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2019年1月

『ベートーヴェン捏造』かげはら史帆

ベートーヴェンの伝記はアントン・フェリックス・シンドラーによって捏造された、というショッキングな内容である。シンドラーとはどういう人物なのか。ベートーヴェンの日常の補佐役を務め、ベートーヴェンの伝記を3冊書いている。ベートーヴェンに出会う前は、ウィーン大学在学中に学生運動に身を投じ、大学を中退している。

著者の文章は軽妙洒脱でユーモアとエスプリの効いている。本書は大学の修士論文に加筆したものだという。著者自らが認めているが、いささか「盛っている」気配がする。

ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく
かげはら 史帆
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子供の頃からベートーヴェンに憧れていたシンドラーは、ベートーヴェンの身の回りの世話をするようになる。ベートーヴェン51歳、シンドラー27歳のときだ。
ベートーヴェンの、ここ数年の生活ときたら酷い有り様で、息子の代わりに甥はいるが嫁はおらず、家政婦はすぐに逃げてしまう。おまけに耳の病を抱え、不潔で、偏食家で、とんだ癇癪持ちで暴力をふるう、著しく生活スキルを欠いた男だ。

初めは気遣いを見せるシンドラーに好感を持っていたが、やがて気の利かない鈍感な男と毛嫌いするようになる。そのあたりのことは、ベートーヴェンが友人や親族に送った手紙に書かれている。
「シンドラーというこのおしつけがましい盲腸野郎は、あなたもお気づきでしょうが、ずっと私には鼻つまみ者なのです」
シンドラーの秘書の期間は約2年と短い。

ベートーヴェンの筆談のメモ、それをシンドラーは会話帳と呼んだ。
ベートヴェンの死後、シンドラーは400冊の会話帳を持ち出し、そのうち自分に不都合なものや、ベートーヴェンの偏屈で過激な性格が読み取れるものや、改竄したことによって辻褄が合わなくなったものを破棄して残ったのは136冊、そこにシンドラーがでっち上げた1冊を加えた。
シンドラーが、ベートーヴェンを崇拝していたことは間違いない。ベートヴェンが汚い服を着た偏屈な男だと思われることをなんとかしようとした。さらに、実際はベートーヴェンから良く思われていなかった自分のことも良く見られたことにするために、会話帳に様々なことを書き足し、それは伝記の捏造へと繋がっていく。

シンドラーのベートーヴェンに関する会話帳の改竄が公になったのは、1977年にベルリンで開かれたベートーヴェン没後150年の「国際ベートーヴェン学会」だった。
ドイツ国立図書館版・会話帳チームの2人の女性が、『会話帳の伝承に関するいくつかの疑惑』という演題を発表した。

ベートーヴェン通なら知っているトリヴィアは、シンドラーの捏造らしい。
それは、ベートヴェンが『交響曲第5番』の演奏テンポを「運命が扉を叩く」様子にたとえたこと。『ニ短調のピアノ・ソナタ』の解釈について「シェイクスピアの『テンペエスト』を読め」という助言を垂れたこと。生涯でただひとり愛した女性ジュリエッタを「不滅の恋人」と呼ぶ情熱的なラブレターを書いたこと。コーヒー豆をいつもきっちり60粒数えていたこと(これはどうも真実のようだ)。『交響曲第9番』の初演で、聴衆を空前の熱狂に巻き込んだこと(これは大袈裟だがあながち嘘とは言えない)。→人気ブログランキング

『元年春之祭』 陸 秋槎

古代中国を舞台に、ふたりの少女が推理合戦を展開するフーダニットもの。
知的でおおらかでコミカルに始まるものの、話が進むにつれて非情で残酷になっていく。
著者の専攻テーマだった漢籍がところどころに挟み込まれ、前漢時代の中国にタイムスリップさせてくれる、少女コミック風のミステリ。
著者の陸 秋槎(りくしゅうさ)は、1988年、中国・北京生まれ。現在、金沢市在住。2014年、復旦大古籍研究所在学中に短編ミステリ『前奏曲』を発表し、第2回華文推理大奨賽の最優秀新人賞を受賞。2016年、本作で長編デビュー。

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古例の見聞を深めるため観家に滞在していた17歳の於陵葵(おりょうき)と、観家の当主の娘・同い年の観露申(かんろしん)は、出会ったばかりなのに友情で結ばれる。露申は葵に過去の一族の凄惨な殺人事件を打ち明ける。

楚国の貴族の末裔であった観家は、漢の世に身の置き所がなく、人里離れた雲夢澤(うんぽうたく)で絶えず居を移していた。傍系の家系は雲夢を離れていったという事情がある。
葵はいくら学問を積んで武道を習得して古代の賢人の真似をしても、育ちを変えることはできないと嘆く。それなのに立派な血筋の露申のあまりの出来の悪さに失望したという。そんな露申を葵はからかったりいじめたりして激昂させたくなる。
このあたりまでは、少女コミックの小説版というノリである。

事件とは、4年前の天漢元年(紀元前100年)、かつて楚国の祭祀を司っていた名門の観家の人々が春の祭の準備をしていたさなか、露申の伯父、伯母、従弟が何者かによって殺された。しかし犯人は見つからないままになっていた。

漢籍の研鑽を積んだ聡明な葵は事件の解決を引き受けるが、目の前で新たな殺人事件が起こってしまう。
そして、葵と露申は事件の全容を解明する推理合戦を繰り広げる。事件のバックグラウンドには、観一族と豪族だった葵のそれぞれの宿命があった。→人気ブログランキング

『ブルーバード、ブルーバード』アッティカ・ロック

東テキサスの田舎町で、シカゴからやってきた黒人の男性弁護士と地元の白人女性の遺体が、町を流れるバイユーで相次いで発見される。白人が殺されてその報復として黒人が殺されるのが通常の順番であるが、逆だった。捜査にあたるのはテキサス・レンジャーに所属する黒人のダレン・マシューズ。

町には黒人の老女が経営するカフェと、大きな通りを挟んで白人の金持ちの邸宅が向き合っている。その白人はバーのオーナーで祖先はこの町を作った。
ダレンは殺された男の妻とカフェで知り合い事件を解決しようとする。黒人の公共施設利用を制限する「ジム・クロウ法」が廃止になって50年たっても、東テキサスの人種差別は以前と大して変わらない。

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アッティカ・ロック/高山真由美
ハヤカワ・ポケット・ミステリ
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ダレンは伯父が黒人で初めてのテキサス・レンジャーになったという名門の出なのだが、親族同士に確執があり、ダレン自身も妻とうまくいっていない。ダレンの農場で働く管理人の孫娘に嫌がらせをするクズ白人が銃で殺され、事件に関わった嫌疑で、ダレンはレンジャーを停職中なのだ。殺された白人は過激な人種差別組織に属し、その組織の通過儀礼は黒人を殺すことである。KKKよりもタチが悪い組織だ。

被害者の女性は白人が集まるバーで働いていた。殺された男が最後に酒を飲んでいた場所だ。ふたりは話をして男は女を家に送っていった。
妻を迎えにきた夫はふたりの仲を勘ぐって逆上し男をツーバイフォーの角材で殴って殺した。そのあと数日して夫が妻を絞殺したというのがダレンの推理だ。夫は数か月前に刑務所を出所したばかりで、刑務所内で人種差別組織のメンバーと接触したのではないかとダレンは疑った。
しかし、事件の真相は単純ではなく、過去に起こった愛憎劇が複雑に絡んでいた。

6年前にカフェの女店主の夫が銃で撃たれて殺されてるが、犯人は逃亡した3人の白人男性という目撃者の証言により、事件は捜査されないままになっている。人種に絡んだ事件が起こると東テキサスの田舎町の特殊なルールがまかり通るのだ。
ダレンはテキサス・レンジャーの誇りと意地で、妥協を拒否し事件の真相を明らかにしようとする。

物語には、歌詞やジュークボックス、エレキギター、バンドマン、演奏旅行などが描かれていて、まるでBGMにブルースが流れているようだ。
犯罪における人種差別を黒人の目からあぶり出した傑作だ。本作は2018年の3つの主要ミステリ賞(米探偵クラブ賞、英ダガー賞、米アンソニー賞)を受賞した。→人気ブログランキング

『アメリカ』 橋爪大三郎×大澤真幸

アメリカのキリスト教とプラグマティズムについて解説し、日本がアメリカを異常なまで忖度するのはなぜかを、ふたりの著名な社会学者が解き明かす。

罪のある人間を救うか救わないかは神が決めるという救済予定説のカルヴィン派こそ、アメリカ建国のベースを築いた人々であるという。
聖書には曖昧な部分があり、解釈によっては異なる読み方ができてしまう。聖書に忠実であるからプロテスタントには分派ができる。
実践的で人造的で新しいアメリカの性質はどこからきているのか。それはプロテスタントの信仰を源泉としているという。アメリカはあくまでプロテスタントの国である。
アメリカを考えるときに、本気で聖書を信じている人たちがいるという目で見て、初めてアメリカが見えてくるという。

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アメリカには、聖書が神の言葉と信じている5000万人の福音派(バプティスト)がいるからこそ、そうでない人はキリスト教と距離をとりながら啓蒙的な知識との両立をはかれる。
アメリカ人はまぎれもないキリスト教的な文化だが、同時にこれほど宗教からほど遠い世俗的な人々もいないように思える。宗教的な人とまったくそう出ない人の間を埋めるのがプラグマティズムであるという。

プラグマティズムとは、ある概念がその人の経験によい結果をもたらすのであれば、それは真であり、思うような結果をもたらさないのであれば偽であるという考え方。
なにか複数の真理があるらしいが、どっちが正しいか決着しないでよい。自分の生活にプラスならばそれを受け入れ、マイナスであれば受け入れない。

奴隷制度を除けば、アメリカはヨーロッパ諸国に比べ圧倒的に平等な国である。
奴隷制度は、アメリカのひ弱な産業が国際競争にさらされた結果である。北部は工業でやっていけそうだったが、南部は大農場経営で奴隷の労働力が必要だった。
なぜ奴隷制度になったかというと、カトリックではなくプロテスタントだったからだ。カソリックは教会がひとつしかないので、教会のメンバーは人種や社会階層を問わず同列に扱われる。プロテスタントでは教会がいくつもあるので、人種や社会階層ごとに別々の教会に行くことになる。
アメリカは自発的にアメリカを作ろうとした人々が国をつくり、移民もそれに加わった。このストーリーからはみ出す人々は、ネイティヴアメリカンとアフリカ系の人々で、これをアメリカは克服できない。アメリカにおける根深いブラックの独特の問題は日本人に理解しがたいという。

日本は福祉はいいことだと誰もが思っているが、その感覚はアメリカにはないという。
政府が税金をとって、人々の生活に必要なサービスを行う必要はない。政府がやらなくとも、自分たちが財団を作ってやるからそれで十分だという考え方をする。
アメリカ人には自分の主体性を他人に預けることを極力避けたいという意識構造がある。

アメリカのナショナリズムは、世界中の人々がアメリカ化すればいいと思っている。
いくら日本人が自国が魅力的だと信じているとしても、世界中の人々が日本人のようになるべきだと思ってはいない。ナショナリストはどんなに自分の国が素晴らしいと思っていても、それぞれだというのが特徴なのだが、アメリカは違う。

武士の伝統が途切れてから日本は迷走するようになった。武士は人の生き死にを踏まえて、人々が幸せに生きて行くことに知恵を尽くして考えるということをずっとやってきた。戦後、それをやろうとしないのは日本人の怠慢でしかないという。
アメリカへの精神的な依存度において日本は突出している。なぜこんな状況になったのか。アメリカを知ることが倒錯的なレベルから脱却する一歩である。そうすることで日本が何者であるか知ることになる。→人気ブログランキング

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『縄文探検隊の記録』夢枕 獏 岡村 道雄 かくま つとむ

日本の新石器時代を特に縄文時代と呼ぶ理由は、世界の新石器時代のスタンダードとは異なり独自性が際立っているからだという。クリ、漆、翡翠、アスファルト、縄文式土器、渡来人、縄文の神と空海の密教との関係など、縄文研究の最先端を紹介する。
縄文時代は1万5000年前から2300年前まで。縄文文化は南は屋久島から北は北海道、そして歯舞・色丹まで見られる。

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翡翠はフォッサマグナ(地殻変動)の置き土産。
糸魚川周辺で作られた翡翠の装飾品は、北は礼文島から南は沖縄まで分布している。
翡翠はステータスの象徴のようなものだったのではないか。使節のような立場の人が運んだのだろうという。

近年の縄文考古学のトピックスは「クリ」と「漆」。
クリはカロリーが高く、よく実る年と実らない年の差が少ない。さらに木材としての優位性はクリは飛び抜けていた。大きく育つという理由だけなく加工がしやすく、柱に用いられた。縄文人にとってクリはスーパーツリーだった。
北海道函館垣ノ島から出土した9000年前の漆器は世界最古である。シャーマンのような立場の人が身につけただろう、ヘアバンド、肩パッド、肘当て、腕輪、膝掛けが出土している。
縄文の漆文化は弥生時代よりも高度である。縄文の漆文化は現代につながる重ね塗りで、水銀を混ぜた赤漆も使われている。中国の塗り方はただ上から塗ったもので、弥生時代の漆は中国の手法であった。
縄文時代の漆を塗った弓矢は強く弾力性がある。しかし弥生時代の丸木弓は実用的ではない。催事に用いられたと思われる。

原油が出る地域ではアスファルトが自然に存在する。産出地は、新潟県の上越から山形、秋田県にかけての日本海側と、北海道道南の渡島。鏃とか矢柄の接着剤として用いられた。

アーティスティックな火焔土器はなぜ作られたのか。実在しないような姿に置き換えて神格化するのが縄文の特徴である。新石器時代の中国の土器は動物の写実的な文様が描かれている。縄文文化は、土器にしろ土偶にしろ写実的なものは描かれていない。

弥生時代のきっかけを作ったのは渡来人だったが、実質的な主人公は縄文人だった。
そもそも西日本では、それまで人が少なかった。縄文の全時代を通してみると、「むら」も人口も85%が東日本。弥生時代になるとそれが逆転してくる。縄文人は稲作を取り入れなかったからだ。
どのくらいの人が入ってきたか。一般的に考えられているより少なかったと思われるという。
大陸の秦の統一で敗者が新天地を求める形で、日本列島に渡ってきたのではないか。

草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)は、『涅槃経』の言葉で空海が広めた。夢枕 獏は、空海はその当時残っていた縄文的なものの考え方をこの言葉で表現したのだとしている。→人気ブログランキング