文化・芸術

『東京藝大』 最後の秘境 天才たちのカオスな日常 二宮 敦人

東京藝大彫刻科出身の著者の妻は、ルーブル美術館の踊り場に展示されている『サモトラケのニケ』を、えんえん5時間以上見続けた。著者はそんな妻が在籍した、生協でガスマスクを売っているという、東京藝大について書こうと思い立った。
いくつかのテーマに分けて、数名ずつの藝大生にインタビューを行っている。

藝大の学生は音楽科と美術科に大きく分けられる。音楽科の学生はきちんとした服装、美術科の学生は奇抜かまったく無頓着かのどちらか。
変わっているという点から見ると美術科の学生の方が圧倒的に変であるという。

音校は順位を争うのが前提になっている世界。音校の学生は自分は見られる側だと知っている。仕送り月50万円の学生もいる。ドレスを借りたり買ったり、パーティ出席して自分を売り込む。楽器の値段は高い。

ピアノ専攻の学生は洗い物をしない。高校生のとき体育は見学。
音楽科をめざす受験生は、藝大で実際に教えている教授あるいは元教授を師匠と仰ぎ、レッスンを受けるのが当たり前なのだ。だから東京まで通う。親には経済的な負担がかかる。
同期のピアノ専攻だけで24人いる。全校で100人、他の音大にもピアノ科があるので、学生だけで500人のピアニストがいることになる。その中で生き残っていかなければならない。
声楽科に属する学生は筋が通ったチャラさを持っているという。声楽科はくっついたり別れたり、恋愛のごたごたが多いという。

美術科の場合はコンクールなどで順位がつくこともあるが、競争意識は音楽科に比べ低い。
学校は環境を整えるだけで、あとは学生次第。彫刻科はそんなスタンスらしい。小さじやテーブルを作ってしまう。自給自足の生活が身についている。
美術科の教授と学生は何が正解かわからないアートの世界でともに切磋琢磨するという意味では、仲間である。そのためか互いの距離は結構近い。

藝大を卒業して食べていけるのか。アーティストとしてやっていけるのはほんのわずか、卒業生の半分は行方不明だという。→人気ブログランキング

『京都ぎらい』井上章一

洛中の京都人は中華思想に似た選民意識をもっている。
京都の嵯峨で育ち今は宇治で暮らす著者には、京都人の自覚はないという。洛中のひとは著者を、京都流で言えば「よそさん」と思っているという。
こうした京都人の選民意識は他の都市にも多少はあるだろうが、京都はえげつないくらいに露骨にそれを表に出す。
日本の碩学である洛中出身の杉本秀太郎や梅棹忠夫も、洛外を見下していたという。
ところが、嵯峨は確かに洛中から外れているが亀岡ほどじゃないと、〈京都人のいやらしい偏見を縮小再生産させたようなおごりが、著者にないわけではない〉と語っている。著者はこのような表現を多用している。

京都ぎらい (朝日新書)
京都ぎらい
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井上章一
朝日新書  2015年9月
売り上げランキング: 198

同和や民族差別などの重い差別は社会の表面から見えないが、ハゲやデブを見下す言葉は溢れている。罪が軽そうなのでかえって溢れていく。京都における嵯峨や宇治は、ハゲやデブに当たるとする。

「物知り自慢の気(け)」があると自嘲しつつ、自説を展開する。
本能寺に逗留していた信長が明智光秀に襲われた本能寺の変から、寺は今のホテル業を兼ね備えていた。そこで客をもてなすための庭園美学も磨かれたと推論する。
精進料理の肉もどき料理はホテルのレストラン部門のアイディア商品であるとする。

冒頭で、著者は京都人の自覚はないと言っておきながら、七は「しち」ではなく「ひち」であるとこだわる。「上七軒(かみひちけんの)」ルビを「ひち」とするか「しち」とするかで、本書の編集人にかみついている。そのバトルの痕跡が69頁に書かれている。

京都ぎらい
関西人の正体

日本を席巻するキラキラネーム

いつの頃からか、子どもたちの名前に違和感を覚えることが多くなった。
それは、アニメの登場人物の名前や、外国人の名前や、読めない名前や、読み方を知らされて愕然とする名前など、漢字が当て字に使われるようなキラキラネームが増えたからである。キラキラネームの同類にDQN(ドキュン)ネームがある。これはネットで使われている「それ、アウトでしょう」という意味の俗語DQNからきている。
DOQネームは、その名前で生きていくのは、さぞや辛いだろうと思わせる名前のことで、名づけた親への批判が込められている。DQNネームは、キラキラネームのなかに含まれて語られることが多い。

親が自らの子どもに名前をつけるときに、ありふれた名前ではなく、と言ってそれほど突飛ではなく、可愛らしい響きを持つ名前とか、将来に期待が込められている名前とか、あれこれと頭を悩ませるのは古より行われきたことである。占い本にあたり、漢字の画数を数えたり、 占いに凝っている親族や知人に相談したりもするだろう。私にも経験がある。

キラキラネームが流行りだしたのは、1990年代の中頃といわれている。ベネッセコーポレーション発刊の『たまごクラブ』が、新しいセンスで名前をつけよう提案し、個性的な名前を紹介してからだという。
いまや、子どもの名付け本や命名サイトには、キラキラネームがふんだんに載っている。

キラキラネームをつけた親たちの1割が、後悔しているというから、マタニティ・ハイの状況にある両親が、つい魔が差してキラキラネームに手を出すのかもしれない。
某大学教授が、高い偏差値の学部にはキラキラネームの学生はほとんどいないとコラムに書いたり、某大手株式会社の人事担当者が、キラキラネームは採用に悪影響を及ぼすと発言したり、キラキラネームは批判され世間から冷たい目で見られてきた。
そんな逆風をもろともせず、キラキラネームは増加し続けている。

親たちはこれくらいのキラキラ度ならセーフだろうとの判断で、「世界で一つだけの花」に特別な名前をつけようとする。それがくり返されて、キラキラ度の閾値は少しずつ下がってきた。
今のところ、日本人全体では、キラキラネームはごく少数であるが、子どもたちの間ではすでにマジョリティになっているという。→人気ブログランキングへ

『キラキラネームの大研究』伊東ひとみ

本書は、現代の軽佻浮薄な風潮のひとつと捉えることのできるキラキラネームを、日本語の歴史から解き明かそうとしている。
キラキラネームから見えるのは、「漢字」が過去の歴史とのつながりを断ち切られ、イメージやフィーリングだけで捉える「感字」になりかけていることであるという。
「漢字」を「感字」にしてはならないというのが著者の主張。

キラキラネームの大研究 (新潮新書)
伊東ひとみ (Itoh Hitomi
新潮新書  2015年5月

キラキラネームは、1990年代中頃、団塊ジュニア世代の子どもたちから始まった。
団塊ジュニア世代以降(当用漢字第三世代)は、カジュアルに漢字を捉えていて、漢字の捉え方にそれ以前の世代と違いがあるという。
キラキラネームの共通項は、奔放な漢字の選択と日本語離れした音の響きゆえに他人が読めないところにある。
人に読まれたら負けという「俺様化」が「真性キラキラネーム」で、読みにくいけれどなんとかギリギリセーフ、名付けた親にはキラキラネームのつもりはないというのが「偽性キラキラネーム」である。ほとんどの親はギリギリセーフの感覚でつけているという。

キラキラネームの根底には、「国語国字問題」による世代間の断層があるという。
戦前戦中派は「国語国字問題」とともに歩んできた「当用漢字第一世代」であり、その子どもたち、特にベビーブーマーは当用漢字によって制限された漢字表記で育った「第二世代」であるとする。団塊ジュニア世代以降の「第三世代」になると、祖父母父母世代の頃まであった漢和辞典的な規範の引力が弱まったという。

1947年(昭和22年)に交付された戸籍法により「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」と定められた。これによって子供の名前には当用漢字表にある1850字しか用いられなくなった。その後、1981年に当用漢字に95字が加えられて、常用漢字(2136字)となった。
現在、名前に使える漢字は、常用漢字と名前用漢字299字(1952年に52字が定められ、その後削除されたり追加されたりしている)と決まっている。ただし読み方は定められていない。この曖昧さがキラキラネームが生まれる素地なのである。

「国語国字問題」は、文字をもたなかった日本語に、「漢字」を取り入れたことから始まった「漢字」と「やまとことば」の融合とせめぎ合いにより醸成されてきたハイブリッド言語ゆえの運命であるという。→人気ブログランキングへ

『セーヌ川で生まれた印象派の名画』 島田紀夫

セーヌ川は、海抜471mのサン・セーヌ・ラベイを源にし、フランスの国土を西北にいき、パリの街を流れ、英仏海峡の町ル・アーヴルとオンフルールの間のセーヌ湾に注ぐ全長776kmのフランスを象徴する大河である。

セーヌで生まれた印象派の名画 (小学館101ビジュアル新書)
島田紀夫(Shimada Norio
小学館101ビジュアル新書
2011年11月 ★★★★

1874年に始まった印象派展は、1984年まで8回開かれている。
サロンと呼ばれる官展の権威主義に反発して、モネ、ピサロ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、モリゾ、シスレーなどが自分たちで組織した展覧会だった。
しかし、第5回展が開かれた1880年になると、仲間の結束が緩み始め、ルノワール、モネ、シスレーらがサロンにも出品し始めたという。理由は、官展での売り上げが印象派展での売り上げの10倍であったこと、審査をしない印象派展にはヘボ絵描きたちがわれ先にと出品し、それに彼らは嫌気がさしたという。印象派展がその程度のものとは驚きである。

印象派の絵画はふたつのグループに分けられる。
自然の記録「風景画」と文化の観察「風俗画」である。本書には、風景画のうち、セーヌ川を描いたもの、あるいはセーヌ川にまつわる作品が取り上げられている。セーヌ川の上流から徐々に下って作品が紹介されていく。

セーヌ川の河口の港町ル・アーヴルを描いたモネの『印象、日の出』(1873年)は、最初の印象派展に出展され、新聞で酷評された作品である。当時この作品のタイトルを取って、グループを揶揄する意味で印象派という呼称が用いられたのである。

印象派の支援者だった小説家のゾラは、印象派の作品に対し手厳しい批判を行った。「印象派は先駆者にすぎず、新しい方法を主張する傑作は見出せない」と。印象派の次につながるのが、抽象画の方向であるとすれば、写実主義を貫くことは、ゾラが指摘したように必ずしも印象派のゴールに近づくものではなかった。
その点で、印象派の初期の方向性を追求し続けたシスレーは、さほど評価されていない。印象派の初期の方向性とは、自然をあるがままに感じたままに描くという手法である。ピサロの評価が低いのも同じ理由による。

古い体質のサロンに抗ったこと、フォビズムやキュビズムなどの抽象画への橋渡しとなったこと、この2点が絵画史における印象派の位置付けであるという。本書はセーヌ川を描いた印象派の作品を通して、印象派の絵画史における意義を論じている。→ブログランキングへ

『アンディ・ウォーホルを撃った女』

1968年、アンディ・ウォーホルを銃で撃ち重症を負わせたヴァレリー・ソラナスは、自らの考えに凝り固まっていた。ソラナスは不遇な少女時代を過ごし、やがてレスビアンに目覚めた。独自に「男性切り刻み協会(The Society of Cutting Up Men)」を組織し『SCUM宣言』を自費出版して、レスビアンたちに男性蔑視の過激な思想を呼びかけたが、世間の反応は冷たかった。「男性切り刻み協会」とはなんとも凄まじいネーミングである。

I SHOT ANDY WARHOL / アンディ・ウォーホルを撃った女 [DVD]
I Shot Andy Warhol
監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン/ダニエル・ミナハン
音楽:ジョン・ケイル
アメリカ  1996年  105分 ★★★*

当時、時代のカリスマであったウォーホルなら自分の考えを受け入れてくれると思った彼女は、ウォーホルが主催するファクトリーに出入りするようになる。ソラナスはウォーホルの男も女も超越したような中性的なところに、自分を理解してくれそうな印象を持ったのかもしれない。
定職に就いていないソラナスは、男に体を売って生活費を稼がなければならない悲惨な状況にあった。

人の出入りの多いファクトリーでは、ウォーホルのお気に入りのファッショナブルで才色兼備の女性たちがいて、作品製作を担う男性と女性がいて、その他の取り巻きがいた。男性マネジャーには、ウォーホルに有益でない人物が必要以上に彼に近づかないようにガードするという役目もあった。

この映画では省略されているが、ウォーホルはソラナスをアングラ映画に出演させている。
そんなこともあり、ソラナスにはウォーホルが自分の考えに賛同したかに思えた。しかし、マネージャーに辛辣な言葉を浴びせられ、実際はウォーホルが彼女を鼻にもかけていなかったとわかり、彼女は逆恨みし犯行に及んだのだった。

本作も、ウォーホルと恋愛関係にあったイーディ・セジウィックを描いた『ファクトリーガール』(2006年)も、ウォーホルを冷たい人物として描いている。実際の映像で見たウォーホルには、例えばかつてTDKビデオテープのコマーシャルに出ていたが、そのような冷たさと中性的なもの、それとソラナスにも通じるエキセントリックなものが感じられるのである。→ブログランキングへ

『現代アート経済学』 宮津大輔

本書の帯に日産自動車の社長兼最高責任者であるカルロス・ゴーン氏の言葉が使われいる。その理由は、著者がゴーン氏に現代美術についてのレクチャーをしたことがきっかけで、ゴーン氏は現代アートに興味を持つようになったという。そして創業80周年をむかえた日産自動車が日本への恩返しとして、2013年に現代アートを対象とした日産アートアワードを創設したという経緯があったからである。

Photo

現代アート経済学

宮津大輔(Miyatsu Daisuke
光文社新書
2014年6月
★★★★★




有史以来、戦勝国は敗戦国の美術品を略奪して持ち帰った。
その時代に最も繁栄している国に美術品が集まることは、昔も今も変わりはないという。
ナポレオンがヨーロッパの覇者となって戦利品を持ち帰り、芸術の中心はローマからパリに移った。その後2度の世界大戦でヨーロッパは疲弊し、ヒットラーが退廃芸術として前衛芸術を排除したために、近代芸術の中心はパリからニューヨークに移った。

こうしたナチスの歴史的な誤ちを取り戻すため、1955年にドイツの田舎町カッセルにおいて現代芸術のグループ展ドクメンタが開催され、その後世界最大級の現代芸術展として5年ごとに開催されているという。
一方、芸術のオリンピックと呼ばれるヴェネチア・ビエンナーレは、1895年にイタリアに加わったヴェネチアがイタリア国内での存在感を示す目的で国際芸術祭を開催し、22万人を集め大成功を収めた。これが現在、世界中で増え続けている、アートでの「都市起し」のはじまりであるという。
日本をみると、横浜トリエンナーレ2001年、あいちトリエンナーレ2010年、越後妻有トリエンナーレ2000年があるが、いずれも取り組みが遅れた。

先進国のアートにかける予算(2012年)は、1位は圧倒的にフランス、次にイギリス、韓国、ドイツ、アメリカ、日本と続く。フランスは日本の約5倍の5163億円である。アートは政治と関わりなしには語ることができない。
日本が国家規模での現代アートへの取り組みに遅れてしまった理由が二つあるという。それは、民主党政権下における「仕分け」による予算削減、もうひとつは東日本大震災であるという。

現代アート市場では、猛烈な勢いで経済成長を続ける東アジアの動きが活発であるという。とりわけ中国マネーが傍若無人にふるまっているのだが、ジャパンマネーが世界を席巻したバブル期の日本とダブって見える。

本書は、サラーリマンでありながら、現代アートの蒐集家として有名な著者ならではの幅広い視点で、深い考察がなされた好著である。→ブログランキングへ

現代アート経済学』宮津大輔(2014年)
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(2013年)
現代アートを買おう!』宮津 大輔 (2010年)
現代アート、超入門!』藤田令伊(2009年)
セゾン現代美術館

『現代アートを買おう!』宮津大輔

現代アートを買おう! (集英社新書)
宮津 大輔
集英社
2010年5月
★★★*☆

現代アート300点を所有するコレクターの著者は、平凡なサラリーマンである。決して財力があるわけでない著者が、どのようにしてコレクターの仲間入りができたのか。
大まかな現代アートのあり様、購入のノウハウ、作品の保存の仕方、展覧会への貸し出しの方法、かつての現代アートバブルへの苦言などが、語られている。買うという視点で現代アートを見ると意外な側面が現れてくる。

作品を選ぶに当たってアドバイスがあるとすれば、「自分を信じて自分に嘘をつかない」ことだという。
著者自身は好きで手に入れた作品はどれも甲乙つけ難く手放せないという。それがたった15年で、300点も集まった理由だというのだ。ちなみに、著者がはじめて購入した作品は、草間彌生のドローイング、価格は50万円だったそうだ。

現代アートの魅力のひとつは、アーティストと同時代を共に生きていることだという。現代アートの英訳は Contemporary Art であり、Contemporaryは「同時代の」という意味である。作家と交流することを勧めている。そうした交流を通じて著者は新築する自宅の設計をフランス人アーティストに委託した。そして著者がドリームハウスと呼ぶ、住宅地で異彩を放つ住宅ができあがった。
もうひとつの魅力は、本物しか存在しないということである。贋作が皆無とまではいかないが、現代アートは一点物しかないといっていい。

著者は、芸術で金儲けをしようとは、ゆめゆめ考えていない。優れた芸術は受け継がれているものと思っているという。この考え方は、祖母の信条「美術作品は個人が持つものではなく、みんなのものであり、美術館で見るもの」に影響されたものであり、その姿勢を貫くことに、著者はぶれていない。
趣味が高じて有名なコレクターとなった著者が、邪気なく熱っぽく語る現代アート論である。ブログランキングへ

現代アート経済学』宮津大輔(2014年)
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(2013年)
現代アートを買おう!』宮津 大輔 (2010年)
現代アート、超入門!』藤田令伊(2009年)
セゾン現代美術館

『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子

キュレーション 知と感性を揺さぶる力 (集英社新書)
長谷川 祐子
集英社
2013年2月 ★★★★*

現代アートのキュレーターとして世界的に活躍する著者が、豊富な経験をもとにキュレーションの本質を広い視点から論じている。

著者は、キュレーターの仕事は視覚芸術を解釈し、これに沿って、芸術を再度プレゼンテーションすることと定義している。その仕事の内容は、多岐に渡っている。選択する、解釈する、構成するという意味ではエディターに近く、アーティストの作品制作に関わったりする点でプロデューサーであり、文献を渉猟し、フィールド・スタディもこなすリサーチャーであり、アカデミックなテキストや批判的なテキストを書き、展覧会のキャッチコピーまで考えるライターであり、展覧会の企画や執行をマネージメントする管理者でもある、という。
マルチな情報が頭の中で整理されていなければこなせない、豊富な知識と経験が要求されるタフな仕事である。

20110708200225

キュレーターの仕事の最もわかりやすい例は、1929年に開館したニューヨーク近代美術館に、当時前衛とされていたセザンヌ、ゴーギャン、スーラ,ゴッホを、第1回展に集めたことだという。
上の画像は初代館長のアルフレッド・バー・ジュニアの描いた有名なチャートである(『キュヴィズムと抽象絵画』展 1936年の図録カバーより)。現代アートがどのように進化していったかを示しているこのチャートは、館長自身が人々に新しい芸術を理解させるための、まさにキュレーターの役割を果たしていたことを示している。

中心となる流れがなくなり多様化し辺縁化した現代アートは、何事をも取り込みうるし、様々な事象とのつながりの中で生まれている。セクシャリティー、ジェンダーとの関わり、地域社会はもちろんのこと政治との関わりすらも起こっている。

冷めた著者の眼差しは、キュレーターの姿を次のように見ている。
〈キュレーター、この罪深き職業の《罪の極北》は、美術館、芸術品の終焉のヴィジョンを覚悟しつつ、最も誘惑的な声で美術館、芸術品の存続の意味を語り続ける二面性にあるのだ。〉何でもありの現代アートのキュレーションは二面性のジレンマの中で、時代を先取りしながら、これからも変容し続けるということである。→ブログランキングへ
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著者のワールドワイドな目で見たその土地で開催される展覧会のあり様というか癖というかが、それぞれの国民性が反映されていて、実に面白い。
〈表現主義的な絵とインダストリアル・ミニマルの彫刻が好きなドイツ、オーガニックで感動的で、それが洗練された中庸の域を出ていないことが肝要なフランス、その間をとっているのが、奇妙さと可愛らしさ、グロテスクが混在するスイスである。そして《絵画》と《彫刻》が好きで、美術館での《学習》が趣味になっているアメリカ、音楽やダンス的な要素、トロピカルバロックが好きなブラジル、同じ傾向にありながら、浪速節的感情表現が入ってくるのがトルコ。記憶や物語、そしてミュータント的な人工生命の好きな韓国、とにかく巨大で壮大なテーマの作品と人間の身体モティーフが好きな中国。かわいくて感覚的、清々しいかグロテスクかのどちらかで、テクニカルに精巧にできている作品が好きな日本。〉という。

現代アート経済学』宮津大輔(2014年)
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(2013年)
現代アートを買おう!』宮津 大輔 (2010年)
現代アート、超入門!』藤田令伊(2009年)
セゾン現代美術館

セゾン現代美術館

9月23日(日) rain

セゾン現代美術館は、国道146号線・通称日本ロマンチック街道を白糸の滝に向かい、星野エリアを過ぎたあたりで左折し山に少し入ったあたりの道路沿いにある。
門をくぐるとなだらかな斜面の向うの建物まではほぼ200mあって、鉄製の橋にしても立ち入り禁止の芝生の中に点在する彫像たちにしてもすでにアートが始まっている。

1

本館は名前からわかるように、セゾングループが運営する美術館である。
1962年に西武グループの創業者堤康次郎が収集した美術品を保存および一般公開する目的で、東京に高輪美術館が開館された。その後1981年にセゾングループの創業者の堤清二により軽井沢に移転した。1991年にはセゾン現代美術館と改名し、展示する作品を現代美術に絞った。

現代美術は理解できないことがしばしばで、馴染めないのが本音である。
今回のコレクション展「魂の場所」を監修した文芸評論家の三浦雅士氏によれば、美術の世界が大きく変わったのは、写真の発明であるという。画家たちは写真をきっかけに、絵画とは何かという問題に直面せざるを得なくなったという。
このあと小冊子は難解な表現が混じり馴染みのない固有名詞が出てきて私には理解できなくなるのだが、結局は1917年に既製品の小便器を『泉』というタイトルで展示したデュシャン以来、美術の世界はなんでもありになったということらしい。

展示されている作品のうち、名前を記憶している作家は、山口俶子の夫だったイサム・ノグチ、シュールレアリスムのコラージュを多く残したマン・レイ、同じくシュールレアリスムのミロ、カンディンスキーのリトグラフはアシュレイ・ジャドとトミー・リー・ジョーンズ主演の映画『ダブル・ジョパティー』の中でマクガフィンとして使われた。さらに、便器のデュシャン、色違いマリリン・モンローやキャンベルの缶詰のウォーホル、同じくポップアートのリキテンシュタイン、圧倒的な宗教性を感じさせるポロック、女体と曲面物体の彫像のマイヨールは知っている。しかし日本の作家は全滅だった。

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順路のほぼ終点にある廃材を組み立てた縦5m横10m奥行2mほどの巨大なオブジェを見終わって立ち去ろうとしたときに、警備員服の係員が床にあるスイッチを押した。するとそれは動き出した。いくつもある車輪が軋みながら回転し、てっぺんでは鷹がくるくる回り、ドラムや鐘が鳴り、動物の頭蓋骨が口を開閉した。
こうした動きが繰り返され、最後は左端の動きのない大きな鳥が、満を持して羽を広げるのがオチだろうと期待しながら10分待った。ところが、警備員が素っ気ない態度でスイッチを切ると、オチもなくオブジェは止まった。これがジャンティン・ゲリーの『地獄の首都 No.1』である。
どうにも収まらないので、なぜ鳥が動かないかを警備員に訊ねると、「壊れているんです。何カ所か壊れています」とのことだった。ペンチやドライバーを使いこなしハンダ付けができる絵画修復士はそうそういないだろうから、キネティック・アートは壊れたら修繕がままならないのだろう。

見終わったあとに不消化なモヤモヤ感が残った。どうにかしようと、性懲りもなく翌日も本館を訪れたのだが、解消されなかった。
要するに、知らないから入り込めないのだ。その作家の位置、というのは誰々の影響を受けて美術史の中でどの流れにいてどう輝いたかという意味であるが、それがわかると現代美術は理解からかけ離れたものではないと思った。→ブログランキングへ

現代アート経済学』宮津大輔(2014年)
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(2013年)
現代アートを買おう!』宮津 大輔 (2010年)
現代アート、超入門!』藤田令伊(2009年)
セゾン現代美術館