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2021年11月

2021年11月22日 (月)

凍える牙 乃南アサ

著者は本書で直木賞(1996年7月)を受賞した。
今からおよそ30年前、当時はほとんどジェンダーについて意識が払われていない時代だった。警察署という圧倒的な男性優位の職場で、バツイチの女性が窮屈で不愉快な思いを強いられながら奮闘する姿が描かれている。
547fa4e2725d4f8baae87a9fa149ab5e凍える牙 女刑事 音道貴子
乃南アサ
新潮文庫
2000年

1月の冷える深夜に、ファミリーレストランで客が突然炎に包まれ亡くなった。火は1階から上に広がり、6階建てのビルを飲み込んだ。警視庁立川中央署の滝沢保は火災現場に覆面パトカーで向かった。ベルトのバックルから発火したとなれば、相当に手の込んだ他殺だ。死者1名、負傷者22名。

特別捜査本部が設置され、機捜隊に属する主人公の音道貴子は捜査班への編入を命じられた。捜査本部の規模は約100名という驚きの人数だ。それだけ、この事件を早く解決しようとする中枢幹部の思惑が伝わってくる。

美形の部類で背が高い貴子は、次のように思っている。〈女というだけで、好奇の眼差しを向けられたり、侮られたりすることに、いちいちめくじらを立てていては、とても刑事は務まらない。〉
貴子はずんぐりむっくりの中年男滝沢保とコンビを組まされた。相手は渡された名刺を受け取り一言「でかいな」と言ったきり、自己紹介もなく名刺も渡されなかった。せいぜい弱みを見せないようにするしかない。

死体は腹部が炭化していて気道にも熱傷があり、生前に焼かれたことは確かで、さらに右大腿と左足首に、比較的新しい咬傷があった。かなり大型の犬などに噛まれた跡だ。

滝沢は女とコンビを組んだことで、やりにくいったらありゃしねえと悪態をついた。滝沢は女を信じていない。滝沢なりのその理由は、第1に女は嘘をつく。感情が先走る。第2に女のデカは認めていない。男の仕事だ。第3にトイレひとつにしたって面倒臭い。第4は同僚たちがざわめいたこと。

そして若い男女が大型犬に咬み殺される事件が起こる。発火装置で殺された男と、大型犬に噛みつかれて殺された男女の関係が謎を解く鍵となる。捜査はその大型犬を探すことで、明かりが見えてくる。
終盤の貴子が操るバイクの走行シーンは本書の見どころだ。
1990年代のジェンダーに対する意識はこんなものだったなと思い出しながら、読み進んだ。→人気ブログランキング
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2021年11月13日 (土)

「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都 桃崎有一郎

京都の観光名所は平安京の中には少ないという。
平安京に入居した人々は、土地が低く水害の多い右京や南部から去って、平城京の東半分の北半分に人口が集中していった。そこに新興開発地が接合されていく。
その代表格は平安京の南の郊外の政権中枢「鳥羽」、鴨川の対岸の寺院街「白河」、「白河」 の南の武士居住区「六波羅」である。ここで重要な人物は、鳥羽・白河地域を造りあげた白河法皇・鳥羽法皇、六波羅を武士の一大居住区に造りあげた平家の三代(正盛・忠盛・清盛)である。
本書のオリジナリティは武士こそが京都をを作った主役の一人だと、強調する点であるという。
Photo_20211113083101「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都
桃崎有一郎
文春新書
2020年

著者は『武士の起源を解き明かす』(ちくま新書 2018年)で、「武士が領主階級であること、武士が貴種であること、そして武士が弓馬の使い手であること」を明らかにした。

どのように武士が力をつけていったのかをたどると、
平城京の警備は検非違使が行なったが、群盗の数が圧倒的に多くなり、警備がままならなくなった。武士の登場によって群盗は抑え込まれる。
天皇警護の武士、滝口武士が京の群盗を制圧する。ところが、武士はもともと荒くれ者であるから、些細なことで殺人を辞さない行動で京の治安を乱した。かつては、捉えられた者や投降した者、つまり無抵抗な者を殺す死刑は行われなかった。武士社会は死刑敢行を国家(京都)にもち込んだ。
武士が朝廷の期待を背負って反乱者の討伐を行い、成功すれば、京でを舞台に凱旋パレードが行われるというパターンが定着した。白河院がこれを認めた。白河院は武士の在り方を大きく変え、京の治安の在り方を変え、ひいては京そのものを変えた。白河院によって平安京が京都に生まれ変わったといえる

白河院は「好き嫌い」で政治を行なった。気に入った者には富と権限を与え、意に沿わぬ者を冷遇する。こうして膨大な富が朝廷にもたらせられた。
白河院は鳥羽に院の御所を建てその周りに近臣全員が身分を問わず屋地を与えられ、その面積は100町に及んだ。それはまるで遷都のようであるといわれた。

京都という言葉は院政期に日常レベルの言葉として流行したようだという。京も都も訓読みはミヤコであり、日本語では同じ意味だ。京都は同じ意味の字を重ねた雅語である。平安京は京に等しかったが鳥羽の開発が始められて、平安京に収まらなくなった京都を呼ぶ言葉は必要になり京都という雅語が転用された可能性が高いという。

寺社建立や住宅地造成から平安京と京都を比べると、平安京の外に京都の有名な史跡や建造物が存在する。それは、朝廷から武士への権力の移行と相まって進んでいった。時代の主人公は朝廷から武士に移行していったとする。→人気ブログランキング
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「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都/桃崎有一郎/文春新書/2020年
武士の起源を解きあかす―混血する古代、創発される中世/桃崎有一郎/ちくま新書/2018年

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