生きる 乙川優三郎
解説を誰が担当しどう書くかは、文庫の価値を左右する重要な要素だ。雑誌の連載や単行本で作品が発表され、その本の評価がおよそ固まってから文庫は出版される。しかるべき解説者の解説とともに満を持して再登場するわけである。歴史時代小説の抜きん出て優れた解説者である縄田一男の文章を読んでみようと本書を手に取った。
『生きる』で、乙川優三郎は第127回(2002年上半期)直木賞を受賞した。縄田は直木賞受賞時の選考委員たちの評を載せている。縄田は自分の言葉だけで解説するより、歯に布を着せない感想を述べる選考委員たちの評を載せることで、より的確に本書の優れた点を伝えることができると判断したのだ。
「選考委員たちの選評も、心から優れた小説に出会う喜びを真率に表現しているように思えてならない」「これらの選評を一読してわかるように、各人の評自体が乙川優三郎に対する作品論、作家論の体裁を成している。近年、直木賞の選評が総体としてこれほどまでの高揚感を持って綴られたことは希有であった、といっていいのではあるまいか。」と書いている。
生きる 乙川優三郎 (Otokawa Yuuzaburou) 文春文庫 2005年 |
「生きる」
追腹が人間関係を軋ませる。
亡くなった城主の後を追う殉死者の数が多ければ多いほど、藩にとって名誉であるという風習が受け継がれていた。逆に殉死者が多ければ、藩にとって優秀な人物を失うことになり不利益をもたらす。追腹すべき時を逃し、苦境に立たされていく主人公の心理状態が手に取るように伝わってくる。
「安穏河原」
郡奉行を務めていた羽生素平は、筋を通し退身した。一家で、江戸に出てきて妻が病気になり、娘を身売りさせざるを得なくなった。素平は金を貯めては、無頼の男・織之助に金を渡し娘を買わせ娘の近況を報告させた。娘はどんな境遇にあっても、父の教え通り人としての誇りを忘れなかった。何年かのち、苦境にありながら誇りをもつ童女に、織之助は出会う。
「早梅記」
喜蔵は足軽の家から下働きの娘を雇った。しょうぶはよく働く娘だった。独身である喜藏は根も葉もない噂が立てられた。喜藏は奉行の娘と結婚することになり、しょうぶはなにも言わず出ていった。
喜藏は出世して家老になった。妻が亡くなり、老境に達した喜藏は散歩を趣味として日々を送っている。そんな時しょうぶと思われる老女に出会う。→人気ブログランキング
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