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2019年8月

『ブラック・サンデー』

ブラック・サンデー [DVD]
ブラック・サンデー [DVD]
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Black Sunday
監督:ジョン・フランケンハイマー
脚本:アーネスト・レーマン/ケネス・ロス/アイヴァン・モファット
原作:トマス・ハリス
音楽:ジョン・ウィリアムズ
アメリカ 1977年 143分

原作は、あのシリアルキラーのハンニバル・レクター博士を世に送り出したトマス・ハリスの同名小説。パレスチナ過激派「黒い9月」は、大義なき個人的理由によりアメリカに復讐しようとする男を利用して、多数の罪なき人々を殺戮しようとする。それを阻止するモサドプラスFBIの死闘が描かれている。
「黒い9月」は、ミュンヘンオリンピックの開催中の1972年9月に、選手村を襲撃し、イスラエル人選手を人質にして殺害した実在したテロ集団である。この人質事件は、スティーヴン・スピルバーグによって、映画化された(『ミュンヘン』2005年)。

ベイルートの「黒い9月」のアジトをモサドが襲撃する。その時、ガバコフ少佐はシャワーを浴びていた女闘士ダーリアを目の前にしながら殺さなかった。いままで殺し屋として何人も殺してきたはずなのに、なぜか引き金を引かなかった。痛恨のミスを犯したのだ。このことが後々、ガバコフたちが苦しめられる大量殺人テロ事件につながっていく。ダーリアは、もちろん「黒い9月」の主要メンバーだった。

無差別大量殺人をダーリアに提案したのは、ベトナム戦争で捕虜となったマイケル・ランダーである。4年間の屈辱的な捕虜生活を送ったあと、帰国した彼を待っていたのは、妻の裏切りと世間の冷たいた仕打ちだった。そして、マイケルは祖国アメリカに復讐しようと考えるようになった。
彼が思いついたのは、フットボールの最高峰、スーパーボウルのスタジアムでプラスチック爆弾を使った22万発のライフルダーツを発射しようというもの。スタジアムに集った大統領を含めた人間を飛行船で空から襲撃し、皆殺しを計画した。

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しかし国内でプラスチック爆弾を入手するのは困難で、マイケルは「黒い9月」の手を借りることにしたのだ。
大量殺人マシン・ライフルダーツを作製するマイケルに、ダーリアは何かと世話をする。

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一方、カバコフ少佐はアメリカ国内での「黒い9月」の不穏な動きを察知、正体不明の男の影を追ってアメリカに渡る。テロ集団が仕掛ける大量殺戮計画をモサドとFBIが阻止しようとする。
ここから、追う者と追われる者の死闘が展開される。

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飛行船を奪い取ったマイケルとダーリアはスタジアムにたどり着けるのか、ガバコフはライフル発射を阻止できるのか。手に汗を握る飛行船をめぐる攻防が繰り広げられる。

 

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1970年代以降、いつ大規模テロ事件が起こっても不思議ではない世界情勢で続いてきた

『カリ・モーラ』トマス・ハリス

舞台は移民に厳しい政策をとるトランプ政権下のアメリカ。
マイアミ・ビーチにコロンビアの元麻薬王の大邸宅が建っている。邸宅は遊び人や不動産の投機家たちが代わる代わるオーナーになり、秘密のパーティや映画撮影などの小道具がいまやガラクタとなって残されている。邸宅に3千万ドルの金塊が眠っているという情報をつかんだ悪党どもが跋扈する。


カリ・モーラ (新潮文庫)

カリ・モーラ
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トマス・ハリス/高見 浩
新潮文庫
2019年8月 ✳︎10
売り上げランキング: 3,101

カリの志望は獣医になること。 アメリカのハイスクール終了資格を取り、在宅介護の資格も取っている。医大の予科に通っていて、色々な仕事をしていて、いまは小動物保護センターの治療室の管理を任されている。なにしろトランプ政権だから、いつTPS(一次的滞在許可)を取り消されるやもしれないと移民たちは戦々恐々としている。

カリがコロンビアで反政府左翼ゲリラに拉致されたのは11歳のときだ。少女兵として訓練を受け16歳のときに、カリを暴行しようとした司令官の後頭部をライフルで撃ち抜き、部隊から脱走したのだ。
カリには俊敏な身のこなしやナイフや銃の使い方が身についている。

まずは、映画の撮影との触れ込みでハンス・ペーター・シュナイダーが手下をともなって、邸宅に乗り込んでくる。全身無毛のハンスは世界中に顧客を持つ臓器密売商で、金塊を手にした後に、カリを拉致して顧客に売りとばそうと企んでいる。なにしろ、ハンスは冷凍庫に両親を4日間閉じ込めカチカチに凍った塊を金槌で叩き割ったという経験がある。

一方、コロンビアで「十の鐘」泥棒学校を経営する犯罪組織を仕切るドン・エルストーネは、手下をつかってハンスを出し抜こうとする。

金塊の秘密の情報源は、コロンビアのバランキージャの病院に入院し、酸素マスクをつけて横たわっているヘスス・ビジャレアルだ。ヘススは情報を小出しにして両陣営から金を取ろうとしている。ヘススには悪徳弁護士のディエゴ・リーバがついていて、おこぼれをせしめようと、動き回っている。

邸宅内のハンスたちは床をくり抜いて、ドン・エルストーネたちは海から邸宅の地下に到達して、巨大な金庫を持ち出そうとするが、頑丈な金庫には爆破装置が仕掛けられていて、むやみに衝撃を加えたり開けたりすると邸宅ごと吹っ飛んでしまう。
さて、金塊は誰の手に渡るのか、またカリの運命やいかに。

本作は、ハリスの一連の作品『ブラック・サンデー』『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』『ハンニバル・レクター』博士・シリーズ の重くのしかかるようなストーリーとは、趣がまったく異なる。
カリが飼っているオウムや、マイアミに生息する鳥たちにページを割いていて、それが心和む雰囲気を醸し出している。
著者は、南国を舞台とするエルモア・レナードの作品を彷彿とさせる、新機軸を開拓した。

『渦 妹背山婦女庭訓魂結び』 大島真寿美

浄瑠璃の世界を、関西弁が馴染む独特のリズムの文体で、小気味よく描いた傑作。第161回(2019年上半期)直木賞受賞作。

主人公の近松半二(1725~1783年)は近松門左衛門と血の繋がりはない。半二の学者である父親・穂積以貫は、門佐衛門にぞっこんの浄瑠璃狂いだった
門佐衛門が亡くなったあと、以貫は幼い成章(半二)を連れて小屋通いをしていたものだから、成章は浄瑠璃にしか興味を持たなくなり勉学がおろそかになった。
そんな成章に、鬼のように厳しい母親の絹は、叱るを通り越して怒鳴り散らすし手も出した。


【第161回 直木賞受賞作】 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び
渦 妹背山婦女庭訓 魂結び
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大島 真寿美
文藝春秋 2019年3月 ✳10
売り上げランキング: 456

京から戻った半二は、竹本座の作者部屋に出入りし、意見を聞かれるようになる。人形遣いの頑固爺い・吉田文三郎が半二に、門左衛門の硯を持っているんなら、書かなきゃどうすると迫った。ところがその書いた物の出来ときたら惨憺たるものだった。

お末は兄の許嫁だったが、絹に強引に引き裂かれた。お末が嫁いだ京の酒屋を訪ねたあと、半二は俄然浄瑠璃に燃えてきた。役行者大峯桜(えんのぎょうじゃおおみねさくら)で、半二は浄瑠璃作家として世に出る。

道頓堀で客を呼べる人形遣いは吉田文三郎が当代一だ。文三郎の難儀な性格が周囲との軋轢を生んだ。文三郎は半二に竹本座を割って出るからついて来いと誘う。この話は座本によって阻止され、文三郎が追放されることになった。人形を取り上げられた文三郎はすぐに亡くなった。

歌舞伎の立作家・治蔵は、深淵を覗いてしまった。真っ黒な深淵がある日、蓋を開けるのである。その深淵はみてはならぬもの。深淵には獰猛な生き物がいる。目が合えばなにかしら差し出さなければならない。治蔵はそれから抜けださえなくなって酒に溺れたのだ。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの言葉を彷彿とさせる話だ。

半二の渾身の出来となったった妹背山婦人庭訓は、大化改新を舞台としたファンタジーアクション物。蘇我入鹿が大悪党で、お末をモデルにした三輪山のふもとの杉酒屋の娘お三輪を、主人公のひとりに据えた。半二の頭の中で、お三輪は婦女庭訓に対する女の不満を語る。

妹背山婦女庭訓の大当たりからから2年経つと、客はまた浄瑠璃から歌舞伎芝居に戻ってしまった。歌舞伎は人気役者が百花繚乱。その一方で、操歌舞伎では食っていくのがだんだん難しくなり、座を離れる者は後を絶たなかった。

近松門左衛門も吉田文三郎も、並木正三も半二も治蔵もみんな溶けて渦になって、拵(こしらえ)る。お互いがそれぞれの作品を、オマージュしたりトリビュートしたりして、でき上がる作品は渦を巻いてドロドロになっていく。道頓堀の渦の中から浄瑠璃や歌舞伎が生まれてきたというのがタイトルの意味するところだ。

『007 逆襲のトリガー』アンソニー・ホロヴィッツ

ゴールド・フィンガーを飛行機から放り出して事件の決着をみたあと、ボンドは味方についたプッシー・ガロアをアメリカから連れ出した。ガロアは、もともと犯罪組織を率いる名うての女盗賊である。Mはガロアを連れてきたことに難色を示している。


007 逆襲のトリガー (角川文庫)

007 逆襲のトリガー
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アンソニー・ホロヴィッツ/駒月雅子
角川文庫 2019年5月
✳︎10
売り上げランキング: 176,868

ボンドの次の仕事は、1週間後にドイツで開催されるカーレースでイギリスの英雄ランシー・スミスを、スメルシュ(ソビエト連邦政府の秘密組織)の魔の手から守ること。ボンドは、カーサーキットの所有者ローガン・フェアファックスからレーシングカー運転の特訓を受ける。レース前にガロアはボンドの前から姿を消し、アメリカに帰国した。

ボンドはレースが始まってすぐに、自ら運転するレーシングカーを刺客の車に接触させてクラッシュを引き起こし、刺客に重症の火傷を負わせた。こうして任務を全うした。ボンドは、レース会場でスメルシュの長官ウラジミール・ガスパノフ大佐とアメリカで最も裕福な韓国人とされるシン・ジェソンが会話を交わしているところを目撃し、きな臭いものを感じた。

レース後、シンの所有するブロンサルト城で、レーサーやレース関係者やレーサーを追い回すグルーピーを集めてのパーティが開かれた。パーティ会場を抜け出して、ボンドはシンの情報を盗み出そうと執務室に入り、ジェパティ・レーンと鉢合わせとなる。
ジェパティはアメリカ財務省に属する秘密捜査局の人間だった。机の上には米国のロケットや宇宙基地の写真が置かれていた。警備員に見つかり、城の屋上から極寒の湖に飛び込み、なんとか逃げおおせた。

時は、1957年、アイゼンハワー大統領時代だ。宇宙を制するものは世界を制すると言われた時代。ソ連がアメリカのロケット打ち上げに妨害工作をしようとしている。
打ち上げ後、不測の事態が生じたとき、ロケットを爆破するための非常ボタンを死の引き金(トリガー・モーティス)と呼んでいる。
おりしも、ヴァージニア州のワロップス島ではロケット発車の準備が着々と進められていた。

ボンドとジェパティはシンに捕らえられてしまい、シンからマンハッタン爆破計画を聞かされることになる。そしてロケット発射まで30時間と迫った。果たして、トリガー・モーティスは引かれるのか、ふたりはシンの魔の手から逃れることができるのか、はたまたマンハッタン爆破計画を阻止できるのか。

イアン・フレミング財団は、絶好の書き手に目をつけたものだ。
英国テレビ界で輝かしい業績を上げているホロヴィッツだから、イアン・フレミングの跡目にと、財団が白羽の矢を当てた。ホロヴィッツは世界的ベストセラー『カササギ殺人事件』の著者だ。さらに、シャーロック・ホームズ財団公認のホームズ・シリーズの長編を2編を書いている。

007 逆襲のトリガー/アンソニー・ホロヴィッツ/駒月雅子/角川文庫/2019年
カササギ殺人事件/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭/創元推理文庫/2018年

『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ

上巻には、世界各国でベストセラーになった名探偵アティカス・ピュントのシリーズ第9作目という設定で、作中ミステリの『カササギ殺人事件』が描かれている。

1955年、英国のサンクスビー・オン・エイヴォン村で、パイ屋敷の家政婦ブラキストン夫人が亡くなった。掃除機のコードが足に絡まり階段から落下し、首の骨を折った。警察は事故死と断定したが、住民たちは納得していない。
それは住民同士のしがらみが、住民たちに事故死ではなく殺人事件のはずだと確信させるからだ。
ブラキストン夫人が亡くなってから2週間後、パイ屋敷の持ち主サー・マグナスが飾り物の甲冑の剣で首を切断され殺された。

アティカス・ピュントは65歳、手術不能の脳腫瘍をわずらっている。ピュントの捜査により、村中の誰もが犯人でもありうる暗い過去が明らかにされる。


カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)

アンソニー・ホロヴィッツ
/山田蘭
売り上げランキング: 3,767

カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

創元推理文庫
2018年 ✳︎10
売り上げランキング: 3,876

下巻は、時制が現在となり、アティカス・ピュント・シリーズの担当編集者のスーザン・ライランドの視線で描かれる。
スーザンは、『カササギ殺人事件』の原稿を手にするが、最終の2〜3章が抜き取られていた。実際に本書の上巻は、事件は解決せず中途半端なままになっている。
冒頭で、スーザンが、まとめの形でマグナス殺害の犯人を推論する。各人物の犯人としてのとしての可能性をあげつらう。
そこで、「よーし、下巻を読むぞ」と俄然モチベーションが上がるのだ。

作者のアラン・コンウェイが自筆の遺書を残して、自宅の塔から飛び降り自殺をする。
自殺するはずがないアランがなぜ遺書を残したのか。スーザンの犯人探しが始まる。
そしてスーザンは、最終作とされる『カササギ殺人事件』を書くアランの真の目的を知ることになる。

作中ミステリの犯人探しと、アラン殺しの犯人探しという、フーダニットが別のフーダニットを包み込むダブル・フーダニットの設定で話は進んでいく。ふたつのストーリーは、絡み合いながら見事に整理され、齟齬はもちろんなく強引さもない。さらに最終の2〜3章が消えた理由はなんなのか。
本書が、数々の賞に輝き、大傑作と評価されていることに納得させられた。星10。

著者のアンソニー・ホロヴィッツは、シャーロック・ホームズ財団公認を受け、ホームズ・シリーズの長編作品『モリアティー』と『絹の家』を執筆している。さらに、イアン・フレミング財団にも公認され、『007 逆襲のトリガー』を書いている。
テレビの脚本も数多く手がける英国エンターテーメント界の至宝である。

007 逆襲のトリガー/アンソニー・ホロヴィッツ/駒月雅子/角川文庫/2019年
カササギ殺人事件/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭/創元推理文庫/2018年

『キレる!』中野信子

著者は、キレるを、手がつけられないくらい興奮して相手を罵倒するから、強く自己主張するくらいまでの広いスペクトラムでとらえている。
キレることは自分の存在感を示すことで決して悪いことではない。テレビの司会者や文化人や、政治やビジネスの世界で成功している人は、怒るべきときにきちんとキレることができる人だという。

キレる!: 脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」 (小学館新書)
中野 信子
小学館新書 2019年6月 ✳︎7
売り上げランキング: 1,225

瞬間湯沸かし器のようにすぐにキレたり、積もり積もった怒りが大爆発するキレ方は、損するキレ方である。得するキレ方は、自分の感情を素直に受け止め、できるだけストレスが小さくなるようなタイミングを逃さずキレる。伝えたいことを伝えたいタイミングで過不足ない熱量で表現する。

一方、言い返さない人はいじめの対象となる。キレない人は搾取される。社会で生き抜きサバイバルするためにも、上手にキレるスキルを身につけて欲しいという。

キレると、攻撃的なホルモンであるノルアドレナリンやアドレナリンが分泌される。
前頭葉はキレる自分を抑えたり、相手の気持ちを理解したり、自分の行動を決める理性を司るところ。
老人がキレ易いのは、前頭葉に働きが落ちて感情のコントロールができにくくなるため。怒りを抑制するブレーキがかかりにくくなる。
良いことは忘れてしまうが、危険なこと悪いことは身を守るために覚えている。疑い深くなるのはこの記憶の問題だという。

安心ホルモンであるセロトニンを分泌させるために、その材料となるトリプトファンを摂取するとよい。よく肉を食べている年配の方は健康だというが、それはトリプトファンを摂っているからだという。

キレる人との付き合い方としては、系統的脱感作法というのがある。はじめは会社の前まで行き、次には会社の中に入り、そしていよいよキレキャラの上司に、「スーツにホコリがついています」と声をかけて、肩についているホコリを払うロールプレイを練習して、トライするというもの。
あるいは、アンダードッグ効果を狙って、相手に踏み込まれたくない領域を示す。
キレる相手とは言葉尻を捉えてやりあわない。

「アサーション」とは、相手も尊重した上で、誠実に、対等に、自分の要望や意見を相手に伝えるコミュニケーションの方法論のことで、感情を伴うと言いづらくなる時への対処法として有効である。
アサーション・トレーニングのポイントは、わたしを主語にして相手のと摩擦を伝える。相手を主語にすると相手を責める表現になってしまうという。

『チョムスキーと言語脳科学』酒井邦嘉

ノーム・チョムスキーの提唱する言語理論は、コペルニクスの地動説やダーウィンの進化論やアインシュタインの相対性理論に匹敵するという。ただ残念なことに未だ確立されていない。

チョムスキーの説には2つの新しい点がある。それは、言語学という文系の分野に理系の発想を持ち込んだこと、人間には言葉を理解する秩序が生まれながらに備わっていることである。

チョムスキーと言語脳科学 (インターナショナル新書)
酒井 邦嘉
インターナショナル新書
2019年4月 ✳︎9
売り上げランキング: 15,078

チョムスキー以前の言語学は、実際に発語されたり書かれたりした文の集積データ(コーパス)の再現を目指したり、そこから累計パターンを抽出していた。人工知能で言語処理の主流になっているのは、コーパスを集めて統計的に分析することによって、次に現れそうな単語を予測して先読みさせる技術である。しかしこの手法には限界があるとする。

構造主義言語学は、表面的な構造を分類していくことで、文を外側から構造として捉えて分析しようとする。ところがチョムスキー理論では、文を生み出す(目に見えない)構造を内側から作ろうとした。奥底にある自然法則を探ろうとするから、サイエンスになるという。

「プラトンの問題」を説明できるかどうかが、言語理論として正しいかどうかの試金石になる。子どもは少ない言葉の刺激(「刺激の貧困」という)で聞たこともないような文を話せるようになる。オウム返しの模倣だけでは、そのようなことができるようになるとは考えにくい。そうした能力の問題提起を、「プラトンの問題」といい、古代ギリシャから現代に至るまで連綿と問われ続けてきた。

この問いに初めて答えたのがチョムスキーであった。生後間もない脳は決して白紙の状態ではなく、あらかじめ言葉の秩序、すなわち「普遍文法」が組み込まれていると考える。すると、刺激が貧困であっても言語の獲得が可能になり、見聞きしたことのない文まで生み出せるようになる。

チョムスキーはバラス・スキナーの著書『言語行動』に対して、批判論文を書いたことによりその名を広く知られるようになり、「言語生得説」を打ち立てることになった。スキナーの「行動主義心理学」は、人間が言葉を使うようになるのは外からの刺激の反応であり、後天的な学習の結果であるという。

1950年に誕生したチョムスキーの理論は、今なお誤解され非難に晒されている。
人間はコミュニケーションをとるために言語が発達したのではない。人間の言語は、進化の過程で、脳にたまたま「普遍文法」という働きが備わった結果、思考やコミュニケーションに使われるようになったにすぎないのである。チョムスキーが進化論を否定したというのは誤解である。

チョムスキーについての批判で、途中で何度も理論が変わるというものがあるが、チョムスキーは最初から究極の言語理論を作ろうとしたのではなく、その出発点と方向性をまず示して、自らの理論の開拓を行ってきた。

著者は文法中枢が脳内に存在することを、fMRIを用いた実証実験によって明らかにしようとする。著者は自分が生きている間にどこまで真理に近づけるかわからないが、チョムスキニー理論を信じて一つ一つ石を積んでいくと決意を述べる。

行動分析学入門ー人の行動の思いがけない理由/杉山尚子/集英社新書/2005年

『月人壮士(つきひとおとこ)』澤田瞳子

陰謀渦巻く宮中で繰り広げられる天皇の座をめぐる権力闘争と、凄まじいばかりの愛憎を描いた傑作。
王家の血に入り込んだ藤原氏の血への呪いがテーマである。

聖武天皇は藤原不比等の娘・宮子を母にもったため、まったき日嗣の王になれないと、藤原氏の血を呪う。妻の光明子も不比等の娘である。それまでは王家の血だけを引き継いだ皇族が天皇の座についていた。聖武天皇は藤原氏の呪縛を払拭するかのように、遷都を行い5年で還都し、唐から招聘した鑑真を重用し、国分寺・国分尼寺建立の詔を発し、巨大な盧遮那仏の建立を命じた。
周りの者には、聖武天皇の政(まつりごと)は行き当たりばったりに映っていた。

月人壮士 (単行本)
月人壮士
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澤田 瞳子
中央公論新社
2019年6月 ✳10

首(おびと 聖武天皇)さまが崩御され、後継者として皇太子には「道祖王(ふなどおう)たつるべし」と遺詔が下された。それは誰もが知っていることだったが、中務卿・藤原仲麻呂は「道祖王さまが皇統にふさわしいとは思えない」と異をとなえた。
なにしろ道祖王は純粋な王家の血を引いていて、藤原氏にとっては皇太子になって欲しくない人物である。
聖武天皇の後、帝の地位についたのは娘の孝謙天皇(安倍)だった。孝謙天皇の寵愛をよいことに仲麻呂はやりたい放題であった。

藤原氏の高位の人物が中臣継麻呂と道鏡に、首さまの真の遺詔を探るよう要請した。
ふたりが首さまを知る人物のもとを訪れ、独白してもらう形でストーリーは進み、首さまの苦悩や藤原氏と王家の天皇の座をめぐる争いを浮き彫りにする。
外来の仏教に遣える道鏡と、仏教と敵対してもおかしくない天照大神以来の神祇を司る中臣継麻呂を、インタビュアーに仕立てるあたりは憎いばかりの配役である。

そしてついに、孝謙天皇により道祖王は皇太子から引き摺り下ろされ廃太子となってしまう。道祖王の後釜の皇太子には藤原仲麻呂の義理の娘を娶ったばかりの大炊王がなった。

「天皇家は山、藤原氏をはじめとする氏族は海」という比喩が本作を貫くテーマであり、海の浸食をかわしながら天皇家は山のように盤石でなければならないと、再三語られる。

月人壮士(つきひとおとこ)/中央公論新社/2019年
落花/中央公論新社/2019年
秋萩の散る/徳間書店/2016年
師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録/徳間書店/2015年
ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録/徳間文庫/2016年
京都はんなり暮らし/徳間文庫/2015年
与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記/光文社/2015年
若冲/文藝春秋/2015年
満つる月の如し 仏師・定朝/徳間文庫/2014年
泣くな道真 ―太宰府の詩―/集英社文庫/2014年

『IQ2』ジョー・イデ

ジャケ買いしそうなくらい、表紙カバーのイラストの紫とピンクが魅力的だ。

前作『IQ』では、主人公アイゼイア・クィンタベイ(IQ)の聡明さと肉体の強靭さが強調されたが、本作では、ケガを負ったり叶わぬ恋に苦悩したりする。

さらに、ギャング達の生い立ちや、脇役達の背景や、事件解決のクライマックスに時期を同じくする相棒ドットソンの妻の出産が語られ、ストーリーに厚みを感じさせる

舞台は、黒人とヒスパニック系とアジア系が入り乱れて覇権争いを繰り広げているロサンゼルスの暗黒街。

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
IQ2
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ジョー・イデ/熊谷千寿
ハヤカワ文庫 2019年6月 ✳10
売り上げランキング: 7,564

8年前に、交通事故を装って殺された兄マーカスの元恋人サリタが現れて、異母妹ジャニーンのギャンブル依存をどうにかして欲しいと、アイゼイアに依頼する。サリタに淡い恋心を抱いていたアイゼイアは、相棒ドットソンと行動を開始する。
アイゼイアの解決しなければならないことは、ジャニーンをギャンブル依存から脱却させること、兄マーカスの死の真相を突き止めること。ふたつの事柄には繋がりはないが、アイゼイアの頭の中ではつながっている。

サリタとジャニーンの父親ケン・ヴァンは、中国系マフィア〈三合会〉の〈14K〉の下で働いている。サリタは黒人とヒスパニックの売春婦との間にできた子供だったが、聡明さと美貌を備えていた。サリタは優秀な成績でカリフォルニア大学を卒業し、スタンフォード大学ロースクールの奨学金を勝ち取った。その後ケンブリッジに留学し、今では弁護士として活躍している。
一方、ジャニーンに対してケンは良かれと思うことをすべて与えた。それがDJのベニーと付き合うようようになり、ベニーのギャンブル好きでふたりには借金まみれになっている。

高利貸しのレオには町中に密告屋がいる。密告者は借りている金の期限を伸ばしてもらうために仲間を売るのだ。レオの手下バルサザーは2メートルを超える巨漢。レオとバルサザーはベニーをゴミ収集所に連れて行って突き落とした。その後も返済しないベニーを追い回す。

ジャニーンは父親の携帯にUSBメモリーをつなぎ情報を盗んだ。その情報からジャニーンは父親が関わる〈三合会〉が人身売買や麻薬、誘拐など、ありとあらゆる悪事に手を染めていることを知ってしまう。
USBをベニーが持ち出し、中国人マフィア〈三号会〉を脅迫して金を得ようとするするつもりなのだ。
トミーはケンから情報が漏れたことに腹を立てケンを監禁し、そこに捕まったベニーが放り込まれる。

USBは追っ手からバイクで逃げるベニーを救おうと、追跡したアイゼイアの手に入る。USBと交換にケンとベニーの釈放を持ち出すが、トミーは応じず、魔の手はサリタにも及ぼうとする。

マーカスを轢いたのはメキシコ系ギャングであることを突き止めた。そして、マーカスのバックパックに、なぜ3千ドルの現金と16gのヘロインが入っていたのかの謎が解けるとき、殺害を命令した人物が明らかになる。

IQ2/ジョー・イデ/熊谷千寿/ハヤカワ・ミステリ文庫/2019年
IQ/ジョー・イデ/熊谷千寿/ハヤカワ・ミステリ文庫/2018年

『芥川賞ぜんぶ読む』菊池 良

芥川賞は84年の歴史があり、年に上半期と下半期の2回、選考される純文学の新人賞である。受賞者はいままで169人、作品は180冊に上る。著者は勤めていた会社を辞めて、1年間でそれらを読破し本書を書き上げたという。
純文学というカテゴリーは日本独特のもので、「娯楽性」よりも「芸術性」に重きをおく小説を総称する。芸術性を追求しているということだから、マジックレアリズムを駆使したり、SF的であったり、実験的な要素もありということだ。あるいは人生の究極の目的を追求したりもするから哲学的であったりもする。
ただし、芥川賞は長編はお断りである。

芥川賞ぜんぶ読む
芥川賞ぜんぶ読む
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菊池 良
宝島社 2019年6月 ✳9
売り上げランキング: 43,568

受賞者のなかには聞いたことのない作家が結構いる。芥川賞作家には一発屋が多いということかもしれない。
松本清張は『或る「小倉日記」伝』(1952年下半期)で芥川賞を獲っているが、その後の一連の作品はどう見ても直木賞作家のものである。『或る「小倉日記」伝』は、もともと直木賞の候補だったが、候補作の下読みをしていた永井龍男の助言で芥川賞に回されたという。
芥川賞を獲った後に娯楽性の高い作品を書いている作家はまだいる。五味康祐、吉行淳之介、宇能鴻一郎、田辺聖子などである。

ところで、本書の進行役として、コンビニ店員として働きながら小説家を目指す19歳の具田川龍子(くたがわりゅうこ)と、つのがいという名の漫画修行中の身で龍子の勤めるコンビニに通う男が、4コマ漫画に登場する。龍子が芥川賞を獲ろうと苦悩する様が描かれている。

既読は180中たった30作品だった。
それではなにを読むか。芥川賞では歴史小説はあまり受賞例がないというので、歴史小説の古い受賞作を読んでみようと、『平賀源内』(櫻田常久 1940年 下半期)を検索したところ、10万円以上する稀覯本になっていた。それは諦めて、わが家にある「芥川賞ぜんぶ読む」ことにしよう。とりあえず、『1R1分34秒』(町屋良平 2018年下半期)からだ。

「あらゆる時代にいい小説を書こうとしている人がいた」ということに感動した。というのが、本書を書き終えての著者の感想である。