理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 吉川浩満
本書で論じる進化論は単なる生物の進化を超えている。進化論を社会学的あるいは経済学的な視点でとらえ、アートに浸透し、宇宙物理学との関連にまでにも及び、哲学的として論じている。名著だ。
私たちは、ふつう、進化論を生き残りの観点から見ている。進化論は勝ち組の歴史である。本書では、逆に絶滅という観点から生物の歴史を捉えている。地球上に出現した生物のうち99.9%が絶滅した。私たちを含む0.1%の生き残りでさえまだ絶滅していないだけである。
生物の歴史は理不尽さに満ちている。大いなる自然は生物たちに恵みをもたらすだけではない。自然は生き物たちを特別な理由なく差別したり、依怙贔屓したり、ロシアンルーレットを強制したり、気まぐれな専制君主のようにふるまう。
地球は何度かの大絶滅を経験し、そのたびに生態系の再構築がなされてきた。その場合、遺伝子が悪いわけではなく、単に運が悪かったのである。
絶滅という観点から見えてくる生物の進化の理不尽さを明らかにすることが本書のテーマである。
理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 吉川浩満 ちくま文庫(単行本は2014年発刊) 2021年 |
かつて、ドーキンスとグールドは、ちょっと長めのエッセイ(著書)で、侃々諤々の応酬を繰り返したので、著者もその轍を踏んで少し長めのエッセイ(試論)を書いた。
進化論が好かれるのは、進化論が生き残った生物の栄光の歴史(サクセス・ストーリー)だからだ。逆に、絶滅の観点から進化をとらえると、理不尽さに満ちた歴史である。絶滅についてもっと語ってもいいのではないかと著者はいう。
恐竜は巨大衛星の衝突で粉塵が舞い上がり、平均気温が10度も下がり絶滅した。ルールが変わったのだ。理不尽な絶滅によって開いた位置に生き残った生物がのし上がる。つまり主役が変わったのである。
進化論の言葉で語るとなんとなく説得力が増すように感じる。「勝ち組/負け組」「ガラパゴス化」「リア充」「婚活」「非モテ」といった流行語も、環境への適応に成功して生き延びる者/失敗して死に絶える者、という進化論的な文脈で見ればわかりやすくなる。
進化論にかかれば、宇宙も宇宙論も進化する物事の一員になる。
アメリカの哲学者ダニエル・C・デネットは、進化論を「万能酸」と呼んだ。万能散とは、どんなものでも侵食してしまうという空想の液体のことだ。従来の理論や概念を侵食し尽くした後に、革新的な世界像、進化論的世界像を残していく。
本書のキーワードはタイトルにある理不尽と、トートロジーである。
生物はあるとき一斉に神が創造したとする創造論者は、進化論への反論として「生き残った者が適者であり、適者が生き残る」という主張は循環論(トートロジー)であり科学ではない、と主張する 。創造論者の牙城は堅固だ。俗説が人びとを魅了する構造を理解することで、進化論の本当のおもしろさを読者に示している。→人気ブログランキング
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