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2018年8月

『新撰組の料理人』 門井慶喜

主人公の菅沼鉢四郎は、剣の方はからっきしダメで、妻を手助けするため、離乳食を作ることで料理の腕を磨いたという、いささか強引な設定。
厨房から見た新撰組記である。

京の南半分が焦土と化した蛤御門の変(1864年8月)で、鉢四郎は妻子と生き別れになる。十番組組長の原田左之助に賄い役として新撰組に強引に入隊させられた。
被災者に薩摩藩が粥を振舞ったことに対抗して、会津藩も炊き出しをやるという。
鉢四郎は粥ではなく握り飯を振舞うことにした。大好評だったが、近藤勇は鉢四郎に切腹を命じた。握り飯はやりすぎで、新撰組が大金持ちと民に思われてしまったというのが理由。トリックの切腹で難を免れた。「新撰組の料理人」

新選組の料理人
新選組の料理人
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作者: 門井慶喜
出版社/メーカー: 光文社
発売日: 2018/5/17
メディア: ソフトカバー
✳︎✳︎✳︎✳︎

鉢四郎に嫁の消息を調べる大阪行きのチャンスが巡ってきた。過激浪士の活動拠点であるぜんざい屋に、鉢四郎が密偵として住み込むという計画。ぜんざい屋で交渉をしているうちに素性がばれて這々の体で逃げ出す。
それより、妻が船問屋の牧野屋の嫁に収まっているという、鉢四郎にとってあまりにもショッキングな現実が判明したのだ。「ぜんざい屋事件」

隊士は独り者でなければならないと言って憚らなかった原田左之助が、なんと屯所で祝言を挙げた。婚礼の宴の後、二次会で近藤と新郎たちが寺田屋に訪れた。その後も、左之助は坂本龍馬の動向を探るために寺田屋に出かける。
近藤は寺田屋に現れた龍馬を新撰組に誘ったが、返事をもらわないまま襲撃された龍馬は薩摩屋敷に逃げ込むのだった。これで龍馬は新撰組の敵になる。「結婚」

左之助の3カ月の息子がさらわれた。
左之助は子どもを可愛がらないから、自作自演ではと疑われる。隊士の中に犯人がいると鉢四郎はにらむ。さらわれた子どもを巡って、もともと仲の悪い斉藤一と左之助が斬り合ったが、犯人は意外な人物だった。「乳児をさらう」

粛清だの自己批判だので殺傷沙汰や切腹が日常的に行われる新撰組の屯所は、近くに引っ越してこられたら、これほど迷惑なものはない。はじめは壬生に、次に西本願寺社内に、そして洛南の不動村に移った。
鉄砲や大砲が戦闘の主流を占めるようになり、広い場所が必要になったのだ。剣の腕がいくら凄くとも大砲や鉄砲には勝てない。組から隊に変貌する必要がある。
そんな折、大政奉還(1867年11月)となった。2日後、会津藩より新選組に、京洛の地を引き払えという命令が下された。300名の隊士たちはとりあえず大阪の天満宮へ向かう。「解隊」
という連作短編の新撰組盛衰記。→人気ブログランキング

新撰組の料理人/門井慶喜/光文社/2018年
マジカル・ヒストリー・ツアー/門井 慶喜/角川文庫/2017年
銀河鉄道の父/門井 慶喜/講談社/2017年
家康、江戸を建てる /門井慶喜/祥伝社 2017年

『アムステルダム』イアン・マキューアン

中心にいる女性と関わっていた男たちの目線から物語が語られる。
2月のロンドン、極寒の中で行われたモリーの葬儀に参列したかつての恋人たちの様子から物語は始まる。モリーは夫がいる身だが奔放だった。
恋人たちとは、イギリスの国民的作曲家のクライヴ、大手新聞社の辣腕編集長のヴァーノン、外務大臣のガーモニー。

アムステルダム (新潮文庫)
アムステルダム
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イアン・マキューアン/小山太一 
新潮文庫  2005年
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金に不自由のない出版社社長のジョージはモリーから冷たくされたが、夫として認知症が急速に進行したモリーを看取った。人々がまだモリーを見舞いたがった病気が初期の頃、ジョージは見舞客を選別した。外務大臣と同様、クライヴとヴァーノンは見舞いを許されなかった。ふたりはジョージを恨んでいる。

発行部数を伸ばすために悪戦苦闘するヴァーノン、千年紀までに交響曲を完成させなければならないクライヴ、そうした中で苦悩するふたりの日常が描かれる。クライヴはモリーのようになったら、最期は旧友のヴァーノンに看てほしいと言うくらいふたりの仲は穏当だった。

ヴァーノンはガーモニー外相のスキャンダラスな写真を手に入れる。
そもそも今の政権は長すぎて、経済的、道徳的、性的に堕落していて、ガーモニーはその象徴であるとヴァーノンは思っている。ガーモニーを政権から引き摺り下ろすチャンスである。
しかし、いくらスクープとはいえタブロイド紙の真似事をしていいのか、社内で侃々諤々の議論が起こる。ガーモニー陣営は掲載を阻止しようと手を打ってくる。
さらに写真の掲載を巡ってクライヴとヴァーノンの間に亀裂が入ってしまう。

タイトルのアムステルダムは、クライヴがミレ二アムを記念して作曲する交響曲が最初にお披露目される都市である。そこは安楽死が法的に認められているところでもある。
1998年、ブッカー賞受賞作。→人気ブログランキング

『遭難信号』キャサリン・ライアン・ハワード

アイルランドの小都市からバルセロナに出張したことになっている恋人のサラと、主人公のアダムは連絡がとれなくなった。サラの仕事仲間から、サラには別に好きな男がいて、その男と一緒ではないかというショックッキングな話を聞かされる。10年も待たせているのだ。サラは「糟糠の恋人」の境遇に嫌気がさしたのかもしれないと、アダムは猛省する。
そんなアダムの元に、サラのパスポートとともに「ごめんなさい―S」という意味深長なメモが送られてきた。

遭難信号 (創元推理文庫)
遭難信号
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キャサリン・ライアン・ハワード/法村里絵
創元推理文庫
2018年6月 ✳︎✳︎✳︎✳︎
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折しも、脚本家志望のアダムが書いた作品がハリウッドで採用され、エージェントから早急にリライトを求められているという千載一遇のチャンスに、事件が起こったのだ。アダムは、エージェントからの再三の連絡を無視してバルセロナに向かう。乗客2000名の地中海クルーズの豪華客船に乗り込み、サラの消息を追う。

豪華客船の客室係としては年をとりすぎた女性の話になったり、幼児期から問題を起こし、親から見放されたソシオパスの話が出てきたりして、3つの場面を軸にストーリーは進んでいく。

国際海洋法が謎を解く鍵になっている。公海を航行する船の乗客は、その船の旗国の管轄下におかれるというもの。つまりパナマ船籍であれば、地中海で起こった事件でも、地球の裏側から捜査員がのこのこやってきて捜査するという、なんともまだるっこい法律に縛られている。
クルーズ船の評判を護るため、何か事件が起きてもたとえそれが殺人事件でも、外にもれないようにする。つまりクルーズ船での犯罪はほとんどがもみ消されるという特殊な事情がある。

いつになったら核心に迫るのか助走が長すぎる感があるが、終盤は予想外の事態が次々に起こり、ちょっとやりすぎな結末に向かう。→人気ブログランキング

『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』都甲幸治ほか

世界8大文学賞とは、ノーベル賞、芥川賞、直木賞、ブッカー賞、ゴンクール賞、ピュリツアー賞、カフカ賞、エルサレム賞。
それぞれの文学賞について3名の鼎談形式で語られる。鼎談に参加するのは、文学部教授や小説家、翻訳家、書評家などの文学の専門家である。すべての鼎談に登場するのがアメリカ文学者である都甲幸治。『オスカー・ワオの短くて凄まじい人生』を翻訳した人物だ。
世界の文学の動向が把握できる小説ガイド。
□内は、各鼎談で取り上げられた本。

世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今 (立東舎)
都甲幸治
立東舎
2016年
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ノーベル賞は国別対抗戦あるいは地域別対抗戦の様相がある。受賞者の特徴は圧倒的に高齢者が多い。何よりヨーロッパ主要言語しか読めない人が選考委員だからそうした言語で書いている人が有利。
アリス・マンローは間違って受賞したとする。カナダ人ではアリスより先にノーベル賞を獲らなければならなかった、マーガレット・アトウッドがいる。
ノーベル賞を受賞してほしい作家に、ボブ・デュランが挙げられているのはさすがだ。

ノーベル賞
『無垢の博物館』(早川書房)オルハン・パムク
『小説のように』(新潮社)アリス・マンロー
『サバイバル 現代カナダ文学入門』御茶の水書房 マーガレット・アトウッド
『僕の違和感』(早川書房)オルハン・パムク
『神秘な指圧師』草思社
『ミゲル・ストリート』(岩波書店)V・S・ナイポール
ブッカー国際賞
『菜食主義者』(cuon)ハン・ガン
国際ダブリン賞
素粒子』(ちくま文庫)ミシェル・ウエルベック
『私の名は赤』(ハヤカワepi文庫)オルハン・パムク
『地図になかった世界』(白水社)エドワード・P・ジョーンズ
『馬を盗む』(白水社)ペール・ペッテルソン
『世界を回せ』(河出書房新社)コラム・マッキャン
『物が落ちる音』(松藾社)ファン・ガブリエル・バスケス
全米批評家協会賞
『2666』(白水社)ロベルト・ポラーニョ
『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)トラーナ・アレクシェーヴィチ
『ノンフィクション選集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス

ブッカー賞は最も信頼に足るという。サブタイトルにあるように「当り作品の宝庫」。作品に与えられる賞なので、同一作者が複数回受賞できる。2005年には、他言語の英訳に与えられるブッカー国際賞が設けられた。
癒着や依怙贔屓を排除するために選考委員は毎年変わり、委員は100冊以上読まなければならないというから大変だ。
10月に受賞作が決まるが、3ヶ月前にロングリストが発表され、1ヶ月前にショートリストが発表される。何ヶ月もの間イベントとして機能している。

ブッカー賞
『マイケル・K』(岩波文庫)クッツェー
日の名残り』(ハヤカワepi文庫)カズオ・イシグロ
『終わりの感覚』(新潮社)ジュリアン・バーンズ
『ヴァーノン・ゴッド・リトル』(ヴィレッジブックス)DBCピエール
『海に帰る日』(新潮社)ジョン・バンヴィル
わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)カズオ・イシグロ
『美について』(河出書房新社)セイディー・スミス
『いにしえの光』(新潮社)ジョン・バンヴィル
『昏い目の暗殺者(早川書房)マーガレット・アトウッド
『贖罪』(新潮文庫)イアン・マキューアン
『またの名をグレース』(岩波書店)マーガレット・アトウッド
『侍女の物語』(ハヤカワepi文庫)マーガレット・アトウッド
『ウルフ・ホール』(早川書房)ヒラリー・マンテル
『真夜中の子供たち』(早川書房)サルマン・ラシュディ
『マンスフィールド・パーク』(ちくま文庫)ジェイン・オースチン

ゴンクール賞は1903年に始まったフランスの賞。
『愛人(ラマン)』(マルグリッド・デュラス)、『地図と領土』(ミシェル・エルベック)、『暗いブティック通り』(パトリック・モディア)の3冊について解説している。どれもレベルが高いという。

ゴンクール賞
『愛人(ラマン)』(河出文庫)(マルグリッド・デュラス)
『地図と領土』(ちくま文庫)ミシェル・エルベック
『暗いブティック通り』(白水社)パトリック・モディア

ピュリツァー賞は、アメリカ小説の典型らしいのが並んでいる。
歴史絵巻みたいに長くないといけない。成長物語のパターンも多い、なんとなくいい話で終わるのが多い。

ピュリッツァー賞
オスカー・ワオの短くてすざましい人生』(新潮社)ジュノ・ディアス
『煙の樹』(白水社)デニス・ジョンソン
ならず者がやってくる』(ハヤカワepi文庫)ジェニファー・イーガン
『停電の夜に』(新潮文庫)ジュンパ・ラヒリ
オリーヴ・キタリッジの生活』(ハヤカワepi文庫)エリザベス・ストラウト
『ヘビトンボの季節に自殺した5人の姉妹』(ハヤカワepi文庫)ジェフリー・ユージェニデス
『低地』(新潮社)ジュンパ・ラヒリ
『マーチン・ドレスラーの夢』(白水Uブックス)スティーヴン・ミルハウザー
『地図になかった世界』(白水社)エドワード・P・ジョーンズ

カフカ賞
ノーベル賞の一歩手前の賞という位置づけで有名になった2001年創設のチェコの賞。
村上春樹が2006年に本賞を受賞してから、彼がノーベル文学賞候補といわれはじめた。

カフカ賞
『海辺のカフカ』(新潮文庫) 村上春樹
『プロット・アゲインスト・アメリカ』(集英社)フィリップ・ロス
『愉楽』(河出書房新社)閻連科
『グルブ消息不明』(東宣出版)エドゥアルド・メンドサ

エルサレム賞
世界文学で、非常に有名かつ、ノーベル文学賞を獲っていなかったり、獲る直前の作家に与えられる賞といった感じだ。クールな作品が多いという。

エルサレム賞
恥辱』(ハヤカワepi文庫)J・M・クッツェー
『未成年』(新潮社)イアン・マキューアン
アムステルダム』(新潮文庫)イアン・マキューアン
『愛の続き』(新潮文庫)イアン・マキューアン
『甘美なる作戦』(新潮社)イアン・マキューアン
『夢宮殿』(創元ライブラリ)イスマイル・カダレ

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→『ノーベル賞の舞台裏

『恥辱』 J・M・クツェー

J・M・クツェーは南アフリカ出身。本作『Disgrace』(1999年)にて2度目のブッカー賞を受賞している。1回目は、1983年『Life & Times of Michael K』(『マイケル.K』)。さらに、2003年にはノーベル文学賞を受賞している。

2度の離婚歴がある52歳の男が主人公。
デイヴィット・ラウリーは現代文学の教授だったが、大規模な合理化の結果、旧ケープタウン大学付属カレッジのコミニュケーション学部とやらの准教授に格下げされた。それで、やけになっているようなところがある。
デイビットは娼婦のもとに通っているうちに、その娼婦に入れあげてしまい、探偵を使って住所を調べ女の前に姿を現したが、けんもほろろに拒否されてしまう。

恥辱 (ハヤカワepi文庫)
恥辱
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J・M・クツェー/鴻巣友季子
ハヤカワepi文庫
2007年 ✴✳✳✳

この失態にも懲りずに、次にデイヴィットが手を出したのが教え子だった。
セクハラで訴えられ、学内の査問委員会での反省のないデイヴィットの態度に旗色は悪くなり、やがて新聞沙汰になり、しまいには、大学の職を失うことなる。
ここまでは、イントロである。

かつてすったもんだがあった娘・ルーシーは田舎で農地を所有していて、年長のドイツ人女性と一緒に住んでいる。市場で農作物を売ったり、犬を預かって世話をしたり、動物病院の手伝いをして生計を立てている。デイヴィットはルーシーのもとに転がり込む。
そして、ボランティアのような、懲罰のような、奉仕活動のようなことをすることになる。飼い犬の餌の肉を切ったり、犬の安楽死の助手をしたり、市場で農産物を売ったり、ともかく農家の暮らしを体験する。

そこてまかり通っているのは、力のあるものの庇護を受けなければ、女は生きていけないという土着の論理である。具体的には、地元の胡散臭い男の第3夫人になるという選択だった。デイヴィットは、理不尽な古い慣習のもとに、恥辱も何もかも受け入れて生きていくことを決意しているルーシーを、どう理解していいのか戸惑う。

一時、ケープタウンに戻ると、デイヴィットはメラニーが出演する演劇をそっと観劇したりする。反省していないような初老の男に周りの目は冷たい。

読後、殺伐とした気持ちになるのは、元教授の少しも好転しない転落の人生を見せられているからだろう。→人気ブログランキング

『新薬の狩人たち 成功率0.1%の探求』ドナルド・R・キルシュ/オギ・オーガス

新薬を生み出す手法は、植物を片っ端から口に入れて薬を見つけていた頃と変わらない。化学式やDNAの組み合わせからコンピュータをつかって見つけ出す今も、片っ端からローラー作戦を展開しているのだ。

新薬の開発には10年以上、1000億円の費用がかかる。ドラッグハンター(新薬研究者)が提案した創薬プロジェクトのうち、経営陣から資金が提供されるのは5%、そのうち発売にこぎつけるのは2%、つまりドラッグハンターが薬を生み出す確率は0.1%である。最先端の研究所で働くドラッグハンターのほとんどが、そのキャリアの中で、新薬を世に送り出せないというのが現状だという。

新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求
ドナルド R キルシュ  オギ オーガス/寺島朋子
早川書房
2018年6月 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
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著者のドナルド・R・キルシュは、ベテランのドラッグハンター。スクイブ社(現ブリストル・マイヤーズ・スクイブ社)、アメリカン・サイアナミド社、ワイス社(共に現在はファイザー社)、カンブリア・ファーマシューティカルズ社で薬の開発に関わってきた。著者の経歴からもわかるように、製薬会社が合併を繰り返して巨大になっていったのは、新薬開発に長い期間と膨大な資金がかかり、小規模の会社では体力がもたないからである。

病気を一気に治してしまう薬は製薬会社にとってうまみがない。製薬会社は患者が恒久的に使わなければならない薬は大歓迎なのである。
例えば抗菌剤。抗菌剤は化膿性疾患が治ってしまえばもう使う必要がない。また細菌は耐性株に変異することにより、それまで効いていた抗菌剤が効かなくなる。さらに医師は耐性菌の出現を恐れて新しい抗菌剤を保留する傾向がある。
薬剤会社は高血圧薬や高脂血症の薬などの、一度使い出したら一生使い続けなければならない薬の開発に力を注ぐのである。
世界最大の製薬会社であるファイザー社は今後、抗菌剤の開発を行わないというショッキングな決断をしたという。

人類は薬をどのようにして手に入れてきたのか。
まずは植物由来の薬を手に入れた。薬になりそうな植物を片っ端から口に入れて薬を見つけてきたのだ。最古の薬としてアヘンがある。次にマラリア治療薬のキニーネ、吸入麻酔薬のエーテル、合成化学による鎮痛剤のアスピリン、さらに設計された薬である梅毒治療薬のサルバルサン。土壌由来のペニシリンなどの抗生物質、人間を冬眠させる目的でたどり着いたクロルプロマジン、さらに現在はヒトゲノムのDNAから得られるバイオ医薬品の候補がある。

19世紀の半ばにチバガイギー社(現在はノバルティス社)の科学者たちが、この宇宙の中にある薬になるかもしれない化合物の総数を計算した。その数なんと3×10の62乗種類、理解不可能なくらいの膨大な数である。
本書では、新薬探索における試行錯誤の比喩として、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説『バベルの図書館』が、何回か引き合いに出される。図書館は無数の6角形の部屋があらゆる方向に無限に連なり、各部屋の棚にはランダムな文字の組み合わせのタイトルが書かれた本が並んでいる。本の中身は1冊ずつちがい、ほとんどはナンセンスである。しかし叡智に満ちた本も稀にあり、それは「弁明の書」と呼ばれている。司書たちが「弁明の書」を探して館内をさすらう。ほとんどは一生かっても「弁明の書」に巡りあえない。製薬会社は、さまざまな構造の化合物からなるコレクションを持っている。著者は、「化合物ライブラリー」をバベルの図書館になぞらえ、ドラッグハンターを司書になぞらえている。

新薬開発は製薬会社にとって一か八かの博打のようなもので、映画制作に例えている。緻密な計算のもとに、最高の俳優を配して、十分な資金も調達して、いわば万全の体制を整え、当たるはずだと踏んで作られた映画が、『ローン・レンジャー』のことだが、大コケすることがある。創薬も同じような危険がつきまとうという。→人気ブログランキング

『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』 門井慶喜

ミステリの誕生について、時差はあるが、イギリスの産業革命(18世紀半ばから19世紀にかけて起こった)と連動しているとする。またフランスの印象派の活動(19世紀後半)とも関連づけている。
著者の論法は、問題を投げかけてその反論を並べて整理しつつ着地する、スクラップ・アンド・ビルドである。言いかえれば「ヒトリノリツッコミ」。本書は第69回推理作家協会賞受賞作(評論その他の部門 2016年)。

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)
門井 慶喜
角川文庫  2017年12月
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まずは、グラント警部シリーズの第1作、『時の娘』(ジョセフィン・ティ 1951年発表)から。グラント警部は大怪我をしていて、ベッドの周りを歩くことすらできない安楽椅子探偵(アームチェア・デイテクティブ)なのだ。もちろん有能な助手がいる。最悪の王だと信じられた15世紀のイングランド王リチャード3世が、この小説によってそう信じる人の割合が大幅に減少したというのだから、小説の影響は侮れない。歴史は確かな証拠がないにもかかわらず、でっち上げられていると言うこともできる。
ところで、リチャード3世の肖像画は、指輪をはめているのか外しているのか、著者は外しているとしてるが、はめているようにも思えるのだが。。

次は、シャーロック・ホームズ誕生の話。『緋色の研究』(コナン・ドイル 1887年発表)の背景は、産業革命によって都市の繁栄がもたらされ、人口が急激に増加し、ひいては、隣人に無関心である都市型の生き方が一般的になった時代である。
アメリカ合衆国から脛に傷を持つモルモン教徒の男2人がロンドンに逃げてきて、殺されるという話だ。イギリスの産業革命からこちら側でミステリは生まれたとする。

次は、アメリカ人エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』(1839年発表)。『アッシャー家...』は、ゴシック小説。ゴシックは中世の産物であるから、アメリカには中世はない。だから、時代も場所も特定されていない。
産業革命による時代の変革に不安を抱く人々の懐古主義がもたらしたのが、ゴシック(中世)への回避だとする。

ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(1980年発表)は、1300年代のイタリアの修道院の物語。宗教とミステリが完全に融合した画期的歴史小説と高く評価する。宗教なら神学論争、ミステリなら数々の証拠の関係づけ、どちらももっとも根本的なところで同じものを追求しているとする。要するに神学論争は詭弁を弄することであり、ミステリにも似たところがある。

そしてミステリ小説の人称の話。
著者は一人称がミステリに好適だと述べている。視点を一つに固定することにより読者の視野にさまざまな死角がつくれる。それによって謎が成立しやすくなり、謎解きの展開も一層自然になるなどが、その理由である。三人称多視点では読者の視点が広すぎて、謎の顔を出す余地に乏しいという。
ミステリは、ワトソンに語らせて、作者自身がカバーするという「ホームズ-ワトソン」の一人称多視点が有利だという。→人気ブログランキング

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マジカル・ヒストリー・ツアー/門井 慶喜/角川文庫/2017年
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