生物学

2022年4月12日 (火)

理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ 吉川浩満

本書で論じる進化論は単なる生物の進化を超えている。進化論を社会学的あるいは経済学的な視点でとらえ、アートに浸透し、宇宙物理学との関連にまでにも及び、哲学的として論じている。名著だ。

私たちは、ふつう、進化論を生き残りの観点から見ている。進化論は勝ち組の歴史である。本書では、逆に絶滅という観点から生物の歴史を捉えている。地球上に出現した生物のうち99.9%が絶滅した。私たちを含む0.1%の生き残りでさえまだ絶滅していないだけである。
生物の歴史は理不尽さに満ちている。大いなる自然は生物たちに恵みをもたらすだけではない。自然は生き物たちを特別な理由なく差別したり、依怙贔屓したり、ロシアンルーレットを強制したり、気まぐれな専制君主のようにふるまう。
地球は何度かの大絶滅を経験し、そのたびに生態系の再構築がなされてきた。その場合、遺伝子が悪いわけではなく、単に運が悪かったのである。
絶滅という観点から見えてくる生物の進化の理不尽さを明らかにすることが本書のテーマである。
7fbe1a955237497386d69a72fc260965理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ
吉川浩満 
ちくま文庫(単行本は2014年発刊)
2021年

 かつて、ドーキンスとグールドは、ちょっと長めのエッセイ(著書)で、侃々諤々の応酬を繰り返したので、著者もその轍を踏んで少し長めのエッセイ(試論)を書いた。

進化論が好かれるのは、進化論が生き残った生物の栄光の歴史(サクセス・ストーリー)だからだ。逆に、絶滅の観点から進化をとらえると、理不尽さに満ちた歴史である。絶滅についてもっと語ってもいいのではないかと著者はいう。

恐竜は巨大衛星の衝突で粉塵が舞い上がり、平均気温が10度も下がり絶滅した。ルールが変わったのだ。理不尽な絶滅によって開いた位置に生き残った生物がのし上がる。つまり主役が変わったのである。

進化論の言葉で語るとなんとなく説得力が増すように感じる。「勝ち組/負け組」「ガラパゴス化」「リア充」「婚活」「非モテ」といった流行語も、環境への適応に成功して生き延びる者/失敗して死に絶える者、という進化論的な文脈で見ればわかりやすくなる。
進化論にかかれば、宇宙も宇宙論も進化する物事の一員になる。

アメリカの哲学者ダニエル・C・デネットは、進化論を「万能酸」と呼んだ。万能散とは、どんなものでも侵食してしまうという空想の液体のことだ。従来の理論や概念を侵食し尽くした後に、革新的な世界像、進化論的世界像を残していく。

本書のキーワードはタイトルにある理不尽と、トートロジーである。
生物はあるとき一斉に神が創造したとする創造論者は、進化論への反論として「生き残った者が適者であり、適者が生き残る」という主張は循環論(トートロジー)であり科学ではない、と主張する 。創造論者の牙城は堅固だ。俗説が人びとを魅了する構造を理解することで、進化論の本当のおもしろさを読者に示している。→人気ブログランキング
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2020年10月 8日 (木)

ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃  小林雅一

遺伝子工学や生命科学の分野で、過去に類を見ない驚異的な技術革新が進んでいる。
その技術革新とは、「クリスパー(正確には、クリスパー・キャス9遺伝子改変技術)」。クリスパーは遺伝子をピンポイントで切断したり改変したりを容易にできる。
従来の遺伝子組み換え技術は、100万回に1回という途方もなく低い成功率であったため、膨大なコストと時間を要した。
著者は、ここ数年間のうちにクリスパー技術にノーベル賞が与えられると予言した。それが見事に的中したのである。

 

クリスパー(CRISPR)とは「Clustered Reguraly Interspaced Short Palindromic Repeats」、日本語に訳せば「規則的に間隔を置いた短い回文の反復」である。クリスパーは、数10文字の短い回文が、一定の間隔を置いて繰り返し出現する塩基配列を指す。その間隔(スペーサー)の部分には、回文とはまったく関係がない塩基配列が存在する。
クリスパーは、過去のウイルス攻撃の爪痕であり、次に同じウイルスと接触したときに自分の敵であることを知らせるための情報である。スペーサーが、過去に攻撃を受けたウイルスのDNAの文字列である。
このスペーサーの塩基配列に食らいつき切断してしまう「分子のハサミ」Csn1遺伝子を、エマニエル・シャルパンティエ博士(スウェーデン・ウメオ大学教授)とジェニファー・ダウドナ博士(カリフォルニア大バークレー校教授)の共同チームが見つけ出し、2012年6月に『サイエンス』に発表した。
ところがクリスパーの特許を手にしたのは、フェン・チャン博士(ブロード研究所)だった。クリスパー技術の特許に関して、シャルパンティエ氏・ダウドナ氏とチャン氏の研究チームが法廷闘争を繰り広げている。
いずれにせよ、ここ数年間のうちにクリスパー技術で、ノーベル賞をこの3人が獲得するのは間違いないと、著者は予測している。

遺伝子編集の技術によって、農畜産分野では、「肉量の豊富な家畜や魚」や「腐りにくい野菜」などが開発されている。
一方、医療分野では、筋ジストロフィー、細胞移植療法、エイズ、アルツハイマー病などに対する応用、ダウン症あるいは全ゲノムが解明しているメンデル遺伝病などに対する基礎研究が始まっている。

アマゾンやグーグルなどの世界的なハイテク企業は、無数の患者から集めたゲノムデータを集積している。こうしたビッグデータを最先端AIで分析することにより、複雑な病気の原因遺伝子や発症メカニズムを解析することができる。

臓器移植の分野では、豚の臓器を人間に移植する際、問題になるのは豚のDNAに62カ所にレトロウイルスの塩基配列が組み込まれていること。これをクリスパーで除くことに、2015年10月、ハーバード大学医学大学院のジョージ・チャーチ教授が成功した。
チャーチ教授はクリスパー研究の第一人者で、センセーショナルな行動で有名。「骨を強化する」「心臓病にかかりにくくする」など10項目に上がる候補遺伝子を特定し、人類を強化するという計画を明らかにしている。
それは技術的に可能でも、倫理的に許されるのか?
優生学的な思想の復活につながるのではないかという危惧がある。
なお、2016年5月、日本では厚生労働省研究班は移植患者を生涯にわたって定期検査することなどの条件付きで、異種移植の実施を許可した。

遺伝子組み換え作物(GOM Genetically Modified Orgasnisms)の定義は、「バクテリア由来の外来遺伝子を、同じくバクテリア(アグロバクテリウム)の力を使って食物に組み込んだもの」。外来遺伝子には、Bt(バチルス・チュリンゲンシス)と呼ばれる殺虫性バクテリアの遺伝子や、あるいは除草剤への耐性を備えた細菌の遺伝子などがある。「感染力」や「毒性」など、ある種の危険性を持つバクテリアがGMO栽培には関与しているので規制が必要と考えられた。
ゲノム編集クリスパーを使って作成された30種類の農作物は、GMOではないとされアメリカでは規制の対象にはなっていない。

「遺伝子ドライブ」という問題がある。遺伝子工学を使ってマラリアを媒体する蚊などを駆逐してしまう技術のことだが、蚊を駆逐することで、長い目で見て生態系に思わぬダメージを与える恐れがある。一旦、破壊された生態系は元に戻らない。このため米国科学アカデミーなどが、遺伝子ドライブにモラトリアム(一時停止)をかけようとしている。しかし、ジカ熱の流行で遺伝子ドライブを行うべきだとする意見は強力である。

生殖細胞と体細胞で研究のスタンスが異なる。
体細胞をクリスパーで治療することはさしたる問題がないが、現時点で生殖細胞のゲノムを編集することは、デザイナー・ベービー(頭の良い、背の高い、容姿端麗な子)を作ることにつながる。まさに映画『ガタカ』の世界である。

遺伝子治療は、「生体外」と「生体内」がある。
ヒトの病気を動物に発症させて薬の効果や病気のメカニズムを解明する。
「生体内」は正常な遺伝子を組み込んだウイルスを異常な遺伝子を有する細胞に侵入・感染させることにより、正常な遺伝子に置き換わることを期待する。
生殖細胞の、体外受精で得た受精卵を調べ、メンデル遺伝病がないことを確認して子宮に着床させる。

生殖細胞へのゲノム編集は当面慎むべきである。体細胞へのゲノム編集は基本的に行って構わない。ただし、その際にはすでにある医療規制の枠内で行わなければならない。
「人遺伝子編集についての国際サミット」(2015年12月)での結論は、研究は「しかるべき法的倫理的な監督下に置かなければならない」。
しかし、こうした自主規制が破られるのは時間の問題だろうという見方が強い。→人気ブログランキング

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2020年6月17日 (水)

ウイルスは生きている 中屋敷 均

妊婦にとって異物である胎児は妊婦の免疫システムの攻撃対象とはならない。それを可能にしているのが、胎盤の絨毛を取り囲むように存在する合法体性栄養膜という特殊な膜構造である。合胞体性栄養膜の形成に重要な役割を果たすシンシチンというタンパク質が、人のゲノムに潜むウイルスが持つ遺伝子に由来するという。
そうした例は他の生物にもみられる。

人の遺伝子に入り込んだウイルスに触れる。インフルエンザ・ウイルスついて語り、ウイルスの基本構造や転写のメカニズム、さらに生物に有利に働くウイルスについて触れる。最後は、結晶化するウイルスが生きているかどうかについての著者の見解が示される。
Image_20200617111201 ウイルスは生きている

中屋敷 均
講談社現代新書
2016年

ウイルスの形態については、ウイルス粒子を包むエンベロープを含めて「ウイルス粒子」と呼ぶ。エンベロープタンパク質がエンベロープに突き刺さるように配置されている。これが宿主のレセプターと結合し、エンベロープは細胞膜と同じ構造であり、宿主細胞にスムーズに侵入することができる。エンベロープはリン脂質からなる細胞膜でできているから、石鹸が効果がある。
インフルエンザ・ウイルスに石鹸が効果があり、胃腸炎を起こすノロウイルスはエンベロープを持たないため石鹸の効果がない。

世界はウイルスだらけだ。地上も海中も、生物の中にも生物のゲノムの中にもウイルスの遺伝子が潜んでいる。
巨大化したウイルスも、ウイルスと呼んでいいのか迷う半端なものまで、ウイルスのスペクトラムは広い。

最後に、ウイルスが生きているかどうかについて、「ガイア仮説」と絡めて考察する。ガイア理論は、ジェームズ・ラブロックにより1960年代に提唱された。地球全体を地球と生物が相互に関係しあうある種の巨大な生命体とみなす。
結晶化するウイルスが提示されて以来、ウイルスには生きていないとされる論調が多数派を占めるようになった。
DNA情報からなる「ヒト」としての「生」と、脳情報からなる人格を有した「人」としての「生」を分けて考えるべきだという。ふたつは密接な関係にあるが別のものだという論理を展開する。→人気ブログランキング

新型コロナVS中国14億人/浦上早苗/小学館新書/2020年
コロナの時代の僕ら/パオロ・ジョルダーノ/飯田亮介/早川書房/2020年
感染症の世界史/石井弘之/角川ソフィア文庫/2018年
H5N1 強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ/岡田晴恵/幻冬車文庫/2019年
隠されたパンデミック/岡田晴恵/幻冬舎文庫/2019年
ウイルスは生きている/中屋敷均/講談社現代新書/2016年
ナニワ・モンスター/海堂尊/新潮文庫/2014年
首都感染/高嶋哲夫/講談社文庫/2013年
復活の日/小松左京/角川文庫/1975年
ペスト/アルベール・カミュ/宮崎嶺雄/1969年

2019年7月 8日 (月)

サピエンス異変―新たな時代「人新世」の衝撃 ヴァイバー・クリガン=リード

著者は環境人文学と19世紀英文学を専門とする英国ケント大学の人気准教授である。本書はフィナンシャル・タイムズ紙の「2018年ベストブック」に選出された。

最近使われるようになった地質時代の区分「人新世」とは、人類が農業や産業革命によって地球規模の環境変化をもたらした時代のことである。「人新世」を生きる私たちの身体の起こっている変化(進化)は、私たちが快適さを求めて作り上げてきた生活の影響であるという。それは歓迎されるような変化ではない。

200万年もの間、狩猟生活で培った人類の性質は、たったここ1万年前の農業の発展で、ミスマッチを余儀なくされた。

Image_20201112121801サピエンス異変―新たな時代「人新世」の衝撃
ヴァイバー・クリガン=リード/ 水谷淳・鍛原多惠子
飛鳥新社
2018年

本書は次のように分けられていて、各章の終わりには「人新世」を生き抜くための著者のアドバイスが、箇条書きに列挙されている。
【第1部】紀元前800万年から紀元前3万年
氷河期の旧石器時代・新石器時代にあたる。移動生活が当たり前であり、狩りに費やす時間はせいぜい週30時間だった。人類の基本的な性質が培われた。

【第2部】紀元前3万年から西暦1700年
3万年から2万5千年くらいの間に、農耕が始まり人類は定住するようになった。
農耕により柔らかい食事を口にするようになり、歯が頭蓋骨の中に収まらなくなり人類の顔を変えた。顎が小さくなり、歯が小さくなった。

【第3部 】西暦1700年から西暦1910年
18世紀に産業革命が起きたとき、地形と環境が急速に変わり、私たちの身体もまた変わった。外見も含めた私たちの現在の有り様は、労働がどんどん分化した産業革命の時代に端を発している。
産業資本主義は富裕層と貧困層を分断する不平等に満ちていた。工場労働者の中に、爆発的に障害者が増えた。労働者は重労働と栄養不足に苦しんだ。子たち達にくる病が広がったのは栄養不足と日光にあたらないことだった。
さらにヴィクトリア時代に始まった学校教育は、子たちを椅子に座らせて5~6時間もじっとしていることを強いた。そして最近は、椅子に座らせられることを拒否する児童はADHDと診断され、アメリカでは6.1%の児童が薬を内服をしているという。

【第4章】1910年から現代
人間の足の大きさは、何千年ものあいだほぼ一定だった。ところが20世紀あたりから大きくなりはじめ、ここ40年だけでも2サイズ大きくなっている。1960年代にはアメリカ人の女性の足の平均サイズは6.5(日本サイズ24.0cm)だったが、いまでは8.5から9(日本サイズ26~26.5cm)になった。平均体重の影響もあるが、足のアーチが崩れて扁平足になっているせいもある。身体のことを考えると、靴を履かない時間を長くしたほうが良い。

座りっぱなしは、寿命を短くするし病気の発症を招く。著者はこの章を書き始めたころは、ふつうに椅子に座って調べ物をしていた。しかし、45歳から64歳の人のうちいつも座って仕事をしている人は、引退後に老人ホームに入る割合が40%高いということを知って、すぐにトレッドミルで歩きながらiPadで文献を読むというやり方に切り替えたという。

気味の悪い予測もある。このまま二酸化炭素の排出に対して歯止めがかからなければ、次のようなことが起こる。光合成の鍵となる二酸化炭素が増えれば、植物の生育は促進されるだろう。炭素以外のミネラルの量は相対的に減ってしまい、栄養素が減った野菜や穀物が生産される可能性があるという。そうして生まれた巨大化するニンジンは、過去の滋養豊かなニンジンではなく、ジャンクな食べ物であり肥満の原因となるというのだ。

現代人を苦しめるミスマッチ病である肥満、腰痛、二型糖尿病、腎臓病、高脂血症、うつ、骨粗鬆症などを回避するため著者のアドバイスは、座っている時間を短くして少し運動をしようという、簡単なものだ。→人気ブログランキング

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司 /SB新書/2020年
サピエンス異変-新たな時代人新世の衝撃/ヴァイバー・クリガン=リード/ 水谷淳・鍛原多惠子/飛鳥新社/2018年
絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたか/更科功/NHK出版新書/2018年
爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った/更科功/新潮新書/2016年
サピエンスはどこへ行く

2019年6月 4日 (火)

進化の法則は北極のサメが知っていた 渡辺佑基

生命活動は化学反応の組み合わせであり、したがって生物の生み出すエネルギーの量は熱力学の法則によって決定される。本書の目的は、体温という物理量がどのように生物の姿や形や生き方を規定しているのかを探ることである。
著者は調査しようとする動物を捕獲し、カメラと記録計を取り付け、のちにそれらを回収して分析するバイオロギング調査を行った。
Image_20201115182401 進化の法則は北極のサメが知っていた
渡辺佑基
河出新書 2019年

変温動物のニシオンデンザメはのろのろと泳ぎ、2日に1回獲物を追いかけ、なおかつ寿命400年という脅威的なスルーライフを送っていた。
南極に暮らす恒温動物のアデリーペンギンは体温を保つために、ものすごい勢いで獲物を食べ、エネルギーを燃やし続けていることを明らかにした。
オーストラリアの海に暮らす中温動物のホホジロザメは魚類としては例外的に活発でありながら、アデリーペンギンとニシオンデンザメの中間的lな生活スタイルを持っていることを発見した。これら一見バラバラに見える3つの事柄は代謝という地下水脈でつながっているという。

低体温はあらゆる種類の生命活動を鈍化させる。体温が下がるほど動物の運動能力が鈍り、代謝量が下がり、食べ物の要求量が減る。それだけでなく新しい細胞の生産ペースが鈍るので、成長が遅くなって寿命が伸びる。
また、あらゆる種類の生命活動は体温が上がるほど活発になる。

ここで、ジェームス・ブラウンの説が登場する。
体の大きさと体温が決まれば、生物が生物として生きるペースが決まり、それによって生物の運動能力や生活スタイルや成長速度が決まる。進化のスピードや生態系の多様ささえ決まるというもの。

地球上で起こっている生命現象のすべてを包み込む汎用性をもった代謝量理論は、ダーウィンの自然選択理論に匹敵する意味合いをもつ、生物学の新たな金字塔であると著者は力説する。→人気ブログランキング

2018年9月28日 (金)

ホモ・デウス ユヴァル・ノア・ハラリ

前作『サピエンス全史』は、人類の過去を歴史学のみならず政治学、生物学、心理学、哲学などの横断的な幅広い知見に基づいて書かれ、世界的ベストセラーとなった。その続編ともいうべき本書は人類の未来を予測したもの。その手法は、前作同様、話題が多方面に展開され、まるでスケールの大きなエンターテイメント小説を読んでいるかのようだ。
飢饉と疫病と戦争は、もはや人類にとって対処が可能な課題になったという。人類に降りかかる災難の多くは政治の不手際がもたらしている。人類は困難を克服しつつあり、テクノロジーをよりどころに、次のステップに進もうとしているという。ちなみに、「ホモ」とは人間、「サピエンス」は賢い人、「デウス」は神の意味である。
Image_20201124091801ホモ・デウス 上:テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
2018年
Image_20201124091901ホモ・デウス 下:テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ
柴田裕之 訳

まずは、アルゴリズムについて。
〈アルゴリズムとは、計算し、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのことをいう。アルゴリズムは特定の計算ではなく、計算をするときに従う方法だ。〉
すべての事象は、人間も含めて、アルゴリズムで成り立っているという。つまりデジタル化できて計算式で表しうるということだろう。

人類は不死と至福と神性を手に入れようとするとしている。サピエンスのアップグレードは、次のように進んでいくとする。
〈じつは、無数の平凡な行動を通して、それはすでにたった今も起こりつつある。毎日、膨大な数の人が、スマートフォンに自分の人生をより前より少しだけ多く制御することを許したり、新しくてより有効な抗うつ薬を試したりしている。人間は健康と幸福と力を追求しながら、自らの機能をまず一つ、次にもう一つ、さらにもう一つという具合に徐々に変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうだろう。 〉

魂などというものは突き詰めていけば存在しない。宗教は人間が都合で考え出したもので、聖典を書きそれを多種多用に解釈した。人間至上主義は、神や宗教は人間がこの世を作り出したものだから、神を冒涜するなどと気遣う必要はないと考えるという。不老不死の手段があれば、セレブたちはあらゆる犠牲わ払って、間違いなく手を出すだろうという。

ポストヒューマンとは、ごく一部のセレブ達だけの話であり、神のように振る舞う一握りの人間のことだ。これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。彼らは社会を支配するという。

残念ながら、庶民は超人たちに支配される劣等カーストとなる。AIたちが人間を押しのけてほとんどすべてのことをやってしまうから、劣等カーストに属する人たちには仕事がない。その余剰の人たちはどうやって生きてゆくのか。
ゲームでもやって時間を潰すことになるかもしれないというのだが、そうもいかないだろう。→人気ブログランキング

ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ  河出書房新社 2018年
『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社 2016年
『ポストヒューマンSF傑作選 スティーヴ・フィーバー』山岸真編  ハヤカワ文庫 2010年

2018年9月11日 (火)

マンモスを再生せよ ベン・メズリック

ハーバード大学のジョージ・チャーチ教授の研究室では、約4000年前に絶滅したケナガマンモスの再生プロジェクトが進行している。本書はプロジェクトの進捗状況やライバルチームの動向、チャーチの生い立ちや取り組んできた様々な研究について、物語風に描いている。
合成生物学分野の第一人者であるチャーチの研究室には世界中から優秀な研究者たちが常時90人ほど集まっている。チャーチが手がけた多くの研究は常に時代の最先端を行く研究である。
Image_20210126100801マンモスを再生せよ ハーバード大学遺伝子研究チームの挑戦
ベン・メズリック
文藝春秋
2018年

チャーチが取り組んできた、あるいは現在も取り組んでいる、研究のテーマには次のようなものがある。
短時間に低価格でDNA解析ができる「次世代シーケンサー」の開発。
大勢の有志のゲノムを解析してデータベース化し、病気や健康状態に特化した治療法を開発する「個人ゲノム研究計画」。
ブタにヒトの肝臓の遺伝子を埋め込み臓器移植用の肝臓を作る。
マラリアを媒介しないよう遺伝子操作された蚊を巨大なドームの中で試す(遺伝子ドライブ)。
老化に逆行するハダカデバネズミの研究。
人工合成生物の作成。(→『合成生物学の衝撃』須田桃子/文藝春秋/2018年)

具体的なケナガマンモス再生計画は次の手順で進められる。
シベリアの凍土の中に冷凍された状態で発見されるケナガマンモスのDNAの解析をする。できるだけダメージの少ない良質なサンプルが必要である。
ゲノムのうち、ケナガマンモスの特徴的な毛、耳、皮下脂肪、ヘモグロビンの遺伝子を探す。これらの遺伝子の役割をノックアウトマウスで確認したのち、アジアゾウの幹細胞に埋め込み、人工子宮に着床させるというもの。アジアゾウをケナガマンモスに近づけていこうとする計画である。

チャーチは絶滅動物のうち、なぜケナガマンモスを再生させるのかという、確固たる理由が欲しかった。ロシアの北東科学センター所長セルゲイ・ジモフの研究から、ケナガマンモス再生プロジェクトを前に進める根拠を得たのだ。
現在、地球温暖化により永久凍土が溶けつつある。永久凍土が溶ければ、そこに何万年も前から凍りついていた有機物を微生物が分解し、二酸化炭素とメタンが発生し地球温暖化が加速される。永久凍土層の崩壊を止めるためには、永久凍土を踏み固めて、温度を下げておく必要がある。その踏み固め役としてケナガマンモスをはじめとする寒冷地で生息する草食動物が必要なのだ。それがセルゲイ・ジモフのいう「氷河期パーク」である。今は戦車で踏み固めているという。
この説は説得力に欠けるが、環境保護の観点からケナガマンモス再生は意義があるというのだ。

ケナガマンモス再生計画を推し進める上で新たに見えてきたことがある。
それはゾウのDNAに隠された癌への抵抗力である。ゾウやクジラなど巨大な動物には癌が発生しにくい。これは癌治療に結びつく謎が隠されている可能性がある。
もう一つは、悪性のヘルペス・ウイルスによりアジアゾウが絶滅の危機に瀕していることがわかった。チャーチたちはゾウのヘルペス・ワクチンを作ろうとしている。→人気ブログランキング

マンモスを再生せよ/ベン・メズリック/文藝春秋/2018年
合成生物学の衝撃/須田桃子/文藝春秋/2018年
ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃/小林雅一/講談社現代新書/2016年
マンモスのつくりかた/ベス・シャピロ/筑摩書房/2016年
サイボーグ化する動物たち/エミリー・アンテス/白揚舎/2016年

 

2018年7月18日 (水)

絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたか 更科 功

最近、遺跡の発掘と科学技術の発達、とりわけ遺伝子解析により、人類の来し方が解明されつつあるという。最古の人類は700万年前にアフリカで誕生している。その後、25種類もの人類がいたが、ヒト以外は滅びてしまった。その理由は何かが本書のテーマである。

人類の特徴は二足直立歩行と犬歯の縮小だという。
立位二足歩行は食料運搬を可能にさせ、高度な協力関係の土台となった。犬歯が縮小したのは争いが少なくなったからだという。
チンパンジーの男女比が4〜10:1、チンパンジーより争いが少ないボノボでは2〜3:1、ヒトでは1:1になる。ヒトには発情期がないから、争いはより少なく平和になる。
人類が生息していた疎林では、食べ物を手に入れるために、長い距離を歩かなければならない。それに二足歩行は有利だった。ホモ・エレクトゥスの時代に、歩き回ることが必要とされたため、発汗して体温を下げようと毛が薄くなったという。体毛がふさふさか体毛がほとんどないかの違いは、毛穴の数はそれほど変わらないが、毛の濃さと長さが違うだけだという。
Image_20201113092501絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか
更科 功
NHK出版新書
2018年

人類と同じ時期に何種類もの哺乳類がアフリカからユーラシアへ移動している。
約180万年前にホモ・エレクトゥスかその近縁種がアフリカからユーラシアに出て、生息範囲を広げた。それは人類が世界中に進出する第一歩となった。
ホモ・エレクトゥスがアフリカの外に広がったあと、アフリカで新たな人類が誕生した。ホモ・ハイデルベルゲンシスである。ヨーロッパに出て行ったホモ・ハイデルベルゲンシスからネアンデルタール人が進化し、一方、アフリカにとどまったホモ・ハイデルベルゲンシスからホモ・サピエンスが進化した。

ネアンデルタール人の脳の容量は平均1550ccで、人類史上最高である。一方、1万年ぐらい前までのホモ・サピエンスは1450cc、現在のヒトの脳は1350ccである。現代人は、使わない部分が整理されて脳の容量が減少したという。
脳は体の2%の重量で、体全体で使うエネルギーの20〜30%が必要であると言われている。むやみに脳が大きくないほうがいいのだ。

2010年にはネアンデルタール人のゲノムの60%が決定された。その結果ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑していたことが明らかになった。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人以外の人類ととも交配している。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは7000年にわたって共存していた。
ネアンデルタール人の物語は約30万年前に始まり約4万年前に終わる。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに比べ体が大きく、脳容量も多かったから、1.2倍の食料が必要だった。ネアンデルタール人は、寒冷な環境とホモ・サピエンスの出現によって絶滅したのだろうという。

ホモ・サピエンスは子孫を多く残すことができた。なんでも食べることができた。どこでも生きていけた。社会性があった。身体的な強さだけでなく衣服のような文化的工夫も行うことができた。それらにより生き残ることができたのだ。→人気ブログランキング

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司 /SB新書/2020年
サピエンス異変-新たな時代人新世の衝撃/ヴァイバー・クリガン=リード/ 水谷淳・鍛原多惠子/飛鳥新社/2018年
絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたか/更科功/NHK出版新書/2018年
爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った/更科功/新潮新書/2016年
サピエンスはどこへ行く

2018年6月 5日 (火)

合成生物学の衝撃

2010年3月、ワシントン州ロックビルにあるベンダー研究所で、人工ゲノムを移植した細菌(マイコプラズマ・ジェニタリウム)の培養皿に明るい青色のコロニーが出現した(表紙写真)。コロニーのゲノムには、前もって組み込んでおいた「すかし」(研究者のたちの名前やメールアドレスなど)があることが確かめられた。生命の維持に欠かせない最小のゲノムは何かを追求する「ミニマル・セル・プロジェクト」が、20年の歳月をかけて、人工ゲノムから生物を誕生させたのだ。→クレイグ・ベンダー:人工生命について発表する(TED Ideas worth speading)

合成生物学ついて、STAP細胞の騒動の顛末を記した『捏造の科学者』で大宅壮一ノンフィクション賞や科学ジャーナリスト大賞を受賞した著者が、精力的なフィールドスタディをもとに合成生物学の現状を解説する。

Photo_20210110171601合成生物学の衝撃
須田 桃子
文藝春秋 
2018年

MITの学生トム・ナイトは、1990年頃までに、「ムーアの法則」に物理的な限界がきていることに気づいていた。「ムーアの法則」とは、集積回路の上のトランジスターの量(ICの処理能力)は18か月ごとに倍になるというもの。「ムーアの法則」の限界は生物を使えば乗り切れるかもしれないと考えた。
ナイトがやろうとしたことは、トランジスターとシリコンチップに代えてDNA入れ、細菌(大腸菌)を用いて生物マシンを作ることであった。そして、規格化したDNA部品「バイオブリック」を考案した。
今や、毎年、生物版のロボコンである国際学生コンテスト「iGEM」が開催されている。
カタログに登録されたバイオブリックを利用して生物マシンを作り競う。当初は100個余りだったバイオブリックは、2017年現在2万個以上が登録され、機能的に分類されている。バイオブリックはプログラミング言語と同じであり、今は言語開発のごく初期の段階にいるという。

遺伝子の中には次世代へ50%以上の確率で受け継がれる利己的遺伝子(ジェンキンスが唱える利己的遺伝子とは異なる)がある。代を重ねていけばその種は利己的遺伝子で占められることになる。これが遺伝子ドライブである。
ゲノムを自在に編集する技術「CRISPR-Caa9(クリスパー・キャスナイン)の開発により、ゲノムの編集作業が飛躍的に簡素化された。人工的にはRNAとクリスパー機能(遺伝子を切断して別のDNAを差し込む)を持った遺伝子を組み込むことにより、人為的に遺伝子ドライブをを起こさせる。
例えば兵士を派遣した場合、兵士を感染症から守るために、その地域に生息する有害な昆虫を遺伝子ドライブするようなことが行われるかもしれない。

合成生物学の最大の資金源はDARPA(国防高等研究所)である。国防総省が合成生物学に投資することが、生物兵器の開発につながりはしないかという点で問題である。DARPAを取材した著者は、アメリカの多くの研究開発が防衛目的の予算で賄われていることは大きな問題をはらんでいると指摘する。DARPAは、終身雇用資格を獲得した大学教授がその身分をなげうって集まるような魅力的な職場だという。

合成生物学は倫理上のさまざまの問題にぶつかる。臓器移植用のクローン人間たちを描いていたカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』について述べ、研究者たちが倫理的課題を解決しないまま突っ走る現状に著者は警鐘を鳴らしている。→人気ブログランキング

合成生物学の衝撃/須田桃子/文藝春秋/2018年
ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃/小林雅一/講談社現代新書/2016年
エピジェネティクス/仲野 徹/岩波新書/2014年
破壊する創造者ーウイルスがヒトを進化させた/フランク ライアン/ハヤカワNF文庫/2014年
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007年

2018年4月 1日 (日)

したがるオスと嫌がるメス 宮竹貴久

身も蓋もないタイトルだ。『オスとメスの性的対立』くらいが、穏当ではないのか。
実験結果をつい人間と結びつけてしまう。男と女はタイトルどおりの傾向があるとか、ヒエラルキー下位の者が上位の者にしかける裏をかく行動は人間社会でも目にするとか、女性にマメな奴はよく動き回り女性にちょっかいを出すなどと思いながら、自分のことはさておいて読む。オスは過剰な精力を身につけていなければ、種の保存は危ういものになる。それが本書の吟味事項のひとつだ。
Image_20201122210001したがるオスと嫌がるメスの生物学ー昆虫学者が明かす「愛」の限界
宮竹貴久
集英社新書
2018年

生物の行動の基本は優秀な子孫をできるだけ多く残すことであるが、生殖に対する戦略がオスとメスではまったく異なる。オスは精子をばらまくことに専念するが、メスはできるだけ優秀なオスの遺伝子を受精するためにあれこれ戦略を立てる。したがるオスと嫌がるメスのせめぎ合い、つまり「性的対立」が生ずる。
子孫にDNAを残すかどうかを最終的に決めるのはメスである。つまり「性的対立」における最終勝利者はメスなのだ。

射精にさいし毒を放ったり、ペニスにトゲを持ったり、あるいはヴァギナを塞いだりと、「性的対立」がエスカレートした種が存在するという。
昆虫の生殖について、著者が試みたいくつかの実験の悪戦苦闘ぶりが書かれていてる。

「クヌストモドキ」という米を好む3mm程度の甲虫の性行動を研究するために、刺激によって動かなくなる虫と刺激を与えても動き続ける虫にグループ分けした。
よく動く個体は捕食者に襲われやすいが、交尾には有利だった。逆にあまり動かない個体は敵に見つかりにくかったが、交尾には不利だった。虫の世界でも「アクティヴとマメさ」がモテるコツだが、それは人間の場合も同じかもしれないという。
ではよく動くメスの場合はどうか。動かないメスと交尾の回数は変わらなかった。メスではたとえ出会いが増えても残せる子供が増えるわけではないからだろうという。

著者は、1990年に沖縄県で、野菜や果実を食べてしまうミバエの幼虫の根絶をテーマに研究を始めた。「不妊虫放飼法」という害虫根絶法は、不妊化された大量のオスをヘリコプターでばらまき、メスと交尾させ卵を産ませるが、卵は幼虫に育たないという方法である。
ここで不妊化したオスと野生のメスが交尾することを確認しなくてはならない。メスが野生のオスとの交尾をする前に、不妊ミバエのオスと交尾させなければならないのだ。ここで体内時計が問題になった。
オスとメスの発情に時間のズレが生じれば、交尾は完結しない。時間がマッチするオスとメス同士の群れを形成することになる。飼育された大量のオスは野生のメスとは発情の時間のズレはなかった。

本研究から、発情する時間のズレでその種が2群に別れれば、ふたつのグループは別々の進化を遂げ、やがて別の種に分化する。交尾のタイミングが鍵となって種分化が起こりうる仕組みを世界に先駆けて発見したのだった。→人気ブログランキング

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