放送作家ほぼ全史 誰が日本のテレビを作ったのか 太田省一
著者は1960生まれ。テレビと戦後日本、お笑い、アダルトなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』『紅白歌合戦と日本人』『SMAPと平成ニッポン』『芸人最強社会ニッポン』『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』『すべては、タモリ、たけし、さんまから始まった』「21世紀テレ東番組ベスト100』などがある。(裏表紙より抜粋)
海星社新書のキャッチコピーは、未来志向の読み手を大いに鼓舞する「武器としての教養」である。
放送作家はテレビ番組やラジオ番組の構成を担当する人たちである。番組の終わりに流れるテロップで、「構成」に名前が上がっている人たちが放送作家であり、別名、構成作家とも呼ばれる。
放送作家ほぼ全史 誰が日本のテレビを作ったのか 太田省一 星海社新書 2022年5月 249頁 |
著者によれば、〈本書は、放送作家という存在を通して見た一風変わったテレビ・ラジオ史であるとともに、それを通じて日本のマスメディア、エンターテインメント、さらには戦後日本社会の底流にあるものの一端を明らかにしようとするもの。言い換えれば、放送作家から見たメディア史・エンタメ史であり、放送作家の社会学。〉であるという。
番組を陰で仕切っている、稀には表舞台に出てくる、中には作家に転身し、直木賞作家になった人物もいる。この放送作家という職業、外国にはないという。
テレビ放送が始まる前から活躍した三木鶏郎や、自らテレビに出演し作家や政治家として活躍した青島幸男のような人物がいたからこそ、日本に放送作家という職業が定着したという。番組制作者でありながら、視聴者の目線を忘れず、社会がなにを求めているのかを敏感に察知する。テレビ局と視聴者を結ぶ役割を担ってきた。
放送作家の究極の目指すところはお笑いだという。
テレビの番組の大まかな変遷は次のようである。テレビは、戦後しばらくの間は風刺の時代であった。1960年代、高度成長時代を迎えると、テレビが娯楽の中心になった。1970年代から1980年代は音楽番組が花盛りとなった。
1980年以降、1960年時代と同じようにバラエティ番組が主流となるが、笑えるバラエティ番組の時代になる。1990年代、テレビはある種の成熟を迎えることとなる。バラエティでも別のジャンルと掛け合わせたような番組が作られた。バラエティ同様、1990年の後半以降は既存のパターンを打破るドラマが登場する。
最近はユーチューバーのフワちゃんをプロデュースする作家も存在するという。いまや、テレビが窮屈なプラットホームになって、ネットの方が自由だという感覚も存在している。
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