文化・芸術

2021年9月19日 (日)

批評の教室ーチョウのように読み、ハチのように書く 北村紗衣

著者は武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批判。ウィキペディアの執筆者でもある。
副題の「チョウのように読み」は、情報から情報に移動するフットワークが重要であることを指し、「ハチのように書く」は、一箇所のポイントを決めて突っ込むのがやりやすい方法であるという意味である。タイトルや副題は、読者の心を掴み、批評の方向性を絞るようなものがいいという。本書ではモハメド・アリがキーワードのひとつになっている。とぼけた味の、意味深イラストがいい。
本書の評価は★5です。
3ac0903a4ee94a35a7e181e1605d2bcd批評の教室ーチョウのように読み、ハチのように書く
北村紗衣
ちくま新書
2021年9月 238頁

本書は「精読する」「分析する」「書く」の3つのステップを解説し、「実践編」では実際に書かれた批評を議論するという構成になっている。
批評とは、大まかにまとめると、作品の中から一見したところよくわからないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質がどういうものなのか判断すること(位置づけ)であるという。批評に触れた人が、読む前よりも対象とする作品や作者について、興味深いと思ってくれれば良い批評である。

オスカー・ワイルドの強引とも言える批評論は著者が言いたいところを代弁しているように思う。それは「批評自体が芸術だということ」芸術は言い過ぎかもしれないが、「批評は創造的でもありまた独立している」というのは紛れもない事実だろう。

まずは「精読」すること。徹底的に読み込む。精読には辞書を必ず引く。

そして「分析」。アイザック・ニュートンの言葉、「私により遠くが見えたとしたら、それは巨人の肩の上に立つことによってこそ成り立つのです」の巨人とは、先人たちのことである。
作品を面白く分析できるようになる際、巨人の肩になってくれるもののひとつが批評理論である。批判理論とは、ざっくりいうと作品の読みときというゲームの勝ち方を探す戦略を決める理論である。全ての作品を同じ批評理論で切れるわけではないという。
著者が大学で教える、ポストコロニアル批評、フェミニズム批評、クィア批評は、学生に人気のあるテーマだという。クィアとは大雑把に言えばLGBTQのことである。これらのテーマに引き込むことが、批評を書くテクニックとしてやりやすいという。タイムラインに起こしてみる。時間軸がひとつでない作品や直線的でない作品には注意する。
とりあえず図に書いてみる。人物相関図を起こしてみる。
位置づけする。作品の友達を見つけるとは、他の作品との関連性で位置づけるというもの。たとえば『ロメオとジュリエット』とミュージカル映画『ウェストサイド物語』は友達である。親子ではなく友達なのだ。
ネットワーキングの方法とは、真ん中に中心となる作品を書き、その周りに友達と思う作品のタイトルとその理由を書く。そうすることで、作品の位置がわかってくるという。

いよいよ「書く」である。読者が対象とする作品を知らなくても、なんとなくどういうものだか想像できるように書く必要がある。どういうジャンルに属する作品でどういう特徴があるといったことを、最初にきちんと説明してから独自の見方を提供する。
初心者が批評を書くとき、メインの切り口を一つにすることが大事。自由にのびのび書いてはいけない、まとまりがつかなくなる。
◯◯ならどうする?手本にすべき批評の書き手を〇〇に入れて考える。行き詰まった時に考える手助けになるという。

「実践編」では、モハメド・アリがソニー・リストンを破った夜に、試合を終えて駆けつけたアリ、公民権運動家のマルコム・X、ミュージシャンのサム・クック、アメリカンフットボールの選手ジム・ブラウンが、ホテルの一室に集まって語り合う映画『あの夜、マイアミで』(レジーナ・キング監督 2020年)に対する、著者と生徒の批評が載っている。プロと素人の差は歴然としている。
さらに、アリが1975年にハーヴァード大学で行った公演で、観衆のリクエストに応じて即興に作った詩が紹介されている。→人気ブログランキング
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2017年11月 8日 (水)

大人のお作法 岩下尚文

著者はTVで「ハコちゃん」の愛称で親しまれている日本の伝統文化評論を専門とする作家。TVでは若い男優に抱きついたりして剽軽な行動をとっているが、本書ではきりりとした日本男児らしさを見せている。
本書は妻子もちの編集者が著者に、お茶屋の作法、食べ物のこと、歌舞伎や日本の風習、芸術論、社交術、スーツの誂え方などを訊ねるという形をとっている。
歌舞伎や浄瑠璃の台詞や芸妓たちが使う古い言い回しや粋な言葉がふんだんに使われていて、心地いい。
Image_20210115172001大人のお作法
岩下尚文
集英社インターナショナル新書
2017年

食べるときは、食器を汚さぬよう、洋食でも和食でも食べた後の器を綺麗にして返すように。箸の先を汚さぬように心がければ、取りこぼすこともなくなるし傍目から見ても美しい。家で独りの食事をするときも、背筋を伸ばして膳に向かうという心がけを忘れてはいけない。
以前、伊奈かっぺいが、子どものころ納豆ご飯を茶碗を納豆で汚さずに食べて母親に褒められていたと誇らしげに語っていたことがあった。食器を汚さずに箸先を汚さずとは、伊奈かっぺいのこの極意のことだろう。
昨今、喰べ物に限らず何かと自分の好き嫌いを声高に話す人が多いが、子供染みて見苦しいと苦言を呈する。食ブログのことだ。

作り手と受け手のあいだが曖昧であること。それが日本文芸の特徴であるというのが著者の持論。たとえば歌舞伎は、踊りをやっている娘や奥様や芸者衆が、役者に熱を上げた。踊りがどうだとか見えの切り方がどうだとか、役者と客の距離が近かった。
今の日本人が思い浮かべる芸術はだいたいにおいて鑑賞芸術になり、机上の知識を物差しとしてガラス越しに観察し分析し解釈し理解したつもりにならずにはいられない、そんな頓珍漢な有様になっていると嘆く。

人との間の取り方をこころえ、上下関係に気配り・目配りをし、集団のなかで空気を読むことが重要であるというのが、著者の考え。→人気ブログランキング

2017年8月28日 (月)

東京藝大 最後の秘境 天才たちのカオスな日常 二宮 敦人

東京藝大彫刻科出身の著者の妻は、ルーブル美術館の踊り場に展示されている『サモトラケのニケ』を、えんえん5時間以上見続けた。著者はそんな妻が在籍した、生協でガスマスクを売っているという、東京藝大について書こうと思い立った。
いくつかのテーマに分けて、数名ずつの藝大生にインタビューを行っている。
Image_20210106174601最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常
二宮 敦人
新潮社
2016年

藝大の学生は音楽科と美術科に大きく分けられる。音楽科の学生はきちんとした服装、美術科の学生は奇抜かまったく無頓着かのどちらか。
変わっているという点から見ると美術科の学生の方が圧倒的に変であるという。

音校は順位を争うのが前提になっている世界。音校の学生は自分は見られる側だと知っている。仕送り月50万円の学生もいる。ドレスを借りたり買ったり、パーティ出席して自分を売り込む。楽器の値段は高い。

ピアノ専攻の学生は洗い物をしない。高校生のとき体育は見学。
音楽科をめざす受験生は、藝大で実際に教えている教授あるいは元教授を師匠と仰ぎ、レッスンを受けるのが当たり前なのだ。だから東京まで通う。親には経済的な負担がかかる。
同期のピアノ専攻だけで24人いる。全校で100人、他の音大にもピアノ科があるので、学生だけで500人のピアニストがいることになる。その中で生き残っていかなければならない。
声楽科に属する学生は筋が通ったチャラさを持っているという。声楽科はくっついたり別れたり、恋愛のごたごたが多いという。

美術科の場合はコンクールなどで順位がつくこともあるが、競争意識は音楽科に比べ低い。
学校は環境を整えるだけで、あとは学生次第。彫刻科はそんなスタンスらしい。小さじやテーブルを作ってしまう。自給自足の生活が身についている。
美術科の教授と学生は何が正解かわからないアートの世界でともに切磋琢磨するという意味では、仲間である。そのためか互いの距離は結構近い。

藝大を卒業して食べていけるのか。アーティストとしてやっていけるのはほんのわずか、卒業生の半分は行方不明だという。→人気ブログランキング

2016年4月30日 (土)

京都ぎらい 井上章一

洛中の京都人は中華思想に似た選民意識をもっている。
京都の嵯峨で育ち今は宇治で暮らす著者には、京都人の自覚はないという。洛中のひとは著者を、京都流で言えば「よそさん」と思っているという。
こうした京都人の選民意識は他の都市にも多少はあるだろうが、京都はえげつないくらいに露骨にそれを表に出す。
Photo_20220106081701京都ぎらい
井上章一
朝日新書 
2015年

日本の碩学である洛中出身の杉本秀太郎や梅棹忠夫も、洛外を見下していたという。

ところが、嵯峨は確かに洛中から外れているが亀岡ほどじゃないと、〈京都人のいやらしい偏見を縮小再生産させたようなおごりが、著者にないわけではない〉と語っている。著者はこのような表現を多用している。

同和や民族差別などの重い差別は社会の表面から見えないが、ハゲやデブを見下す言葉は溢れている。罪が軽そうなのでかえって溢れていく。京都における嵯峨や宇治は、ハゲやデブに当たるとする。

「物知り自慢の気(け)」があると自嘲しつつ、自説を展開する。
本能寺に逗留していた信長が明智光秀に襲われた本能寺の変から、寺は今のホテル業を兼ね備えていた。そこで客をもてなすための庭園美学も磨かれたと推論する。
精進料理の肉もどき料理はホテルのレストラン部門のアイディア商品であるとする。

冒頭で、著者は京都人の自覚はないと言っておきながら、七は「しち」ではなく「ひち」であるとこだわる。「上七軒(かみひちけんの)」ルビを「ひち」とするか「しち」とするかで、本書の編集人にかみついている。そのバトルの痕跡が69頁に書かれている。→人気ブログランキング
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京都まみれ/井上章一/朝日新書/2020年
京都ぎらい 官能編/井上章一/朝日新書/2017年
京都ぎらい/井上章一/朝日新書/2015年
関西人の正体/井上章一/朝日文庫/2016年
京都はんなり暮らし/澤田瞳子/徳間文庫/2015年

2015年11月17日 (火)

日本を席巻するキラキラネーム

いつの頃からか、子どもたちの名前に違和感を覚えることが多くなった。
それは、アニメの登場人物の名前や、外国人の名前や、読めない名前や、読み方を知らされて愕然とする名前など、漢字が当て字に使われるようなキラキラネームが増えたからである。キラキラネームの同類にDQN(ドキュン)ネームがある。これはネットで使われている「それ、アウトでしょう」という意味の俗語DQNからきている。
DQNネームは、その名前で生きていくのは、さぞや辛いだろうと思わせる名前のことで、名づけた親への批判が込められている。DQNネームは、キラキラネームのなかに含まれて語られることが多い。

親が自らの子どもに名前をつけるときに、ありふれた名前ではなく、と言ってそれほど突飛ではなく、可愛らしい響きを持つ名前とか、将来に期待が込められている名前とか、あれこれと頭を悩ませるのは古より行われきたことである。占い本にあたり、漢字の画数を数えたり、 占いに凝っている親族や知人に相談したりもするだろう。私にも経験がある。

キラキラネームが流行りだしたのは、1990年代の中頃といわれている。ベネッセコーポレーション発刊の『たまごクラブ』が、新しいセンスで名前をつけよう提案し、個性的な名前を紹介してからだという。
いまや、子どもの名付け本や命名サイトには、キラキラネームがふんだんに載っている。

キラキラネームをつけた親たちの1割が、後悔しているというから、マタニティ・ハイの状況にある両親が、つい魔が差してキラキラネームに手を出すのかもしれない。
某大学教授が、高い偏差値の学部にはキラキラネームの学生はほとんどいないとコラムに書いたり、某大手株式会社の人事担当者が、キラキラネームは採用に悪影響を及ぼすと発言したり、キラキラネームは批判され世間から冷たい目で見られてきた。
そんな逆風をもろともせず、キラキラネームは増加し続けている。

親たちはこれくらいのキラキラ度ならセーフだろうとの判断で、「世界で一つだけの花」に特別な名前をつけようとする。それがくり返されて、キラキラ度の閾値は少しずつ下がってきた。
今のところ、日本人全体では、キラキラネームはごく少数であるが、子どもたちの間ではすでにマジョリティになっているという。→人気ブログランキングへ

2015年7月 8日 (水)

キラキラネームの大研究 伊東ひとみ

本書は、現代の軽佻浮薄な風潮のひとつと捉えることのできるキラキラネームを、日本語の歴史から解き明かそうとしている。
キラキラネームから見えるのは、「漢字」が過去の歴史とのつながりを断ち切られ、イメージやフィーリングだけで捉える「感字」になりかけていることであるという。
「漢字」を「感字」にしてはならないというのが著者の主張。
Image_20201125173801キラキラネームの大研究
伊東ひとみ (Itoh Hitomi
新潮新書  2015年

キラキラネームは、1990年代中頃、団塊ジュニア世代の子どもたちから始まった。
団塊ジュニア世代以降(当用漢字第三世代)は、カジュアルに漢字を捉えていて、漢字の捉え方にそれ以前の世代と違いがあるという。
キラキラネームの共通項は、奔放な漢字の選択と日本語離れした音の響きゆえに他人が読めないところにある。
人に読まれたら負けという「俺様化」が「真性キラキラネーム」で、読みにくいけれどなんとかギリギリセーフ、名付けた親にはキラキラネームのつもりはないというのが「偽性キラキラネーム」である。ほとんどの親はギリギリセーフの感覚でつけているという。

キラキラネームの根底には、「国語国字問題」による世代間の断層があるという。
戦前戦中派は「国語国字問題」とともに歩んできた「当用漢字第一世代」であり、その子どもたち、特にベビーブーマーは当用漢字によって制限された漢字表記で育った「第二世代」であるとする。団塊ジュニア世代以降の「第三世代」になると、祖父母父母世代の頃まであった漢和辞典的な規範の引力が弱まったという。

1947年(昭和22年)に交付された戸籍法により「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」と定められた。これによって子供の名前には当用漢字表にある1850字しか用いられなくなった。その後、1981年に当用漢字に95字が加えられて、常用漢字(2136字)となった。
現在、名前に使える漢字は、常用漢字と名前用漢字299字(1952年に52字が定められ、その後削除されたり追加されたりしている)と決まっている。ただし読み方は定められていない。この曖昧さがキラキラネームが生まれる素地なのである。

「国語国字問題」は、文字をもたなかった日本語に、「漢字」を取り入れたことから始まった「漢字」と「やまとことば」の融合とせめぎ合いにより醸成されてきたハイブリッド言語ゆえの運命であるという。→人気ブログランキング

2014年10月12日 (日)

『セーヌ川で生まれた印象派の名画』 島田紀夫

セーヌ川は、海抜471mのサン・セーヌ・ラベイを源にし、フランスの国土を西北にいき、パリの街を流れ、英仏海峡の町ル・アーヴルとオンフルールの間のセーヌ湾に注ぐ全長776kmのフランスを象徴する大河である。

セーヌで生まれた印象派の名画 (小学館101ビジュアル新書)
島田紀夫(Shimada Norio
小学館101ビジュアル新書
2011年11月 ★★★★

1874年に始まった印象派展は、1984年まで8回開かれている。
サロンと呼ばれる官展の権威主義に反発して、モネ、ピサロ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、モリゾ、シスレーなどが自分たちで組織した展覧会だった。
しかし、第5回展が開かれた1880年になると、仲間の結束が緩み始め、ルノワール、モネ、シスレーらがサロンにも出品し始めたという。理由は、官展での売り上げが印象派展での売り上げの10倍であったこと、審査をしない印象派展にはヘボ絵描きたちがわれ先にと出品し、それに彼らは嫌気がさしたという。印象派展がその程度のものとは驚きである。

印象派の絵画はふたつのグループに分けられる。
自然の記録「風景画」と文化の観察「風俗画」である。本書には、風景画のうち、セーヌ川を描いたもの、あるいはセーヌ川にまつわる作品が取り上げられている。セーヌ川の上流から徐々に下って作品が紹介されていく。

セーヌ川の河口の港町ル・アーヴルを描いたモネの『印象、日の出』(1873年)は、最初の印象派展に出展され、新聞で酷評された作品である。当時この作品のタイトルを取って、グループを揶揄する意味で印象派という呼称が用いられたのである。

印象派の支援者だった小説家のゾラは、印象派の作品に対し手厳しい批判を行った。「印象派は先駆者にすぎず、新しい方法を主張する傑作は見出せない」と。印象派の次につながるのが、抽象画の方向であるとすれば、写実主義を貫くことは、ゾラが指摘したように必ずしも印象派のゴールに近づくものではなかった。
その点で、印象派の初期の方向性を追求し続けたシスレーは、さほど評価されていない。印象派の初期の方向性とは、自然をあるがままに感じたままに描くという手法である。ピサロの評価が低いのも同じ理由による。

古い体質のサロンに抗ったこと、フォビズムやキュビズムなどの抽象画への橋渡しとなったこと、この2点が絵画史における印象派の位置付けであるという。本書はセーヌ川を描いた印象派の作品を通して、印象派の絵画史における意義を論じている。→ブログランキングへ

2014年10月 1日 (水)

アンディ・ウォーホルを撃った女

1968年、アンディ・ウォーホルを銃で撃ち重症を負わせたヴァレリー・ソラナスは、自らの考えに凝り固まっていた。ソラナスは不遇な少女時代を過ごし、やがてレスビアンに目覚めた。独自に「男性切り刻み協会(The Society of Cutting Up Men)」を組織し『SCUM宣言』を自費出版して、レスビアンたちに男性蔑視の過激な思想を呼びかけたが、世間の反応は冷たかった。「男性切り刻み協会」とはなんとも凄まじいネーミングである。
9b7e8c94929c45f3a6643742f5a478d1I SHOT ANDY WARHOL / アンディ・ウォーホルを撃った女
I Shot Andy Warhol
監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン/ダニエル・ミナハン
音楽:ジョン・ケイル
アメリカ  1996年  105分

当時、時代のカリスマであったウォーホルなら自分の考えを受け入れてくれると思った彼女は、ウォーホルが主催するファクトリーに出入りするようになる。ソラナスはウォーホルの男も女も超越したような中性的なところに、自分を理解してくれそうな印象を持ったのかもしれない。

定職に就いていないソラナスは、男に体を売って生活費を稼がなければならない悲惨な状況にあった。

人の出入りの多いファクトリーでは、ウォーホルのお気に入りのファッショナブルで才色兼備の女性たちがいて、作品製作を担う男性と女性がいて、その他の取り巻きがいた。男性マネジャーには、ウォーホルに有益でない人物が必要以上に彼に近づかないようにガードするという役目もあった。

この映画では省略されているが、ウォーホルはソラナスをアングラ映画に出演させている。
そんなこともあり、ソラナスにはウォーホルが自分の考えに賛同したかに思えた。しかし、マネージャーに辛辣な言葉を浴びせられ、実際はウォーホルが彼女を鼻にもかけていなかったとわかり、彼女は逆恨みし犯行に及んだのだった。

本作も、ウォーホルと恋愛関係にあったイーディ・セジウィックを描いた『ファクトリーガール』(2006年)も、ウォーホルを冷たい人物として描いている。実際の映像で見たウォーホルには、例えばかつてTDKビデオテープのコマーシャルに出ていたが、そのような冷たさと中性的なもの、それとソラナスにも通じるエキセントリックなものが感じられるのである。→人気ブログランキング

2014年9月17日 (水)

現代アート経済学 宮津大輔

本書の帯に日産自動車の社長兼最高責任者であるカルロス・ゴーン氏の言葉が使われいる。その理由は、著者がゴーン氏に現代美術についてのレクチャーをしたことがきっかけで、ゴーン氏は現代アートに興味を持つようになったという。そして創業80周年をむかえた日産自動車が日本への恩返しとして、2013年に現代アートを対象とした日産アートアワードを創設したという経緯があったからである。
ゴーン氏にもそんな平和な時代があった。
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宮津大輔(Miyatsu Daisuke
光文社新書
2014年

有史以来、戦勝国は敗戦国の美術品を略奪して持ち帰った。
その時代に最も繁栄している国に美術品が集まることは、昔も今も変わりはないという。
ナポレオンがヨーロッパの覇者となって戦利品を持ち帰り、芸術の中心はローマからパリに移った。その後2度の世界大戦でヨーロッパは疲弊し、ヒットラーが退廃芸術として前衛芸術を排除したために、近代芸術の中心はパリからニューヨークに移った。

こうしたナチスの歴史的な誤ちを取り戻すため、1955年にドイツの田舎町カッセルにおいて現代芸術のグループ展ドクメンタが開催され、その後世界最大級の現代芸術展として5年ごとに開催されているという。
一方、芸術のオリンピックと呼ばれるヴェネチア・ビエンナーレは、1895年にイタリアに加わったヴェネチアがイタリア国内での存在感を示す目的で国際芸術祭を開催し、22万人を集め大成功を収めた。これが現在、世界中で増え続けている、アートでの「都市起し」のはじまりであるという。
日本をみると、横浜トリエンナーレ2001年、あいちトリエンナーレ2010年、越後妻有トリエンナーレ2000年があるが、いずれも取り組みが遅れた。

先進国のアートにかける予算(2012年)は、1位は圧倒的にフランス、次にイギリス、韓国、ドイツ、アメリカ、日本と続く。フランスは日本の約5倍の5163億円である。アートは政治と関わりなしには語ることができない。
日本が国家規模での現代アートへの取り組みに遅れてしまった理由が二つあるという。それは、民主党政権下における「仕分け」による予算削減、もうひとつは東日本大震災であるという。

現代アート市場では、猛烈な勢いで経済成長を続ける東アジアの動きが活発であるという。とりわけ中国マネーが傍若無人にふるまっているのだが、ジャパンマネーが世界を席巻したバブル期の日本とダブって見える。

本書は、サラーリマンでありながら、現代アートの蒐集家として有名な著者ならではの幅広い視点で、深い考察がなされた好著である。→人気ブログランキング

現代アート経済学』宮津大輔(2014年)
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(2013年)
現代アートを買おう!』宮津 大輔 (2010年)
現代アート、超入門!』藤田令伊(2009年)
セゾン現代美術館

2013年10月11日 (金)

『現代アートを買おう!』宮津大輔

現代アートを買おう! (集英社新書)

現代アートを買おう! (集英社新書)

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宮津 大輔
集英社
2010年5月
★★★*☆

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現代アート300点を所有するコレクターの著者は、平凡なサラリーマンである。決して財力があるわけでない著者が、どのようにしてコレクターの仲間入りができたのか。
大まかな現代アートのあり様、購入のノウハウ、作品の保存の仕方、展覧会への貸し出しの方法、かつての現代アートバブルへの苦言などが、語られている。買うという視点で現代アートを見ると意外な側面が現れてくる。

作品を選ぶに当たってアドバイスがあるとすれば、「自分を信じて自分に嘘をつかない」ことだという。
著者自身は好きで手に入れた作品はどれも甲乙つけ難く手放せないという。それがたった15年で、300点も集まった理由だというのだ。ちなみに、著者がはじめて購入した作品は、草間彌生のドローイング、価格は50万円だったそうだ。

現代アートの魅力のひとつは、アーティストと同時代を共に生きていることだという。現代アートの英訳は Contemporary Art であり、Contemporaryは「同時代の」という意味である。作家と交流することを勧めている。そうした交流を通じて著者は新築する自宅の設計をフランス人アーティストに委託した。そして著者がドリームハウスと呼ぶ、住宅地で異彩を放つ住宅ができあがった。
もうひとつの魅力は、本物しか存在しないということである。贋作が皆無とまではいかないが、現代アートは一点物しかないといっていい。

著者は、芸術で金儲けをしようとは、ゆめゆめ考えていない。優れた芸術は受け継がれているものと思っているという。この考え方は、祖母の信条「美術作品は個人が持つものではなく、みんなのものであり、美術館で見るもの」に影響されたものであり、その姿勢を貫くことに、著者はぶれていない。
趣味が高じて有名なコレクターとなった著者が、邪気なく熱っぽく語る現代アート論である。

現代アート経済学』宮津大輔(2014年)
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(2013年)
現代アートを買おう!』宮津 大輔 (2010年)
現代アート、超入門!』藤田令伊(2009年)
セゾン現代美術館

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