。アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の四種類の塩基3つの組み合わせがアミノ酸を表していることが突き止められる。
1968〜1973年:バーグ、コーエン、ボイヤーが「組み換えDNA」を作る。
1975年:アシロマ会議が組み換えDNA実験の「モラトリアム」を提案する。
1970〜1980年:遺伝子をクローニングしたり、増殖したりする技術が発明される。
1976年:がんは突然変異によって引き起こされる病気であることが判明する。
1978〜1988年:ヒトの病気に関連する遺伝子の染色体上の位置が突き止められる。
1990年:SRYという一個の遺伝子が男性化を決定していることが判明する。
1993年:遺伝学者のチームが「ゲイ遺伝子」の存在を断定する。
1994年:大規模な遺伝学的研究によって、人種という概念が覆される。
1998年:ヒト胚性幹(ES)細胞株が樹立される。
1998年:ミトコンドリアの遺伝子が女性からしか伝わらないことと変異が少ないことから、人類の先祖は20万年前のアフリカの一人の女性にたどり着く「ミトコンドリア・イブ説」が唱えられた。
1999年:ウイルスを使った遺伝子治療の臨床試験でジェシー・ゲルシンガーが死亡する。
2000年:ヒトゲノム計画がヒトゲノムの概要配列を発表する。
2005〜2008年:ヒトゲノム研究によって、人類の起源や移動についての概念が再編された。
2009〜2013年:統合失調症、双極性障害、自閉症の遺伝子が特定される。
2010〜2015年:ヒトゲノムを編集し、改変する新技術が発明される。

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