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『銀河帝国は必要か? ロボットと人類の未来』稲葉振一郎

本書は、前半でSFの歴史を特にロボットや宇宙を扱った作品を中心に論じ、後半は、アイザック・アシモフの『銀河帝国興亡史』に解説を加えながら、AI倫理について触れ、とくにロボットの立ち位置から人間とどう向き合うを論じている。

ロボットについてのSFの歴史と現実のロボット開発の歴史とは、ずれを伴いながらも、互いに影響を及ぼしあっているという。古典的なSFは、ロボットや人工知能のありうべき未来として人間と同等かそれ以上の能力をもつ自律的な主体の到来を予測した。著者は現実ではそのようなことは起こらないという立場をとる。


銀河帝国は必要か? (ちくまプリマー新書)

銀河帝国は必要か?
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稲葉 振一郎
ちくまプリマー新書
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リチャード・ドーキンスの『利己的遺伝子』による「科学革命」により、生物は「自然発生した自律型のロボット」としてとらえられ、逆に自律型ロボットは「人為的に作られた擬似生物」として捉えることができるようになったという。
生物はゲノムのコピペであり、ロボットはプログラミングのコピペである。ドーキンスの説はふたつを結びつけるだろう。

1980年代における「サイバーパンク・ムーブメント」により、SFはポストヒューマンの世界に入ったという。代表的な作品は、ウイリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(1984年)、ブルース・スターリングの『スキズマトリックス』(1985年)、グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』(1985年)などである。

宇宙SFを変容させたのは、第一に、人間が人間のままで宇宙に進出することはできそうになく、第二に、宇宙に出かけて行ったところで他者に出会うことはありそうにないという気づきだった。この気づきを経て20世紀末以降のSFは、従来の人間の枠から逸脱したものへ変容することによって宇宙へ進出する人類を描かざるをえなくなっていった。いわゆるポストヒューマンのヴィジョンと重なり合うという。

『銀河帝国興亡史』の著者の要約をさらにスリムにすると、「銀河帝国の初期は、人間はロボットに依存して帝国の崩壊を乗り切り銀河を植民地化する。そうやって構築した銀河帝国も、のちに膨張しすぎ疲弊し自壊する。人間はその危機もなんとか乗り越える。しかし晩年、ロボットの自己消却後、人間の歴史を陰から庇護していたのは実はロボットであること、そのようなロボットはある意味すでに「人間」と呼べるものになっていることが明らかになる。そのことは人間たちには公にされない。つまり人間たちはすでに事実上ポストヒューマンであることを知らされないままなのである。晩期のアシモフ作品は、自己矛盾をかかえたポストヒューマンSFである」となる。

アシモフのロボット三原則の第1条は、「ロボットは人間に危害を加えてはならない」である。第2条は人間に服従、第3条は自己補修。
1条の原文は、ロボットも人間も単数である。つまり個人であり、複数の人が生命、安全が脅かされるような状況下では、人の命の間に優先順位をつける、ロボットには辛い選択が強いられると分析する。

ロボット三原則によって人間を守りそれに奉仕するように命じられ、かつその人間とは人類とは何かを、ロボットは自らの責任において判断しなければならないという立場に追い込まれる。
アシモフのロボット物語は現代の機械倫理学、ロボット倫理学、人工知能倫理学などの重要な主題を、1980年代の時点ですでに先取りしているとする。

『AI以後 変貌するテクノロジーの危機と希望』丸山俊一(編著)+NHK取材班  NHK出版新書  2019年10月
銀河帝国は必要か? ロボットと人類の未来』稲葉振一郎 ちくまプリマー新書 2019年9月
AI倫理 人工知能は「責任」を取れるのか』西垣 通 河島茂生 中公新書クラレ 2019年9月

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