一汁一菜でよいと至るまで
料理研究家であった父土井勝とのこと、フラインスの修行時代のこと、その後の料理研究家としての仕事を語り、一汁一菜でよいという考えに至る過程を綴っている。
フランスのごく普通の家庭に下宿したとき、食事は、水から煮たスープとパンまさに一汁一菜であった。スープには胡椒を振ったり、バターを入れたり、それぞれが自分の味を作って食べた。祖母の作るうどんは、具材が多く栄養たっぷりの一汁一菜であった。
一汁一菜でよいと至るまで 土井善晴 新潮新書 2022年5月 |
著者は父と同じように家庭料理を手がける料理人になり、「家庭料理は民芸だ」ということに気づいたという。
柳宗悦は、無名の工人が民衆のために作る日用雑器、そこにスポットライトをあて美を見いだし、「民芸」と呼んだ。
著者は、伝統的で素朴な家庭料理には美がある。それは「民芸」だと言っている。
そして、家庭料理を再定義し「一汁一菜でよいと至る」という考えにたどり着いた。
こう言い切ってしまうと、後戻りはできない。手の込んだ料理とは無縁にならざるを得ない。創作料理にも表向き手が出しにくくなる。
つまりマスコミに登場する機会が少なくなっていくだろう。あえて本書を出した著者には、強い信念を感じる。→人気ブログランキング
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