『落陽』朝井まかて
本作に通底するのは、明治天皇に人びとが抱く尊崇の気持ちの源淵はなにかという疑問である。明治天皇はすべての国民の精神的支柱であり続けた。著者はその疑問の解答を主人公の新聞記者に託す。
明治天皇の崩御(1912年7月30日)後が舞台。明治神宮の森の建設に奔走する森林学者たちと、それを記事にしようと奮闘する新聞記者たちの物語である。話の運びに躍動感がある。
東都タイムスの記者・瀬尾亮一は、ゴシップで華族をゆするような裏稼業に手を染めないと食べていけない。東都タイムスは中小企業の社長の立身出世伝をでっち上げ、広告料を取るというカラクリで利益を上げている三流新聞社である。
瀬尾の同僚・伊東響子が、東京に明治天皇を祀る神社を設立する委員会が発足し、商業会議所会頭、市長、それに渋沢栄一が集まって協議を始めたという情報を掴んできた。
取材許可を主幹の武藤に願い出ると、〈言っとくが、厄介はごめんだぞ。東都タイムスに思想はいらねえんだ。世相の塵・芥を掬って記事にする、楽しんでもらう、これが中立だ〉と怒鳴り、広告料を2倍稼ぐことで取材を許可するのだった。
明治天皇の死後は京都で眠りたいという希望により、陵墓は伏見桃山陵にもっていかれた。明治神宮造林は東京人の矜持だ。
様々な候補地からの陳情があったが、鎮座地は東京に決まり、専門家の不可能論を無視して人工林を増設することとなった。厳かな森をイメージする要人達の要望は、針葉樹こそが神宮林にふさわしいというもの。
委員会の本郷の意見は、針葉樹の林宛を造れば10年も経たぬうちに枯れる。東京に針葉樹は育たない。針葉樹は水が流れる土地を好む。関東ローム層は水の得にくい乾燥を好む土地である。
ついに、かねてから打診をしていた本郷先生から会ってくれるとの朗報が届き、瀬尾と響子は早速行動を起こした。そして「明治神宮林 藪が理想」と名打って記事を書いた。
主幹の武藤は他紙を手にとり、〈「藪を目指す神宮の森」「林宛計画の要は藪」。どこもうちの後追いだ、先陣を切るってこうも気持ちのいいものだったか。〉と喜んだ。
ところが、大隈首相が「藪」論に異を唱えた。ここで屈するわけにはいかない。本郷たちは大隈首相の説得に全身全霊を傾ける。
さらに問題が起こる。樹木購入費が計上されていなかったのだ。
神宮林は国民の献木で造るという。しかし募集をかけてみれば、献木の数は予定にはるかに上回った。
1913年から7年の歳月をかけて森の建設が行われ、1920年11月に鎮座祭が行われた。献木10万本、勤労奉仕者延べ11万人、森の完成には150年かかるという。
瀬尾は同僚の遠縁にあたる、京都に住むかつて皇后陛下の侍女だった女性に取材を申し込む。皇后陛下の侍女の回想という形で、明治天皇の心情を書き表すという大胆な試みで、主人公の抱いていた疑問を解こうとする。
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