« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月

『落陽』朝井まかて

本作に通底するのは、明治天皇に人びとが抱く尊崇の気持ちの源淵はなにかという疑問である。明治天皇はすべての国民の精神的支柱であり続けた。著者はその疑問の解答を主人公の新聞記者に託す。
明治天皇の崩御(1912年7月30日)後が舞台。明治神宮の森の建設に奔走する森林学者たちと、それを記事にしようと奮闘する新聞記者たちの物語である。話の運びに躍動感がある。

東都タイムスの記者・瀬尾亮一は、ゴシップで華族をゆするような裏稼業に手を染めないと食べていけない。東都タイムスは中小企業の社長の立身出世伝をでっち上げ、広告料を取るというカラクリで利益を上げている三流新聞社である。

落陽 (祥伝社文庫)
落陽
posted with amazlet at 19.04.21
朝井 まかて
祥伝社文庫
2019年4月 ✳︎10

瀬尾の同僚・伊東響子が、東京に明治天皇を祀る神社を設立する委員会が発足し、商業会議所会頭、市長、それに渋沢栄一が集まって協議を始めたという情報を掴んできた。
取材許可を主幹の武藤に願い出ると、〈言っとくが、厄介はごめんだぞ。東都タイムスに思想はいらねえんだ。世相の塵・芥を掬って記事にする、楽しんでもらう、これが中立だ〉と怒鳴り、広告料を2倍稼ぐことで取材を許可するのだった。

明治天皇の死後は京都で眠りたいという希望により、陵墓は伏見桃山陵にもっていかれた。明治神宮造林は東京人の矜持だ。
様々な候補地からの陳情があったが、鎮座地は東京に決まり、専門家の不可能論を無視して人工林を増設することとなった。厳かな森をイメージする要人達の要望は、針葉樹こそが神宮林にふさわしいというもの。
委員会の本郷の意見は、針葉樹の林宛を造れば10年も経たぬうちに枯れる。東京に針葉樹は育たない。針葉樹は水が流れる土地を好む。関東ローム層は水の得にくい乾燥を好む土地である。

ついに、かねてから打診をしていた本郷先生から会ってくれるとの朗報が届き、瀬尾と響子は早速行動を起こした。そして「明治神宮林 藪が理想」と名打って記事を書いた。
主幹の武藤は他紙を手にとり、〈「藪を目指す神宮の森」「林宛計画の要は藪」。どこもうちの後追いだ、先陣を切るってこうも気持ちのいいものだったか。〉と喜んだ。
ところが、大隈首相が「藪」論に異を唱えた。ここで屈するわけにはいかない。本郷たちは大隈首相の説得に全身全霊を傾ける。

さらに問題が起こる。樹木購入費が計上されていなかったのだ。
神宮林は国民の献木で造るという。しかし募集をかけてみれば、献木の数は予定にはるかに上回った。
1913年から7年の歳月をかけて森の建設が行われ、1920年11月に鎮座祭が行われた。献木10万本、勤労奉仕者延べ11万人、森の完成には150年かかるという。

瀬尾は同僚の遠縁にあたる、京都に住むかつて皇后陛下の侍女だった女性に取材を申し込む。皇后陛下の侍女の回想という形で、明治天皇の心情を書き表すという大胆な試みで、主人公の抱いていた疑問を解こうとする。

 

『初夜』イアン・マキューアン

20世紀の半ばをすぎても、イギリスでは性に対してビクトリア朝時代を引きずっていた。数年経てば、ロックンロールの流行とともに開放的な性の風潮が先進国を席巻しようとする直前である。時代設定がいかにも巧妙だ。
物語が初夜の一事象に収斂していく巧みな構成と筆さばきは見事というほかはない。

ふたりはオックスフォードにある大学を卒業したばかりのときに出会い、1年ほど交際したのちに結婚に至った。エドワードはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで歴史学を、フローレンスは王立音楽大学でヴァイオリンを専攻した。

披露宴のあと、ふたりは車でドーセット海岸のホテルに到着する。
エドワードはホテルに泊まったことがなかったが、フローレンスは子供の頃、父親と旅行した際に、ホテルには何度も泊まったことがあった。

初夜 (新潮クレスト・ブックス)
初夜
posted with amazlet at 19.04.17
イアン・マキューアン /松村潔
新潮クレスト・ブックス
2009年 ✳10

最初の夜の様子が、ふたりの生い立ちや交際中のことに触れながら、イギリスの社会情勢や文化や風潮を、緻密で核心をついた文章で描く手法で、物語はすすんでいく。

ふたりの初夜を前にして感じていることは違った。エドワードは期待と熱望を感じたが、フローレンスは恐怖と嫌悪感だった。初夜に新婚夫婦が行うことを、期待するあまり失敗しないように、というのがエドワードが念じていることだった。

〈フローレンスのドレスのジッパーが布を噛んで動かなくなったり、彼女の内股の筋肉が痙攣したり、エドワードの手が彼女の内股から核心の部分に進めなくなったり、〉行為は滞りがちだった。受け入れなければならし、受け入れたいのだが、体がそう反応しないことにフローレンスは苦悩する。

もともと、エドワードは激昂しやすく少し暴力的なところがあった。それがこの場面で現れやしないか不安であった。一方、フローレンスはパニックや嫌悪感をなんとかコントロールしようとしたのだが。。

ふたりのその後の人生は決して悪いものではなかった。フローレンスはヴァイオリニストとしてそこそこ成功した。エドワードはそれなりの職について経済的に困窮するようなことはなかった。どちらかといえば幸せな老後を向かえた。
初夜をうまくやり過ごせば、別の人生が待っていたであろうという運命の不条理を感じさせながら物語は終わる。

アムステルダム/イアン・マキューアン/新潮文庫/2005年
初夜/イアン・マキューアン/新潮クレストブック/2009年

『宇宙船ビーグル号の冒険』A・E・ヴァン・ヴォークト

本書は、1950年に発刊されたA・E・ヴァン・ヴォークトの長編SF小説『The Voyage of Space Beagle』の新訳版。それまでに発表した4つの中編を合わせて長編に仕立てている。
日本では本書が、ヴォークトの代表作とされているが、本家のアメリカではそうした評価はないという。

科学者と軍人合わせて1000人の乗組員を擁する巨大宇宙探査船なかで繰り広げられる権力争いを縦軸に、未知の宇宙生物との攻防を横軸に描くスペースオペラの古典である。
人間と宇宙生物の二つの視点で描かれているので、読み手は探査船を襲う生物の思惑を知ることができる。この手法は本書を特徴づけている。

宇宙船ビーグル号の冒険【新版】 (創元SF文庫)
A・E・ヴァン・ヴォークト/沼沢洽治
創元SF文庫
2017年7月 ✳︎10

肩から太い触手を生やした巨大猫型宇宙獣のケアルには哀愁が漂う。ケアルは惑星の住民同士の絶滅戦争に耐えて生き残った実験動物なのだ。
リーム鳥型星人のテレパシー文明に接触したビーグル号の乗組員は大混乱をきたす。
何千年もの昔、故郷の星の爆発で隆盛を誇った種族は滅び、不死身の緋色の怪物イクストルは宇宙空間をさ迷っている。イクストルは原子構造を変化させてビーグル号の堅い外壁を通り抜け船内に入り込み、卵の孵化場となる人間〈グウル〉を見つけ出そうとする。
ビーグル号が渦状星雲に入ろうとしたところで、乗組員の五感に刺激が送られてきた。銀河をおおいつくすほど成長した巨大ガス状生命アナビスの生息域に足を踏み入れたのだ。その瞬間からアナビスの存亡をかけた死闘に巻き込まれる。

謎の宇宙生物と戦う一方、船内では権力争いがくり広げられている。
物理学や科学や地質学などの部長たちから見れば、総合科学(ネクシャリズム)部のグローヴナーは若造であり、総合科学は得体の知れない格下の新興の学問なのだ。しかし専門家の狭い視野では、ビーグル号が遭遇する難敵を蹴散らすことはできないだろう。グローヴナーは次第に力をつけていく。
グローヴナーの良き理解者である考古学者の苅田は、「末期農民型」社会という単語を使って敵の状況を言い表す。それはとりもなおさず、船内で繰り広げられている権力闘争を揶揄しているのである。→人気ブログランキング

『武士の起源を解き明かす』桃崎 有一郎

著者は、かつての教科書に載っていた「地方の裕福な農民が農地防衛のために武装した」という説も、「武士は朝廷の警護にあたった衛府(えふ)から生まれた」という説も根拠がないとする。
話の起点として信頼できる動かぬ事実が3つあるという。武士が領主階級であること、武士が貴種であること、そして武士が弓馬の使い手であること。

この3つの事実を踏まえ、著者は武士の誕生に「有閑弓騎」という造語を用いる。
「有閑弓騎」とは時間的余裕をもつ富裕層(有閑)で、馬上から弓で戦う騎射術を心得た人(弓騎)のこと。
著者は中学から大学院まで弓道部に在籍したという体験から、弓術は暇でなければできないと自信をもって言い切る。つまり「弓馬」は百姓が片手間にできるほど甘くないというわけである。

武士の起源を解きあかす――混血する古代、創発される中世 (ちくま新書)
桃崎 有一郎
ちくま新書 2018年11月
売り上げランキング: 4,707

著者は王臣子孫に注目した。王臣子孫とは、源氏や平家を名乗る天皇の子孫や藤原氏などの貴姓の上級貴族のことである。平安時代に入ると王臣子孫は著しく増えたため(例えば、桓武天皇には36人もの子供がいた)官職の数が足りず、資産も相続することができなくなる。王臣子孫は地方での農地の奪い合いに、自分たちの貴種としてのブランドや京都の権力者と地方豪族の仲介役として幅を利かせ、京都にいながら地方から富を吸い上げていた。
王臣子孫はさらに増え続け、京を出ざるを得なくなり地方に進出して地方豪族(卑姓)と血縁関係を結ぶ。こうして王臣子孫の下に地方豪族が家臣としてつかえる形態の武士団ができあがる。

さらに、初代征夷大将軍坂上田村麻呂の家系や副将たちの家系と、現地豪族の娘の子孫という第三の軸(将種)をあげている。蝦夷から騎馬術を習得したり、婚姻関係を結ぶこともあっただろう。

武士の誕生は次のようであると著者はまとめる。
〈武士とは、【貴姓の王臣子孫×卑姓の伝統的地方豪族×準貴姓の伝統的武人排出氏族(か蝦夷)】の融合が、主に婚姻関係に媒体されて果たされた成果だ。武士は複合的存在なのである。〉→人気ブログランキング

『ザ・プロフェッサー』ロバート・ベイリー

学部長の理不尽な方針により大学を追われた老教授が、娘一家を交通事故で亡くしたもと恋人の要請を受け、教え子とともに運送会社の悪徳経営者を相手どって裁判に挑む。相手側のなりふり構わない隠滅工作に敢然と立ち向かう、勧善懲悪のリーガルサスペンス。

実際に、アラバマ州タスカルーサにあるアラバマ大は、アメリカンフットボールの名門校である。かつて活躍したプレーヤーは、今でも町で一目おかれる人物たちである。
物語は、68歳になるトーマス(トム)・マクマトリーが主人公。かつてディフェンスの名プレイヤーであり、アラバマ大学が全米チャンピョンに輝いたときのメンバーである。現在、トムはアラバマ大学の教授として証拠学の権威であり、トムが率いる模擬裁判チームは3度の全国優勝を誇っている。

ささいなことで激昂した学生のリックに殴られたトムが、リックの腕をつかんだ動画が youtube に流れ、トムが暴力をふるったとされ窮地に立たされる。トムの授業で学生が虐待を受けたと申告し、さらに女子学生と不適切な関係にあるとでっち上げられる。
トムに最後通告を言い渡したのは、最近アラバマ大学の顧問弁護士に就任したかつての教え子であるタイラーであった。

ザ・プロフェッサー (小学館文庫)
ザ・プロフェッサー
posted with amazlet at 19.04.03
ロバート ベイリー/吉野弘人
小学館文庫 2019年3月 ✳︎8
売り上げランキング: 4,848

トムは実際の裁判には長年携わっていない。また3年前に妻を乳癌で亡くし、最近大学を不本意なから辞めさせられ、さらに膀胱癌が見つかり、すっかり意気消沈している。そこで、トムはかつてトラブルがあった教え子のリックを紹介する。リックは事故があったヘンショーの出身である。

被告の弁護士はアラバマ州で最も勝率の優れた弁護士として君臨する、トムを大学から追放することに策を労したタイラーだった。一方、リックは弁護士に成りたてのヒヨッコである。

運転手に法定速度を無視した運転を強要していた運送会社は、証拠となる書類を燃やし、原告に有利な証言をしようとする関係者を買収したり、脅したり、あるいは口封じのために殺したりしていた。
裁判は被告有利に運ぶかに思われたが、トムの過去の栄冠やリックの土地の利が陪審員たちに効果的に影響し、被告側の悪行にほころびが生じるのだった。→人気ブログランキング