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『パット・ホビー物語』F.スコット.フィッツジェラルド

「ロスト・ジェネレーションの旗手」、あるいは、「ジャズ・エイジの象徴」と呼ばれたF.スコット.フィッツジェラルド(1896〜1940年)の最晩年の作品。1940〜42年に雑誌『エスクァイア』に連載された連作短篇。

トーキー時代に引っ張りだこの脚本家だった49歳のパット・ホビーは、ここ5年間は仕事が少なくなるばかりだ。パットは、企画書もまともに読まないくらいでいい加減で通してきた。自分には、まだそれなりの力があるかのような態度を、ことあるたびにとるがが、ほとんどの場合無視される。金の無心をしなければならないほど素寒貧である。いつもジンかウィスキーのパイント瓶を尻ポケットに忍ばせてアルコール臭い。
落ち目のパット・ホビーがヘマをしでかす話がオチがついて並んでいる。
本書に収録されている短篇は、ほとんどが本邦初訳だという。

主人公と同じように、1920年代に名声をほしいままにした著者だが、本作品の執筆の頃は、妻エルダは精神病院に収容され、自身はアルコールに蝕まれどん底の状況にあった。著者はパット・ホビーに自身をダブらせていたのだろう。

パット・ホビー物語
パット・ホビー物語
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F.スコット・フィッツジェラルド
風濤社 (2016
2016年12月

「パット・ホビーのクリスマスイブ」第1話
パットはクリスマスイブだというのに重役に命じられた仕事をしている。新任秘書のヘレンから重役の弱みを握っていると聞かされた。パットは重役をゆすってプロジューサーにしてもらおうと企てるが。。

「パット・ホビーとオーソン・ウェルズ」第5話
撮影所には入構書がなければ出入りできなくなった。警備員に屁理屈を並べてなんとか入ろうとするパットだが、警備員は「たとえオーソン・ウェルズだとおたくが言ったとしても入れるわけにはいかない」と返す。
パットは、映画界の重鎮の車に乗り込み、入構書の発行をお願いする。しぶとく食い下がるパットに、重鎮は新顔のオーソン・ウェルズと会うことになっていると言って、面倒臭そうに名刺入れに手を伸ばした。
金を無心した相手に強要されて、パットはオーソン・ウェルズに変装させられた。急に心臓発作で倒れた重鎮をパットが乗っている車で病院に運ぶことになった。パットは変装がばれてはまずいと、バーに駆け込みカウンターの髭面のエキストラたちに紛れ込んだ。

「パット・ホビーの学生時代」第17話
秘書はパットに机の中のものの廃棄を命じられ、袋に詰めて車で捨てる場所を探していた。大学を舞台とした映画を作ることになって、パットはアイデアを探りに大学を訪れた。教授会の席でとっさに浮かんだ学生の窃盗事件のストーリーを語った。そこに捨てる場所が見つからなかったと、秘書が袋に入った大量の空の酒瓶を持って現れた。→人気ブログランキング

『フェルマータ』ニコルソン・ベイカー

『中二階』『もしもし』で、瑣末な事柄をミクロな表現で饒舌に語り、詩的なコスモスを創り出したニコルソン・ベイカーの第3弾。

主人公のアーノルドは35歳、ボストンの中心街にある銀行で派遣社員として働いている。タイプ打ちが仕事だ。
アーノルドは「ひょんなこと」から時間を止める能力があることに気づいた。それを〈フェルマータ〉とか〈襞(フォールド)〉とか〈ドロップ〉と呼んでいて、〈フェルマータ〉を使って女性の裸を鑑賞することに情熱を燃やしている。

フェルマータ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
フェルマータ
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ニコルソン ベイカー/岸本佐和子訳
白水社
1995年6月

時間を止める能力は、長い間発揮できないこともある。
たとえば、〈ビー玉を6個、クッキングシートの上に並べて低温オーヴンで焼き、冷たい水を満たしたコップの中に一つ落としてみたこともあった。ビー玉がジュッと音を立てて水に沈み、内側からカチンとひび割れ模様を生じる瞬間、時間が止まるのではないかと、固唾を飲んで見守ったが、何も起こらずじまいだった。〉という涙ぐましい努力の結果ハズレのことがあるかと思えば、指をパチンと鳴らすだけで〈フェルマータ〉が訪れることもあるのだ。

アーノルドは周りの目につく女性すべてとセクシャルな関係を持とうと妄想するので、〈フェルマータ〉を使うのはほとんどの場合、性的な目的である。
ただし、アーノルドは節度をもって女性に接していると自負していて、女性の下着を脱がせて観察したり、乳房に触れたり陰毛に頬ずりしても、その女性に尊敬と愛情をもって接し、決して迷惑をかけないという姿勢を貫いているつもりでいる。自分が性的な喜びを得ることもさることながら、相手の女性にも喜びを味わってもらおうという、博愛精神を貫いている。

アーノルドは、〈フェルマータ〉で時間の止まった世界と通常の世界を行き来して、通販で取り寄せた性具を女性に使わせる算段をしたり、自らが渾身の力を注いで書いたポルノ小説(ロット)を女性が読むように画策したりする。
本文中にそのロットの2作品があますことなく紹介されている。

善良なアーノルドの実際の恋愛はどうかというと、恋人のローディに〈フェルマータ〉のことをそれとなく打ち明けると、あっけなく振らてしまう。

今や、アーノルドは正面に座っている正社員のジョイスに恋をしていて、デートに誘ことに〈フェルマータ〉を使って成功する。しかし、真の愛を勝ちとるには避けて通れないと、ジョイスに〈フェルマータ〉のことを打ち明けるのだが。。→人気ブログランキング

フェルマータ
もしもし
中二階

『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック

アルバート、故郷に帰る』のなかで、主人公の夫婦が工場のストライキの現場でジョン・スタインベックに出会う。また、スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』(新潮文庫)の前説に、中篇集を発刊する経緯が書いてあって、スタインベックの『ハツカネズミと人間』を下敷きにした作品を描いたことがあると書かれている。
それで本書を読んでみることにした。

まるで舞台劇のように場面と登場人物が変わる。
登場人物の立場や役割がはっきりしているところも、舞台劇風である。

ハツカネズミと人間 (新潮文庫)
ハツカネズミと人間
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ジョン スタインベック /大浦暁生
新潮文庫 1994年

ジョージは体が小さいが賢い、レニーはでかくて働き者だが利口でない。ふたりの夢は農場を持つこと。レニーはウサギの毛の感触に魅せられていている。レニーがハツカネズミを撫でているうちに死んでしまうが、1週間も捨てられないでいるところを、ジョージにたしなめられる。
ふたりは小さい頃からの付き合いで、利口でないゆえに、なにかと災難に巻き込まれ勝ちなレニーの面倒をジョージがみてきた。
ふたりは農場の渡り労働者として、ある農場に雇われた。
農場主の息子カーリーは、立場を嵩にきていばり散らし、雇い人を殴る機会を狙っているようなヤクザな男である。その新婚の妻が気の多い女で、機会があれば従業員に色目を使っている。

ジョージとレニーは、この農場にいると揉め事に巻き込まれそうだから、給料を手にしたらさっさと出て行くことにした。その判断は正しかった。夫婦が絵に描いたような疫病神なのだ。

仕事で右腕をなくしたキャンディ老人は、保証金をもらい、飯場の掃除して暮らしている。いつものように、ジョージとレニーが農場を持つ夢を語っていると、キャンディ老人が話しに加わり、農場を買う金の一部を出すという。三人は夢を語って盛り上がった。
そこに、カーリーが現れてレニーに難癖をつけ殴りかかる。レニーはカーリーの手を握り潰してしまう。

農夫たちが蹄鉄投げに興じているときに、レニーは黒人の部屋に上がり込んで話し込む。蹄鉄投げに加わらないキャンディ老人も加わって話をしていた。そこに、カーリーの妻が現れレニーを誘惑する。レニーは髪に触らせてもらっているうちに、エスカレートして、女の首の骨を折って殺してしまった。

逃亡したレニーを追うカーリーと農夫たちの先頭にはジョージがいた。
早々とレニーを見つけたジョージはレニーに優しく話しかけ、背後から首の付け根に狙いを定め銃をを撃つのだった。
ジョージはわかっていた。農地を手に入れることなど、実現不可能な絵空事であることを。→人気ブログランキング

『アルバート、故郷に帰る』ホーマー・ヒッカム

大恐慌が始まって6年が経った頃の話。
バスルームで炭鉱夫のホーマーはワニのアルバートに食いつかれ、パンツ姿で逃げ回った。ホーマーと妻のエルシーは、アルバートをウェストヴァージニアの炭鉱町から、1000キロ以上離れた生まれ故郷のフロリダに運んで自然に帰すことにした。
ワニはエルシーが付き合っていたダンサーのバディが、結婚祝いに贈ったもの。送られてきたときは15センチだったが、2歳になったいま、1.2メートルに成長し、これからも大きくなる。アルバートは嬉しいときは「ヤーヤーヤー」と声を出し、寝転がってクリーム色の腹をエルシーに撫でてもらうのが好きだ。

アルバート、故郷に帰る 両親と1匹のワニがぼくに教えてくれた、大切なこと (ハーパーコリンズ・フィクション)
ホーマー・ヒッカム
金原瑞人・西田佳子 訳
ハーバーコリンズ・ジャパン 2016年9月

ふたりは、ピックアップトラックの荷台にバスタブを積んで、そこにアルバートを乗せフロリダに向かった。途中で、なぜか雄鶏がホーマーとアルバートを気に入り、旅に加わった。

かつて、ホーマーは高校を卒業するエルシーに求婚したが断られた。エルシーは高校を卒業すると町を出て、金持ちの叔父さんが住んでいるフロリダで暮らした。やがて故郷に戻ってくると、ホーマーの求婚を承諾した。エルシーはバディに未練があった。
ホーマーは2週間で故郷に戻るつもりだが、エルシーは夫がなんと言おうと町には戻らないと決めた。そんなギクシャクした夫婦は、大いに道草をしながら南に向かう。

道草する理由は、エルシーの誰からも受け入れられる気さくな性格と、規格外れの好奇心にある。
エルシーは靴下工場の労働者の先頭に立ち経営者とわたりあったり、ホーマーは銀行強盗に巻き込まれアルバートに助けられたり、詩人の老紳士とムスリムの美女に騙されたり、エルシーは密造酒の運び屋の妻にさせられ警察とカーチェイスをしたり、双翼の飛行機に乗せてもらったり、ホーマーはプロ野球の選手になり、アルバートは球団マスコットに収まり、エルシーは球団オーナーの付き添い看護婦になったりする。さらに、ハリウッドで、ふたりとアルバートは映画に代役として出演したり、ホーマーは漁師になったり、そしてフロリダに着くと、ホーマーは鉄道監視員の仕事に就いた。

はたして、アルバートはフロリダでの安住の地を見つけることができるのか。ホーマーの思い通り、ウェストヴァージニアに戻ることができるのか。なによりも気になるエルシーとホーマーの仲はどうなるのか。

ところで、スタインベックとヘミングウェイの文豪が登場する。
スタインベックは、書き進めている小説のタイトルを、エルシーが提案した『怒りの葡萄』にすると宣言する。本をエルシーに捧げると言ったことになっているが、『怒りの葡萄』の献辞を調べると、残念ながらエルシーの名前はない。→人気ブログランキング

母親のエルシーから聞いた話を、著者の息子が書き綴った形をとっている。
エルシーが話を面白くするために、多少「盛っている」かもしれないと、著者は書いている。小説家になりたかったエルシーのことだからは、ストーリーを面白く仕立てたかもしれない。訳者は「21世紀になって、これ以上面白い小説は書かれていないのではないか」と評しているが、フィクションであるにせよ実話であるにせよ、本書が抜群に面白いことに違いはない。

『ジョイランド』スティーヴン・キング

年老いた編集者が、1973年の夏から秋を回想するかたちの青春小説。
大学生の「ぼく」ことデヴィンは、結構うまくいっていた恋人と「あれ」に至らなかったことが原因ではなさそうだが、振られた。
傷心のデヴィンは、夏休みいっぱい、ノースカロライナの海辺の遊園地ジョイランドで、犬のぬいぐるみを着て動き回る体力勝負のバイトに励むことになった。
そこで、大学生のトムとエリンと親しくなる。

ジョイランド (文春文庫)
ジョイランド
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スティーヴン・キング/土屋 晃 訳
文春文庫 2016年7月

デヴィンは、かつて遊園地の〈ホラーハウス〉で起きた若い女性の殺人事件が頭から離れなくなる。トムは〈ホラーハウス〉で、殺された女性の幽霊を目にしたという。未解決の殺人事件は、ほかの遊園地でも起こっていた。
デヴィンは1年間休学してジョイランドで バイトを続けることにした。表向きは恋人のこと、なにより女性の幽霊を見たかったし、連続殺人鬼を突き止めたいとも思った。

デヴィンはジョイランドへの通勤のさいに、人懐っこそうな車椅子の少年と犬、若い母親に会った。やがて豪邸で暮らすこの美人のシングルマザーに惹かれていく。

キングお得意の、ユーモアとジョークと、たっぷりの皮肉が込められた言いまわしで繰り広げられる純愛ホラーミステリ。『スタンド・バイ・ミー』や『63/11/22』に通じる古き良き時代を舞台にした、切なく心暖まる恋愛物語である。

ミスター・メルセデス
ジョイランド
11/22/63
書くことについて
幸運の25セント硬貨
1922
ビッグ・ドライバー
スタンド・バイ・ミー』(DVD)

『もしもし』ニコルソン・ベイカー

会員制の電話サービスで、若い男女が「いま何を着ているの」ではじまり、性的な体験や妄想を語り合い、エスカレートしていく、いわば「電話小説」。ふたりはアメリカの東と西に暮らし、フルネームさえ知らない間柄。
ニコルソン・ベイカーがデェビュー作『中二階』で繰り広げた、ディテールにこだわり知的でストイックな表現が、本作でも踏襲されている。

もしもし (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
もしもし
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ニコルソン・ベイカー/岸本佐和子 訳
白水社 1993年8月

「ぼくはワイセツ電話にはあんまりむいていないってことだね。イキそうなのを相手に悟られないようにするなんてできない」
「あーら、わたしにはできるわよ」
なんて会話が交わされ、やがて性的にもっとも興奮することを包み隠さず話すことが、会話の「決まり」になる。

ジムは、会社の 同僚のエミリーと一緒に自宅でAVを観たエピソードを語る。
さらに、ビデオの『ピーターパン』のティンカーベルが引き出しに閉じ込められて、鍵穴から出ようとしたときに、ヒップが大きすぎてひっかかるところがセクシーだという。
夜空に高く浮かび、アメリカ中のマスターベーションしている女性が発するチカチカする光を眺める空想を語る。

一方、アビィも負けじと、シャワーの浴び方を事細かに話し、別れた恋人とのことや、誘惑した男についてしゃべる。3人のペンキ職人とのからみや、サーカスでストリップを演じる妄想を語る。

ジムは、空想にも熾烈な生存競争があり、ちゃんと機能するものに進化しなければ、空想は生き残れないという。ジムの言葉どうり、エロティックな空想をふたりで進化させて、ついに一緒に絶頂に到達する。
ここまであっけらかんと性を謳歌する物語は、アメリカでなければ生まれない。

→『中二階』(2013/3/24)
→『もしもし』(2016/5/16)

『ダロウェイ夫人』ヴァージニア・ウルフ

1925年に発表されたヴァージニア・ウルフ(1882〜1941)の代表作。
「ミセス・ダロウェイはお花はわたしが買ってくるわ、と言った。」という有名なフレーズで始まる。ミセス・ダロウェイが自宅で開くパーティのために花を買いに家を出たのは、第一世界大戦(1914年〜1918年)が終結して5年が経った、6月半ばの晴れやかなロンドンの朝のこと。

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)
ダロウェイ夫人
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ヴァージニア・ウルフ/丹治 愛 訳
集英社文庫 2007年

主人公のクラリッサ・ダロウェイは51歳になったばかり、クラリッサの夫リチャードは保守党の国会議員。
ミセス・ダロウェイという存在は、ミセス・リチャード・ダロウェイというだけの存在、つまり妻は男の付属物でしかないとクラリッサは不満を抱いている。

クラリッサは、反抗的な14歳のひとり娘エリザベスに頭を痛めている。つまり、それは若かりし頃のクラリッサ自身であるわけだが。。
エリザベスの家庭教師ミス・キルマンが、クラリッサに敵愾心を持っていて、クラリッサもミス・キルマンを嫌っている。ミス・キルマンは異常なほどの信仰心をもっている。始末が悪いことに、エリザベスはミス・キルマンに憧れている。
ミス・キルマンの存在は、宗教に束縛されたくないあるいは無宗教という、クラリッサの意思の暗喩である。

30年前に、クラリッサの家で過ごした夏の日々を、登場人物たちが回想する。1890年代の初期、夏のブアトンことだ。
ピーター・ウォルシュはクラリッサにべた惚れだった。ところが、最終的にクラリッサを心を射止めたのはリチャード・ダロウェイ。ピーターはリチャードのせいでクラリッサと結婚できなかったと思っている。
その夏、クラリッサは自由奔放なサリーに憧れレスビアン的な関係にもなっていた。

レイディ・ブルートンの昼食会や、大戦によるPTSDで苦悩するセプティマスが飛び降り自殺を図るエピソードが挟み込まれる。
そして、予定通りに、ロンドンの名士たちが集い、ピーターもサリーも出席するパーティが始まる。

物語はパーティのための花を買いに行くという晴れやな始まりが、自殺という不吉な話題で終わろうとする。それは、まるで、クラリッサに熱烈に恋をして振られ、インドに行き失敗してしまったピーターの人生のようでもある。

めまぐるしく視点が変わる文体で、多彩な登場人物たちの心象を通して、ロンドンのある濃厚な1日が描かれている。

→『めぐりあう時間たち』(DVD)
→『バージニア・ウルフなんかこわくない』(DVD)

『霜の降りる前に』ヘニング・マンケル/柳沢由美子訳

ヘニング・マンケルが、昨年の10月5日に67歳で亡くなった。末期の肺癌だった。
2年前に頚部痛で医療機関を訪れ診断されたときには、すでにかなり進行していたという。
ご冥福をお祈りします。

1978年、南米のガイアナのジャングルで起きたカルト教団の集団自殺から、死を逃れたひとりの男がいた。男は教祖の犯した過ちの轍を踏まぬよう、何年もかけて準備をしてきた。

霜の降りる前に〈上〉 (創元推理文庫)
ヘニング・マンケル
東京創元社
2016年1月
霜の降りる前に〈下〉 (創元推理文庫)
ヘニング・マンケル
東京創元社
2016年1月

本作の主人公は、クルト・ヴァランダー刑事の29歳になる一人娘のリンダである。
リンダは警察学校を卒業して、9月から父の勤めるスウェーデン南部にあるイースター署で警察官実習生として仕事を始めることになっている。実習が始まるまで、バツイチで独り身のヴァランダーのアパートに居候している。

リンダの幼馴染みのマリアが、20年前に行方不明になった父の姿を目にしたと言って、失踪した。医学の勉強をしているはずのマリアのアパートには、医学に関する書籍が1冊もない。不思議に思ったリンダはアリアを探しはじめる。

そしてイースターの周辺では、白鳥ヤ子牛の焼殺事件、湖畔の小屋で頭と手だけが残こされた女性の惨殺事件が起きた。さらに、ペットショップの火災、2件の教会の火災が起きた。

制服を着ていない微妙な立場のリンダは、事件に関わっていいものか戸惑う。性格が似てるがゆえに、ちょっとしたことで父娘はぶつかってしまう。
リンダが行方不明者のバイクを発見したことがきっかけとなり、宗教がらみの猟奇的事件の様相を呈していく。そして、否応なくリンダは捜査チームの重要な一員として活躍することになる。

2016.03.19『霜の降りる前に
2014.09.19『北京からきた男
2013.04.10『ファイアーウォール』 
2012.01.02『リガの犬たち
2011.12.20『背後の足音

『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル

カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第1弾、著者のデビュー作である。
昨年、翻訳され爆発的にヒットした『その女アレックス』は、本シリーズの2作目。

パリ警視庁犯罪捜査部の警部カミーユの妻イレーヌは数週後に出産を控えている。
カミーユはふたりの女性の殺人現場に呼び出された。電気ノコギリやバーナーや酸が使われ、遺体は無惨に損壊されていた。頭蓋骨が釘で打ちつけられた壁には、《私は戻った》と血文字が書かれていた。指紋が残っていたが、ご丁寧にもスタンプによるものだった。
指紋のスタンプから1年前に起こった未解決の女性殺害事件と同一犯と推定された。
この事件では、奇妙なことに被害者の髪の毛が綺麗にシャンプーされていたのだ。

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)
悲しみのイレーヌ
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ピエール・ルメートル  橘 明美 訳 
文春文庫  2015年10月 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

カミーユは、記者のあいだで手腕とその低すぎる身長で、ちょっとした有名人である。
事件解決のめどがつかない状況の中、カミーユの個人情報が大々的に新聞に載った。
ル・マタン紙の記者がカミーユの父親から聞きだきたものだった。
記事により、カミーユの立場は悪くなり、事件捜査から外されそうになる。

夜中に悪夢で目覚めたカミーユは、1年前に起きた事件の死体の状況が、小説の『ブラック・ダリア』と同じであるとひらめいた。
そして、今回の事件に合致する小説を洗い出すと、『アメリカン・サイコ』にたどり着いた。
犯人からカミーユ宛に、捜査の進捗状況を見透かしたような手紙が届く。

そして、過去の未解決の殺人事件と一致する小説を結びつける作業が始まった。
イギリスのグラスゴーで作業中の浚渫船が女性の遺体を引き上げた事件は、スウェーデン発のミステリの古典『ロゼアンナ』を摸したことが、判明した。
ミステリ好きには、たまらない展開となっていく。

ついには、犯人から次の殺人を示唆する手紙が届く。
仕上げの殺人は、果たしてどんな小説を模倣して行うのか?→ブログランキングへ

傷だらけのカミーユ
悲しみのイレーヌ
その女アレックス

『服従』ミチェル・ウェルベック

分裂に向かう欧州連合を再結束させるには、いかなる方策があるのか。本書の答はイスラム教への服従である。
本書にはイスラム原理主義者にとって、バラ色の未来予想図が描かれているにもかかわらず、2015年1月7日にフランスで本書が出版されると、著者のミチェル・ウェルベックはイスラム過激派に命を狙われ、警察の保護下におかれたという。
それまで再三イスラム教を批判していながら、預言者を気取るのは許せないということなのだろう。
ウェルベックは1998年に『素粒子』を発表して以来、いくつもの問題作を手がけてきた。

服従
服従
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ミシェル ウエルベック  大塚 桃 訳
河出書房新社
2015年9月 ★★★★★
売り上げランキング: 612

2022年のフランス大統領選挙で、移民排斥を訴える右派の候補がトップになり、イスラム同胞党のモアメド・ベン・アッベスは僅差で2位となった。決選投票で、ファシストかイスラムのどちらと組むかを迫られた左派と中道派は、イスラムの方がマシと判断した。
この結果、ベン・アッベスが圧倒的な勝利を収めフランスはイスラム化への道を進んでいくことになった。

主人公のフランソワは、ソルボンヌ=パリ第3大学の教授。19世末のフランスの代表的なデカダン作家ジョリス=カルル・ユイスマンスの研究者である。日常に流されて生きている独身の中年男。
大学は封鎖されフランソワは職を失うが、暮らすに困らない額の年金を手にすることになる。政権のバックには巨額のオイルマネーがあるのだ。

連合政府は好意的に評価された。
変わったことといえば、女性の肌の露出が極端に少なくなり、体の線が目立つ服は見られなくなったこと。テレビからはエロティックな要素が消えた。
また犯罪は激減した。
女性が労働市場から姿を消し、家族手当が大幅に引き上げられた。失業率は低下した。
そして義務教育は12歳までになった。
欧州連合に、トルコを加える交渉が始まり、モロッコも加える構想が出てきた。
ベン・アッベスの野望はオスマン帝国を築くことである。

フランソワは、大学の同僚だったスティーブに出会う。
スティーブは、大学管轄の広い宿舎に住み、給料はかつての3倍、すでに結婚し来月には2番目の妻を娶ることになっている。ランボーがイスラム教に改宗したという不確かな史実を教えているのだろう。

フランソワにも古典叢書編纂の仕事が舞い込んできた。ユイスマンスを担当することになった。
フランソワはユイスマンス研究の第一人者として丁重に応対されるようになるだろう。
そして、改宗すれば裕福な暮らしが待っている。複数の若い妻を娶ることもできるだろう。フランソワはそれも悪くはないと思うようになっていた。→人気ブログランキングへ

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