スポーツ

2022年2月 1日 (火)

プロレス少女伝説 井田真木子

第22回(1991年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作(同時に受賞したのは家田荘子の『私を抱いてそしてキスして エイズ患者と過した一年の壮絶記録』)。
有名なエピソードだが、立花隆はこの作品を「どうでもいいことを巧みに描いた典型」『文藝春秋』(1991年5月号)と評した。
Photo_20220201084401プロレス少女伝説
井田真木子 
文春文庫 
1993年 350頁

著者は、1983年、女子プロレスの観客に異変が起きていることに気づいたという。
中年男性の他に、小学生も混じえたローティーンの少女の一群を見るようになった。そして、あっという間に中年男性と少女たちは数で拮抗するようになっていった。そしてヤジを飛ばす男たちに少女たちは「カエレ」コールを浴びせるようになった。
つまり、エロ目線で女子プロレスを観ていたオヤジたちが、女子プロレスラーをヒーローと称えるローティーン女子の熱狂的なプロレス愛に、試合会場からはじき出されたのだ。
この後、ティーンエイジャーの少女たちの間で女子プロレスが熱狂的なブームとなる。

著者は80年代に活躍した4人のヒロインたちに直接インタビューを行なって、本書を書き上げた。
その4人とは、中国籍だった天田麗文、白人の父親と先住民族の母親から生まれたアメリカ国籍のデブラ・アン・メデューサ・ミシェリー、柔道の日本チャンピオンだった神取しのぶ、そしてライオネル・飛鳥と組んでクラッシュ・ギャルズとして空前の人気を博した長与千種である。

日米の女子プロレスの歴史に触れている。
アメリカでは、女子プロレスは男子プロレスの前座的なものでしかなく、つけ足しであり、性的な見せ物の要素が強く、そこから発展しなかった。
日本には江戸時代から女相撲という人気の興行があり、男の大相撲から興行差し止めの願いが出されるほど人気があったという。そうした素地が、日本の女子プロレスを独自に発展させたと著者は分析している。

ところで、タイトルが『プロレス少女伝説』と、なぜ「少女」なのか。多くの女子プロレスラーがプロレスと関わったのは10代である。そして20歳代後半で引退していく。さらにファンの年齢は、少女に属するものだった。「少女」にした意味はそこにある。

立花隆の論評は続く。「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと私には全く関心がない」と続けた。
いくらなんでもの論評だが、これはあるパーセントの人が抱くプロレスのイメージだろう。プロレスを蔑視している人はいる。

最近プロレスを観ることはないが、力道山に歓喜しプロレスごっこで遊んだ団塊の世代の私は、プロレスに恩義があると思っている。プロレスには演技の部分が多数あることは、当時の小学生にすらバレていた。それでも大人も子どもも熱狂したのである。要は試合のストーリーに観客を納得させるものがあればいいのだ。それだけだ。→人気ブログランキング
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2021年6月15日 (火)

ファイト 佐藤賢一

モハメド・アリのボクサーとしての運命を変えた4試合を、戦っているアリの目線で書いたユニークな作品。
その試合は、1964年の対ソニー・リストン戦、これはアリの世界戦初挑戦である。第二試合は、アリが徴兵を拒否し、ボクシング・ライセンスを剥奪されて復帰したあと、1971年、ジョー・フレージャーとの世界チャンピョンタイトル戦。第三試合は、1974年、アフリカ・コンゴ共和国で行われたジョージ・フォアマンとの一戦。「キンシャサの奇跡」と呼ばれた。
第四試合は、1980年、対ラリー・ホームズ戦。ヘビー級タイトルマッチ。
アリは3回世界チャンピョンに返り咲いている。この4試合はいずれもチャレンジャーとして戦った試合である。
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佐藤賢一
中公文庫
2020年 368頁

アリは、1942年1月17日、ケンタッキー州ルイビルで、普通の家庭の子供として生まれた。小学校でボクシングをはじめ、その後めきめき頭角を現し、1960年のローマオリンピックで、ライトヘビー級の金メダルを獲得した。

第一試合
1964年2月24日、マイアミビーチで、アリはヘビー級チャンピオンのソニー・リストンに挑戦した。リストン32歳、アリ22歳
試合前にロリンズの家に、朝の4時に押しかけ、口汚く罵り挑発をする。
セコンドは名将アンジェロ・ダンディだ。 
第1ラウンド、蝶のように舞い蜂のように刺した。自陣コーナーに帰ってきて生き延びたことに安堵した。  
第6ラウンド、TKOで勝った。
翌日、それまでカシアス・クレイと名乗っていたアリは、イスラム教徒であることを発表し、1週間後、モハマド・アリに改名した。

1966年1月、アリに徴兵令状がきたが、アリは徴兵を拒否をした。世論はアリに非難を浴びせた。それだけでなく、ニューヨーク州ボクシング委員会がライセンスの停止を通告し、各州がこれに倣い、アリがアメリカで試合ができなくなるまで1ヶ月とかかからなかった。世界タイトルも剥奪され、6月には裁判で懲役5年が言い渡された。
しかし、1970年にボクシングライセンスの停止は憲法違反と裁判所の判断が示された。世界戦は復帰3戦目だった。

第二試合
1971年3月8日、ジョー・フレージャー戦。NY、マジソン・スクエア・ガーデン。
世界チャンピオン同士、二人とも無敗である。アリ(29歳)31勝無敗、ジョー(23歳)26戦無敗。
フレージャーは、1964年の東京オリピックの重量級で金メダルを獲得した。シュシュと息を吐きながら小刻みに体を揺らし闇雲に突進してくる戦闘スタイルは、「機関車ジョー」と呼ばれた。
死闘と呼ぶにふさわしい試合だった。アリは判定負けを喫したがダメージはさほどでなく、一方、フレージャーは1週間の入院を強いられた。

第三試合
1974年10月30日、ザイール共和国のキンシャサで行われた。ジョージ・フォアマンとのヘビー級タイトルマッチ。
6万人収容の「5月20スタジアム」で行われた。特設リングからリングサイド席にかけて雨よけに硝子の屋根がかけられた。
リング入場は午前4時だった。アメリカのゴールデンタイムに流すための都合だった。
ジョセフ・モブツという軍人上がりの独裁者がいて、売出し中のプロモーター、ドン・キングがモブツ大統領の誘致話に飛びついた。

「ザイール74」と題した音楽イベントが企画された。ジェームス・ブラウンやB・B・キング、ザ・クルセダーズのライヴをやると、話が大きくなっていく。ファイトマネーは破格の545万ドル。このときフォアマン25歳、アリ32歳だった
ケン・ノートンもフレージャーも、第二ラウンドでノックアウトをくらっている。
試合が始まるとマットはふわふわで足を取られ、ロープがゆるくロープに寄りかかると腰をかけるような姿勢になった。ロープにもたれていれば的が遠くなり相手のパンチの当たりは浅くなる。だから効かない。攻め続ければ疲労の色が濃くなる。この戦術を使ったのがフォアマンのセコンドについている男アーチー・ムーアー。50歳近くまでボクサーを続けた。アリはこの戦法を「ロープ際の愚か者(rope a dope)」と名づけた。
第8ラウンドでアリのKO勝ち。「キンシャサの奇跡」と呼ばれている。

第四試合
1980年10月2日、ラスベガス。
アリがリタイアして丸2年経ってのカンバック戦。アリ38歳。ラリー・ホームズ30歳。 
ラリー・ホームズは長い間アリのスパーリングパートナーをつとめていた。
10ラウンド、ラリー・ホームズのTKO勝ち。→人気ブログランキング 
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2014年2月12日 (水)

ザ・チャンプ  伝説のファイター

エディプス・コンプレックスを抱え、結婚生活はうまくいかず、仕事はスランプ、そんな主人公が苦境を脱却できたのは、自らの過ちに対し真摯に立ち向かったことだった。
日本未公開。ストーリーの出来はいいし、サミエル・ジャクソンの落ちぶれた元ボクサーの演技は珠玉ものだが、映画自体の評価はなぜかいまひとつのようだった。
A76ead56cf874f3f9abf3abfaae2b7e7ザ・チャンプ 伝説のファイター
Resurrecting The Champ
監督:ロッド・ルーリー
脚本:ミッチェル・ボルトマン/アリソン・バーネット
アメリカ  2007年 112分 

エリック・カーナン・ジュニア(ジョシュ・ハートネット)は『デンバー・タイムズ』のスポーツ担当の記者。同僚の妻ジョイス(キャサリン・モリス)とは別居中で、ふたりには6歳の息子がいる。エリックが書く記事は次々にボツになりスランプに陥っている。何かにつけ伝説のリポーターと呼ばれた父親の話題が出ることに辟易している。

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ある夜、エリックは街のチンピラに絡まれた老いた黒人の路上生活者(サミエル・ジャクソン)を助ける。チャンプと呼ばれるその老人はかつてヘビー級ランキング3位になったことがあるボブ・サックフィールドであることを知る。エリックは、サックフィールドの栄光と挫折の半生を記事にしようと考えた。

はじめは取材を拒否していたサックフィールドだが、やがて協力するようになる。
資料集めを頼んだ同僚のポリー(レイチェル・ニコルス)は、存命の対戦相手やサックフィールドの息子の存在を調べ上げ、さらに蒐集家が持っていたサックフィールドの試合のビデオを見つけ出してきた。
こうしてエリックは記事を書き上げる。

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記事は高く評価され、エリックの週刊誌部門への昇格が決まり、テレビ局からの引き抜きの話も持ち上がる。有頂天になっているエリックにボクシング関係者から、サックフィールドは20年前に亡くなったはずだと電話がくる。裏を取ることを怠ったエリックは記者として致命的なミスを犯してしまったのだ。

記事の捏造は映画のテーマになる。
ニュースの天才』(03年)は、意図的にニュースを捏造する若手人気コラムニストの話。『ペーパーボーイ 真夏の引力』(12年)は、死刑囚を冤罪と捏造してしまう話。いずれにせよ、記事の捏造は故意であろうとなかろうと記者にとって致命的である。

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妻は訂正記事を書きすべてを明らかにするよう諭すが、エリックは素直には従えない。八方塞がりになったエリックが酔っ払って、チャンプに喰ってかかると、呆気なく殴り倒され病院に運ばれてしまう。チャンプにはサックフィールドになりすまして生きた止む終えない理由があったのだ。

エリックは損害賠償を要求するサックフィールドの息子に謝罪すると、温情のある息子は本物のサックフィールドについて書いてみないかと持ちかけるのだった。エリックはなんと運のいい奴なのだろう。

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エリックは自らが犯した過ちを息子に話すと、偉大な父親の呪縛が解け、妻との関係も修復される。そしてやっと「ムーチョグランデ」の気分になる、チャンプが絶好調のときに口にした言葉だ。→ 人気ブログランキング

2013年12月 6日 (金)

プリティ・リーグ

1943年、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に大リーガーが招集され、選手不足でプロ野球の人気が低迷したときに、全米女子プロ野球リーグが発足した。
1988年にはニューヨーク州クーパーズタウンの野球殿堂博物館にて、1954年まで行われた全米女子プロ野球リーグの殿堂入りセレモニーが行われれている。
そのセレモニーに出席するために家を出る主人公ドディが映し出されて映画は始まり、終わりにはかつての選手たちがクーパーズタウンで再開を喜ぶシーンや余興の野球に興じるシーンが映し出される。
本作は史実をもとに、女子プロ野球リーグ創設の1年間を描いたフィクションである。
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A League of Their Own
監督:ペニー・マーシャル
脚本:ババルー・マンデル/ローウェル・ガンツ
原案:キム・ウィルソン/ケリー・キャンディール
音楽:ハンス・ジマー
アメリカ 1992年 128分 

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オレゴン州の片田舎に住むソフトボールの花形キャッチャー・ドディ(ジーナ・デイヴィス)とピッチャーのキット(ロリー・ペティ)姉妹は、酒場のダンサーだったメイ(マドンナ)、子連れのエブリン、強打者のドリス(ロージー・オドネル)ら個性豊かな選手が揃うピーチーズに所属することになる。

キットには、何もかも万能で美貌の姉ドディに対するコンプレックスがあり、これがストーリーの重要なキーになっている。
監督は、膝を壊して大リーグを引退したアル中の元大打者ジミー・ドゥーガン(トム・ハンクス)。

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選手たちは、厳しい規律もなんのその、監視役の女史に毒を盛ったり、ダンスホールで羽目を外したりして息抜きをしつつ、バスで移動しなから試合を続ける。マドンナの酒場での踊りは見もの。
そうした選手たちの懸命なプレーに女子プロ野球の人気が高まり、監督は酒を絶って真剣にコーチをするようになる。監督は夫がヨーロッパ戦線にいるドディに、いつしか心を寄せていく。

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ある試合でピッチャー・キットの交代を巡って姉妹の関係がこじれ、キットがトレードに出されることになり、姉妹の間には決定的な亀裂が生じてしまう。
シーズンが大詰めをむかえ、ピーチーズとキットが移籍したベルズがワールドシリーズの決勝にたどり着く。

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ワールドシリーズでは両チームが譲らず最終戦までもつれ込み、最終打席に立ったキットがヒットを打てば、ベルズがサヨナラ勝ちとなる場面をむかえる。
ドディはピッチャーに、キットのソフトボール時代からの弱点である高めの速球を要求し続ける。

個性豊かな若い女性たちが繰り広げる青春グラフティ、女の世界を女性監督ならではの視点からさらりと描いているところがいい。
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2012年8月19日 (日)

レスラー

1980年代後半、人気プロレスラーだったランディ(ミッキー・ローク)は、20年たった今は、満身創痍。引退を考えているが、貯えがない。そもそもレスラー以外の仕事は思いもつかない。
ランディの生き様は、頑な生き方を貫き波乱の人生を送るミッキー・ローク自身にダブって見える。
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原題:The Wrestler
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:ロバート・シーゲル
製作:ダーレン・アロノフスキー/スコット・フランクリン
音楽:クリント・マンセル
製作国:米国  2008年  115分

仕込んでおいたカミソリで自ら額を切り、血を流す壮絶な試合を演出する。あるいは、有刺鉄線に絡まれ、巨大なホッチキスで何箇所も皮膚を留められ、ビンで頭を殴られ、ブリキ缶で背中をしたたか殴られる、という身も心も痛みを伴う試合をしている。
そんな試合をしても、痛みを和らげる薬や筋肉増強剤を購入するとファイトマネーは消えてしまい、家賃の支払いもままならない。
そうしたツケがたたり、左耳は難聴となり補聴器の世話になっている。腰も肘もガタガタ、心臓病も抱えている。

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ストリップバーで仕事をする2人の子供を抱えるシングルマザーのキャシディ(マリサ・トメイ)も、ランディと同じように身を削ってぎりぎりにところで生きている。そうしたふたりは心を通わせている。
疎遠になっていた娘(ステファニー・ラムジンスキー)との関係を取り戻そうとするのだが、娼婦と一夜を過ごし約束の時間をすっぽかしてしまい、娘から絶縁される。

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そんななか、心臓発作を起こし、心臓のバイパス手術を受けるのだった。
激しい運動はドクターストップがかかり、肉屋の店員として働くが、そんな仕事が続くはずもない。

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やがて昔人気を博したライバルとの再選を企画する。
ランディは会場に駆けつけたキャシディの制止をきかず、リングに上がる。胸痛を感じながら、コーナーポストに上がりダウンしている相手目掛けて必殺技のダイビングを試みようとするのだった。ランディーは、まるでミッキーロークそのものだ。

シモーヌ』(03年)では、まだあどけなかったステファニー・ラムジンスキーが、すっかり大人になった演技を披露している。
アカデミー賞主演男優賞(ミッキー・ローク)、助演女優賞(マリサ・トメイ)にノミネートされた。→人気ブログランキング
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2012年8月18日 (土)

ザ・ファイター

麻薬中毒の兄ディッキー(クリスチャン・ベール)は天才的なセンスを持つ元プロボクサー。シュガー・レイからダウンを奪ったと豪語する町のヒーローだ。薬物撲滅のキャンペーンのためのドキュメンタリーテレビ番組をHBCが作成中。ディッキーは自分の成功の物語を作っていると錯覚している。
Image_20201228195601ザ・ファイター 原題:The Fighter
監督:デヴィッド・O・ラッセル
脚本:スコット・シルヴァー/ポール・タマシー/エリック・ジョンソン
原案:キース・ドリングトン/ポール・タマシー/エリック・ジョンソン
音楽:マイケル・ブルック
製作国:アメリカ合衆国  2010年  115分

弟ミッキー(マーク・ウォールバーグ)はミドル級のボクサー、時間にルーズなトレーナーのディッキーに振り回されれて練習がままならない。おまけに母親(メレッサ・レオ)のいい加減なマネージメントで、試合直前になって階級が上の対戦相手に変わる始末だ。ふたりには7人の姉妹がいる。

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そんなミッキーは、バーで働くシャーレイン(エイミー・アダムス)に一目惚れしてしまい、付き合うようになる。シャーレインは、ミッキーにまとわりつく母親と兄との縁を切って、ボクシングに打ち込むようにと進言する。
そんな折、ディッキーは麻薬所持と暴行で警察に捕まり、助けようと駆けつけたミッキーは大切な右の拳に怪我を負ってしまう。

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刑務所でのディッキーは麻薬が抜けて健康を取り戻し、自らのの復帰戦を夢見てトレーニングを積むのだった。兄がいなくなり、新しいトレーナーとマネージャーの元でボクシングに打ち込んだミッキーは、実力を発揮していく。ついにはタイトル戦に挑戦するまでになる。
出所した兄を、はじめはトレーナーとして受け入れなかったミッキーだが、麻薬と縁を切った兄とトレーニングを重ねるうちに、兄弟でタイトル戦を戦おうと考えるようになる。

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兄弟愛の物語。
実話に基づいているせいか、ずしりとくる内容になっている。
ディッキー役のクリスチャン・ベールと母親役のメリッサ・レオの際立った演技が、この作品を引き締めている。『アメリカン・サイコ』(00年)で狂気の殺人鬼を、『プレステージ』(06年)で天才マジシャンを演じたクリスチャン・ベールは、本作の役作りのために髪の毛を抜き、悪い歯並びに矯正したという。

本作は、アカデミー賞の作品賞、監督賞、助演男優賞、助演女優賞(エイミー・アダムス、メリッサ・レオ)、脚本賞、編集賞にノミネートされ、助演男優賞をクリスチャン・ベールが、助演女優賞をメレッサ・レオが受賞している。→人気ブログランキング

2012年6月15日 (金)

『インビクタス/負けざる者たち』

ネルソン・マンデラの自叙伝『自由への長い道』の発表記者会見で、「自叙伝が映画化されるとしたら、大統領ご自身を誰に演じてもらいたいか」という記者の質問に、マンデラは「モーガン・フリーマン」と答えたという。
それを知ったフリーマンはマンデラに面会し、その後、自叙伝の映画化権を買い取り、脚本をイーストウッドに送って映画化の話をもちかけた。
イーストウッドは二つ返事でOKしたという。

インビクタス / 負けざる者たち [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2010-11-03)
原題:Invictus
監督:クリント・イーストウッド
脚本:アンソニー・ペッカム
製作総指揮:モーガン・フリーマン
音楽:カイル・イーストウッドマイケル・スティーヴンス
製作:アメリカ合衆国 2009年

1990年、ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は27年間の投獄生活から開放される。
1994年には、南アフリカの大統領に就任する。
それまで権力の中枢に仕えていた白人たちは、アパルトヘイト政策に対するマンデラの報復を恐れて大統領府を去ろうとするが、マンデラは就任の挨拶で今まで通りに仕事を続けてくれるように願う。
マンデラは、国の秩序を維持するために黒人と白人の対立を極力避けたかった。

南アフリカでは、ラグビーは白人の富裕階級のスポーツとみなされ、黒人には人気がなかった。
そんななか、南アフリカ代表チームのスプリングボクスは国際試合で負けが続いていた。
この際、チーム名もユニフォームも変えるべきであると黒人たちが指摘するが、マンデラはそれに反対した。
マンデラは、主将のフランソワー・ピノール(マット・デイモン)を大統領府に招き激励する。
その後、スプリングボクスの選手たちは、ボランティアで貧しい黒人の少年たちにラグビーを指導する。
フランソワーたちはマンデラが収監されていたロベン島の監獄を見学して、マンデラの不屈の意志を感じるのだった。

1995年のラグビーW杯でのスプリングボクスの下馬評は、決勝トーナメントに勝ち進めないだろうというもの。
しかし、そうした大方の予想を覆し予選リーグを突破し、決勝トーナメントをなんとか勝ち進み、ニュージーランドのオールブラックスとの決勝戦に望んだ。

いい映画作ってくれるねー、スポーツものは爽やか。

【第3回ラグビーワールドカップ南アフリカ大会】
(1995年5月25日~6月24日)

決勝トーナメントは、南アフリカ、西サモア、フランス、アイルランド、イングランド、オーストラリア、ニュージーランド、スコットランドの8ヵ国で争われた。
優勝:南アフリカ
2位:ニュージーランド
3位:フランス
4位:イングランド
ちなみに日本は、予選C組最下位の4位であった。

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