« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »

2020年11月

アデスタを吹く冷たい風 トマス・フラナガン

日本で独自に編まれた7篇から成る短篇集である。本書は、ハヤカワ・ミステリの復刻希望アンケート調査で、1998年と2003年に2度にわたって1位に輝いたという。いずれの作品も特異な設定でひねりを効かせた結末が用意されている。
最初の4篇には辣腕のテナント少佐が登場する。舞台はクーデターで生まれた共和国とは名ばかりの地中海沿いの軍事独裁国家。時代は1950年代だろう。オールタイムベストの常連作品。
Image_20201125092001アデスタを吹く冷たい風
トマス・フラナガン/宇野利泰
ハヤカワ文庫 2015年

アデスタを吹く冷たい風
風が吹き荒さび地面に根雪が残る中、闇を裂いてトラックがやってきた。運転する商人は葡萄酒をアデスタの町に運んでいると主張する。テナント少佐は商人が銃の密輸していると睨んでいる。強制的に荷台を調べるが、銃は見つからなかった。次は尻尾をつかんでやる。

獅子のたてがみ
テナント少佐はアメリカ人医師を暗殺させたことで審問官に審問されている。スパイ行為を働いた医師を大佐の命令で殺したという。大佐を部下たちは「獅子」と呼んでいる。テナント少佐は大佐に奪われた憲兵隊長の地位に復帰しようとしている。少佐は医師のスパイ行為が無実無根であると知っていた。少佐は中尉にライフルで自宅にいる医師を撃つよう命じた。そして暗殺は実行された。

良心の問題
ブレーマンが死んだ後、主治医は家に呼ばれたという。ピストルで殺されたブレーマンの腕にはナチの収容所で入れられた番号があった。犯人のフォン・ヘルツィッヒにも、刺青をそぎ取り植皮した跡があった。

国のしきたり
バドラン大尉の密輸取り締まりのの業績はめざましいものがあった。密輸を取り締まることで、経済の混乱を防ぎ、没収物質に加え罰金を徴収し、没収品の競売により国庫の収入になった。ジェネラルから異例の感状をさずかった。ところが2年目になると、密輸の情報が伝えられ、大尉が注意を払って監視を行うも、取り立てて成果が上がらないことが続いた。
そこで大佐とテナント少佐が掴んだ密輸の情報をバドラン大尉に知らせ、お手並みを見物するということになった。

もし君が陪審人ならば
弁護士は担当した被告が無罪になった殺人事件を皮肉屋の大学教授に話をする。
無謀にも被告の妻はセントラル公園を夜中に散歩するという癖があった。散歩中にナイフで刺されて殺された。それを若い男女が見ていて、公園から駆け出していく男が夫に似ていると証言した。そして過去に夫が被告となった妻殺しの事件が語られる。

うまくいったようだわ
夫人が夫を殺したと知り合いの弁護士に連絡した。心臓をめがけて2発撃ったから間違いなく死んでいると夫人はいう。陪審員の前に立つのは嫌だという。
強盗に襲われたことにすることにした。鍵やベッドに細工を加えた。弁護士はパトカーのサイレンに驚く。弁護士が鍵を壊しているときに、夫人が警察に連絡したのだ。

玉を懐いて罪あり
15世紀のイタリア。モンターニュ伯は、ボルジア家の家宝というべき名玉をフランス太公に献上することに決めたのだが、それをモンターニュ伯の部下の兵士が盗み去ったと太公の使者にいう。
モンターニュ伯はその盗む場面を見たであろう聾啞の男に、絵画による尋問を行う。→人気ブログランキング

眠狂四郎無頼控(一)

直木賞作家・柴田錬三郎の傑作『眠狂四郎無頼控』は、1956年(昭和31年)5月から『週刊新潮』に、毎週読み切りという短編連作の形で掲載された。翌 1957年に書籍化され、文庫は1960年に発刊され70刷を重ねている。超ロングセラーである。
眠狂四郎は、ころび伴天連と日本人女性との混血という生い立ちである。そういう出自のせいか虚無感漂う二枚目で、豊臣秀頼佩刀とされる「無想正宗」を帯び、眠りを誘う秘剣「円月殺法」により小気味いいくらいに悪人をばったばったと斬り捨てる。
Image_20201118154701眠狂四郎無頼控(一)
柴田錬三郎
新潮文庫
1960年

時代は1800年代前半、シーボルトが西洋医術を日本にもたらすかわりに、スパイ活動を行った頃だ。
江戸城内に権力をほしいままにしているのは、老中筆頭水野忠成である。将軍家斉とその生父一橋治済の殊寵を得ていて、他の閣僚は手の出しようがなかった。ところが昨年、水野越前守忠邦が、京都所司代・侍従より西丸老中に任じ、家斉の世子家慶の補佐役として登場するや、幕閣内には変化が現れはじめた。
この忠邦の江戸城登場を、水野忠成一統が看過するはずはない。こうして両陣営の暗闘が繰り広げられるのである。

水野忠成一統には、ご禁制の貿易により得た舶来品を賄賂としてばら撒き幕閣内を暗躍する廻船問屋越前屋、さらに越前屋と手を組んだ奥医師・室矢醇堂がいて、悪事に手を染めている。
一方、忠邦の側頭役・式部仙十郎は、眠狂四郎に情報を与えつつ後ろ盾となっている。という善と悪との対立が基本スキームである。

それぞれの章は次章への余韻を残しながら、眠狂四郎の円月殺法で悪を叩き斬って終わる。
早春のひな祭りにはじまり、四季折々の描写が挟み込まれるところも、本書の魅力である。美保代と静香というふたりの若い女性と狂四郎の絡みも見逃せない。また、昭和30年代を風刺する語句を歌い込んだ江戸の戯れ歌が登場するのは洒落ている。

解説は『沈黙』を書いた遠藤周作である。切支丹つながりかと思いきや、そのあたりのことは触れておらず、何しろ面白くて時代を先取りしていてインテリ向けだと書いていて、連載されていた頃、本作が大人気であったことをうかがわせる。

「雛の首」
眠狂四郎は賭場の壺振りの金八を伴って水野越前守の屋敷に乗り込んだ。間者である寵妾・美保代の部屋に忍び込み手篭めにした後、狂四郎が叫んでいる隙に、金八は雛を盗んだ。狂四郎と美保代は白州に引っ立てられる。狂四郎は水野忠邦に幕政の紊乱を質すよう進言し、将軍から忠邦が拝領した小直衣雛の首を刎ねる勇気があるやと迫る。忠邦は雛の首を刎ねる。狂四郎は美保代に矢を放った庭番を円月殺法で斬り捨てた。

「霧人亭異変」
狂四郎は水野越前守の屋敷で斬った庭番の家を訪ね、妹の静香に遺品の十字架を届けた。静香も隠れ切支丹であった。狂四郎はぜすすきりすと復活節の逮夜に、大奥付医師邸に忍び込む。地下室の板戸を蹴って開け、30名の衆徒の見守る中、まりあ観音をまっぷたつに斬った。そこにいた備前屋は、狂四郎の両親のどちらかが異人ではないかと指摘した。

「隠密の果て」
常磐津の師匠・文字若の家に金八が美保代を匿ってもらいにやってくる。越前守の側頭役式部仙十郎から頼まれたという。文字若は掏摸の先輩だった。賊が押し入り文字若を縛り上げ、美保代を刺し男雛の首が盗まれた。備前屋は隠れ伴天連を通じて外国からの珍品を手に入れ賄賂に使っていた。異国の香の匂いから賊が割り出され、狂四郎の円月殺法の餌食となる。

「踊る孤影」
狂四郎の生い立ちが語られる。

「毒と柔肌」
備前屋の魂胆は、狂四郎が持っている女雛の首を奪い男雛の首と揃えて、水野忠成に忠邦の弾劾の品として差し出せば、さぞや高く売れるだろうというもの。水野忠邦が実権を握った暁には、隠れ切支丹は根絶やしにされる。越前屋は静香に狂四郎に操を捧げる代わりに女雛を手に入れるよう説き伏せた。静香は狂四郎の寝ぐらとする貧乏寺で待っていた。

「禁苑の怪」
狂四郎が式部仙十郎に手渡した阿片は、奥医師・室矢醇堂を襲って薬箱を奪って手に入れたものである。西丸大奥に出没する白衣の幽霊と将軍家慶の四男・政之助の衰弱ぶりを、仙十郎は本丸老中水野忠成一統のめぐらした陰謀と睨んだ。狂四郎を送り込み事の解決を図ろうとする。

「修羅の道」
阿片と男雛の首を交換しようと、奥医師・室矢醇堂の屋敷に乗り込んだ狂四郎を待っていたのは備前屋が雇った13人の刺客であった。
一方、古寺の静香のもとに護衛者の喜平太が現れ、静香を当身で気を失わさせ連れ去ろうとする。狂四郎が現れ喜平太と一戦交えるが、そこに落水楼老人が現れ、静香を預かるという。狂四郎と静香はいとこ、落水楼老人はふたりの祖父にあたる。

「江戸っ子気質」
式部仙十郎は、水野忠邦の異母弟長谷川主馬を本丸老中側が自分たちに寝返らせようとしていることに気づいていた。主馬は吉原で酒浸りの日々を送っているという。狂四郎が主馬に辻斬りしてはどうかと声をかける。狂四郎が仕組んだ辻斬りの相手役になる掏摸が、主馬の懐の印籠を奪い敵方に操られていることを探ろうというもの。

「黒魔祭」
下腹部に黒い十字架が書かれた若い女性の遺体が川から2年続けて上がった。狂四郎は美保代に囮となるよう頼んだ。狂四郎の読み通り美保代は拉致され、かつて松平主水正、つまり狂四郎の祖父、の屋敷に連れ込まれた。狂四郎の出自が明らかになる。

「無想正宗」
狂四郎の愛刀の由来が描かれる。女の蝋人形の首を持ち帰った狂四郎を、むささびこと喜平太が襲う。

「源氏館の娘」
狂四郎は相模の源氏館と呼ばれる豪壮な館を訪れた。蝋人形の頭部に詰め込まれていた200枚の小判を包んでいた古紙に源氏館と書かれていたからだ。館の娘は小判の受け取りを拒否する。

「斬奸状」
男前の男が背後から斬り付けられ殺される事件が立て続けに起こった。死体には斬奸状が乗せてあり、斬ったのは眠狂四郎で、西丸老中水野越前守が浮華軽佻の世に対する警醒の為、命じられたと書かれていた。狂四郎は囮を仕掛ける。

「千両箱異聞」
廻米問屋駿河屋から用心棒の依頼がきた。徳川家を転覆させるための軍資金千両を奪うと脅迫状が舞い込んだという。狂四郎は用心棒を引き受けたが。。

「盲目円月殺法」
奥医師・室矢醇堂と妾が同衾のまま殺害され、小直衣雛の男雛の首が盗まれた。評定所留役勘定組頭の戸田隼人が男雛を持参して、静香に女雛の首を渡してほしいという。政権争奪の禍因を断てと命じられたという。狂四郎と隼人は剣を交える。

「仇討無常」
狂四郎は、親の仇を討ちたいと12歳の少年に声を掛けられ、詳細を母親に訊こうとするが断られる。狂四郎は宿敵・備前屋に仇討ちの設定を頼むのだった。

「切腹心中」
飲み屋に現れた武士は狂四郎に切腹の作法を訊ねた。調書を無くしたという。しかし調書の内容は、林肥後守に伝わっていた。その男小堀藤之進は切腹を申し出たが、許されなかった。狂四郎は調書紛失の真相を探る。

「処女侍」
料亭での喧嘩のあげく殺傷沙汰になり、奥津知太郎は身分が上の侍を斬り付けた。
狂四郎は知太郎に決して切腹するな、相手の傷が癒えてから果し合いを申し込むと言え。それまで出奔しろと知恵を授けた。許婚が知太郎の自害した父親の首を引っさげて相手の屋敷に乗り込む。

「嵐と宿敵」
むささび喜平太との一騎打ちが繰り広げられる。

「夜鷹の宿」
むささび喜平太に刺された肩の傷から破傷風にでもなったのだろうか。狂四郎は意識が遠のき震えが止まらなかった。夜鷹の住まいに転がり込む。

「因果街道」
宿で隣の部屋の若い男女の切羽詰まった話を聞く。臆病者の夫は仇討ちはひとりでは返り討ちにあうからと、色仕掛けを妻に促すのだが。。→人気ブログランキング

タウ・ゼロ  ポール・アンダースン

核戦争によって壊滅的に破壊された地球は、スウェーデンが最大の富裕国になった。第二の地球を求めて、先発隊として男女25名ずつが、宇宙船〈レオノーラ・クリスティーネ号〉に乗り込み、代替の地球になりうる「おとめ座ベータ星」に向かった。
ハードSFの金字塔、オールタイムベストの常連作品。
Photo_20201117140401 タウ・ゼロ
ポール・アンダースン /朝倉久志
創元SF文庫 1992年

まずは〈レオノーラ・クリスティーヌ号〉に搭載されている恒星間ラムジェット・エンジンについて説明しなければならない。SFファン待望の恒星間ラムジェット・エンジンは、1960年に、ロバート・ハザードにより考案された。現在ジェット・エンジンの一種として使われている。エンジン前部の吸入口から空気を吸い込んで、それを高速飛行による空気圧で圧縮して燃料の一部として使用する。ハザードのアイデアは宇宙空間に豊富にある水素原子を吸入口から取りこみ、核融合燃料として使用しようというものである。これによって宇宙船は、出発時に膨大な質量の燃料を積み込む必要がなくなる。ただし銀河系の外では物質の密度が低くなり、宇宙船の速度は上がらない可能性がある。

タウについても説明する。宇宙船の一定の速度をV、光の速度をCとすれば、タウは(1-V2乗/C2乗)の平方根になる。タウが少なくなるということは光速に近づくということである。つまりタウ・ゼロとは光速という意味だ。
ハードSFとは科学性が強い作品のこと。すでに用いられている科学技術や一般的に知られている知見に基づき、科学的・論理的に構成される。整合性のあるストーリーとして、納得しながら読むことができる。

乗組員は集団見合いの状態である。当然のことながら男女間や男同士のトラブルが起こる。寝取られたとか奪ったとか、痴話喧嘩が頻発する。登場人物たちはまるで舞台俳優のように振る舞い声を発する。

宇宙船に災難が降りかかったのは旅の3年目、星々から計算した時間では10年目に近づいたときだった。宇宙船は小星雲と衝突した。減速システムが破壊され減速できなくなった。船長以下乗組員の願いとは裏腹に、事故後、タウは未曾有の割合で減少していった。そして加速していった。

亜光速移動によるウラシマ効果で、乗員たちにとっての数年が、故郷の地球では年月が何万年も過ぎていく。何万年も過ぎてしまった地球に戻ることはできない。「おとめ座ベータ星」は諦めざるを得ない。宇宙船の中で宇宙の流浪の民になってしまうと、乗員たちは苦悩する。
未知の速度に達し、眠りが浅くなり不眠者が増え、トランキライザーの使用量が増えていく。

そして船内で厳しく禁止されていた妊娠者が現れた。犯罪である。しかし、今や船内に正気なものなどいないとすれば、生まれてくる赤ん坊は、希望の光となりうる。
解決策は、星間物質の希薄な星系を見つけて減速装置を修理し、移住可能な星を見つけるしかない。だが、そうしている間にも船の外では、何億年もの時間が過ぎ去っていくのである。→人気ブログランキング

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで(新装版) 溝口優司

南方起源の縄文人の後に、北方起源の弥生人が入ってきて、置換に近い混血をした結果、日本人は弥生人優位の現在のような姿形になった。

10万年以上前にアフリカを出た人類は、ヨーロッパ南部から中途にかけて住んでいたネアンデルタール人と交配した。アフリカ人の人を除く人々の遺伝子には、ネアンデルタール人由来のDNAが1~4%含まれている。
現代ヨーロッパ人の祖先と考えられているクロマニョン人は、ビタミンDを活性化する紫外線が必要であり、白くなっていった。
Image_20201111165801アフリカで誕生した人類が日本人になるまで

溝口優司
SB新書
2020年10月 ✳︎10

人々は6万〜5万年前までに東南アジアにたどり着き、その中の一部は、そこから北へ、別の一部は南東に向かった。南東に移動した人々は氷期にスンダランド(マレー半島、スマトラ、ジャワ、ボルネオなどの島)から、サフールランド(オーストラリア、ニュージーランド、タスマニなど)へと渡り、遅くとも3万年前頃までにオーストラリア南部に到達した。
スンダランドの人々の子孫がたどり着いた。縄文人の祖先とオーストラリア先住民の祖先は類似している。
海を越えて移動が起こるのは、氷河期で今より海面が100メートルほど低く、陸続きになっていたところがあったからだ。

北に移動した人々は、シベリア、北東アジア、日本列島、琉球諸島を含む南西諸島などに拡散した。日本列島と琉球諸島には4万〜3万年前ごろまでに到達し、日本列島に上陸した人々は縄文人の先祖となった。琉球諸島に上陸した人は港川人の祖先になった。

北東アジアに進んだ人の中には、沿海州からサハリンを抜け、北海道に渡った人たちがいたかもしれない。
シベリアに向かった人々は、遅くとも2万年前ごろまでにはバイカル湖付近に到着し、寒冷地適応して、北方アジア人の特徴を獲得した。この集団はその後南下し、3000年前頃までには中国東北部、朝鮮半島、黄河領域、江南地域などに住み着いた。この中国東北部から江南地域にかけて住んでた人々の一部が、縄文時代の終わり頃に朝鮮半島経緯で西日本に渡来し日本列島に拡散していった。

日本列島には南方起源の縄文人の後に、北方起源の弥生人が入ってきて、置換に近い混血をした結果、日本人は現在のような姿形になった。
弥生人が縄文人に置き換わった理由は、狩猟採取民と農耕民では、人口増加率が著しく異なる。人口増加率は農耕民の方がはるかに高かった。→人気ブログランキング

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司 /SB新書/2020年
サピエンス異変-新たな時代人新世の衝撃/ヴァイバー・クリガン=リード/ 水谷淳・鍛原多惠子/飛鳥新社/2018年
絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたか/更科功/NHK出版新書/2018年
爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った/更科功/新潮新書/2016年
サピエンスはどこへ行く

感染症の日本史 磯田道史

これまで人間に感染するコロナウイルスは4種類だったが、SARSとMERSが加わり、そこに新型コロナが入り、7種類になった。
ヒト・コロナウイルスがはじめて出現したのは、紀元前8000年という説が有力。農耕革命と定住化により、西アジアで、羊や山羊、豚の飼育がはじまった頃である。異種間伝播によると考えられる。

パンデミックはマクロとミクロの視点でアプローチしてこそ、本当の姿がわかるという。そこで著者は日記に目をつけた。
Photo_20201104141901 感染症の日本史
磯田道史 (Isoda Michihumi
文春新書
2020年9月 ✳8

著者は、スペイン風邪と当時の政局を克明に綴った『原敬日記』で読み解く。
スペイン風邪は3波まであった。第1波は、1918年(大正7年)5月から7月にかけて。死者は出ていない。原敬は、同年9月に第19代内閣総理大臣になった。第2波は、同年10月から翌年5月まで、26.6万人の死者が出た。原敬は第2波の流行感冒に罹った。第3波は、1919年の12月から翌年5月ごろまで、死者は18.7万人。
ここから得られる教訓は、ウイルスによるパンデミックは、年単位で再流行する可能性があるということ。戦争よりもパンデミックによる死者の数の方が圧倒的に多いことがわかる。
『原敬日記』は、1975年(明治8年)から死の1921年(大正10年)11月4日まで書かれている。大正天皇が風邪をひいたという記載があり原敬の盟友・山県有朋は重体になった。皇太子(昭和天皇)も秩父宮もスペイン風邪に罹った。

続いて、スペイン風邪に翻弄された、歌人や小説家のエピソード。
与謝野晶子は11人の子供がいたが、その全員がスペイン風邪に罹患した。晶子は政府の後手に回った無策ぶりを、1918年11月10日付の『横浜貿易新報』で批判している。

永井荷風は、2度インフルエンザに罹ったことを『断腸亭日乗』に書いている。2度目の感染で亡くなった。

志賀直哉はインフルエンザ小説『流行感冒』を書いた。
1919年3月、36歳の志賀は3年前に生れたばかりの長女を亡くし、2年前に次女が生まれ、その年に生まれた長男も出生直後に亡くした。千葉県の我孫子に住んでいた志賀親子の女中が、嘘をついて夜芝居に出かけてしまう。志賀自身がインフルエンザにかかり、家にきた植木屋にうつされたものだった。志賀は、女中に夜芝居に出かけてはいけないと言い渡し自粛警察めいた行動をとったことを反省している。

宮沢賢治の妹トシが東京でインフルエンザに罹り、帰郷して花巻女子高等学校で教鞭をとった。その後、結核で倒れ、24歳の若さでで永眠する。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」というフレーズが有名な「永訣の朝」は、トシの死の日に書かれた。

歌人で医師の斎藤茂吉が長崎医学専門学校教授に就任したときに、スペイン風邪に罹かり、1か月以上床に伏したという。→人気ブログランキング

感染症の日本史/磯田道史/文春新書/2020年
新型コロナVS中国14億人/浦上早苗/小学館新書/2020年
コロナの時代の僕ら/パオロ・ジョルダーノ/飯田亮介/早川書房/2020年
感染症の世界史/石井弘之/角川ソフィア文庫/2018年
ウイルスは生きている/中屋敷均/講談社現代新書/2016年
ナニワ・モンスター/海堂尊/新潮文庫/2014年
首都感染/高嶋哲夫/講談社文庫/2013年
復活の日/小松左京/角川文庫/1975年
ペスト/アルベール・カミュ/宮崎嶺雄/1969年

« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »

2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ