「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都 桃崎有一郎
京都の観光名所は平安京の中には少ないという。
平安京に入居した人々は、土地が低く水害の多い右京や南部から去って、平城京の東半分の北半分に人口が集中していった。そこに新興開発地が接合されていく。
その代表格は平安京の南の郊外の政権中枢「鳥羽」、鴨川の対岸の寺院街「白河」、「白河」 の南の武士居住区「六波羅」である。ここで重要な人物は、鳥羽・白河地域を造りあげた白河法皇・鳥羽法皇、六波羅を武士の一大居住区に造りあげた平家の三代(正盛・忠盛・清盛)である。
本書のオリジナリティは武士こそが京都をを作った主役の一人だと、強調する点であるという。
![]() 桃崎有一郎 文春新書 2020年 |
著者は『武士の起源を解き明かす』(ちくま新書 2018年)で、「武士が領主階級であること、武士が貴種であること、そして武士が弓馬の使い手であること」を明らかにした。
どのように武士が力をつけていったのかをたどると、
平城京の警備は検非違使が行なったが、群盗の数が圧倒的に多くなり、警備がままならなくなった。武士の登場によって群盗は抑え込まれる。
天皇警護の武士、滝口武士が京の群盗を制圧する。ところが、武士はもともと荒くれ者であるから、些細なことで殺人を辞さない行動で京の治安を乱した。かつては、捉えられた者や投降した者、つまり無抵抗な者を殺す死刑は行われなかった。武士社会は死刑敢行を国家(京都)にもち込んだ。
武士が朝廷の期待を背負って反乱者の討伐を行い、成功すれば、京でを舞台に凱旋パレードが行われるというパターンが定着した。白河院がこれを認めた。白河院は武士の在り方を大きく変え、京の治安の在り方を変え、ひいては京そのものを変えた。白河院によって平安京が京都に生まれ変わったといえる
白河院は「好き嫌い」で政治を行なった。気に入った者には富と権限を与え、意に沿わぬ者を冷遇する。こうして膨大な富が朝廷にもたらせられた。
白河院は鳥羽に院の御所を建てその周りに近臣全員が身分を問わず屋地を与えられ、その面積は100町に及んだ。それはまるで遷都のようであるといわれた。
京都という言葉は院政期に日常レベルの言葉として流行したようだという。京も都も訓読みはミヤコであり、日本語では同じ意味だ。京都は同じ意味の字を重ねた雅語である。平安京は京に等しかったが鳥羽の開発が始められて、平安京に収まらなくなった京都を呼ぶ言葉は必要になり京都という雅語が転用された可能性が高いという。
寺社建立や住宅地造成から平安京と京都を比べると、平安京の外に京都の有名な史跡や建造物が存在する。それは、朝廷から武士への権力の移行と相まって進んでいった。時代の主人公は朝廷から武士に移行していったとする。→人気ブログランキング
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「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都/桃崎有一郎/文春新書/2020年
武士の起源を解きあかす―混血する古代、創発される中世/桃崎有一郎/ちくま新書/2018年
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