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現代日本を読むーノンフィクションの名作・問題作

大宅壮一ノンフィクション賞は1970年に創設された。本書は大宅壮一ノンフィクション賞受賞作を中心に解説している。
ニュースは事実を伝える。小説は作者の内面から出てくるものを伝える。ノンフィクションはその中間にあるという。ニュースに近くなれば無味乾燥な情報でしかなくなるし、小説に近づき過ぎれば作り手の主観が入りすぎるものとなってしまう。
ノンフィクションの話題作をみれば、その時代が見えてくる。
Photo_20210217082201現代日本を読むーノンフィクションの名作・問題作
武田徹
中公新書
2020年

水俣病を世に知らしめた『苦海浄土』を書いた石牟礼道子は、第1回(1970年)の大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退した。その理由は「一人でいただく賞ではない。水俣病で死んでいった人々や今なお苦しんでいる患者がいたからこそ書くことができた。わたしには晴れがましいことなど似合わないので断る」というもの。
『苦海浄土』は著者の聞き書きと捉えられていたが、実際は創作であった。著者はこの作品がノンフィクションの賞に値するか自信が持てなかったのではないかと、分析する。
『苦海浄土』が連載された同人誌の編集長であった渡辺京二は、『苦海浄土』は私小説であるといっている。ところが、『苦海浄土』は公害告発本として祭り上げられた。石牟礼道子は賞を辞退したことにより、住民たちが見たもの、感じたことを自分の内面を経由してリアルなものとして、描く特権を認められたのだという。

第2回(1971年)受賞作は、イザヤ・ペンダサンの『日本人とユダヤ人』。
最初は外務省で読まれ、次に通産省や大蔵省に飛び火した。出版社は山本七平が運営する零細の山本書店だった。初版2500部だったが、最終的には角川文庫を含めて300万のベストセラーになった。
この後イザヤ・ペンダサンは、朝日新聞の本多勝一と誌上で激論を交わすことになる。
この論争を機に、イザヤ・ペンダサンの正体を暴く動きが加速する。イザヤ・ペンダサンは山本七平であると正体が明らかになっても、山本七平は自ら名乗らなかった。

1979年、沢木耕太郎の『テロルの決算』が大宅壮一賞を受賞した。『テロルの決算』は公安にマークされていた右翼活動家山口二也が、1960年10月12日に社会党委員長浅沼稲二郎を暗殺した事件を扱ったものである。
ニュージャーナリズムについて、ノンフィクションライターを自認する沢木耕太郎は、①《全体への意志》と、細部の持つ面白さを起爆剤として物語を推進させる。②《細部への執着》の2点にある。
アメリカでは「ニュージャーナリズムは見てきたような嘘を書く」といわれた。語り手が物語の外にいて、登場人物が三人称に描かれるのが、ニュージャーナリズムの文体である。

ノンフィクションとジェンダーの章では、『誰も書かなかったソ連」(鈴木俊子)『淋しいアメリカ人』桐島洋子、『なんで英語やるの?』中津燎子、『私を抱いてそしてキスをして』家田荘子、『プロレス少女伝説』井上真木子、が紹介されている。

『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺一史、2004年受賞)は、進行性筋ジストロフィーの患者が、バナナを食べたいと言った時に、ボランティアの介護者がつぶやいた言葉がタイトルになっている。ボランティアも筆者もこのカリスマ的な病人の暴君ぶりに振り回される。そして読み終わると介護のノウハウを体験できる「ビルドゥングスロマン(教養小説)」であるとする。

そして相反するアカデミズムとジャーナリズムについて言及する。アカデミズム界の住人が、俗に流れがちなマスコミ関係者を見下し、逆にジャーナリズム側ではアカデミズムの人々の世間離れを嘲笑することが繰り返されている。

『美しい顔』(北条裕子)は、2018年に群像新人文学賞を受賞したが、厳しい非難にさらされた。『美しい顔』は創作小説である。 高校生の頃、準ミスに選ばれたことがある私は、震災で母が行方不明になり、母を探す娘としてマスコミの注目を浴びる。そして母が下半身を失い、顔を半分無くした姿で発見されるが、化粧を施され美しかったという内容だ。
他の作品からの転用があり盗用疑惑が持ち上がり、セーフかアウトかが微妙な作品である。
『救急精神病棟』(野村進)も、ノンフィクションかフィクションかが問題となる。書き手の意志と読み手の受け取り方による。

〈『捏造の科学』は犯人探しを焦るのではなく、構造的な問題の究明に重点置くことになった。事実を淡々と追うのではなく、そこにあった人々とのさまざまな関わりを総合してゆくことで先端科学の世界の全体像を描き出す。こうして"事件"を契機に科学報道から科学フィクションへと筆を進めた〉という須田桃子の姿勢は、犯人が確定していない事件の的を射た描き方だとする。

著者はあとがきのなかで、〈物語を構想するノンフィクションの想像力は、ジャーナリズムの事実的な文章に文脈を与える。ストレートニュースであれば、孤発例としか思えなかった断片的な事実が、長い時間、広い空間のなかでつながりを得て、ひとつの事件の全体像を作り上げる。こうして断片的ではない出来事、事件、人物そのものと対面できる。それは紛れもなくノンフィクションの最大の魅力であろう。〉と、書いている。→人気ブログランキング

現代日本を読むーノンフィクションの名作・問題作/武田徹/中公新書/2020年
女帝 小池百合子/石井妙子/文藝春秋/2020年
チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学/小川さやか/春秋社 /2020年
合成生物学の衝撃/須田 桃子/文藝春秋/2018年

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