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2021年3月 9日 (火)

書きたい人のためのミステリ入門

著者は20年近く新人賞の下読みをしてきた。何百本という応募原稿を読んできて、「惜しいなーもう少し面白くできたはずなのに」と思うことがよくあったという。それはミステリ的お約束を踏まえていないことに起因する。ミステリは暗黙の了解が多いジャンルだという。そのお約束を、書く側だけでなく読む側の人にも知って欲しいという。ミステリの基礎体力が付けば、どこが新しいか、どこが凄いかが見えてくるという。本書はミステリの書き方を手取り足取り教えてくれる。
Photo_20210309121001書きたい人のためのミステリ入門
新井久幸
新潮新書
2020年 ✳︎10

ミステリの三つの要素は、「謎」「伏線」「論理的解決」。
できるだけ冒頭で物語の謎が示されるべきだという。
論理的解決に重きをおかれたのが、本各ミステリである。島田荘司は「本格ミステリー論」(『本格ミステリー宣言』所収)のなかで、「吸引力のある『美しい謎』が初段階で必ず必要」であり、美しい謎とは幻想味ある・強烈な魅力を要する謎で「詩美性のある謎と言い換えてもいよい、と述べた。
幻想味に関しては、ミステリのセンスから外れない限り、とんでもないものであればあるほどよい。日常的常識レベルから、理解不可能であればるほど望ましい、とする。一方、解決の論理性に関しては、徹底した客観性、万人性、日常性のあるものが望ましい。本格ミステリーとは、この両者に生じる格差もしくはそこに現れる段差の美に酔うための小説であるとある。すべてのミステリに敷衍できる。

伏線は映像として印象に残らなければならないという。伏線はダブルミーニングであることが望ましい。伏線は堂々とはって構わない。応募作品を見ていると、おっかなびっくり伏線を張ってることが多いという。読者が推理できるように印象的な手がかりを置き、解決の段になって、「ああそうだったのか。そういえば、書いてあった」と思わせてこその伏線である。
『シャーロックホームズの冒険』のなかの『唇のねじれた男』『まだらの紐』のネタを知った上で読んでみると伏線が敷かれていることがわかるという。

普段の読書で単に面白かったつまらなかったで終わらせず、どうして面白いと思ったのかどうしたらもっと面白くなるのか、突っ込んで考える癖をつける。
ミステリにおけるフェアとアンフェアの問題は『アクロイド殺し』で有名だが、大前提は地の文で嘘を吐いてはいけないということ。
文章は、一人称と三人称があり、さらに三人称多視点、神視点がある。視点のぶれには気をつける。

小説を書くときに、補助線を引くことが大切ある。
補助線とは、すでに手に入れている手掛かりに、なんらかのきっかけで別の見方や解釈が加わることで、本当の意味がわかり、全体像が見えてくることをいう。

一本のストーリーラインで語られる一つの謎を、長編として飽きずに最後まで読ませるには、相当な工夫が必要になる。閉鎖空間、少人数で語られるような物語は、そのワンシチュエーションではとても長編は持たせられない。だから各人の事情であったり、外界との接触であったり、過去のカットバックであったり、時に犯人と思しき人物のモノローグなどを入れて、読み味に変化を与えていく。そういった眼で、長編を読み返してみる。

リアルとは、作品世界に乱れがなければ、どんなに現実離れした物語でも、読者は寄り添って読むことができる。その乱れなき世界を構築することが、世界を作ることであり、読者の心をつかむことにつながる。

一貫した人物像の構築が人間を書くことの基本である。
書く前に登場人物の履歴書を作っておくという作家もいる。子供の頃から、どこでどういう経験を重ねて大人になったかまで、書く予定のないこと含めて可能な限り準備しておく。

書き過ぎないことも大切、読者が斟酌する余地を残しておく。
ともかく最後まで書ききる。うまい文章は書かなくていい。わかりやすい文章が求められる。文章は後でうまくなるという。→人気ブログランキング

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