ジャズの歴史 相倉久人
本書のキーワードは「クレオール」である。
クレオールとは、もともとはカリブ海の島々生まれのスペイン人や、ルイジアナ生まれのフランス人を指す言葉だった。その後アメリカ南部で白人と黒人と混血をいうようになり、その用法が定着した。
ジャズは1900年前後にニューオリンズで生まれた。黒人の持っていた音楽的センスと、かれらの主人であったスペイン人やフランス人がよく歌った民謡やダンス音楽の融合により生まれた。
ニューオリンズの歓楽街・ストーリーヴィルは隆盛を極め、多くの楽士たちが活躍した。
しかし、1917年、アメリカが世界大戦に参戦すると、軍によりストーリーヴィルの閉鎖が命じられ、ジャズメンたちは北上し、ジャズの中心はシカゴに移った。
1920年に禁酒法が施行されると、アル・カポネに支配されたシカゴでジャズは盛んに演奏された。1930年代に入るとアル・カポネが落ち目となり、禁酒法を無視して隆盛を極めるペンダーガストが支配するカンザス・シティにジャズマンたちは集まっていった。1937年に、ペンダーガストが脱税で刑務所に収監されると、カンザスはさびれ、ミュージシャンたちはニューヨークに流れていった。
―新書で入門―ジャズの歴史 相倉久人 新潮新書 2012年 |
シカゴには、サミー・デイヴィス・ジュニアがいた。白人のグループにはベニー・グッドマンが育ってきた。ニューヨークではデューク・エリントンが大楽団を形成した。
1934年、ナビスコをスポンサーとして、ラジオ番組「レッツ・ダンス」がベニー・グッドマンのオーケストラ演奏のテーマ曲によって全米向けに放送を開始した。スウィング時代のはじまりである。
カンザス・シティにはカウントベイシー・オーケストラが隆盛する。
ミントンズ・プレイ・ハウス(ニューヨーク)では専属バンドをおいて、あとは飛び入り自由というジャムセッション方式をウリとした。アルトサックスのチャーリー・パーカー、ピアノのセロニアス・モンク、トランペットのディジー・ガレスビーもここの常連だった。
ガレスビー、パーカーを急先鋒として疾走するその音楽は、バップと呼ばれた。
それまでの踊れるスウィングから、踊ろうにも踊れない小難しくてやたらテンポの早いバップ、踊る音楽から聴く音楽に変わった。
ガレスピー、パーカー、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、女性ボーカルのサラヴォーン、その後のモダンジャズの歩みに貢献した大物が何人も名を連ねている。
ロサンジェルス近郊を中心に50年代前半から中期にかけて西海岸一帯を賑あわせたのはウェストコースト・ジャズである。ハリウッドでサントラの仕事に就きやすいのは、白人だった。マイルスのクールジャズに比べてどこかポップな感じがした。クールというのはヴィブラートをつけない吹き方をいう。
一方、ニューヨークでのジャズはイースト・コースト・ジャズと呼ばれたり、ハードバップと呼ばれたりした。ハードバップが隆盛していく政治背景として、朝鮮戦争があった。1955年、チャーリー・パーカーが亡くなり、ある意味、ミュージシャンを束縛から解き放った。
50年代はモダンジャズの黄金期である。ハードバップの古典的名作の多くがこの時期に集中している。ジャズが世界的な広がりをみせた。1950年代から日本でもジャズ人気は上昇の一途をたどっていった。
コンサートの隆盛でファン層を拡大したハードバップは、教会調のゴスペルやワークソングといった黒人音楽と連携を深めていく。アート・ブレーキーらに代表されるそのスタイルはファンキー・ジャズと呼ばれるようになる。ファンキーとは泥まみれの労働で疲れ果てた黒人の臭いと関係のある表現である。
マイルスはアドリブで映画「死刑台のエレベーター」のBGMを吹いた。50年代を通して、シネ・ジャズが盛んに作られたジャズの人気が世界的なブームになった。
マイルスのモード奏法が、コルトレーン型フリー・ジャズの道を開くことになる。コルトレーンは、もっと自由で、モードに基づき、アフリカ的で東洋的で、西洋的要素の少ないものにしようと思った。アフリカ的なものと西洋的なものが産んだクレオール文化である。
60年代は、コルトレーンのフリー・ジャズの時代である。感性の爆発を伴わない持続が、聞き手をある種のトランス状態に導く。演奏時間は長くなり30分・1時間を超えるようになる。求道者として何かを追い求める気持ちと敬虔な祈りの姿勢が表裏一体となて霊の世界へ昇華する。
60年代、日本は、アート・ブレイキー・ジャズ・メッセンジャーのアルバム「モーニン」と、抱っこちゃん人形に象徴される「ファンキー・ブーム」であった。
1967年、コルトレーンが肝臓がんで亡くなると、フリー・ジャズは急に影が薄くなり、60年代に終焉を向かえた。
70年代に入ると、アメリカでのジャズの衰退をよそに、ヨーロッパの〈フリー・インプロヴィゼーション・ミュージック〉は、アメリカの〈フリー・ジャズ〉に比べるとそれほど人種問題を意識する必要も必然性もない。
モダン・ジャズ(バップからエレキトリック・マイルスの手前まで)神話の崩壊から10数年、ジャズの歴史そのものを失う危機に瀕した。
そんななか、ふたつの動きが出てきた、トランペットのウィントン・マルサリス提唱した新伝承派、ジャズをクラシックと並ぶ芸術音楽の本流に位置づけようとした。しかし教養主義的な上昇志向が災いしたのか、ブラック系ミュージシャンの共感がえられず不発に終わった。
スウィングやハード・バップ・リヴァイバルのような動きがあってそれはそそれでナツメロ企画として一定の成果をあげていた。→人気ブログランキング
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『生きているジャズ史』油井正一立東舎文庫 2016年
『現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』中山康樹 廣済堂新書 2014年
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