「推し」とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語である。人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物やモノ、出来事をいう。著者は「推し」を推す(推し活)がプロジェクションそのものだと気付いたのが、本書の出発点だという。
「推し活」のように、自らの働きかけで自分の内部世界とモノや他者といった外部世界をつなぐようなこと、それによる心の動きをとらえる概念は、あまりにも当たり前だったから検討されてこなかった。その概念をプロジェクション(投射)と呼ぶ。プロジェクションは心の働きのひとつで、認知科学から提唱された最新の概念である。
人間の認知機構にまったく新しい解釈をあたえるのがプロジェクション・サイエンス、〈投射の科学〉と呼ばれるものだ。
「推し活」では、ただの物も推しのイメージカラーであると価値の高いものに変わったりする。人間国宝の茶わんと知った瞬間、ぞんざいに扱えなくなるのと同じだ。いずれも、異なる意味づけがされるプロジェクションが起きた結果といえる。
「推し」の科学 プロジェクト・サイエンスとは何か 久保(川合)南海子 集英社新書 2022年8月 251頁 |
プロジェクションを理解するためには、多くの例に触れるのがいい。
例えば、原作の隙間を埋める外伝(スピンオフ)は、プロジェクションを理解するによい例である。医療におけるプラセボ効果、江戸時代のキリスト教徒をあぶり出す踏み絵はプロジェクションであり、同じものを見ても人と感じ方が違う。時間を変えて見ると、前と感じ方が違う。これもプロジェクション。
作品や「推し」を熱愛するあまりその作品や「推し」の新しい物語を自分で作り出してしまう、ファン行動がある。それが二次創作である。二次創作は漫画やイラストや小説だけでなく、動画やグッズなど多岐にわたる。ここで著作権の問題が生じるが、著作権者や出版社は二次創作に対し見て見ぬ振りをしてきた。今後は著作権者や出版社が現実的な対応を考えていくことになる。
著者は腐女子であることを宣言している。腐女子とは特にボーイズラブ(BL)好む女性のことを指す言葉。腐女子はBLにおき換えて妄想して二次創作をする。それをコミュニティで共有する。これはプロジェクションの共有である。著者は米津玄師の「Lemon」をBLに当てはめて聴いて涙が出たという。
二次創作は科学理論の醸成と似ている。研究者(主体)から仮説(エージェント)が呈示されたら、それに関心を持つ他の研究者たちがそれぞれのやり方で検証をおこなう。その結果は誰もが見ることができるように共有される。さらに新しい検証方法が生まれたり、仮説の修正やバージョンアップがなされたりして、その領域の研究が発展する。ウィキペディアはそうして発展してきた。
サピエンスはプロジェクション能力が優れていたから、進化の過程で登場した他の人類のように死滅することなく生き延びることができた。
自在に操るプロジェクション能力を獲得したのはヒトのみであり、それがサピエンスにおける類を見ない生息域の拡散と文明環境の構築を導いたのではないかという。
裏表紙の著者紹介によると、著者は1974年生まれ。日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程修了。心理学博士。日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員。京都大学こころの未来研究センター助教などを経て、現在、愛知淑徳大学心理学部教授。専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス キャリアを積むこと、家族を持つこと』(新潮社)ほか多数。→人気ブログランキング
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→推し、燃ゆ/宇佐美りん /河出書房新社 /2020年