http://misyuramen.cocolog-nifty.com/tsundoku/2025/11/post-536584.html 人生はスラップスティック: 2026年3月

« 2026年2月 | トップページ | 2026年4月 »

2026年3月

2026年3月18日 (水)

センチメンタル バリュー

父と2人の娘の物語である。
あの期待の日本作品『国宝』はかすりもしなっかった。アカデミー賞(2026年)の作品賞受賞作である。ちなみに、『国宝』は「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」をもらった。
離婚により家を出ていった映画監督の父親(グスタブ)が、母の葬儀に現れるところから物語は始まる。結婚して子供がいる歴史研究者の妹アグネと舞台女優として活躍する姉のノーラは父に対する怒りを抑えられない。グスタブはノーラに新作に出て欲しいと言ってくる。それも母が死ぬまで住んでいた実家で撮影するという。実家の名義は実は父親のままだった。

第98回 アカデミー賞(2026年)受賞
監督賞:ヨアキム・トリアー
主演女優賞:レナーテ・ヘインスベ
助演男優賞:ステラン・スカルスガルド
助演女優賞:エル・ファニング
助演女優賞:インガ・イブドッテル・リッレオース

ノルウェー /ドイツ/デンマーク/フランス/スウェーデン/イギリス
Color 135分
初公開日: 2026年2月 20日
公開情報:NOROSHI ギャガ
映倫G
予告編:https://youtu.be/2iR0YFbCUIs

センチメンタル・バリュー1

 

舞台女優として舞台に上がる前ノーラが異常に緊張する場面が映し出される。衣装を破る行為に出るローラに、スッタフは実力行使で破る行為を阻止して舞台に上げようとする。

センチメンタル・バリュー2-2

当たり前だけど、ノーラは父親(グスタブ)のオファーを断る。グスタブの昔の作品が映画祭で上映され、もともとファンであるアメリカ人女優のレイチェルがその映画を観にくる。レイチェルはグスタブを食事会に誘い意気投合する。グソタブはノーラにオファーした役をレイチェルにオファーして、Netflixが出資し製作が進んでいく。

1943年の秋、姉妹の祖母、つまりグスタブの母はナチズムへの抵抗運動に参加したことで、2年間、強制収容所に送られた。彼女が連行されたあと、家は静かになった。「家は静寂を嫌う」と映画が訴える。

センチメンタル・バリュー2

本作における歴史への言及は、妹のアグネスが歴史研究者であるという設定とも関係している。彼女は、祖母が収容所で受けた拷問に関する歴史資料を読むのと同じ手つきで、姉が拒絶したグスタブの脚本にも目を通す。

センチメンタル・バリュー5

主演にはアメリカで活躍する人気俳優レイチェルが抜擢される。もともとノルウェー語で書かれていた脚本は英語に書き換えられたことにより、劇場での公開が怪しくなる。
レイチェルは「ノルウェー訛りの英語」でセリフを繰り返す。その光景には、家に宿る「センチメンタル・バリュー(思い出の価値)」が、翻訳することでグスタブの脚本は命を絶たれたことになる。脚本はあくまでも娘のノーラの主役を想定したものだった。

センチメンタル・バリュー2-3

撮影場所になる実家で、グソタブとレイチェルは台本読みを始め、役について深めていく。そして、グソタブは映画の中の息子役に次女アグネスの息子をキャスティングすると言い出す。撮影が進むと、レイチェルは降板を申し出る。レイチェルが外れることは、出資がなくなることを意味していた。失意のグソタブは酒を飲み、庭に出ると倒れるように眠ってしまう。

妹が脚本に目を通すと、まさにノーラのことを書いた傑作だった。妹はローラに読ませる。エンディングで父親は実家を売りに出す。それは、グソタブにとっても娘たちにとっても過去への決別となる。

タイトルの“sentimental value”の意味は字幕では「思い入れある品々」。AIによると、“the value of something to someone because of personal or emotional associations rather than material worth”(物質的な価値ではなく、個人的または感情的なつながりによってある人にとって価値があるもの)。まさに、実家は“sentimental value”だった。

2026年3月17日 (火)

しあわせな選択

 

季節は晩秋、韓国の製紙会社に勤めるサラリーマンのマンス(イ・ビョンホン)は野外でひとりバーベキューを楽しんでいる。
専業主婦の美しい妻ミリ(ソン・イェジン)、男女の2人の子ども、そして2匹の聞き分けのいいゴールデンレトリバーとともに暮らしている。ミリはマンスからのプレゼントの靴に大喜びをし、夫婦は音楽に合わせて踊った。マンスは大きな家を買ったばかりで充実した生活を送っている。
Photo_20260317093401

しあわせな選択
英題:No Other Choice
製作国:韓国(2025年)
日本公開日:2026年3月6日
PG-12
キノフィルムズ

ところが事態は一変する。仕事中のマンスのもとに、アメリカ人が見学に来て製紙会社は買収されて、マンスは解雇された。

マンスは、製紙業で培った経験があるので大丈夫と3ヶ月あれば就職できると家族に宣言する。ところが、13ヶ月経っても仕事に就けず、製紙業を諦め別の仕事で働きだした。ところが自分より若い男が上司になり、居心地は著しく悪い。収入が低いので家族には節約をお願いして、おまけに犬もミリの両親に預かってもらいうなどして、できる限りの出費を抑える。ミリは歯科助手として働く。

2_20260317093501

マンスは、別の製紙会社に入社しようとするが、マネージャーのソンチュルにマンスは冷たく扱われる。コイツを殺してしまえば、自分はこの男の後釜として仕事が手に入るのではないかと、虫のいいこと思いつきを実行に移す。

マンスの再就職は叶わず、慣れないアルバイト生活にプライドは傷つく。目指すは同業他社の管理職。あのポストをいったい何人が狙っているのだ? マンスは「仕方がない」と自分に言い聞かせる。再就職のためには、競争相手を殺すしかない。

マンスは製紙業界に偽の募集広告を出し、自分よりも優れたプロフィールの2人の男を選ぶ。再び製紙会社の工場管理の職を得るために殺人に専心するが、ミスの連発で悪戦苦闘を繰り返す。
一方、ボムモは怠惰で不真面目な生活を送っている。ボムモの妻のアラはダメ夫に献身的である。

Photo_20260317093501

チェロに才能がある娘は自閉症気味の性格で両親に心を開かず、演奏を聞かせないのだ。

紙の原料の「pulp」は、「安物」や「低俗」の意味がある。「パルプ・マン」は小馬鹿にしているニュアンスもある。
晴れてマンスはかつての職場と同じポジションに戻る。

殺人を犯したマンスが、平穏な暮らしにのうのうとしていていいのか。何らかの報いが下されるべきではないのか?

2026年3月15日 (日)

読書三昧の年

 御茶ノ水にある予備校へは2回の乗り換えが必要だった。東横線で渋谷駅に行き渋谷から山の手線で新宿駅に出て、中央線で御茶ノ水駅に着く。予備校は御茶ノ水駅のニコライ堂のある側から神田方面に向かう坂の中途にあった。理系のクラスはAからFクラスまであって、初めはDクラスだったが、試験を繰り返すうちにCクラスになった。上のクラスはほとんどが東大志望との噂だった。昼食は予備校の近くにある立ち食いそば屋で、もっぱら天玉そばを食べた。

 7月まではアルバイトをして、8月から本格的に受験勉強をするという悠長なことを考えていた。予備校から欠席がちだと実家に通報するとのことだったので、予備校で知り合った友人に授業の代返を頼んだ。しかしアルバイトができたのは、4月と5月の初めの1ヶ月弱の間だけだった。代返が予備校の知るところとなり実家に通報され、アルバイトどころではなくなったからだ。アルバイト先は、総武線両国駅から歩いて10分ほどのところにある明治乳業のアイスクリーム工場だった。仕事の内容は、製造ラインを流れてくるカップアイスの傾きを直す作業だった。傾いて固まったカップのアイスクリームは売り物にならない。専用の防寒着に身を包み厚手のミトンの手袋をつけて、マイナス30度の冷凍室に入って作業をした。冷凍室にいる時間は10分、それを2人がひと組になり交代で行った。午前中だけだったが体力を消耗する仕事だった。

 1969年1月の安田講堂事件の後、学生運動は鎮静化に向かうどころか混乱はますますエスカレートしていった。駿河台の明治大学の校門には、ゲバ字で書かれた立て看板が立っていて歩道にはビラやビラの破片が散らばっていた。時には御茶ノ水駅周辺でデモ隊と機動隊のせめぎ合いがあった。授業が終わると御茶ノ水通りを下って神保町に行き、三省堂書店をのぞいてから古本屋街をうろついた。そのあと御茶ノ水駅に戻らず九段坂を上がり靖国神社の中を通って市ヶ谷駅にたどり着いた。あるいは足を伸ばして千鳥ヶ淵沿いを四谷駅まで行って中央線の国電に乗った。アパートに帰るとさっそく買ったばかりの本をむさぼるように読んだ。

 僕は東横線沿線のアパートに住んでいた。アパートに入って階段を上がると8畳と4畳半の部屋を東京医科歯科大学の大学院生が占め、その隣の3畳間を新聞配達をしながら司法試験の合格を目指す男性が借りていた。一番奥の3畳間が私の部屋だった。歩いて数分のところに定食屋があり、食事やアルーコール類を出していた。私は時々そこで夕食を食べた。床はコンクリートが剥き出しになっていて、カウンター席といくつかのテーブル席があった。5~6人の常連はニッカポッカの作業服に身を包み、カウンターとカウンターに近いテーブル席を陣取っていた。僕が店に入っても気に留めることなく大声でしゃべっていた。通ううちに、背がやや高く態度の大きい男がその集団を仕切っていることがわかった。ときどき口喧嘩が始まることがあって、大抵はその男が発信源で収束に導くのもその男だった。銭湯でもその男に会うことがあったが、例によって大きな態度であった。ある日、常連たちがビールを飲みながら枝豆を摘んでいて、そのうちに怒鳴り合いがはじまった。怒鳴り合いはエスカレートして、掴みかからんばかりの状態になった。態度の大きい男が「枝豆みたいなチ〇〇コしやがって」と叫怒鳴りながら投げた枝豆が、僕のテーブルに飛んできた。半分しか食べていない定食を大急ぎでかき込み、お金を払って引き戸を開けて外に出た。彼らにとって喧嘩はゲームのようなもので、掴みかかっても殴り合いになるようなことはなかった。その後も、その定食屋には通ったが、だんだん足が遠のくようになった。すこし遠いが踏切を越えて5分のところに大学生が利用する定食屋を見つけたからだ。銭湯ではときどき例の男を見かけたが、相変わらず大声でしゃべっていた。

 話は前後するが、アルバイト仲間に礼文島出身の大学生がいた。背が高くすらりとしていて二枚目だった。ギターを弾いていることや礼文島の自然の美しさを話してくれた。わが3畳間を訪れたくれたこともあった。その大学生が作業中に事故にあった。左小指を製造ラインの金属に挟まれて切断してしまった。切断指の再接着が最先端技術としてマイクロサージャリーと呼ばれ、マスコミで取り上げられた頃だったが、指は断端の処理が行われただけだった。包帯でぐるぐるまきにされた小指をかばいながら、ギターを弾けなくなったと言った悲しそうな顔を思い出す。
 年が明けて受験が間近になったので読書を控えることにした。1969年は生涯で最も多くの本を読んだ年になった。今思えば限りなくアナーキーな年であった。読書のおかげで現代国語は大いに自信がついたし、文庫の後ろのページに多数の本の紹介が載っていて、どれを読もうかと何回もページをめくったので日本の近代文学史がすっかり頭に入った。

2026年3月13日 (金)

ブゴニア

2025年製作/118分/PG12/アイルランド・イギリス・カナダ・韓国・アメリカ合作
原題:Bugonia
原作:『地球を守れ!』チャン・ジュナン
配給:ギャガ
劇場公開日:2026年2月13日
☆4.5(2)

予告編リンク
「 ブゴニア」とは、ギリシャ語の「bous(牛)」と「gonos(出産・発生)」を組み合わせた言葉。古代ギリシア・ローマの伝承で「牛の死骸からミツバチが自然発生する」と信じられていた現象や儀式のこと。死(牛)から新たな生命や再生(ハチ)が生まれるという寓意を持ち、死からの蘇りや世界再生を象徴する言葉として知られているという。
はじまりと終わりにミツバチが映しだされる。人類はミツバチの危機(蜂群崩壊症候群:CCD)を招いた。ヨーロッパ、アメリカ合衆国、インド、ブラジル、日本などで観察されている。フランス政府は、科学的根拠がないものの、殺虫剤の成分とミツバチ失踪の因果関連を踏まえて、予防原則に基づき、一部の農薬を使用禁止にした。『ハチはなぜ大量死したのか』ローワン・ジェイコブセン/中里京子訳/文春文庫/2011年
本作は、ストーリーはスティーヴン・キングの『ミザリー』に通じる監禁物である。

ブゴニア1

スーツで身を固めたエマ・ストーン扮するミシェルが颯爽と闊歩するシーンから物語ははじまる。
ミシェルは製薬会社「オークソリス」を率いるカリスマCEO。一流経済誌『フォーヴス』誌の表紙を飾るほどの著名人であり、モダンな豪邸で暮らしている。そこにミシェルの顔写真のお面をつけたふたり組が侵入し、ミシェルを拉致し監禁してしまう。ミシェルが脚をばたつかせて抵抗する誘拐のシーンは滑稽だ。

犯人はミシェルの会社の集配所で作業員として働くテディ(ジェシー・プレモンス)と、引きこもりの従弟ドン(エイダン・デルビス)。テディは自転車で通勤している。テディの母親はミシェルの会社の薬が原因で寝たきりになり、人工呼吸器に繋がれている。
養蜂家でもあるテディは、蜂の絶滅の危機や自分たちの身に降りかかったあらゆる不幸は、「人類を滅亡させようと企むアンドロメタ星人の仕業だ」と思い込んでいる。陰謀論者であるテディはミシェルがその仲間だとして、「宇宙船との連絡手段」である髪を丸刈りにして自宅の地下室に監禁してしまう。皇帝に地球からの撤退を連絡し、4日後の月食にやってくる宇宙船に自分たちも連れて行けと迫る。

ブゴニア4

ミシェルの毅然とした態度に、テディは彼女を宇宙では位の高い人物であると思い込み、友好的に3人で不味そうなパスタを食べる。そのうちにミシェルがテディの母親の保証金の金額に触れると激怒し、ミシェルにつかみかかりもみ合いなる。ダンが銃底でミシェルの頭を殴りミシェルは意識を失う。

テディの誘拐監禁の目的はとどのつまり猟奇的な殺人だった。ミシェルが隙をつい別の部屋を覗くと、切断された多数の人体のホルマリン漬けがあった。テディは殺人鬼であったのだ。
心理学の学位を持つミシェルは、「私は宇宙人だ」と宣言し、テディとの噛み合わない会話をあの手この手で丸め込むことに成功する。

【ここからネタバレ】
テディが車の助手席でライフルを携えるなか、ミシェルは車を運転して会社に乗りつける。目的はテディとミシェルが宇宙船に乗りこむことを宇宙船に連絡したように見せかけることだ。爆薬を腹部くくりつけたテディが、ミシェルに促されてCEOの部屋のクローゼットに入った直後に摩擦で爆弾が爆発して、切断されたテディの頭部がクローゼットから転がり出てくる。

これで終わらない。宇宙のことが残っている。
最終盤、宇宙で全知全能の皇帝であるミシェルが、目の前のドーム状の人間界をピン1本で瞬時に絶滅させる挙にでる。人間界を覆っていたドームはあえなく破裂し、人類はあっけなく滅亡するのだった。

エンディングはマレーネ・ディートリヒの歌う、「Where Have All the Flowers Gone?」が物悲しく流れる。

監督アリ・アスターがプロデューサーに名を連ね、2003年の韓国映画『地球を守れ!

→人気ブログランキング
にほんブログ村

2026年3月12日 (木)

スティーヴン・キング

 スティーヴン・キングの立ち位置は紛れもなくモダン・ホラーである。アメリカのごく平凡な町で日常の描写を詳細にかつ執拗に行うとことが、キングの特徴である。モダン・ホラーは、現代のテクノロジー社会や都市生活において、個人の内面におけるストレスや不安から生じる恐怖を描くジャンルである。一方、クラシック・ホラーは、1920年代から1980年代前半までに発表された、人間の根源的な恐怖を描いた名作群であり、ドラキュラやフランケンシュタインなどのモンスター、ゴシックな雰囲気、心理的恐怖、そして後のホラーへの影響力の深さが特徴である。ホラー以外もキングの守備範囲は驚くほど広い。映画の原作を挙げると、『スタンド・バイ・ミー』(1986年)、『ショーシャンクの空に』(1994年)、『グリーンマイル』(1999年)などの大作を手掛けている。最近では、『ランニング・マン』(2026年1月)と『サンキュー、チャック』(2026年5月)はキングによる。

 キングは『死の舞踏』(ちくま文庫 2017年)のなかで、根本的な考えに「ホラーには寓意性がある」としている。怪物は怪物そのものではなく、現実にわれわれが恐れている何かのメタファーであるという。優れたホラーは寓意であり象徴なのだ。キングは恐怖には3段階あるとする。第1段階は嫌悪「リヴィルジョン」、ウゲッとなる生理的不快さ、一番低劣な怖さである。第2段階は恐怖「ホラー」、ゾッとする感じである。暗闇、墓場、幽霊屋敷、得体の知れないものがいそうな怖さだ。怖いもの見たさはこの段階で起こる。第3段階は戦慄「テラー」、致死に限りなく近い悲鳴が上がるような体験である。キングはクラシック・ホラーの『吸血鬼ドラキュラ』、『ジキル氏とハイド』、『フランケンシュタイン』を例に挙げて、モンスターを分類している。第1段階は吸血鬼、これはセックスの恐怖だという。第2段階は「人狼」、ジキルとハイドのように、普通の人が隠している狂気である。第3段階は名前のないものである。『フランケンシュタイン』の人造人間に代表される。ちなみに、「フランケンシュタイン」は人造人間の製作者の博士の名前である。その他に幽霊がいる。このホラーとテラーという用語は、ゴシック小説の大家と呼ばれたイタリア人作家のアン・ラドクリフ夫人が、2世紀前に言い出したものであるという。
 ホラーの帝王と呼ばれ、モダン・ホラーの創始者でもあるキングの受賞歴は華々しい。世界幻想文学大賞(1982年、1995年、2004年)、ヒューゴー賞(1982年)、オー・ヘンリー賞(1996年)、ブラム・ストーカー賞(1988年、1996年、1997年、1999年、2007年、2009年)、日本推理作家協会賞・翻訳部門(2025年)など、数々の文学賞を受賞している。
 キングの作品は半端のない長さの作品が多い。文庫本3、4冊に相当する作品がざらにある。2020年に読んだ『アンダー・ザ・ドーム』(2013年)は、厚い文庫本4冊分であった。そのあらすじは、アメリカ東部の人口2000人の田舎町が、ある日突然目に見えないドームに覆われてしまう。外界から完全に隔離された町の住民は脱出と生存をかけ、ドームの謎の解明に挑むことになる。
 キングの作品の多くが映画化またはテレビドラマ化されている。同じ作品が焼き直しされて採用されている場合もある。多作家であると同時に着眼点がユニークであるから、勢い映画の原作に採用される機会が多くなる。これまでの単行本の発刊数は70冊を超え、映画化作品は70点以上である。

 キングは1947年生まれ、生誕地はメイン州ポートランド、メイン州はアメリカ東海岸の最北部に位置しカナダと国境を接する。ここで唐突だが、キングの作品群は登場人物に人種に著しい偏りがあることに触れたい。主人公たちはことごとく白人である。有色人種はほぼ登場しない。そんなキングの生まれた街ポートランドは、有色人種がほとんどいない白人の街であるという。作品の人種的な偏りは批判の的になっているが、キングはどこ吹く風である。
 キングが2歳の時、父親ドナルドはタバコを買いに行くと言って家を出たまま失踪している。その後母親は祖父母の面倒をみながら、朝から深夜まで働き、息子2人を育てあげた。キングは地元のメイン大学を1970年に卒業して、1971年に大学の図書館でのアイバルト中に知り合ったタビサ・スプルースと結婚した。教師の職に就くが給料が安くて教職のみでは生活ができないので、放課後はクリーニング店で働き、夜は執筆に勤しんだ。その成果が『キャリー』である。1973年『キャリー』のペーバーバック版が40万ドルで売れたことによって、本格的に作家デビューを果たした。『キャリー』は、いじめに遭っていた少女が超能力で復讐を遂げる物語である。1973年に本格的に作家の活動に入り2作目の長編『呪われた町』(1975年)を完成させた。吸血鬼の恐怖が町を崩壊させる物語である。
 1974年の秋、キングはメイン州を離れてコロラド州ボルダーに移り住み、滞在中にコロラドを舞台とした『シャイニング』を書く。1975年の夏、メイン州に戻り居を構え、ボルダーを舞台とした『ザ・スタンド』を書き上げる。また『デッド・ゾーン』も同じ時期に書かれている。
 1976年にメイン州バンゴアに移り住み、『IT』の構想を練りはじめる。文庫本4冊の『IT』 は1986年に発刊される。殺人ピエロが恐怖を招く物語である。1977年の秋、キングは英国に移住して、本格的なゴースト・ストーリーを創作しようとするが挫折した。帰国後『クージョ』(1981年)を完成させている。その内容は、狂犬病に感染した巨大なセント・バーナード犬が、田舎町で親子を恐怖に陥れるストーリーである。1980年代の半ばから、以前からのアルコール依存症に加えて薬物依存症になり、妻から「治療を受けるか家族と別れるか」との選択を迫れて、治療を選び依存症を克服した。
 『書くことについて』(小学館文庫 2013年)の最終章の「あとがき」には、キングが交通事故に遭遇したことが書かれている。 1999年6月19日、散歩中に危険運転常習者の男性が運転するヴァンに轢かれて下腿に複雑骨折を負う。驚くべきことに男はこれまで交通違反で10回以上つかまっている。救急車を待つ間、最終的には救急ヘリで高次の救急病院に搬送されるのだが、加害者とのんびりと話す場面を書いている。
 1985年2月9日、バンゴアの地元新聞紙上で、キングはリチャード・バックマン名義で1977年から84年にかけて5冊の本を出したことを認めた。その記事を目にしてあわてふためいたのはキングの読者たちである。あわててバックマンの本を注文したが、後の祭り。『ハイスクール・パクニック』(1977年)、『ロードワーク』(1981年)、『バトルランナー』(1982年)はすでに絶版、『死のロングウォーク』(1979年)は版を重ねていたのでいくらかの在庫があったものの、これもじきに完売した。最新作の『痩せゆく男』(1984年)を除いては、もはやバックマンの4作品は通常のルートでは手の入らない幻に書物と化していたのである。
 1974年に『キャリー』でデビューして以来半世紀が経過するが、その間現在に至るまでベストセラー作家のNo1に君臨してきたキングは、旺盛な作家活動を続けている。キング自身が述べるように、「自分の誕生日と独立記念日とクリスマス以外の毎日書き続けている」ために絶えず新作の長編のストックが2、3本ある状態らしい。それに加えて、未収録の短編やエッセーが数多くあるという。「それが腐らないうちに出荷したい」とキングは語るのだが、腐らならいうちとは旬のうちにという意味で、たとえば時事ネタは遅れれば腐ってしまう。
 キングの作品には批判が寄せられることはまれではない。アメリカの学校で最も検閲されている作家はキングである。「ペン・アメリカ」は、2024年から2025年にかけて6.870冊の本の撤回を予測しており、最も多く禁止された作家はキングである。キングの作品は累計206冊の禁止処分を受けているという。
 ベストセラーの作家の場合、読者を少々欲求不満にしておいた方が売り上げがよいということで、出版社はキングに年1冊以上を出版することを許さない。出版したがりのキングは、出版社の機嫌を損ねないように限定盤という少部数形式で、出版してきたという。だが、未発表の作品が次第に溜まっていく。作品が腐らないうちに出荷されるためには、ペンネームが必要だったのである。キングにはリチャード・バックマンのほかにもジョン・スウィゼンというペンネームがある。このペンネームを使って書いたのはホラーでなくて犯罪小説だった。
 かつては、ホラー小説の登場人物と言えば青い顔をしてオカルト文献の目録を作成するオタク図書館員やら老隠遁者と相場は決まっていた。多くのホラー作家は、エドガー・アラン・ポーのスタイルに従って作品をエキゾチックに華やかにする。おかげで、一般の読者は初めの2、3ページでついていけなくなってしまう。キングは伝統的なゴースト・ストーリーのキャラクター像を一新させたのである。キングは普通の人々を登場人物に仕立てるのが実にうまい作家だ。

 キングの愛読書の1冊に、英国のノーベル賞作家ウィリアム・ゴールディングの代表作『蝿の王』(新潮文庫 1975年)がある。20年前に『蝿の王』をネットで申し込むと、日焼けした汚い文庫本が送られてきた。1万円を超える機構本である。その後2017年に、誠に迷惑なことに、『蝿の王』の新訳版が早川書房から「ハヤカワepi文庫」の1冊として出版された。わが本棚でひときわ輝きを放っていた『蝿の王』が、新訳本の出現で輝きに陰りが見えたことは、はなはだ残念である。
 最近、劇場で『ランニング・マン』を観た。原作はスティーヴン・キングすなわちリチャード・バックマン名義になっているが、まさにキングらしい展開の作品であった。キングらしいというのは、主人公に災難がこれでもかというほど執拗に降りかかってくるという意味である。
キングは2026年も弛まず大好きな執筆に勤しんでいることだろう。

 

参考図書)
『スティーヴン・キング論集成 アメリカの悪夢と超現実的光景』風間賢二 青土社 2021年
『ランニング・マン』スティーヴン・キング リチャード・バックマン名義 酒井昭伸訳 扶養社ミステリー 2025年
『書くことについて』スティーヴン・キング 田村義進訳 小学館文 2013年
『死の舞踏 恐怖についての10章』スティーヴン・キング 安野玲訳 ちくま文庫 2017年

 

2026年3月 5日 (木)

木挽町の仇討ち

本作は、第169回直木賞、第36回山本周五郎賞をW受賞した永井紗耶子の作品である。そもそも、本作は直木賞受賞作の中でも群を抜いている、傑作中の傑作である。
狂言で仇討ちをやって退けようという話であるから、のっけからネタバレにならざるを得ない。

予告編にリンク

木挽町の1

2年前の睦月の晦日、雪の降る夜、元服前の美少年の菊之助は、父親を殺めた下男を討った。その仇討ちの現場を見ていた何人かの人物から、菊之助の縁者を名乗る武家が仇討ちの様子を聞き出す。その武家を演じる柄本佑が飄々した語り口でいい味を出している。

木挽町のあだ討ち1

話を聴く人物は、芝居小屋森田屋の木戸芸者一八、森田屋殺陣の指南している与三郎、女形の吉澤ほたる、小道具の久蔵であるがそばにいる九蔵の妻はなにも知らない。

木挽町の3

まず武家が芝居小屋森田屋の木戸芸者一八から話を聞く。木戸芸者とは芝居小屋の入り口にいる客引きのこと。
一八が木戸芸者として板についた頃、菊之助が森田屋に現れてしばらく黒子として働いていたという。仇討ちを果たして、無事に本国に帰り家督を継いで母上も大層喜んでいらっしゃると、手紙がきたという。
次は、森田屋で殺陣の指南をしている与三郎もという人物も仇討ちの一部始終を見ていたという。菊之助さんに木刀で剣の指南を申し上げた。そして雪の降る夜、仇討ちを成し遂げられたと言った。

女形の芳澤ほたるは森田屋で端役の連中の衣装を整える仕事をしている。ある日、菊之助が古い赤い着物をもらいにきた。

木挽町2

仇討ちとはいうけれど、菊之助は仇を探している様子もない。敵がどこにいるか知っているし、あちらも菊之助に見つかっていることを知っているというのだ。この辺りで訳ありの仇討ちだということがわる。

 

小道具の久蔵は無口を通り越して「ああ、うん」しか言わないが、内儀お与根がよく喋る。
菊之助は久蔵のところで寝泊まりしていた。
歌舞伎役者の團蔵丈は、久蔵に『菅原伝授手習鑑』に出てくる松王丸の子の首を作るよう命じたという。

仇討ちを見たと武家に語る人物たちは、睦月の晦日の雪の降る夜に、赤い着物を纏った菊之助が血の滴る生首をぶら下げた姿を見たという。
そんなか、いかにもの所作で完結した仇討ちの裏側が語られる。

映画の最後は、大名行列の籠の中にいるかつての美少年の藩主が、芝居小屋の前で籠を降りて姿を見せる。原作にはない締まる場面である。

配役
柄本佑:加瀬総一郎(あだ討ちの真相を探る侍)
渡辺謙:篠田金治(森田座の重鎮)
長尾謙杜(なにわ男子):伊納菊之助(仇討ちを成し遂げた若侍)
北村一輝:作兵衛(殺される無法者を演じる元家臣)
瀬戸康史:一八(木戸芸者)
遠藤賢一:相良与三郎(殺陣師)
イモトアヤコ:お与根(小道具方の妻)
高橋和也:芳澤ほたる(衣裳方)
正名僕蔵:久蔵(小道具方)
野村周平:遠山安房守(新藩主)
石橋蓮司:滝川主馬(家老)
伊納たえ(菊之助の母)
監督:源孝志
書評ブロブ『木挽町のあだ討ち』にリンク
ーー
江戸時代の「正式な仇討ち」は、主君や目上の肉親を殺された武士が藩や幕府へ「敵討届」を提出し、許可を得て合法的に相手を討つ制度。届け出後は脱藩し、長い苦労を経て隠し通す仇を見つけ出し、私闘ではなく「公認の復讐」として実施された
正式な仇討ちの条件とルール
江戸時代、幕府の秩序維持(忠孝の観点)のために黙認された制度であり、厳格なルールが存在した。
対象者: 原則として親、祖父母、兄弟、主君の仇に限られる(目上から目下への復讐)
届け出: 藩や所轄の役所へ事前に「敵討届」を提出し、許しを得る必要があった。
連鎖の禁止: 返り討ちに遭った場合、その遺族がさらに仇討ちをする(重敵・又候敵討ち)ことは禁止された。の制限: 寺社仏閣や、屋内などでの殺害はご法度とされるケー
スがあった。

仇討ちのプロセス
申請: 家老や藩へ敵討許可書(認可)を申請する。
追跡: 浪人の身分となり、手配書などを頼りに仇を追う。多くは長い年月の旅となる。
討ち取り: 仇を見つけ、合法的に討つ。
報告: 討ち取った後、地元の役所に報告・検分を受ける。
恩賞: 成功すれば、名誉回復や家名の再興が認められる。

 

« 2026年2月 | トップページ | 2026年4月 »

2026年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ