感染症の日本史 磯田道史
これまで人間に感染するコロナウイルスは4種類だったが、SARSとMERSが加わり、そこに新型コロナが入り、7種類になった。
ヒト・コロナウイルスがはじめて出現したのは、紀元前8000年という説が有力。農耕革命と定住化により、西アジアで、羊や山羊、豚の飼育がはじまった頃である。異種間伝播によると考えられる。
パンデミックはマクロとミクロの視点でアプローチしてこそ、本当の姿がわかるという。そこで著者は日記に目をつけた。
感染症の日本史 磯田道史 (Isoda Michihumi) 文春新書 2020年9月 ✳8 |
著者は、スペイン風邪と当時の政局を克明に綴った『原敬日記』で読み解く。
スペイン風邪は3波まであった。第1波は、1918年(大正7年)5月から7月にかけて。死者は出ていない。原敬は、同年9月に第19代内閣総理大臣になった。第2波は、同年10月から翌年5月まで、26.6万人の死者が出た。原敬は第2波の流行感冒に罹った。第3波は、1919年の12月から翌年5月ごろまで、死者は18.7万人。
ここから得られる教訓は、ウイルスによるパンデミックは、年単位で再流行する可能性があるということ。戦争よりもパンデミックによる死者の数の方が圧倒的に多いことがわかる。
『原敬日記』は、1975年(明治8年)から死の1921年(大正10年)11月4日まで書かれている。大正天皇が風邪をひいたという記載があり原敬の盟友・山県有朋は重体になった。皇太子(昭和天皇)も秩父宮もスペイン風邪に罹った。
続いて、スペイン風邪に翻弄された、歌人や小説家のエピソード。
与謝野晶子は11人の子供がいたが、その全員がスペイン風邪に罹患した。晶子は政府の後手に回った無策ぶりを、1918年11月10日付の『横浜貿易新報』で批判している。
永井荷風は、2度インフルエンザに罹ったことを『断腸亭日乗』に書いている。2度目の感染で亡くなった。
志賀直哉はインフルエンザ小説『流行感冒』を書いた。
1919年3月、36歳の志賀は3年前に生れたばかりの長女を亡くし、2年前に次女が生まれ、その年に生まれた長男も出生直後に亡くした。千葉県の我孫子に住んでいた志賀親子の女中が、嘘をついて夜芝居に出かけてしまう。志賀自身がインフルエンザにかかり、家にきた植木屋にうつされたものだった。志賀は、女中に夜芝居に出かけてはいけないと言い渡し自粛警察めいた行動をとったことを反省している。
宮沢賢治の妹トシが東京でインフルエンザに罹り、帰郷して花巻女子高等学校で教鞭をとった。その後、結核で倒れ、24歳の若さでで永眠する。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」というフレーズが有名な「永訣の朝」は、トシの死の日に書かれた。
歌人で医師の斎藤茂吉が長崎医学専門学校教授に就任したときに、スペイン風邪に罹かり、1か月以上床に伏したという。→人気ブログランキング
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