カンマの女王「ニューヨーカー」校正係のここだけの話 メアリ・ノリス/有好宏文訳
著者は『ニューヨーカー』のカリスマ校正者メアリ・ノリス。
2016年に、「ニューヨーカー誌が誇るカンマ・クイーンの重箱の隅をつつく栄光」と題して、TEDで講演を行なっている。
本書には、『ニューヨーカー』で採用される生きた英文法が語られている。『ニューヨーカー』の校正者が、英文法でAかBか悩んでいることに、日本人のなかでどうこういう感想をもてるのは、英文法の専門家くらいだろう。しかし、そこに興味がもてなくとも、本書を読み進むことができる。
著者の言い回しや比喩が非凡であるから、饒舌で話があちこちに飛ぶから、本書はおもしろい。
カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話 メアリ・ノリス/有好宏文訳 柏書房 2021年 288頁 |
著者が『ニューヨーカー』に勤めることになった経緯は次のようなものだ。
奨学金を得て、ヴァーモント大学の英文科に入学した。『ニューヨーカー』を読み出したのは、ヴァーモント大学の大学院にいた頃だ。いろいろ仕事をしたけれど長続きしなかった。
そこで、弟が美術学校に通っていて、同じ学校に通う友達の夫のピーターが『ニューヨーカー』の取締役会長で、ピーターの勧めで、面接を受け編集資料室で職を得たのだ。
この仕事で求められるのは人となりだ。文法、外国語、文学の知識、さまざま経験が生きてくる。
アメリカ英語の手ごわさについて著者は次のように述べている。
〈英語という言語には、スペルを間違わせようと手ぐすね引いて待ち構えている単語がごまんとあるし、世界にはやかましい方々がたくさんいて、いまにも飛びかかろうとしている。われらが英語は、イタリア語やスペイン語や現代ギリシャ語のように、一定の文字や文字の組み合わせが一定に発音できるとはかぎらない。英語には発音しない「黙字」が多い。そして、起源がごちゃ混ぜだから、解きほぐすのが恐ろしく難しい。アングロ・サクソン言語のゲルマン系のルーツに、ラテン語(ハドリアヌス帝)とフランス語(ノルマン・コンクエスト)が影響し、ギリシャ語やイタリア語やポルトガル語やさらにはバスク語からも単語を借用しているうえ、アメリカ英語はオランダ語を初期の東部植民者からたっぷり、スペイン語を西部を探検したコンキスタドールや宣教師からどっさり、地名の語彙をネイティブ・アメリカンの言語から、しかもフランス語をブレンドしながら山ほどもらっているから、ますますややこしい。やかましい方々の親玉のノア・ウェブスターが1783年の指摘したように、「われわれの母音のいくつかには4、5とおりの発音があるし、1つの音はたいてい5、6、7とおりの文字で書ける。子音も似たり寄ったりだ。」〉
「使うなら*正しく使おう*Fワード」の章では、悪態語の乱用について触れている。
今や、英語の汚い言葉は、かつてないほど気楽にどっさり使われていると前置きした上で、自らが悪態を口にするようになったのは、高校の頃だという。ロッカーを閉めるとき「crap(うんこ)」と発したことがあった。それよりどきつい言葉は、後までとっておいた。メアリが罵り欲を完全に解放したのは、精神分析をやめた1996年だったという。その頃メアリは、『ニューヨーカー』の校正係を始めてから20年近く経っていて、思いつく限りのあらゆる楽しい悪態をまきちらし、すごくいい気分になった。幼年期と青年期を取り囲んでいた上品さの殻がパカッと割れ、蝶となって羽ばたいたという。
ラッパーにつて書かれた悪態まみれの原稿を前にすると、感覚が麻痺して、ささいな間違いはどうでもいいと思ったという。メアリは校正することに消極的になったもうひとつの例を紹介している。その原稿にはある有力なグループの取締役が、自分を批判する相手に対して「ファック・ユー!」と言ったことが書かれていた。校正係として疑問を付すチャンスは2回あったが、そのままにした。最終的には削除された。そこでメアリは苦悩する。わたしは判断力の欠如をさらしてしまったのか?誰が疑問を付したのか?疑問を付した人はわたしが仕事をしていないと思っただろうか?執筆者も編集者もわたしが削るのを待っていただけなのだろうか?と悔やみながらも、あの悪態が消えたことに安堵している。
「ファック・ユー!」を削除してくれと言ったのは、当の取締役だった。編集者は取締役の言った言葉どおりに引用し、もう引っ込めることはできない。それをずっと抱えて生きていけばいいと思ったという。取締役はその場で言い直したと釈明した。この経験は「ファック・ユー!」を活字にしてきたすべての例よりも、ためになったという。
メアリは、〈言語を法で縛ることはできない。禁酒法もうまくいかなかったでしょう?酒もセックスも言葉も止められない。(中略)使うなら楽しく使おう。悪態は楽しくなくてはならない。〉と結ぶ。
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文にあたる/牟田都子/亜紀書房/2022年
カンマの女王「ニューヨーカー」校正係のここだけの話/メアリ・ノリス/有好宏文訳/柏書房/2021年
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