日本SF誕生 空想と科学の作家たち
1950年代、アメリカでは、後にSFと呼ばれる作品を書いた大御所たちが現れている。ロバート・A・ハイライン、アイザック・アスモフ、レイ・ブラッドベリー、A・E・ヴァン・ヴォークト、ポール・アンダースンなどである。
日本で、かつての空想科学小説からSFが新たに確立されたのは、1960年代の初頭である。当時、出版社には西部物とSFに関わると潰れるというジンクスがあったという。
日本SF誕生―空想と科学の作家たち 豊田有恒 勉誠出版 2019年 |
まだ一般には知られていなかったが、「ノストラダムスの大予言」が、SF仲間の間ではすでに話題になっていた。さらに、UFO、超能力などの超自然現象が当時の流行りであった。
星新一らが入会していた「日本空飛ぶ円盤研究会」(新井欣一主催 1955年発足)は、UFOを真面目に研究しようとする会で、三島由紀夫や石原慎太郎なども会員であったという。
1959年早川書房から『SFマガジン」が刊行された。スタート当時は、アメリカの『F&S(Fantasy & Science Fiction)』の日本版という形がとられた。早川書房は、『SFマガジン』の発刊の前に、1957年に探りを入れる意味で2冊の翻訳本(ジャック・フィニイ『盗まれた街』、カート・シオドマク『ドノヴァンの脳髄』)を出している。
福島正実は「SFの鬼」と呼ばれた怖い編集長だった。著者は『SFマガジン』の第1回空想科学コンテストに応募し、『時間砲計画』が佳作の3位に入選した。
鬼編集長からは、「豊田はアイデアはいいが、文章がからっきしダメだ」と言われた。
1962年は、日本のSF界にとって重大な転機となった。コンテスト受賞者の短編が『SFマガジン』に続々と掲載され始めた。
1963年、著者は平井和正原作のアニメ『エイトマン』の脚本を手がけた。翌年、手塚治虫に見込まれ、虫プロダクションの嘱託で、『鉄腕アトム』をはじめとするアニメのシナリオ手がけた。同年SF作家クラブが立ち上げられた。
その頃、矢野徹に同人誌『宇宙埃』に誘われる。
メンバーは、星新一、平井和正、広瀬正、光瀬龍、野田宏一郎、伊藤典夫、筒井康隆、眉村卓など。『宇宙塵』には熱心なSFファンも参加したという。
SF作家クラブの方針で、星新一と小松左京を一緒の車には乗せないということになった。ふたりが亡くなってしまうとSF界が全滅するというのが理由だったという。
SFはプロとアマの距離が近かった。最初のSF大会が目黒で開かれることになり、「メグコン」と名付けられ、180人が集まったという。
1970年には、大阪万博の機会に世界のSF作家を集めようというアイデアが小松左京から出され、8月に大阪で「第1回国際SFシンポジウム」が開かれた。ちなみに、第2回は2013年に、広島、大阪、名古屋、東京で日を変えて開催されている。
本書は著者の交友録として語られる、SF黎明期の記録である。→人気ブログランキング
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