書籍・雑誌

『新しい須賀敦子』湯川 豊 篇

2014年10月に、神奈川近代文学館で開催された「須賀敦子の世界展」で、対談や講演が行われた。それらをまとめたものの他に、須賀敦子研究の第一人者である編者が、5つの観点から分析を試みている。

須賀敦子の最初の本『ミラノ 霧の風景』が刊行されたのが1990年。1998年に69歳で亡くなったものの、その後もずっと人気が続いているのはなぜか?
なにより、よい文章であり美しい文章であることに尽きるとしている。

新しい須賀敦子
新しい須賀敦子
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江國 香織 松家 仁之 湯川 豊
集英社
2015年12月

須賀敦子を読み解くうえで、欠かせないのが父親の存在である。
「(父との)灼けるような確執」(『遠い朝の本たち』)があったと須賀敦子は書いている。
妹によると、両親の反対を押し切ってクリスチャンになったり、反対を押し切って留学したり、結婚したり、両親に反抗しっぱなしだったという。若い頃、父親に散々反発したが、父親が勧めた本はちゃんと読んでいた。ファザー・コンプレックスだったという。

イタリアに留学した須賀敦子はコルシア書店に出入りし、カソリック左派の運動に首を突っ込むようになる。そこで知り合ったペッピーノと結婚する。
ある日、ペッピーノが君向きの本だと、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』を渡した。読み始めるとたちまち熱中した。
のちに須賀敦子はキンズブルグに直接会いにいき、翻訳の許可を直接交渉している。
『ある家族の会話』の特徴は、家族が交わしている会話そのものが、物語を語る文章になっていることである。須賀敦子の文体もキンズブルグと同じものを目指した。

夫の家族は下級鉄道員の出、須賀敦子と生活とは違う階級であり、夫の家族のことは書きにくかったはず。書きにくさを物語にすることで乗り越えたという。

『傍聞(かたえぎ)き』 長岡弘樹

傍聞き (双葉文庫)
傍聞き
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長岡弘樹(Nagaoka Hiroki)
双葉社
2011年9月15日
ISBN 978-4-575-51453-7
★★★★★

短篇の醍醐味が十分に満喫できる4篇が収録されている。
いずれも、タイトルが結末を暗示していて、そこかしこに伏線が張り巡らされている。伏線だらけと言ってもいい。
著者は『傍聞き』で、2008年日本推理作家協会賞短編部門賞を受賞した。

「迷走」 副検事が腹を刺され救急車で搬送先の病院に向うが、病院が決まらない。副検事は救急隊員の交通事故で重症を負った娘の裁判を担当した。娘に過失があるとされ、加害者は罪に問われなかった。副検事と隊員の緊迫したやり取りが始まる。

「傍聞(かたえぎ)き」 主人公の女性刑事は小学6年生の娘と暮らすシングルマザー。近所に泥棒が入り、犯人が捕まるが。。
傍聞きとは、相手に直接伝えるよりも第3者にしゃべっているところを聞かせると、相手が信じやすいということ。傍聞きが伏線として使われている。

「899」 消防署員は、近所のアパートに住むシングルマザーの初美に恋心を抱いている。初美が留守のときにアパートが火事になり、初美の4カ月娘を救出しようとして、署員は初美の秘密に気づく。

「迷い箱」 捨てようかどうか迷ったらとりあえず「箱」に入れておく。5~6日経つと捨てる決心がつくという。社会復帰した殺人犯が、迷い箱に入れたのは意外なものは。

『舟を編む』 三浦しをん

舟を編む
舟を編む
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三浦 しをん
光文社
2011年9月20日
ISBN 978-4-344-92776-9
★★★★☆

大手総合出版社のに勤務する27歳の馬締光也(まじめみつや)は、ある日、辞書編集部に転属を命じられる。
営業部では変人として持て余されていたが、言葉にこだわる非凡な能力を買われて、辞書編集部に迎え入れられたのだ。
辞書編集部は馬締を加えて4名と小所帯であるというのに、2カ月後には上司が定年になる。
不景気で採算性のよくない辞書編集部に、人員の補充は望めない。
無謀なことに、定年になる上司が中心になって、広辞苑や大辞林クラスの中規模の辞書、20万余の項目を収録する『大渡海』の出版がすでに計画されている。
『大渡海』は、「辞書は言葉の海を渡る舟、海を渡るにふさわしい舟を編む」という思いを込めて上司たちが名付けた。
その責任者を馬締が引き受けることになる。

辞書を作る作業は、編纂に携わるそれぞれが日々の暮らしの中で拾い集めた言葉を、用例採集カードにメモし蓄積しておくという単純な作業の積み重ねからなりたつ。
その言葉の語源を調べ、関連図書を探り、メモに書き込んでいく。
辞書を作る段になって、それらのカードのなかからどの言葉を採用すべきかを検討する。
ひとつの言葉の持つあらゆる意味を拾い、それを深く掘り下げ、そして最小限の言葉で表す(語釈)という作業が、延々と行われるのだ。
それぞれの分野の専門家にも専門用語の執筆を依頼する。
こうした作業は、馬締の執念によって13年の間に少しずつ進んでいた。

本書は、辞書の編纂が、いかに膨大な労力と時間そして資金がかかる作業であるかを教えてくれる。
辞書を作り上げる過程の舞台裏が、人間味豊かにそして面白く書かれている。著者の意図するところは十分に満喫できるけれど、コミック風の軽さが漂っているのは否めない。

→映画『舟を編む』2013年/The Great Passage/石井裕也

『グレン・グールド シークレット・ライフ』 マイケル・クラークスン

グレン・グールド シークレット・ライフ
マイケル・クラークスン
岩田佳代子 訳
道出版
2011年9月11日
3200円
ISBN 978-4-86086-055-4

著者のマイケル・クラークスンは、J・Dサリンジャーの取材記事が評価されピューリッツアー賞にノミネートされたことで名を馳せたジャーナリストである。
本書を執筆するに当たり、グレン・グールドの関係者約100人に取材をしている。

生前グールドの女性関係が公になることはなかった。
その理由は、グールドは私生活について詮索されるようなことがあれば、その人たちと縁を切った。
その結果、人々はグールドがゲイかバイセクシャルではないかと考えるようになった。
芸術家にはありがちなこととして、それはなんとなく受け入れられていた。
グールドのファンにとって、暗黙の了解事項だった。
グールド自身はあえて誤解を否定しなかった。

1950年から60年代にかけてグールドと親しい関係にあった作家の質問に、グールドはウラジミール・ホロヴィッツの有名な言葉を逆手にとって、次のように答えている。
<「人々から、ゲイかと問われたら何と返事するのか」との問いに、グールドは答えた。「僕はいつもホロヴィッツの言葉を引き合いに出しているんだ、曰く、ピアニストには3種類いて、両性愛者とユダヤ人とたちの悪いピアニストだって。で、僕はそこにもう1種類加えるんだ、ホロヴィッツよりうまいピアニスト、っていうのをね」>
いかにもグールドらしい気の利いた返答をしている。
グールドは多くのピアニストに好意的に接したと言われるが、ホロヴィッツに対してだけは、ホロヴィッツがグールドに対してそうだったように、辛辣であったという。

2007年8月25日づけの『トロント・スター』紙に、グールドと有名な音楽家の妻であった画家コーネリア・フォスの関係について、著者による特集記事が掲載された。グールドとフォスは1960年代から約8年間、不倫関係にあった。
この記事が出たことで、それまでの伝記作家たちがグールドの女性関係に踏み込まなかったことは怠慢であるとの批判の記事が、他紙に掲載されたという。

グールドが親密になった女性は他にも何人かいた。そして求婚もしている。
グールドは、様々なことに秘密主義を貫いた。
『グレン・グールドのピアノ』(ケイティ・ハフナー著)によると、
グールドが愛用したスタインウェイ社のピアノCD318を専門的に調律したのはヴァーン・エドクィストであったが、エドクィスト以外にも、グールドが調律を依頼した調律師が数人いたとされている。
しかしそれぞれの調律師たちは、他の調律師の存在を聞かされていなかった。また他の調律師が調律したことを知らなかったという。
女性との交際においても同様のことがあったと記載されている。
つまり今風にいえば、二股も三股もかけていたということになるのだろうか。

本書はグールドのロマンスを中心に書かれている。
今年10月に公開された映画『グレングールド 天才ピアニストの愛と孤独』のテーマのひとつは、グールドをめぐる女性たちである。
本書が原作であり、著者が脚本を担当している。

『グレン・グールドのピアノ』 ケイティ・ハフナー

『グレン・グールドのピアノ』  ケーティ・ハフナー

グレン・グールドのピアノ

グレン・グールドのピアノ

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ケイティ ハフナー
鈴木圭介 訳
筑摩書房
2011年8月10日
2800円

グールドは1954年に、その後さまざまな演奏会用ピアノを判断するときの物差しとなる楽器と出会う。
それはボストンのピアノ会社チェッカリングが製造した小型のグランドピアノである。
羽根のように軽いタッチの手にしっくりくるピアノだった。

1955年、グールドが22歳のときに録音した「ゴルトベルグ変奏曲」は、売上枚数180万枚のベストセラーになった。
まさにクラシック音楽会の寵児の誕生であった。
「ゴルトベルグ変奏曲」の録音には、その当時グールドが気に入っていたスタインウェイCD174が使われている。

スタインウェイ社がピアニストたちに自社のピアノを提供したのは、自社のピアノを一流のピアニストに演奏会で弾いてもらうことが、自社製品の宣伝になるという目論見があったからである。
20世紀の初めには、一流オーケストラと協演する独奏ピアニストの95%以上が、スタインウェイのピアノだけを弾くようになっていた。
いきおいスタインウェイ社は、アーティストからの風変わりな要求も受け入れざるを得なかった。

グレングールドのピアノへのこだわりは執拗であった。
グールドがピアノに感じる不具合について、どんなに些細なことであろうと、担当者に電話をかけ、あるいはスタインウェイ社に手紙を送り改善を求めた。

グールドは音楽界の大勢とは異なる考え方を持っていた。
大きな音を出すことは、音を明確に響かせることに比べたら取るに足りないと考えていた。

グールドは最後の清教徒にふさわしい人間だと自ら口にし、ピアノの音色にも「ピューリタン」という表現を用いることがあった。
ピューリタン的な音とは、明確で泡立ちのよい音、乾いた透明な、軽い音色のことだった。

ところがスタインウェイのコンサートグランドは、グールドの求めるものとは異なり、唸るような力強い低音と、輝かしい高音が持ち味だった。

グールドとの軋轢があったにもかかわらず、スタインウェイ社はこの厄介な時代の寵児の要求を満足させようと骨を折った。

1950年代の後半、グールドの北米大陸での演奏会のすべてにピアノを手配し、ヨーロッパでの演奏会の面倒もみて、さらに世界中どこでも彼の泊るホテルにピアノを手配した。

その後、グールドはキャリアのなかで最も愛用したピアノ、CD318に出会うことになる。
コンサートグランドの寿命は製造されてから10年がぎりぎりであったが、グールドがCD318を手にしたとき、製造後15年が経っていた。

1962年、ヴァーン・エドクィストはグールドのペントハウスを訪れグールド愛用のチェッカリングを調律するように頼まれる。

エドクィスト繊細な音を聞き分ける類稀な能力のみならず、グールドの度を超える要求をこなす調律師としての技量と忍耐を備えていた。
エドクィストがグールドから要求されたことは、困難なことが多かったが、音に対する繊細な感性が一致する点で、それらの要求がいかほども苦痛と感じなかった。

エドクィストがCD310に手を加えたことで、ますますグールド好みのアクションを持つようになった。

1964年、31歳のときに、現役ピアニスト中最高額の報酬を保証されていたうちのひとりであったグールドは、演奏会から引退し、二度と復帰することはなかった。

その後はもっぱらCD318を使って、スタジオでの録音に専念した。

CD318は、コロンビアレコードの録音スタジオに移され、グールドの多年にわたる録音に使われ、「グールドのピアノ」として誰も触ってはいけないものとして認識されるようになった。

その後、CD318は不幸な事故に遭うことになる。

1982年、グールドは50歳の若さで亡くなった。
亡くなる2年前の1980年に、再度録音された「ゴルトベルグ変奏曲」に使用されたピアノは、グールドが「あれ」と代名詞でしか呼ばなかったヤマハであった。

グレン・グールド シークレット・ライフ』 マイケル・クラースン

『趣味は読書。』/八角亭/麻婆麺

9月○日(木) sun

約1ヵ月前に、「いつもありがとうございます。」と萬松堂の3階キャッシャーで、お釣りをもらうときに言われた。
ついに本屋に常連と認められたかと感無量だった。
そう言ったのは眼鏡をかけた華奢な女性店員だった。
その後も何回かここで本を購入したが、残念ながら常連扱いされたのは、その一回きりだった。
あれは空耳だったのか。

ところで、『趣味は読書。』(斉藤美奈子著)によると、
<もし日本が100人の村だったら、40人はまったく本を読まず、20人は読んでも月に1冊以下だ。しかも、ここには図書館で本を借りる人も、1冊の本を何人もで回し読みしている人も含まれている。したがって、「読む」ではなく「買う」にシフトして「毎月1冊以上の本を買う人」「定期的に本屋に行く人」「新刊書に関心のある人」などとなったらもっと少人数にちがいなく、純粋な趣味として本に一定のお金と時間を割く人はせいぜい100人の村に4~5人、数にして500~600万人がいいところかと思う。>だそうだ。
本を読む人が多いんだか少ないんだかピンとこないが、著者は少ないと言いたいのだろう。
それと、アマゾンなんて強敵が羽振りを利かす時代になったから、ときどき出没する客たちの扱いを、本屋は考え直すべきなのだ。

店内をぐるりと回り、今日は買うものがないなと思いながら、いつも最後に立ち寄る1階キャッシャーの横の書評コーナーの前に立った。
フェルメール 光の王国 』(福岡伸一著)が目に入り購入した。
残念なことに、「いつもありがとうございます」とは今回も言ってくれなかった。

八角亭。
席につくなり間髪を容れず、麻婆麺をお願いした。
麻婆豆腐は、あばた面の劉オバさんが有り合せの材料で、労働者向けに屋台で売り出したのが最初とされる。
こういう出自の麻婆豆腐だから、豆腐は木綿でところどころが欠けて崩れているのがそれらしい。
ところが市井の中華料理店で出てくる麻婆豆腐は、おおよそ9対1で絹ごし豆腐が使われている。

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この店の麻婆豆腐もつるりとした柔肌の絹ごしだった。
厨房を眺めていたら、まったくおおざっぱな作り方で、数分ででき上がった。
この素早くでき上がりかつ大雑把なところが麻婆豆腐の真骨頂なのだ。
八角亭は化学調味料を多量に使うと教えてくれた、前にこの店で働いていたオバさんがいたが、出汁のよく効いた旨い麻婆麺630円だった。

八角亭 古町十字路店
新潟市中央区古町通7番町996-7