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2019年5月

2019年5月29日 (水)

がん免疫療法とは何か 本庶 佑


著者は「免疫チェックポイント阻害剤」の開発の基礎となる研究により、2018年のノーベル賞医学生理学賞を受賞した。免疫機能にはアクセルとブレーキを促すメカニズムがあり、免疫細胞の正常な活動にブレーキがかけられているために、がん細胞は増殖する。ブレーキの機能を停止させることにより、がん細胞を攻撃するリンパ球の活動性を賦活することができる。著者らはブレーキかけるPD-1を発見し、PD-1抗体を作り出した。
巻末には、著者のノーベル賞受賞晩餐会でのスピーチが掲載されている。
2d65c62dc97f4d8d8607fd44f76b8319がん免疫療法とは何か
本庶 佑
岩波新書
2019年

免疫反応とは、体内に入ってきたあるいは体内でできた非自己を見つけ出しやっつけてしまうことである。免疫反応は、抗体を産生するB細胞(Bリンパ球)と抗体の産生を助けたり感染細胞を直接殺すT細胞が(Tリンパ球)という二種類の細胞で起こる。

リンパ球は抗原に結合すると、結合したという信号が細胞の中に伝えられ分子のリン酸化が進み、そのリンパ球が分裂し他の免疫細胞を動員して初めて、免疫反応が成立するのである。したがって、この抗原認識後の反応の閾値の制御は、免疫応答にとって極めて重要である。
現在この閾値の制御に関わる分子として、いわゆるアクセルとブレーキの両方が存在する。ブレーキとしてはCTLA-4とPD-1、アクセルとしてはC-28とアイコス(ICOS)という分子が存在する。アクセルを操作する試みは長く行われたが成功しなかった。今日、最も有力な制御はブレーキの弱体化によるものである。
ブレーキをかけるタンパク質は、1987年にCTLA-4が見出され、著者たちが1992年にPD-1を発見した。

がん細胞は正常細胞の100倍から1千倍の頻度で、遺伝子に異変を蓄積していく。そのため、がん細胞が発現する非自己の抗原は1種類ではなく変化していく。1種類の新しい抗原をめがけた免疫療法では、新たな「新しい抗原」をもった細胞が生まれた場合には無効になってしまう。
これに対してブレーキ役を破壊することで、全ての免疫系のリンパ球、特にキラー・リンパ球(がん細胞を破壊できる能力を持つ。細胞障害性T細胞)を動員することができる。

2002~03年当時、がんの免疫療法の評判は悪かった。試みがことごとく失敗したからだという。著者たちは、1992年にPD-1を発見し、2002年に抗体を作ることに成功した。小野薬品にPD-1抗体の製品化を依頼し、小野薬品はアメリカのベンチャー・メダレックス社との共同開発で「オプジーボ(一般名ニボルマブ)」を作り上げた。オプジーボの臨床治験が始まったのが2006年である。日本で保険適応になったのが2014年である。

免疫ブレーキ停止法で、がん細胞の変化をどこまでも追いかけてやっつける力を持つことが可能になった。この治療法がすべてのがんに適応される日がやってくると著者は考えている。
PD-1抗体は10年以内にがん治療の第一選択薬となり、そのマーケットも年間数兆円の規模のものになると、多くの人が予測している。→人気ブログランキング
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ビタミンDとケトン食 最強のがん治療/古川健司/光文社新書/2019年
がん免疫療法とはなにか/本庶 佑/岩波新書/2019年
ケトン食ががんを消す/古川健司/光文社新書/2016年
がん光免疫治療の登場/永山悦子 小林久隆(協力) /青灯社/2017年
がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016年
がん幹細胞の謎にせまる/山崎裕人/ちくま新書/2015年

2019年5月23日 (木)

雲上雲下 朝井まかて

中央公論文芸賞を受賞作。
民話を題材としたファンタジー、話の山がいくつもある、大傑作だ。
主人公の草どんは森の奥にある原っぱにいる大きな草だ。草どんの葉にはとんがったギザギザがあるが先端は耳たぶのように丸みを帯びて柔らかい。その草どんに尻尾のちょんぎれた子狐が甘えて昔話をねだる。草どんは、どういうわけか子狐の巧みな誘導に応えてしまう。
草どんと子狐に、山姥が加わって話は進む。
Image_20201206090801雲上雲下(うんじょううんげ)
朝井まかて
徳間書店
2018年

草どんはおなじみの昔話を話す。
爺さんと婆さんが、餅作りをしていて団子が転がって鼠の穴に落ちた。その穴に入ると、伽藍があって天井裏で鬼たちが宴会を開いている。鬼たちがおいていった小判を、眩しいから持っていけと地蔵がいう。
婆さんは隣の意地悪爺婆に顛末を話した。ふたりは小判を手に入れようと団子を作って鼠穴に落とす。

子狐がまたもや果てしな話を催促する。
娘に開けるなといわれた箪笥の引き出しを若い衆が開けてしまう話。田螺の「粒」の出世話。竜宮の乙姫が病気になった話。貧乏寺が隆盛する話。小太郎の話は悲恋だ。
ずば抜けた身体能力をもつ小太郎の親が誰かわからない。小太郎の脇腹には光る鱗があり、水の中を自在に泳ぐことができる。旅籠に売られた初恋の相手を自由の身にして、理不尽な世間を見返してやろうとする。

山姥も子狐も身の上話をはじめるが、途中から草どんがふたりに代わって続きを語る。
山姥は喧嘩で負傷した子狐を助けたのだ。山姥らしからぬ過去が明らかになる。巻末では草どんの出自が明かされる。

母親からあるいは祖母から子どもに昔話が語られる古きよき習慣の衰退を嘆くというのが本書のテーマである。→人気ブログランキング

雲上雲下/朝井まかて/徳間書房/2018年
落陽/朝井まかて/祥伝社文庫/2019年
阿蘭陀西鶴/講談社文庫/2016年
胘(くらら)/新潮社/2016年
恋歌/朝井まかて/講談社文庫/2015年
すかたん/朝井まかて/講談社文庫/2014年

2019年5月21日 (火)

ケイレブ ハーバードのネイティブ・アメリカン ジェラルディン・ブルックス

アメリカ北東部マサチューセッツの小島に生まれた先住民ワンパノアグ族のケイレブ・チェーシャトゥーモークが、ハーバード大学に入学し卒業したという史実にアイデアを得て、著者は本書を書き上げた。
信仰の自由を求めて、清教徒がメイフラワー号でアメリカ大陸に到達したのは、1620年11月。舞台は、それから数10年が経過したマーサズ・ヴィニアード島である。島のインディアンの中にはキリスト教の洗礼を受ける者も出てきた。
主人公のベサイアの父はインディアンへの布教に尽力するキリスト教の牧師。
父がベサイヤに勉強を教えてくれたのは9歳までだった。それ以降は亡くなった母の代わりに家事をこなしながら、父が兄にラテン語やギリシャ語やヘブライ語を教えるのを、聞くことで知識を吸収していった。兄よりベサイアの方が覚えるのが圧倒的に早かった。聡明なベサイアはインディアンの言葉ワンパノアグ語を理解できたし話すこともできた。
56a320a20b7943a2a7e3fea04f3c1b03ケイレブ: ハーバードのネイティブ・アメリカン
ジェラルディン ブルックス
平凡社
2018年

ある日、ベサイアは愛馬に乗り海岸まで出かけて、インディアンの男の子と出会った。のちに、ベサイアがクレイブと名づけたそのインディアンは、ハマグリのたくさん採れるところや大きなグランベリーの実の成る木に案内してくれ、いろいろなことを教えてくれた。ベサイアはケイレブに英語を教えた。
ケイレブの男らしい屈託のない性格に惹かれ、ふたりは親友になった。

そのケイレブが家に住み込んで父親からラテン語やギリシャ語を習うことになった。
ケイレブの理解力と記憶力は抜群だった。
しかし、ベサイア一家を不幸が襲う。イギリスに渡ろうとした父の乗った船が嵐に襲われ、父は帰らぬ人となった。

ベサイアは選択を迫られる。兼ねてから求婚されている島の有力者の息子と結婚し島に残るか、兄やケイレブたちとボストンに出ていくかである。ベサイアは兄たちが通うラテン語学校を経営するコールレット先生の家で、小間使いとして年季奉公することになった。

小間使いの仕事をはじめて間もなく、総督の推薦でアンというインディアンの娘が寄宿することになった。利発なアンはラテン語の本をスラスラ読んだ。
ところが、妊娠していたアンは流産してしまう。ベサイアは島で助産婦について訓練していたので的確に行動した。アンの相手が誰かが問題となりケイレブたちが疑われたが、ベサイアはアンがここにくる前に妊娠していたことを確信していた。
アンは審問を受けることになり、ケイレブたちが相手とされ、さらにベサイアさえも災難が降りかかることになるだろう。
島に連れて行き、イギリス人と友好の深くないインディアンのグループに預かってもらうことにした。

ケイレブは順調に勉学に勤しみ、ハーバード大学の学長の口頭試問を難なくパスし、晴れて入学が許可される。
その後、差別やいじめで苦境に立たされるケイレブだが、毅然とした態度を貫きやがて級友たちの信頼を得るに至るのだった。

物語の最終章は、70歳のベサイアが自らの波瀾に満ちた半生を振り返る構成になっている。本書はケイレブの物語というよりも、それを見届けたベサイアの物語である。
現在、著者は本書の舞台であるマーサズ・ヴィニアード島に暮らしているという。→人気ブログランキング
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【ジュラルディン・ブルックスの作品】
ケイレブ  ハーバードのネイティブ・アメリカン』柴田ひさ子/平凡社/2018年
古書の来歴』森嶋マリ/武田ランダムハウスジャパン/2010年
マーチ家の父 もうひとつの若草物語』高山真由美/RHブックス・プラス/2012年

2019年5月14日 (火)

すかたん 朝井まかて

大坂の蔬菜を扱う老舗の青物問屋・河内屋を舞台に繰り広げられる人情物語。
著者の作品には植物が多く描かれる。『落陽』では明治神宮の人工林の建設を描いた。最新作『雲上雲下』には、巨大な草「草どん」が、語り部となって物語を進めている。デビュー作『花較べ 向嶋なずなや繁盛記』は、江戸の植木屋が舞台の話だ。著者は植物が大好きだそうだ。
登場人物のキャラが際立っていて、青野物問屋にかかわる人びとの生き様が見事に伝わってくる。
第3回 大阪ほんま本大賞受賞作。
Photo_20221106190401すかたん
朝井 まかて
講談社文庫
2014年

主人公の千里は江戸の饅頭屋の娘で、美濃の侍・三好数馬の妻となった。夫の数馬は大坂勤め1年で急死した。
千里の実家は嫂が取り仕切っていて、とても金を貸してくれと頼めず、江戸に帰ることもままならない。大坂で自活して金を貯め、江戸に帰るときに美濃の菩提寺に納骨された数馬に香華を手向けたい。それが千里の願いである。
千里は子どもと言い合いになって、またもや寺子屋の手習師匠を馘になった。3回目だ。おまけに住んでいる長屋に空き巣が入り金目のものはなくなり、家賃も払えなくなって路頭に迷う寸前に、青物問屋の若旦那・清太郎の口利きで、清太郎の実家である河内屋に上女中として住み込むことになる。上女中とは、お家さん志乃つきの女中である。仕事は志乃の身の回りの世話にはじまり、志乃が命令するすべてである。起きてから寝るまで休む暇はない。

清太郎は廓のある色町に入り浸って、酒ばかり飲んでいる。およそ世事には疎いが、自分が良かれと思ったことには猪突猛進して成しとげる愛すべきキャラクターなのだ。

初めて遣いに出た千里は、百姓のネギ売りが同心から咎められている場面に出くわす。千里はその百姓から大量の難波葱をもらって、翌朝の朝餉の味噌汁の具にしたことが、騒動の始まりだった。
清太郎はその百姓をとっちめると、千里にネギ売りがいた場所に案内させた。葱の不法販売の百姓は現れなかった。このことをきっかけに、逆に静太郎は百姓の立売の許可に動くことになり、それは取りも直さず、天満青物市場に喧嘩売ってるようなものだ。清太郎が難波村についていると知ったら、問屋連中は黙っていない。

青物問屋の集まりで、伊丹屋から清太郎が難波の百姓に手助けをしたことが告げられ、河内屋の当主・惣左衛門は窮地に立たされた。清太郎を廃嫡にすると息巻く。
惣左衛門は、青物問屋会の頭取を辞め、伊丹屋が後釜に座る。そして河内屋の売り上げは激減し、奉公人も辞めていき、あわや潰れそうになる。

伊藤若冲の「蕪」の絵を登場させるにくい演出は、河内屋にとって起死回生の逆転打への布石でもある。→人気ブログランキング
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雲上雲下/朝井まかて/徳間書房/2018年
落陽/朝井まかて/祥伝社文庫/2019年
阿蘭陀西鶴/講談社文庫/2016年
胘(くらら)/新潮社/2016年
恋歌/朝井まかて/講談社文庫/2015年
すかたん/朝井まかて/講談社文庫/2014年

2019年5月10日 (金)

帝国ホテル建築物語 植松三十里

外国人用の国営のホテルとして1890年(明治23年)に開業した帝国ホテルは、開業以来20年間、外国人に支配人を任せてきたが赤字続きだった。そこで、渋沢栄一と大倉喜八郎は林愛作を支配人に抜擢した。
本書は帝国ホテル・ライト館の建築に携わりライト館とともに生きた人びとを描いたヒューマンドラマである。

林は群馬県の農家の生まれ。13歳で横浜の煙草商に奉公に入り、同じ煙草商で財をなした村井吉兵衛に見込まれて19歳で渡米。その後ミス・リチャードソンという富豪の老婦人にも見込まれ、高等教育を受けた。そして古美術商の山中貞次郎氏と出会い、山中商会のニューヨーク支店に就職した。そこに建築家フランク・ロイド・ライトが来店した。
林はライトに日本で買った錦絵を見て欲しいと頼まれ、シカゴの自宅まで出かけていった。のちにライトは浮世絵収集家として有名になる。
林はニューヨークの上流社交界に顔が効く唯一の日本人となった。

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植松三十里
PHP研究所
2019年4月 ✳8

林は、1909年(明治42年)に帝国ホテルの支配人に就任した。
まずはホテルの中にランドリーを作り、列車の切符を買いに行くサービスを始め、郵便局を誘致する。ボタンが取れていたらランドリーでつける。製パン部門を開設し、日本人のパーティも積極的に引き受けた。新しいことをどんどん摂り入れ、わずか3年で黒字にしたのだ。

林は新館の設計者をライトに委託しようと考えた。
ライトは問題を抱えていた。施主の妻との不倫が公になり、さらにライトの自宅があるタリアセンで召使いによる殺人事件起きた。召使いは正気ではなく、ライトの内縁の妻、幼い2人の息子、4人の弟子に鉈で襲いかかり家に放火して殺した。ライトは外出中だった。事件の後、アメリカではライトの仕事がなくなった。

林はライトと1916年に契約を結んだものの、着工したのは1919年9月だった。着工が遅れたのは、新館の建築予定地に建つ内務省の建物の移転交渉が長引いたせいである。

ライトは使用する石材やレンガや調度品の選定に目を光らせ完璧主義を貫いた。ライトに全幅の信頼をおいていた林は、たび重なる工事のやり直しに目をつぶった。ライトの駄目出しに、現場の人間関係が悪くなり口論が絶えなくなることもしばしばあった。

1922年(大正11年)4月、隣接する初代帝国ホテルが失火し全焼すると、ライト館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトに経営陣はクレームをつけた。さらに当初の予算150万円が900万円に膨れ上がり、林は総支配人の座を追われ相談役に退いた。やがてライトも帰国した。
ライトの助手を務めていた遠藤新がライトの後釜となり、ライト館はなんとか落成にこぎつけた。

そして、1923年(大正12年)9月1日、林の代わりに支配人となった犬丸徹三のもとで、開館披露宴が行われようとするまさにその時、まるで呪われたかのように関東大震災に見舞われたのだ。
街全体が灰となったなかで帝国ホテルはビクともしなかったと、遠藤はライトに手紙を書いている。それは、ライトの名声を高めることとなった。

戦後はGHQの宿舎となり、東京オリンピックではプレスセンターになった。しかし利用者は古臭いとチェックアウトの時に口にしたという。
その後1968年に、取り壊され玄関部分が愛知県犬山市の明治村に移築されることになる。コンクリートと外壁が一体となっており、幾つかのブロックにしなければ、運搬できないという困難もあった。
ライト館は、1923年に落成し1968年に玄関部分が明治村に移築されるまで、わずか44年しか活躍していない。→人気ブログランキング

帝国ホテル建築物語/植松三十里/PHP研究所/2019年
帝国ホテル・ライト館の謎ー天才建築家と日本人たち/山口由美/集英社新書/2000年

2019年5月 7日 (火)

『倭人伝を読みなおす』森 浩一

ドナルド・キーンが瀬戸内寂聴との対談(『日本の美徳』)で、「日本人は『魏志倭人伝』にも書いてあるように、清潔で礼儀正しい」と語っていた。日本人の特性を語るのに『魏志倭人伝』を持ち出すのは恐れ入るが、『魏志倭人伝』にはいったい何が書かれているのか、俄然知りたくなった。それで手にとったのが本書。

『魏志倭人伝』という本があるわけではない。『三国志』の『魏志』『呉志』『蜀志』の三部作のうち、『魏志』の一部に倭人について書いてあるところが、倭人伝とされているのである。『三国志』は、陳寿というその時代に生きた人物が、3世紀の約60年間について書いた歴史書である。
東夷伝全体(夫与国、高句麗、東沃沮、?婁、?、辰韓、弁韓、馬韓、倭人)のなかで、倭人伝は最も字数が多く、2013字を費やして書かれている。つまり東夷の国のなかで、倭人は一目おかれていたのだ。

倭人伝を読みなおす (ちくま新書)
倭人伝を読みなおす
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森 浩一
ちくま新書
2010年 ✳6

なぜ陳寿は倭国伝とか倭伝としないで倭人伝というような日本列島の住人に対する通称を伝の名としたのか。国が分裂し抗争が続いていたので倭国伝とは書けず、倭人伝とするほかなかったのだろうという。
朝鮮半島の黄海側の帯方郡が倭人にとって重要な場所になる。倭人伝には帯方郡からの距離が日数で記されていて、帯方郡からの距離で国々の位置を推測している。

奴国は1世紀の中頃に単独で後漢に使者を送るほどの大国だった。倭人伝に記されている奴国はそれより200年ほど後の姿で、人口は2万戸あって北九州の女王国を構成する国の中で抜きん出た大国だった。
女王国とは九州北部の27国の総称で女王卑弥呼が君臨していた。中部九州には男王の君臨する狗奴国があった。女王国と狗奴国が対立し、243年ごろから戦争が起こった。

魏の倭人対策は、狗奴国と女王国とを一つにまとめて倭国とすることがあった節があるという。
倭が朝鮮半島の公孫氏勢力の帯方郡に属するようになった期間があった。
倭人伝の後半は、公孫氏勢力を滅ぼし帯方郡を掌握した魏との外交関係と、女王国と狗奴国との戦について書いている。

すでに魏の政府は卑弥呼を見限り、卑弥呼の大夫だった難升米を引き上げて女王国の代表と扱い、詔を下したり皇帝のしるしである黄幢も与えていた。
卑弥呼は247年かその翌年に死んだ。卑弥呼の死は自然死ではなく、倭国を分裂させた責任を取らされての自死であると見られる。

東遷を果たした台与は、奈良盆地南部に地名をとって邪馬台国というようになった。だが、ヤマトの発音を残しながらも、倭国の名を重視して漢字では倭の一字でヤマトに当てることが普通になったという。

倭人が清潔で礼儀正しいということは本書には触れられていない。

魏志倭人伝の謎を解く』渡邉義浩 中公新書 2012年
倭人伝を読みなおす』森 浩一 ちくま新書 2010年

2019年5月 4日 (土)

リバタリアニズム

リバタリアニズムとは、個人のもつ自由を最大限尊重し、政治的、社会的、経済的に自由を求める思想。政府の介入を極力排除し、自由と市場主義を徹底する。

自由至上主義や自由尊重主義と訳され、日本ではリバタリアンは「保守の一部」とみなされがちだが、湾岸戦争やイラク戦争には反対した。人工中絶や同性婚については国家が口を挟むべきことではないとする。
さらにレイシズムや(人種差別)ナショナリズムは個人を矮小化するとして否定し、マイノリティやLGBTへの差別に反対する。しかし、リバタリアニズムが裕福な白人男性の思想だというイメージは、人種差別に結びつきやすいことも事実であるとする。

2dbf1eb3a0c44868b4d7077b38143955リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義
渡辺 靖
中公新書
2019年

著者は、アメリカのリバタリアニズムの学生サークル、理論的支柱である学者やシンクタンクやリバタリアンの集会で取材を行っている。
リバタリアニズムといっても多種多様で、政府を必要としないとするアナキズムに近い考えや、果ては政府によるベーシックインカムの支給を支持する考えもある。
きわどいところでは、自己所有権の見地から、成人間の合意に基づく身体売買、売春や自己奴隷契約、臓器売買などを容認する傾向にある。

ユダヤ人思想家のハンナ・アーレントは、アメリカの独立こそは、社会のルールをめぐる権威づけを、王や宗教でなく、個人の契約に委ねることに成功した近代史上、唯一の事例としている。
君主や貴族による統治(保守主義)も、巨大な政府権力による統治(社会主義)もともに否定するのがアメリカの特徴である。ヨーロッパでは、保守主義、自由主義、社会主義という三すくみの対立軸によって政治空間が織りなされているが、アメリカでは保守もリベラルも自由主義を前提としている。
ピルグリムファーザーによるアメリカ建国の考え方が、リバタリアンに繋がるとする。
リバタリアンはアメリカだからこそ生まれた考え方だ。

政治的には、共和党と民主党の間にリバタリアン党が存在するが、リバタリアン党は大統領選挙のたびに得票率を伸ばしている。
リバタリアンから見たら、保護貿易主義をふりかざし、人種差別を助長する言動などをくり返すトランプ大統領はお話にならないが、アメリカ軍の派兵に反対の立場をとるトランプの方針はリバタリアンに受け入れられている。

中国にもリバタリアニズムを研究するグループが存在するが、日本にはまだないようだという。リバタリアニズムは保守や革新にとらわれない新しい政治思想である。
この考えがGAFAの暴走を許したのは間違いないだろう。→人気ブログランキング

アメリカン・デモクラシーの逆説/渡辺靖/岩波新書/2010年
リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義 /渡辺 靖/中公新書/2019年

2019年5月 1日 (水)

恋歌 朝井まかて

中島歌子は樋口一葉の和歌の師である。歌子が開いた歌塾「萩の舎(や)」は、最盛期には1000人の門人を擁し、門下生には樋口一葉のほか本書のもう一人の主人公である三宅花圃がいた。花圃は17歳のときに『藪の鶯』でデビューした小説家である。
晩年、歌子が病床に伏しているときに、花圃は歌子の書斎で手記をみつけた。手記には歌子の波乱万丈の半生が綴られていた。その手記を花圃と歌子の身の回りの世話をしている澄が、一緒に読むという形で話は進んでいく。

Image_20201220090601恋歌
朝井 まかて
講談社文庫 2015年

江戸の商家の娘として生まれた登世(のちの歌子)は、物怖じしない人を惹きつける陽気な娘だった。登世は水戸藩士の林忠左衛門以徳(もちのり)が、池田屋に泊まったときに一目惚れし、18歳で水戸に嫁ぐことになった。

時代は幕末、安政の大獄で尊皇攘夷派が弾圧され、水戸の浪士が井伊直弼を襲撃した桜田門外の変(1860年)が起こる。
水戸藩内は以徳の属する天狗党と諸生党に分かれ揉め事が耐えない。
1864年、尊皇攘夷を唱える天狗党が筑波山で蜂起した。幕府の弱腰に憤り、攘夷実行、横浜の断固鎖国、水戸藩主の首のすげ替えまで要求した。天狗党は幕府に反旗を翻す賊徒と見做され、諸生党の執拗な追跡に悲惨な運命をたどることになる。そして天狗党の妻子までが召捕らえられ牢獄に入れられた。
登世たちの2年近くに及ぶ獄中の生活は、凄惨を極めた。その描写は鬼気迫るものがある。

藩内の天狗党と諸生党の確執により殺し合いが繰り返され、2千人が死亡した。その結果、水戸藩には明治新政府に参加できる人材が残っていなかったという。

登世は中島歌子に名を変えた。歌子は歌の道に邁進していれば、以徳がきっと見つけてくれる、帰ってきてくれる、そう信じた。登世が獄中にいるときに、以徳が幕府軍の砲弾を受けて重傷を負って捕らえられ亡くなっていたことを知るのは、後のことである。

本作は、幕末の水戸藩の血を血で洗う悲惨すぎるドラマを女性を通して描いたことで成功し、第150回直木賞を受賞した。→人気ブログランキング

雲上雲下/朝井まかて/徳間書房/2018年
落陽/朝井まかて/祥伝社文庫/2019年
阿蘭陀西鶴/講談社文庫/2016年
胘(くらら)/新潮社/2016年
恋歌/朝井まかて/講談社文庫/2015年
すかたん/朝井まかて/講談社文庫/2014年

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