京都まみれ 井上章一
東京と対抗する視点で京都を論じている。
いまだに京都人は東京を都と認めていない。文化庁の京都移転の際に、「地方再生事業」という言葉に敏感に反応した。「地方」とは何ごとか、京都は「地方」ではない、「地域」に変更しろと。
さらに、早稲田の校歌にも難癖をつける。「♪都の西北」ではない、京都からはるか東、「都の東」だと。
京都まみれ 井上章一 朝日新書 2020年4月 9✳︎ |
天皇が退位されるとなったとき、京都市長が退位の後は京都でお暮らし頂きたいと発言し顰蹙をかった。
京都至上主義者が東京を首都と認めないその根拠は、がちがちの京都至上主義者である梅棹忠夫も言っているとおり、遷都令が出されていないからだという。平城京から長岡京に都を移したときは、勅令が交付された。長岡京から平安京のときも勅令が出た。明治政府は遷都令を発布していない。
蛤御門の変で焼け野原になった京都から、朝廷は東京に拉致され、公家たちもそれに続いた。人々の絶望は大きかった。そんなことから、御所のある京都の北側人びとは、天皇は東京に一時的に拉致されただけだと、いずれ帰ってきていただけると思うようになった。
京都は、都の中の都という意味である。地方都市の京都にその名がふさわしいか。その名にふさわしいのは東京だろう。あえて明治新政府は、京都に温情を加えたのではないか。
銀座は銀座2丁目ティファニーの前あたりに「銀座発祥の地」の碑があるが、銀座という地名は京都の伏見が源流であるという。見そこなうなと反発する。
寛永寺は江戸幕府が延暦寺を模して建てたもの。東叡山という山号がある。東の比叡山を自称する寺である。江戸幕府は京都の御所を真似たのだろう。明治維新でその土地は縮小されたが江戸時代はかなり広かったという。
洛中の商家の跡取り問題を論じる。京大に入るとろくなことがないと洛中ではいう。ゆくゆくは東京に行ってしまう。一方、同志社は京都の老舗を継ぐだろう子弟が少なからず通っている。いわゆるぼんぼんたちである。洛中の伝統的な商家は否定的な京大感をもっている。
西陣の人びとは、このあいだの戦争というと応仁の乱だという。第二次世界大戦でそれほどの被害がなかったが、応仁の乱では京都は破壊された。このあいだと応仁まで遡れる家はそうない。このあいだの戦争というのは、結構痛い目にあわされた人の子孫たちの言回しだ。
居酒屋で『応仁の乱』(呉座勇一著 2018年)の本について盛り上がる一団がいたという。話の内容は自分たちの先祖が登場したということだった。
応仁の乱で上京と下京に分断された。上京は公家たちが下京には商人たちが住んでいた。明治維新で公家たちは天皇について東京に移り住んだ。祇園祭は下京の町人たちが仕切ってきた。
京都が首都であったらどうなっていただろう。巨大資本に町の中心部は買い取られ、老舗は郊外や他県に出ていかざるを得なかっただろう。あるいは廃業に追い込まれたかもしれない。東京は京都から首都という重荷をおろしてくれた。感謝してもいいくらいではないのかという。京都と東京はそれぞれが譲り合って、相応の役割と立ち位置を獲得しているというところだろう。→人気ブログランキング
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