http://misyuramen.cocolog-nifty.com/tsundoku/2025/11/post-536584.html 天の歌 小説 都はるみ: 人生はスラップスティック

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2025年3月30日 (日)

天の歌 小説 都はるみ

晴美の母は晴美を筆頭に5人の子ども産んだ。母はおとなしい在日朝鮮人の父と喧嘩するたびに、糸を紡ぐ仕事をするために結婚したのではないと言った。母は亭主と子どもをほったらかしにし、1週間ほど家出をしたことある。芸事好きの母の影響で春美は歌謡教室に通っていた。
ある日、父が銀製のかんざしをくれた。母は、「デビューしたらいるようになる、もらっておき」と言った。父は「銀製やで」とかんざしをくれた。春美は「五番町のお女郎さんであるまいし、つけられへん」と思った。晴美は京都西陣の出身。
Photo_20250330115301 天の歌 小説 都はるみ
中上健次
中公文庫 1992年

母は歌謡学校の先生に、春美はレコード会社のコンクルールに出ることになった。 母ははるみに歌を歌って見本を見せていた。
「誰かてはるみの歌聞いたら、この子は仏様がくれた宝やと言わはる」と母は言った。才能あふれる晴美を母は妹弟と違う特別扱いをしていた。歌謡コンクールに出る春美は、高校受験の勉強をやめた。全国大会に優勝して渋谷の坂の中ほどにあるレコード会社の寮に入り、レコード会社の社員に歌のレッスンを受けはじめた。
歌のレッスンで石川昭介先生の家に通いはじめた。石川に連れられて星野哲郎先生の家を訪れた。春美が歌うと星野家のシェパーが失禁した。翌日、市川の家に行くと歌ができていた。「アンコ椿は恋の花」だった。レコードは発売されるとまたたくまに売れて、品切れになったレコード店から苦情が殺到した。公演、映画のスケジュールと春美は身動きが取れないようになった。母が京都から上京してきた。
新曲「涙の連絡船」も市川が予言したとおり、飛ぶように売れた。2曲連続でミリオンセラー
ーを記録した。紅白歌合戦に出場した。17歳だった。

都はるみは1948年2月22日生。1964年に「困るのことヨ」でデビューした。同年「アンコ椿恋の花」がミリオンセラーを記録し、第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。
1976年、「北の宿から」で第18回日本レコード大賞・FNS歌謡祭で最優秀グランプリなど数々の音楽賞を受賞する。1980年、「大阪しぐれ」で、第22回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。日本レコード大賞において大賞・新人賞・最優秀歌唱賞の初の三冠達成者となった。
1984年3月、人気絶頂のなか「普通のおばさんになりたい」と突然に歌手引退を宣言した。年末の「第35回NHK紅白歌合戦」出場を最後に一旦引退した。→人気ブログランキング
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