武士の起源を解き明かす 桃崎 有一郎
著者は、かつての教科書に載っていた「地方の裕福な農民が農地防衛のために武装した」という説も、「武士は朝廷の警護にあたった衛府(えふ)から生まれた」という説も根拠がないとする。
話の起点として信頼できる動かぬ事実が3つあるという。武士が領主階級であること、武士が貴種であること、そして武士が弓馬の使い手であること。
この3つの事実を踏まえ、著者は武士の誕生に「有閑弓騎」という造語を用いる。
「有閑弓騎」とは時間的余裕をもつ富裕層(有閑)で、馬上から弓で戦う騎射術を心得た人(弓騎)のこと。
著者は中学から大学院まで弓道部に在籍したという体験から、弓術は暇でなければできないと自信をもって言い切る。つまり「弓馬」は百姓が片手間にできるほど甘くないというわけである。
武士の起源を解きあかす――混血する古代、創発される中世 桃崎 有一郎 ちくま新書 2018年 |
武士が登場するのは9世紀末から10世紀の初頭で、武士の発生の淵源となったのは、奈良時代中期の743年に聖武天皇が出した「墾田永年私財法」であるとする。荘園発生の基礎となった法令である。この法律により、土地を開墾すれば自分のものにできることになったっため、日本全土で農地の奪い合いが起こった。その争奪戦に勝つには武力が必要で、地方豪族は弓馬術を磨き武力を高めていった。しかしこれだけでは武士の発生の説明は十分ではない。
著者は王臣子孫に注目した。王臣子孫とは、源氏や平家を名乗る天皇の子孫や藤原氏などの貴姓の上級貴族のことである。平安時代に入ると王臣子孫は著しく増えたため(例えば、桓武天皇には36人もの子供がいた)官職の数が足りず、資産も相続することができなくなる。王臣子孫は地方での農地の奪い合いに、自分たちの貴種としてのブランドや京都の権力者と地方豪族の仲介役として幅を利かせ、京都にいながら地方から富を吸い上げていた。
王臣子孫はさらに増え続け、京を出ざるを得なくなり地方に進出して地方豪族(卑姓)と血縁関係を結ぶ。こうして王臣子孫の下に地方豪族が家臣としてつかえる形態の武士団ができあがる。
さらに、初代征夷大将軍坂上田村麻呂の家系や副将たちの家系と、現地豪族の娘の子孫という第三の軸(将種)をあげている。蝦夷から騎馬術を習得したり、婚姻関係を結ぶこともあっただろう。
武士の誕生は次のようであると著者はまとめる。
〈武士とは、【貴姓の王臣子孫×卑姓の伝統的地方豪族×準貴姓の伝統的武人排出氏族(か蝦夷)】の融合が、主に婚姻関係に媒体されて果たされた成果だ。武士は複合的存在なのである。〉→人気ブログランキング
→ にほんブログ村
「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都/桃崎有一郎/文春新書/2020年
武士の起源を解きあかす―混血する古代、創発される中世/桃崎有一郎/ちくま新書/2018年
« ザ・プロフェッサー ロバート・ベイリー | トップページ | 宇宙船ビーグル号の冒険 A・E・ヴァン・ヴォークト »
「歴史」カテゴリの記事
- 小説 イタリア軒物語(2024.11.06)
- 超訳 芭蕉百句 嵐山光三郎 (2022.10.01)
- 「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都 桃崎有一郎(2021.11.13)
- アフリカで誕生した人類が日本人になるまで(新装版) 溝口優司(2020.11.11)
- 感染症の日本史 磯田道史(2020.11.04)
« ザ・プロフェッサー ロバート・ベイリー | トップページ | 宇宙船ビーグル号の冒険 A・E・ヴァン・ヴォークト »
コメント