http://misyuramen.cocolog-nifty.com/tsundoku/2025/11/post-536584.html 人生はスラップスティック: 2025年1月

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2025年1月

2025年1月21日 (火)

ゲーテはすべてを言った 鈴木結生

第172回芥川賞受賞作(2025年1月)。

本書には、大正時代もしくは昭和初期を思わせる大仰な語り口で雑学が横溢する。
読みなれない固有名詞が使われている。

ドイツ文学者の博把(ひろば)統一は「ゲーテはすべて言った」というフレーズをゲーテが言ったかどうか解こうとする。統一はゲーテに関する著作や訳本を次々に執筆しきて、そして教授になった。「ゲーテはすべてを言った」とは、ドイツに遊学していたときにヨハンが言った言葉である。それは統一の脳裏に焼きついていた。

Photo_20250121185101ゲーテはすべてを言った<
鈴木結生
朝日新聞出版社
2025年1月

 

 

総一の妻の義子(あきこ)が朝食を準備して、それを総一が食し、娘の徳歌(のりか)が起きてきて食べた。まだ文学部1年だというのに、徳歌の卒論テーマが話題になる。ここで付け
足すが、徳歌は頗る頭脳明晰である。
登場人物はあくまで学問的に高尚な日常を生きていて、ディレッタントな話題で溢れてかえっているが、ディレッタントという単語は全く使われない。

ソクラテスかキルケゴールかパスカルが言ったような気がしたけれどその引用元に自信が
ないとき、あるいは考えたのが自分であるとわかっているような場合でも、ドイツ人はゲーテになすりつける。なぜなら、「ゲーテはすべて言った」からと学生に総一は講義した。我々はどんな言葉もゲーテが言ったような気がする。少なくとも「ゲーテはそんなことは言っていない」とは言い切れない統一は言う。

義父の芸亭(うんてい)学から統一、義子、徳歌にクリスマスカードが届いた。そこで徳歌の卒業論文を義父に見せること勧められ、徳歌はいやいや承諾した。
統一は「ゲーテはすべてを言った」がどこに書いているか、思いつく82名(団体を含む)にメールを送った。30の返信があったが、劇的なものはなかった。

学生の紙屋綴喜(つづき)をごった煮に誘い酒を飲む。そこで英語で一番長い綴りの単語を知っているかとふると、綴喜は即座に答えた。
徳歌の彼氏の(綴喜)が設計がした名言集のサイトを徳歌は持っている。アールグレイのティーバッグには20パターン以上の愛に関する名言が刻まれている。
ティーバッグに書かれている名言の出所は綴喜がわかるという。綴喜は徳歌さんとお付き合いさせたただいていますと言った。
綴喜の論文が凄いから頭がいいのはわかっている総一が言うと、論文は一部を徳歌が書いたものだという。

然(しかり)紀典の捏造と盗用について発表された。その後、然は失踪した。
出てきた然紀典は惟神光(いしんひかり)と同一人物なので、問題がないように見えるが、しっくりしない。

統一は「ゲーテはすべて言った」というフレーズをゲーテが言った言葉か解こうとするが、結論は終始わからない。

2025年1月17日 (金)

代車を運転する

代車はちょっと小さめであった。みぞれの降る日だったので、防寒用の深めの靴を履いていた。運転席の床のスペースは滑り止めを意識したのだろうか、金属の補強を施した黒いペダルマットが敷かれていた。その仕様はいかにも滑りそうだ。光る金属がそんな印象を醸し出しているが懸念は見事に外れ、靴底がみぞれで濡れた防寒靴でもマットはまったく滑らなかった。車はフォードアのセダンである。

1週間前に信用金庫の駐車場から幹線道路に出るときに、歩道との境にある埋め込みのポールに車の左後側を擦った。擦ったよりもぶつけたが正確な表現かもしれない。RV車の左後側面が凹んだ。車の修理をお願いすると、「代車は軽でいいですか」と意外なこと聞かれたので、普通の車でお願いしますと答えた。軽には乗ったことがない。万一事故に遭ったら頑丈な車の方がいいに決まっている。

代車には腑に落ちないことがあった。それはガソリンが瞬く間に減ってしまったことだ。車を借りたときには、満タンであったガソリンが10数キロしか走っていないのに、目盛が残り4分3になってしまった。目盛が引っかかっていたのだろうと思った。そうとしか説明のしようがない。ガソリンスタンドで「満タン」とお願いすると、9.2リットルだったリットルだった。ハンドルの下についているスマートキーを回してエンジンを起動するがキーが回らない。スタンドの女性に回してもらうが、回らない。女性が「キーはどこですか?」が聞いたので、着ていたダウンジャケットのポケットからキーを座席に置いて、スマートキーを回すとエンジンがかかった。女性は「バッテリーが少なくなっていますね」と指摘した。そう言えば、窓ガラスが開くのも閉まるのも遅かった。厄介な車だと思った。

この車をはじめて運転したときは著しく緊張した。座席の位置は後方過ぎた。サイドミラーは普通の向きであったが、バックミラーがとんでもない方を向いていた。走行距離は距離9500kmであるから、代車としては格段に多いわけではないと思った。サイドブレーキは異常がなかった。あまりにも寒いので窓が開いているのではないかと思い、窓の閉鎖ボタンを何度か押した。アクセルを踏むと過剰に回転が多くなるような不気味な音を立てた。アクセルを踏んでも力がまともに伝達されないことが、この車ならありそうだと思った。何回か代車を借りたことがあるが、代車は総じて老朽化しているのが特徴だ。

はじめの5日間は車内が至って静かだった。古いカーナビはあるが、不覚にもラオジのスイッチがどこにあるかわからなかったからだ。カーナビの画面の右端にラジオのスイッチらしきマークを発見し、押すとBSNのラジオ放送が流れた。運転に慣れてきて静かすぎるのが飽きてきた頃だった。車内には2枚の注意書きがあり、燃料補給と禁煙に関してであったが、車内は著しくタバコ臭かった。

代車プリウス
代車運転する

2025年1月14日 (火)

エンジェルフライト 国際霊柩送還士 佐々涼子

国際霊柩送還とは、海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨を日本に搬送し、日本で亡くなった外国人の遺体や遺骨を祖国に送り届けることである。国際霊柩送還という言葉はエアハース・インターナショナル株式会社の登録商標であるという。
本書は、国際霊柩送還士の姿を通し、死のあり方を見つめるノンフィクション作品である。

Photo_20250109105101エンジェルフライト 国際霊柩送還士
佐々涼子
集英社文庫
2014年11月








エアハースのメーバーは、社長の木村利惠以下、梨恵の息子利幸は国際霊柩送還士、遺体処置・ドライバーを兼務するオールラウンダー、古箭厚志はドライバー兼雑役係、通常この4名で業務をこなす。利惠は、髪を赤く染めて豹柄の派手なブラウスを着て、ヘビースモーカーなのだ。

エアハースは年間200体から250体の遺体を運ぶ。海外から搬送される遺体は航空機内の気圧の関係で90%以上が体液の漏れを起こす。遺体は車内で必要な処置をされてから、家族の元へ送り届けられるのだ。遺体に対しては、キメの細かい愛情のこもった扱いが
行われている。しかし、丁寧に扱われていない遺体も送られてくるが、それらに対しても技術を駆使して対応する。

遺族の状態を思いやる記述がある。葬儀まで遺族はほとんど寝ていない。遺族が眠れるようにゆったりとしたスケジュールを組んだ方がいい。そしてゆっくり説明したほうがいい。

エアハースは、世界各国の葬儀社がブースを出して行うフューネラルエキスポにも何度参加して、世界各国の葬儀社と交流を図っている。アメリカ、イギリス、スペイン、フランス、ウガンダ、南アフリカ、ボリビア、アイルランドなどである。お互いどれだけ誠実に遺体の処置をしているかが、彼らの人柄を表している。

著者の佐々涼子は、早大法学部卒、専業主婦として子育てしながら、日本語教師等を経てノンフィクションとしてデビューした。2012年、『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回開高健ノンフィクション賞を受賞。2014年、『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』でダ・ヴィンチ BOOK OF THE YEAR 第1位。2020年『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)で第3回Yahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞した。
2023年1月、Amazon Originalドラマ『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』の主演・米倉涼子ほかのキャスト、ならびに同年3月17日世界同時配信であることが発表された。
2024年9月、悪性脳腫瘍のため死去。享年56。→人気ブログランキング
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2025年1月 8日 (水)

同志少女、敵を撃て 逢坂冬馬

本屋大賞(2022年)受賞、第11回 アガサ•クリスティー賞受賞。
単行本は2021年11月25日発刊。

Photo_20250108112701同志少女、敵を撃て
逢坂冬馬
ハヤカワ文庫
2024年12月

 

 

独ソ戦のさなか繰り広げられる女性狙撃兵の壮絶な生きざまを描く圧巻のドラマ。

16歳のセラフィマは、畑を荒らす野生動物の食害に悩む村の射撃手であった。外交官志望のセラフィマは、やがて村を出てモスクワの大学に進むことになっていた。
突如、村にドイツ兵が現れて、潜んでいるパルチザンを出せと言う。村人はドイツ兵に皆殺しにされ、母は頭を撃ち抜かれる。セラフィマは捕えられたものの、ドイツ兵に赤軍が襲撃をかけたことによって、セラフィマは逃れることができた。
セラフィマは女性兵士で元狙撃兵でもあるイリーナの部下になった。そして、母を殺したイェーガーなる男を殺し、ドイツ兵を殺し、母と自分を侮辱したイリーナを殺すと誓った。

当時ソ連は積極的に女性を兵士として登用していた。
セラフィマは自ら進んで復讐のために、設立されたばかりの中央狙撃訓練学校の分校に入った。そこに在籍していたのは、射撃大会優勝者のシャロッタ、カザフ人の猟師だったアヤ、ウクライナ出身のコサックのオリガ、ほぼ年の同じ彼女たちのほかに年長のヤーナであった。
彼女たちはそれぞれ秘密の経歴を持っていた。
過酷な訓練を経て、彼女らは実戦に配備された。それは死者数が双方で200万人を超える史上最大の市街戦であった。第二次世界大戦がドイツとソ連の間で行われていてスターリングラードだった。彼女たちの任務はソ連の南の地スターリングラードの奪還である。
セラフィマたちは壮絶な戦いに巻き込まれていく。

2025年1月 3日 (金)

1月2日 護国神社

今年は、季節の移ろいに沿って書くことをテーマにひとつにしようと思う。
芥川賞作家の津村記久子の『まぬけなこよみ』(朝日文庫2023年1月)を意識した。この文庫では津村記久子を超庶民派と紹介している。
今日は1月2日で数日早いけれど、まずは二十四節気の小寒に触れる。小寒は、これから寒さが本格的になる「寒の入り」と言われる。ここ数日は、寒くないから今年は暖かいに違いないと思った
午後2時から、初詣でごった返す護国神社の参道を歩いて、小雨がぱらつくなかを突っ切って松林に入った。松林のなかあるいは松林に並走する道路を4キロほどを歩くことにしている。参拝者は30歳代と40歳が多い印象だった。家族連れも較的多く見かけた。雨がぱらつくと言っても、傘をささなくてもしのげる程度だった。にもかかわらず、参拝を終えて神社の臨時駐車場に向かっている人は、ほとんどの人が傘をさしていた。参道では傘をさしている人はほとんどいなかったのに、この違いはなんだ。上着に雨にあったてもその範囲はせいぜい20パーセント止まり、そんな量の雨だったからあえて人混みで傘をさす人が少なかったのだろう。
護国神社の脇の細い道は松林がつながっている。松林は暴風・防砂の役目を果たしている。今日は風がほとんどなかったが、風が強いとき松林に入るとこの時期はホッとする。この時期と入れたのは昨年の夏の酷暑の頭をよぎったからだ。
昨日は松林の中を歩いたが、今日よりも風が強かった。しかし松林の中を歩いて
いる人は結構いて、すれ違った人は20名弱だった。
松林には鳥がいる。雀よりも遥かに大きな鳥が1羽現れて、薄茶色の比較手大着な鳥で椋鳥のようだった。
海浜公園の端で折り返して松葉を歩いたあと、再び護国神社の雑踏を歩いた。
出店は20店くらいであった。その内、ぽっぽ焼きが3店あった。昨日は3店とも客が長蛇の列をなしていたが、今日はすぐに買うことできた。10本で400円だった。ちなみにぽっぽ焼の発祥は新発田市だという。とまれ、2025年1月2日はいたって平穏である。
(2025.1.2)

キーワード
初詣、護国神社、ぽっぽ焼き、松林、津村記久子

 

 

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