生物学

『マンモスのつくりかた』ベス・シャピロ

映画『ジュラシック・パーク』(1990年)のなかで、琥珀に閉じ込められた蚊の腹部から血液が採取され、恐竜のDNAが抽出される。抽出されたDNAをカエルのDNAで補完したのち、ワニの未受精卵に注入し孵化させ、クローン恐竜が誕生する。このようなことは可能なのか。

著者は米国の進化生物学者。カリフォルニア大サンタクルーズ校の准教授。専門は古生物のDNA解析。20世紀初頭に絶滅したアメリカリョコウバトや、3700年前に絶滅したとされるマンモスのDNA解析の第一人者である。
脱絶滅(de-extinction)の試みについての議論は、喧々諤々であるという。
本書では、脱絶滅に関して「科学」と「空想科学」を切り離すことを目指すという。

マンモスのつくりかた: 絶滅生物がクローンでよみがえる (単行本)
ベス シャピロ/宇丹貴代実
筑摩書房
2016年1月

脱絶滅の対象となる種は慎重に選択されるべきだ。
復活に成功したときに、個体群にふさわしい生息地があり、餌動物や食料があり、捕食者は排除されていると同時に、食物網を不安定にさせないような食物連鎖が働き、病気・寄生体・汚染は取り除かれていて、その種がもともと生息していた環境に気温や降水のパターンが近く、自給の個体群を許容できる広さがあるかなどを、クリアしなくてはならない。結構、条件は厳しいのだ。
厚かましい条件だが、絶滅を引き起こした張本人の人間の生活を脅かされないことも求められる。

以上の条件に照らしあわせると、マンモスは脱絶滅に適している。
すでに、ロシアのシベリア北東部にあるロシア科学アカデミー北東科学局は、脱絶滅が成功したあかつきにマンモスが住む更新世パークを準備しているという。

マンモスが寒冷地に住んでいたおかげで、保存状態の良い骨からDNAの分析ができる。
マンモスの最近縁種はアジアゾウで、およそ500万〜800万年前に枝分かれした。変化の速度がほかの哺乳類とほぼ同じとするなら、この種間はおよそ7000万箇所の遺伝子の相違があると予想される。これはゾウのゲノム全体のうちの2%未満だが、それでも7000万は途方もない数だ。
凍土の中から発見される保存状態の良いマンモスから抽出されるDNAといえども、7000万のゲノムの変更点を到底訂正できないだろう。とすれば、核移植によるクローン作製は今のところ難しい。現在可能なのは、マンモスの遺伝子の断片が組み込まれたゾウを作製することだという。

マンモスの形質や行動を復活させるのに必ずしもマンモスのクローンを作製する必要はない。たとえば、マンモスの毛深さを指定(コード)するDNA配列を突き止めたうえで、ゾウのゲノム配列に組込み、ゾウをもっと毛深くすることは可能である。もちろんマンモスを復活させることと同じではないが、その方向へ一歩進むことではある。
そんな大雑把なことでいいのかと思うが、そのあたりが今のところの限界なのだ。

今後も、著者たちによりマンモスのゲノム解析は地道に続けられるだろう。そして、クローン種作成の技術的なハードルはどんどん下がっていくに違いない。
なお、2016年中にマンモスのクローンを作製すると宣言している勇敢な学者が複数いて、しのぎを削っているという。

マンモスのつくりかた/ベス・シャピロ/筑摩書房/2016
6度目の大絶滅/エリザベス・コルバート/NHK出版/2015
サイボーグ化する動物たち/エミリー・アンテス/白揚舎/2016
外来種は本当に悪者か?/フレッド・ピアス/草思社/2016
爆発的進化論/更科功/新潮新書/2016
ゲノム編集とは何か?/小林雅一/講談社現代新書/2016
がんー4000年の歴史/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016
破壊する創造者ーウイルスが人を進化させた/フランク・ライアン/早川NF文庫/2014
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007
人はどうして死ぬのかー死の遺伝子の謎/田村靖一/幻冬舎文庫/2010
できそこないの男たち/福岡伸一/光文社新書/2008
二重らせん/ジェームス・ワトソン/講談社文庫/1986

『6度目の大絶滅』エリザベス・コルバート

地球史において、かつて5度の大絶滅が起こり、それらは「ビッグファイブ」と呼ばれている。「ビッグファイブ」のうち3つは原因が判明している。
最初の大量絶滅は、大半の生物が水の中で暮らしていたオルドビス紀後期(4億5千万年前)に起きた。氷期によってもたらされたとされる。
史上最大の大量絶滅は、ペルム紀末(2億5千万年前)に起きた。大量の二酸化炭素が地球温暖化をもたらし、海水に溶けた二酸化炭素が海水の酸性化を招いたことが原因とされる。
一番最近で最も有名な大量絶滅は、白亜紀の終わりごろ(6千5百万年前)に起こり恐竜が消滅した。ユカタン半島およびメキシコ湾に巨大隕石が衝突したことが原因であるとされる。というように、絶滅の統一理論はない。
そして現在6度目の大絶滅が進行中である。

6度目の大絶滅
6度目の大絶滅
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エリザベス・コルバート/鍛原多惠子 訳
NHK出版 2015年3月

著者は、パナマでカエルの大量死を目の当たりにし、ビッグファイブの最初の絶滅の証拠を求めてスコットランドに渡る。地中海の島では熱水噴出孔からの熱水による海水温の上昇の影響を調査し、グレートバリアリーフでは壊滅的な被害を受けているサンゴ礁を調べる。アンデス山脈の樹林帯では、樹木の組成の変化を知らされる。マサチューセッツの洞窟に入りコウモリの大量死を見届け、シンシナティ動物園でサイの人工授精に立ち会う。こうして著者は各地に出向き長期にわたるフィールドスタディを積み重ねていく。

18世紀末、フランスの博物学者キュヴィエは「現生ゾウと化石ゾウの種について」と題された公開講義で、生物の絶滅の事実を知らしめることに成功した。それまでは、種が絶滅するという概念はなかったのである。
種の誕生にかかわるダーウィンの理論は種の消滅の理論でもあったが、ダーウィンは絶滅についてほとんど関心をはらわなかった。

ショッキングな数字が並べられている。

現在、両生類はもっとも絶滅の危機に瀕していると考えられており、その絶滅率は背景絶滅率の4万5千倍という試算もある。ところがその他の多くの動物種の絶滅率も両生類に迫りつつある。造礁サンゴ類の1/3、淡水生貝類の1/3、サメやエイの仲間の1/3、爬虫類の1/5、哺乳類の1/4、鳥類の1/6がこの世から消えようとしていると推定される。・・・生命の消失にはさまざまな理由がある。しかし、その過程を丹念に追っていけば、必ず同じ犯人ーあるひ弱な種ーにたどり着く(つまり、人間である)。

ちなみに、「背景絶滅率」とは、100万種につき年あたりの絶滅種数で表される。哺乳類の背景絶滅率は、約0.25と考えられている。つまり、現在約5500種の哺乳類がいるので、背景絶滅率に従えば大雑把に言って700年ごとに1種が消えることということになる。

考古学的な証拠から、ネアンデルタール人はヨーロッパまたは西アジアで進化し拡散したが、河川や海などの障害物があったところで止まっている。現生人類のみが、そうした障害物を越え、あるいは陸の見えない海に漕ぎ出していった。そこにはなにか狂気じみたものがあるという。

ネアンデルタール人をはじめとする古人類の絶滅も現生人類が引き起こした。さらに、現代における類人猿の生存数の極端な減少も、森林伐採を行ったわれわれが主犯である。
現生人類が地上に現れたときから、その影響で種の絶滅がはじまっていることが、最近明らかになったという。人類は過剰殺戮犯なのだ。

著者は6度目の大絶滅を食い止める処方箋を示すわけではない。ただ、絶滅危惧種を救おうと懸命に努力する人びとがいることに、かすかな光を見出しているのである。

6度目の大絶滅/エリザベス・コルバート/NHK出版/2015
サイボーグ化する動物たち/エミリー・アンテス/白揚舎/2016
外来種は本当に悪者か?/フレッド・ピアス/草思社/2016
爆発的進化論/更科功/新潮新書/2016
ゲノム編集とは何か?/小林雅一/講談社現代新書/2016
がんー4000年の歴史/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016
破壊する創造者ーウイルスが人を進化させた/フランク・ライアン/早川NF文庫/2014
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007
人はどうして死ぬのかー死の遺伝子の謎/田村靖一/幻冬舎文庫/2010
できそこないの男たち/福岡伸一/光文社新書/2008
二重らせん/ジェームス・ワトソン/講談社文庫/1986

『サイボーグ化する動物たち』 エミリー・アンテス

バイオテクノロジーが、どのように動物たちにかかわっているかがテーマ。著者は旺盛な探究心で、会社や研究機関を訪れ担当者にインタビューし、それらの動物たちに会いに行く。原題は、『Frankenstein's Cat』。

最初のテーマは遺伝子組み換えである。米国では、サンゴやイソギンチャクのDNAを埋め込んだ観賞用の光る魚が、ペットショップで売られている。FDA(米食品医薬品衛生局)が許可した米国初の遺伝子組み換えペットである。
例えば、成長が早いサーモンや、人間にアレルギーを誘発する遺伝子をなくした猫を作ろうとしている。
ファーミングは単純な遺伝子操作によって、ヤギの乳やニワトリの卵から、人間の病気を治すための薬を抽出する方法のことである。

サイボーグ化する動物たち-ペットのクローンから昆虫のドローンまで
エミリー・アンテス/西田美緒子 訳
白揚社
2016年8月

遺伝子組み換えの動植物を販売する際には、FDAやEU当局の許可が必要である。規制当局は遺伝子組み換え動物の販売を容易に許可しない。また、ミュータントたちが研究室から抜け出すかもしれないことにも目を光らせている。

愛するペットを亡くした飼い主にとって、クローンは福音ともいえる技術だが、成功の確率が著しく低い上に、遺伝子が同じでも表現形が同じとは限らないのだ。ペットのクローンは今のところ商売にならない。
しかし、すでに何頭かのクローン牛が、米国最大の酪農産業博覧会で優勝していて、これらは種牛として活躍している。また、2012年には、国際馬術連盟がクローン馬を許可したという。

地球上にいる哺乳動物の1/4近くが絶滅の危機に瀕し、両生類ではおよそ1/3、鳥類では1/8が同様の状態であるという。動物の個体数は、最も多かった時点に比べて89%も減少してしまった。歴史上では5回の大絶滅が知られていて、5回目の大絶滅では恐竜が消え去った。多くの科学者は今が6度目のはじまりだと確信している。
冷凍動物園と呼ばれるDNAバンクは、マイナス225度に保たれている。大惨事が襲う前に、遺伝的多様性を保存しようとしているのである。

マグロ、ウミガメ、ゾウアザラシなどの海洋生物に、情報収集機器(タグ)を取り付け、データを集めている。データの解析から動物たちの知られざる生態が明らかになっている。

肢体が不自由な動物に、人工の装具をつけるリハビリテーションの分野がある。
漁船の網にひっかかり尾をなくしたイルカに、世界初の人工の尾びれをつけた。これを映画にしたのが『イルカと少年』(2011年)。
あるいは、去勢手術を受けた犬に人工睾丸をつける。これまでに49の国で25万匹以上が、CTI社の偽の睾丸が用いられたという。

猫やラット、甲虫や蛾やゴキブリに、電子機器を移植して自在に動かそうという試みがなされている。

最終章では、動物たちの権利と福祉について、心理学者ハロルド・ハーツォグの意見を紹介している。「(悩める中間域にいる人々は、)動物を心から愛しながら、たまには資源、物体、道具としての役割を負わせることもよしとする。動物を大切に扱うべきだと確信しながら、医学研究への利用禁止は望まない。家畜を人道的に飼育してほしいと気づかいながら、肉食をすっかりやめたくない。・・・私には、悩める中間域は完璧に筋が通っているという確信がある。モラルの窮地に陥るのは、大きな脳と寛大な心をもつ種では避けられないことだからだ」
著者は、動物の福祉を追求するために最新技術を活用すべきだと結論づけている。

6度目の大絶滅/エリザベス・コルバート/NHK出版/2015年
サイボーグ化する動物たち/エミリー・アンテス/白揚舎/2016
外来種は本当に悪者か?/フレッド・ピアス/草思社/2016年
爆発的進化論/更科功/新潮新書/2016年
ゲノム編集とは何か?/小林雅一/講談社現代新書/2016
がんー4000年の歴史/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016
破壊する創造者ーウイルスが人を進化させた/フランク・ライアン/早川NF文庫/2014
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007
人はどうして死ぬのかー死の遺伝子の謎/田村靖一/幻冬舎文庫/2010
できそこないの男たち/福岡伸一/光文社新書/2008
二重らせん/ジェームス・ワトソン/講談社文庫/1986年

『外来種は本当に悪者か?』フレッド・ピアス

人類が地球を痛め続けている今、外来種の力を借りながら新しい自然(ニュー・ワールド)を構成していくしかないというのが、著者の主張である。
ここ半世紀余り、環境保護主義者は固有種とその生態系を守り、押しよせる外来種を阻止しようと努力してきた。しかし環境保護とうたいながら、その実、根底にあるのは単なる差別意識であり、移民排斥運動にも似た、外来種嫌いの感情論ともとれるような内容であった。原理主義といってもいいほどだ。

外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD
フレッド・ピアス/藤井留美 訳
草思社
2016年7月

環境保護主義者は、外来種は在来種を絶滅させ、生物多様性を低下させると唱える。
その背景には、次のような考えがあるという。生態系は調和をとって動いている機械のようなもので、すべての在来種が食べたり食べられたり、受粉したり、廃棄物を処理したりと、それぞれの役割をつつがなく果たしている。生態系は在来種だけで完成された状態にあって、侵入者が入り込む余地はない。だから外来種が定着すれば、その分在来種が居場所を失うことになる。生態系から押し出された在来種は、その場所から消えていくしかない。

アセンション島(西大西洋に浮かぶイギリス領セントヘレナ諸島のひとつの島)、ハワイ島、オーストラリア、北アメリカについて紹介し、孤島や新大陸に人間が持ち込んだ動植物は、その地にとっては外来種であったが、結果的には、生物の多様性が育まれていったという。この事実に対し、環境保護主義者は関心を抱くどころか、見て見ぬ振りをしているという。

侵入生物を目の敵にする学者のデータの使い方は、古臭く詰めが甘いという。彼らの主張を追いかけていくと、曖昧さ、引用の誤り、根拠のない主観的な解釈、具体例からの強引な一般化、局所から地球全体への無茶な飛躍がこれでもかと出てくると指摘する。
基本的に、外来侵入種の90%はすぐに姿を消し、悪さをするのは残りの10%前後である。侵入者が危険だと騒ぎ立てることも、外来種の侵入は防ぐべきだとする結論も、科学ではなく科学の皮を被った神話創作だと強調する。

「手つかずの自然」「前人未踏の自然」をありがたがるが、アマゾンのジャングルもアフリカの奥地の森林にも、先住民の暮らした痕跡が発見されている。
森は数百年もすれば完全に再生し、老齢林か二次林か区別がつかなくなる。森以外の生態系も同じことが最近の研究でわかってきた。人類が破壊した自然は二度と蘇らないという主張には根拠がない。早ければわずか数十年で大部分が蘇るのだ。
自然が一定の状態を続けることはまずない。ダイナミクスこそが重要であるのに、研究者は長い間そのことを否定してきた。

気候変動が進む世界では、老齢林をはじめとする歴史ある自然、つまりオールド・ワールドは、人間の介入に頼らないと存続できなくなる。
動植物の多様性が失われつつある今は、あるものでやっていく、やりたいようにやらせる、自分の足でしっかり立つ、それがいずれニュー・ワールドとなる。外来種はときとして生態系復活の切り札にもなりうるという。

6度目の大絶滅/エリザベス・コルバート/NHK出版/2015年
サイボーグ化する動物たち/エミリー・アンテス/白揚舎/2016
外来種は本当に悪者か?/フレッド・ピアス/草思社/2016年
爆発的進化論/更科功/新潮新書/2016年
ゲノム編集とは何か?/小林雅一/講談社現代新書/2016
がんー4000年の歴史/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016
破壊する創造者ーウイルスが人を進化させた/フランク・ライアン/早川NF文庫/2014
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007
人はどうして死ぬのかー死の遺伝子の謎/田村靖一/幻冬舎文庫/2010
できそこないの男たち/福岡伸一/光文社新書/2008
二重らせん/ジェームス・ワトソン/講談社文庫/1986年

『爆発的進化論 1%の奇跡がヒトを作った』更科 功

進化論の真髄を最新のトピックスを交えて解説している。使われている専門用語が少なく、曖昧なところがなく、非常にわかり易い。

ウイルスは半生物であり、あえて生物か無生物かに二分すれば無生物である。
生物とウイルスは、タンパク質を作る道具「リボゾーム」の有無で、一線が引かれる。ウイルスは生物のリボゾームを借りないと、タンパク質を合成することができない。

動物が最初に作った硬い組織は「流体骨格」であった。哺乳類のペニスが典型的な流体骨格である。そもそも流体骨格を持っていない動物はいない。「鉱物化した骨格」の役割は、運動と保護と支持である。

カンブリア紀(約5億4200万年前〜約4億8830万年前)は10期に分けられ、第2期には生痕化石(動物が這った痕など)だけでなく、小さな化石が世界中の地層から見つかるようになる。第3期は、現在生きている多くの動物の祖先が化石として出現する。そのため、第2期から3期にかけての、約1500万年間を、慣例で「カンブリア爆発」と呼んでいる。

カンブリア爆発が起こった理由は、一つはこの時期に多くの動物が骨格を発達させたからであり、二つめは多くの動物の「ボディプラン」がこの時期に出来上がったことである。動物の体の基本的な構造を「ボディプラン」といい、同じ構造のグループを「門」と呼ぶ。

カンブリア爆発では捕食者が出現し、捕食者にとって有利な眼を発達させた。
カンブリア紀に眼を発達させたのは、アノマロカリスが属する節足動物門、ハルキゲニアが属する有爪動物門と、脊椎動物門であった。
「眼は知性ある何かによって作られた」と主張する「インテリジェント・デザイン」という考え方がある。眼が進化によるとすれば、半分しかできていない眼も存在するはずであるというのが根拠。

上腕骨1本、前腕骨2本、手根骨、中手骨、指骨という上肢の作りをたどっていくと、人類の祖先がわかってくる。四肢動物は、DNAなどのデータからハイギョの仲間から進化した。

鳥は恐竜の獣脚類から進化した。鳥は完全に恐竜なのだ。だから、恐竜は絶滅していないという。

チンパンジーと人類は同じ祖先を持つが、人類はチンパンジーから進化したわけではない。700万年前に現れたサヘラントロプス・チャデンシスからホモ・サピエンスまでに、およそ25種類の人類がいたことがわかっている。すべてが2足歩行していた。
ホモ・サピエンスは、およそ20万年前にアフリカで誕生した。これがすべての現生人類の祖先である。そして、約10万年前にアフリカを出て世界に散らばっていった。

「赤の女王仮説」とは、生物の種は絶えず進化していなければ絶滅するという仮説。
無性生殖よりもコストがかかるにもかかわらず、有性生殖が行われる理由として、有性生殖は絶えず新しい組み合わせの遺伝子型を作ることによって、進化速度の速い細菌や寄生者に対抗していると考える。ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』で、アリスが赤の女王に手をひかれて、全速力で走っていた。もうこれ以上走れないへとへとのアリスが、木に寄りかかってあたりを見まわすと、そこは元の場所だった。女王は言う。「ここでは、同じ場所にとどまるためには、絶えず全力で走っていなくちゃいけないのよ」

「DNA→RNA→タンパク質」 という遺伝情報の流れは、すべての生物が共有している特徴であり、これは生物学における「セントラルドグマ」と呼ばれる。
DNAとRNAの構造はよく似ているが、異なるところが1箇所ある。RNAでは「OH(水酸基)」という原子団が結合している箇所が、DNAでは「H」になっている。
OHとなっていることで、RNAは分解されやすい。RNAはタンパク質を作ったら役目は終わりで分解される運命にある。

『破壊する創造者 ーウイルスが人を進化させた』 フランク・ライアン

『ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃』 小林雅一

遺伝子工学や生命科学の分野で、過去に類を見ない驚異的な技術革新が進んでいる。
その技術革新とは、「クリスパー(正確には、クリスパー・キャス9遺伝子改変技術)」。クリスパーは遺伝子をピンポイントで切断したり改変したりを容易にできる。
従来の遺伝子組み換え技術は、100万回に1回という途方もなく低い成功率であったため、膨大なコストと時間を要した。

ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃 (講談社現代新書)
小林 雅一
講談社現代新書
2016年8月
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クリスパー(CRISPER)とは「Clustered Reguraly Interspaced Short Palindromic Repeats」、日本語に訳せば「規則的に間隔を置いた短い回文の反復」である。クリスパーは、数10文字の短い回文が、一定の間隔を置いて繰り返し出現する塩基配列を指す。その間隔(スペーサー)の部分には、回文とはまったく関係がない塩基配列が存在する。
クリスパーは、過去のウイルス攻撃の爪痕であり、次に同じウイルスと接触したときに自分の敵であることを知らせるための情報である。スペーサーが、過去に攻撃を受けたウイルスのDNAの文字列である。
このスペーサーの塩基配列に食らいつき切断してしまう「分子のハサミ」Csn1遺伝子を、エマニエル・シャルパンティエ博士(スウェーデン・ウメオ大学教授)とジェニファー・ダウドナ博士(カリフォルニア大バークレー校教授)の共同チームが見つけ出し、2012年6月に『サイエンス』に発表した。
ところがクリスパーの特許を手にしたのは、フェン・チャン博士(ブロード研究所)だった。クリスパー技術の特許に関して、シャルパンティエ氏・ダウドナ氏とチャン氏の研究チームが法廷闘争を繰り広げている。
いずれにせよ、ここ数年間のうちにクリスパー技術で、ノーベル賞をこの3人が獲得するのは間違いないと、著者は予測している。

遺伝子編集の技術によって、農畜産分野では、「肉量の豊富な家畜や魚」や「腐りにくい野菜」などが開発されている。
一方、医療分野では、筋ジストロフィー、細胞移植療法、エイズ、アルツハイマー病などに対する応用、ダウン症あるいは全ゲノムが解明しているメンデル遺伝病などに対する基礎研究が始まっている。

アマゾンやグーグルなどの世界的なハイテク企業は、無数の患者から集めたゲノムデータを集積している。こうしたビッグデータを最先端AIで分析することにより、複雑な病気の原因遺伝子や発症メカニズムを解析することができる。

臓器移植の分野では、豚の臓器を人間に移植する際、問題になるのは豚のDNAに62カ所にレトロウイルスの塩基配列が組み込まれていること。これをクリスパーで除くことに、2015年10月、ハーバード大学医学大学院のジョージ・チャーチ教授が成功した。
チャーチ教授はクリスパー研究の第一人者で、センセーショナルな行動で有名。「骨を強化する」「心臓病にかかりにくくする」など10項目に上がる候補遺伝子を特定し、人類を強化するという計画を明らかにしている。
それは技術的に可能でも、倫理的に許されるのか?
優生学的な思想の復活につながるのではないかという危惧がある。
なお、2016年5月、日本では厚生労働省研究班は移植患者を生涯にわたって定期検査することなどの条件付きで、異種移植の実施を許可した。

遺伝子組み換え作物(GOM Genetically Modified Orgasnisms)の定義は、「バクテリア由来の外来遺伝子を、同じくバクテリア(アグロバクテリウム)の力を使って食物に組み込んだもの」。外来遺伝子には、Bt(バチルス・チュリンゲンシス)と呼ばれる殺虫性バクテリアの遺伝子や、あるいは除草剤への耐性を備えた細菌の遺伝子などがある。「感染力」や「毒性」など、ある種の危険性を持つバクテリアがGMO栽培には関与しているので規制が必要と考えられた。
ゲノム編集クリスパーを使って作成された30種類の農作物は、GMOではないとされアメリカでは規制の対象にはなっていない。

「遺伝子ドライブ」という問題がある。遺伝子工学を使ってマラリアを媒体する蚊などを駆逐してしまう技術のことだが、蚊を駆逐することで、長い目で見て生態系に思わぬダメージを与える恐れがある。一旦、破壊された生態系は元に戻らない。このため米国科学アカデミーなどが、遺伝子ドライブにモラトリアム(一時停止)をかけようとしている。しかし、ジカ熱の流行で遺伝子ドライブを行うべきだとする意見は強力である。

生殖細胞と体細胞で研究のスタンスが異なる。
体細胞をクリスパーで治療することはさしたる問題がないが、現時点で生殖細胞のゲノムを編集することは、デザイナー・ベービー(頭の良い、背の高い、容姿端麗な子)を作ることにつながる。まさに映画『ガタカ』の世界である。

遺伝子治療は、「生体外」と「生体内」がある。
ヒトの病気を動物に発症させて薬の効果や病気のメカニズムを解明する。
「生体内」は正常な遺伝子を組み込んだウイルスを異常な遺伝子を有する細胞に侵入・感染させることにより、正常な遺伝子に置き換わることを期待する。
生殖細胞の、体外受精で得た受精卵を調べ、メンデル遺伝病がないことを確認して子宮に着床させる。

生殖細胞へのゲノム編集は当面慎むべきである。体細胞へのゲノム編集は基本的に行って構わない。ただし、その際にはすでにある医療規制の枠内で行わなければならない。
「人遺伝子編集についての国際サミット」(2015年12月)での結論は、研究は「しかるべき法的倫理的な監督下に置かなければならない」。
しかし、こうした自主規制が破られるのは時間の問題だろうという見方が強い。

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『あなたの人生の科学』デイヴィッド・ブルックス

白人の上流家庭に育ったハロルドと、うつ気味の中国系の母親と家に寄りつかないメキシコ系の父親の家庭で育ったエリカの一生をたどりながら、主に人間の意思決定の仕組みを解き明かしていく。著者は、脳科学、社会学、心理学、医学、生物学、遺伝学、政治学、経済学、ギリシャおよびドイツ哲学、小説、戯曲、映画などについての旺盛な知識に基づいて解説を加えていく。

あなたの人生の科学(上)誕生・成長・出会い (ハヤカワ文庫NF)
デイヴィッド・ブルックス
夏目 大 訳
ハヤカワNF文庫
2015年11月 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

ジャン・ジャック・ルソーの教育学の名著『エミール』の手法を真似たという。ルソーはエミールと家庭教師のやりとりを通じて幸福とはいかなるものかを論じた。
本書の最大の目的は、人間が幸福になるうえで無意識がいかに重要な役割を果たすかを論じることだという。著者は、日常生活における私たちの行動を支配しているのは意識ではなく無意識であると、無意識の重要さを強調している。
上巻では、ハロルドとエリカが登場する前に、それぞれの両親の出会い、結婚、子育て、そして家庭環境が語られる。

大学を卒業しコンサルタント会社に入社したエリカは、頭脳明晰であっても目の前の問題にうまく対処できない同僚の男たちに愛想をつかす。エリカは一念発起してコンサルタント会社を起業し、大学院を卒業して職に就ていなかったハロルドに出会う。
ここで下巻にバトンタッチされる。

エリカはハロルドをパートナーとして雇い、やがてふたりは恋に落ち結婚する。会社の経営は順風満帆にみえたが、不況によりあえなく倒産してしまう。エリカはケーブルテレビ会社へ就職し、ハロルドは博物館に勤める。エリカが勤めた会社はM&Aを繰り返し大きくなるが、拡大しすぎて経営危機に陥る。エリカはその会社のCEOに就任し、会社を立て直す。
やがて、エリカはマイノリティ出身の優秀な人材を探していた大統領候補の陣営からスタッフとして請われ、選挙運動に加わる。候補の当選後、エリカはホワイトハウスに入り、次席補佐官や商務長官の公職で目覚しい働きをし、ダボス会議にも出席する。
一方、ハロルドはエリカのおかげでホワイトハウスのシンクタンクで働くことになる。ワシントンDCに来てハロルドが気づいたのは、社会学や心理学の最新の研究成果が、政治の世界にはほとんどといっていいほど取り入れられていないことである。
ハロルドはシンクタンクが発行する専門誌にエッセイを連載する。テーマはテロの脅威、軍事戦略、エイズ問題、アメリカの住宅問題など多岐にわたる。ハロルドの目を通じて、著者の理想の社会づくりが語られる。

ハロルドは仕事に忙殺され家を空けるエリカとのあいだに距離を感じるようになり、アルコール依存症になる。エリカは魔がさして不倫に走るが、この危機をふたりはどうにかやり過ごす。ここで著者はエリカの行動を心理学的に分析し、道徳と無意識について触れる。ある行動が道徳にかなうか否かは、直感により反射的に判断されることが多いと説く。

ふたりは引退し、ヨーロッパの名所旧跡を尋ね歩くツアーを企画して、ハロルドがガイドを務める会社を起こす。やがて、それからもふたりは引退し、著者の都合により波乱万丈の人生を送らされる羽目になったエリカは、ハロルドの最期に立ちあうのである。

本書は、早いころに熟読していれば、人生が少し違ったものになっていたかもしれないと思わせる処世の手引書である。

『言葉の誕生を科学する』小川洋子× 岡ノ谷一夫

小説家・小川洋子と脳科学者・岡ノ谷一夫との言葉の起源に関する幅広い視点からの対話集である。

岡ノ谷は言葉の起源に「前適応説」を採用している。
「前適応説」とは、たとえば鳥の羽はもともとは飛ぶことではなく、暖かいことが適応的であったと考えられている。ところが、羽が十分に生えてきて飛ぶという機能が新たに生まれてきたというもの。
言葉も同じように、言葉とは関係のない、ほかの機能のために進化してきたいくつかが組み合わさることで、新しい機能として言葉が生まれてきたとしている。

言葉の誕生を科学する (河出文庫)
小川洋子(Ogawa Yoko) × 岡ノ谷一夫(Okanoya Kazuo)
河出文庫
2013年11月

人間の言葉は生殖行為を前提として生まれたとする。
つまり異性を誘うときにいろいろな歌をうたった。たくさんの音を上手に組み合わせるヤツが異性から人気があった。狩のときに歌うヤツの周りに友達が大勢集まってきた。食事のときとかいろんな状況で歌をうたう。歌をお互いに学びあい共通する部分ができてきて、歌の一部が具体的なものを示すようになり、単語のような働きを持つようになり、単語の出てくる順番みたいなものつまり文法が生まれてくる。これが岡ノ谷が提唱する「歌起源説」である。

学会の多勢が信奉しているのは「単語起源説」である。しかし単語を組み合わせ文法がどうやって生まれてくるのかが説明されていないと、岡ノ谷は「単語起源説」の欠点を指摘する。その点、「歌起源説」は歌をうたっているうちに単語も文法も出てくるという説で、説得力があると主張する。

人間以外に言葉を操作することを学ぶ動物は鳥とクジラであるという。
オウムや九官鳥は教えれば言葉や文章をしゃべる。
その理由は、小鳥たちは基本的に人間と同じ耳のフィルターを持っていて、われわれの協和音は彼らにとっても協和音だという。鳥のさえずりが、一般に人間に心地が良いのは美意識が共有できているからで、それは耳がほぼ同じ仕組みだからだという。

このほか、「ミラーニューロン」、「フェルミのパラドックス」、眼輪筋が情動の中枢から制御を受けているゆえに「目は口ほどに物をいう」、外国語を習得しづらい理由などが語られる。→ブログランキングへ

『生物と無生物のあいだ』 by 福岡伸一

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
著者:福岡伸一
発行:2007年5月

はじまりには、ハドソン河を南下する観光船サークルラインから見たマンハッタン島の情景が描かれていて、重大事件が起こった現場へ駆けつける刑事になったような錯覚に陥る。その現場とは、著者がポスドクとして過ごしたロックフェラー大学である。かつて野口英世が研究に明け暮れたところでもある。数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張は、今ではほとんど省みられていない。千円札で毎日お目にかかる我らがヒーローの業績は、コンタミネーションの陥穽にはまり込んだ誤謬であった。著者は病原体特定のステップを、野口の研究やウイルス発見の歴史を追いながら解説している。

話は英国のケンブリッジ大学に場所を移し、ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見を取り上げる。この二十世紀最大の発見には疑惑がある。ライバル研究者の未発表のデータを剽窃した疑惑である。作為的にか無作為にかデータを手に入れてしまい、ライバルの許可を得ずに使ったというものである。ワトソンとクリックは自ら実験を行ってデータを収集したわけではない。そのかわりに、ボール紙や針金を組み合わせて作った分子モデルを動かしながら、議論を繰り返した。1953年、『ネイチャー』に発表されたおよそ1000語からなる論文の最後は、「It has not escaped our notice that the specific pairing we have postulated immediately suggests a possible copying mechanism for the genetic material.(この対構造が直ちに自己複製機能を示唆することに私たちは気がついていないわけではない)」と、ひかえめにかつ啓示的に結ばれている。論文発表のおよそ10年後の1962年に、著者が疑惑にかかわったとする二人の共犯者とワトソンとクリックにノーベル賞が与えられた。
ここで生命は自己複製するシステムと定義される。しかし自己複製する能力を持つウイルスは生物と言えるのだろうかと、著者は疑問を投げかける。ウイルスは細胞に寄生することでしか自己複製できない。ウイルスは細胞の表面に付着すると細胞内部に向かってエイリアンのようにDNAを注入する。宿主細胞は何も疑わず、そのDNA情報をもとにせっせとウイルスの部材を多数作り出す。細胞内でそれらが再構成されて次々とウイルスが生産される。やがて新たに作り出されたウイルスは、細胞膜を破り一斉に外に飛び出して次のターゲットを探す。
電子顕微鏡に映し出されるウイルスは、幾何学的な絵画や無機質でメカニカルなプラモデルのように見える。そして同じ種類のウイルスは、大小や個性の偏差がなく、まったく同じ形をしている。ウイルスが生物かどうかは長いあいだ論争の的であるが、著者の考えは否である。最近では、ウイルスの正体は、なんらかの理由で生体から脱落したゲノムの破片という説が有力のようだ。

ルドルフ・シェーンハイマーは、水素や炭素や窒素に同位元素でラベルした飼料をラットに与え、時間の経過とともにラットの体内の原子が入れ替わることを証明した。著者はこの研究を踏まえて、「生命は動的平衡にある流れである」といささか哲学的に定義する。ここで言う動的平衡とは、生物を分子レベルでみれば絶えず分子は入れ替わっていて、摂取されたものは吸収され生物の構成物となり、排泄により生物の体外へ出ていくという意味で動的ということである。さらに、常に生物として秩序のある状態を保っているという意味で平衡であるとしている。
話は脱線するが、高校の物理の授業にエントロピーが出てきてから、物理がすっかり私の苦手科目になってしまった。エントロピーの数式に私が難渋しているのを見て、のちに京都大学理学部物理学科に合格する同級生のF君は、「エントロピーの数式は無視していいよ、概念だから」と言ったのだ。確かに、著者の「生命は動的平衡状態にある流れである」に関するエントロピーの概念に基づいた記述は文学的であるが、すこぶる明快である。
それを要約すると、エントロピーは乱雑さを表す尺度であり、全ての物理的プロセスはエントロピー最大の方向に働き、そこに達して終わる。エントロピーを乱雑さの尺度とすると、負のエントロピーの概念は秩序を維持することを表す。生物が原子から成り立っている以上、物理学の法則に従わざるをえない。生物は絶えずエントロピーを増大させつつあり、それは死を意味するが、生物は自分でエントロピー増大に陥ることから免れているようにみえる。生物は周囲から負のエントロピーを取り入れること、つまり食べることで生きている。たえず原子を入れ替え動的平衡にあることで、エントロピー増大から免れている。この記述でエントロピーの概念がなんとなく頭に入ったような気になった。

さて、著者は米国でどのような研究をしていたのだろうか。ハーバード大学の研究チームに移ってからのテーマは、「膵臓の消化酵素分泌細胞の分泌顆粒を取り囲む膜にあるGP2の働き」についてである。ライバルチームとの研究競争を、著者は新種のアゲハチョウの発見にたとえている。発見者には蝶の学名の末尾に名前を連ねる栄誉が与えられる。研究の熾烈な先陣争いは、一位のチームだけがチャンピョンフラッグを手にする権利を主張することができる。二番目のチームには何の報償もない。
フェルメールの名画『合奏』がボストンの美術館から盗まれた1990年の秋に、著者のチームはGP2遺伝子の特定とその全アミノ酸配列を、米国細胞生物学会において発表した。ライバルチームもこの学会で同じ内容の発表を行った。研究競争の結果は同着であったが、それはとりもなおさずお互いの仕事が正しいと証明されたことでもあった。
不幸なことに『合奏』はいまだに行方不明である。しかし幸か不幸か、ヒトゲノムは2004年におよそ32億個の塩基配列がほぼ解読され、さらに30年後には、地球上のほぼすべての生物のゲノムが解読されるところまで進んでしまった。

本書が細菌学や遺伝子学さらに物理学や分子生物学などのとっつきにくいテーマを扱っているにもかかわらず、この種の本としては異例のベストセラーになっているのは、プロットや文章のうまさもさることながら、そこかしこに散りばめられた比喩の的確さにあると思う。
 
著者は、1959年生まれ、京都大学農学部を卒業した後、米国に渡り、ロックフェラー大学、ハーバード大学でポスドクとして分子生物学の研究に携わった。帰国後、京都大学助教授を経て、現在は青山学院大学理工学部教授の職にある。
ところで、ポスドク(post doctoral fellow)とは博士号を取得したての研究者の卵が企業や大学に就職せず、ある組織と契約を結び研究を続ける働き方をさす。著者の自虐的な表現を借りれば、「ポスドクは、独立研究者がグラントで雇い入れる研究戦争の最前線に立つ傭兵、もしくは研究室の奴隷」である。
なお著者は『週刊文春』に、私が毎週楽しみにしている「パラレルターン パラドクス」というタイトルの少しばかりドグマの強いコラムを連載中である。

『ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎』 田沼 靖一

「死」を研究する意味は、「生きている」ことの現象がよりはっきりとらえられるようになること、さらに遺伝子を起点とした新しい死生観を教えてくれるのではないかと、著者は指摘する。

細胞の死には3つタイプがある。
それは、アポトーシス、アポビオーシス、ネクローシス(壊死)である。
アポトーシスは再生系細胞の制御された死、アポビオーシスは再生しない細胞の自然死、ネクローシスは細胞の事故死つまりケガや疾患によってもたらされる細胞の死である。

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)
田沼 靖一(Tanuma Seiichi
幻冬舎文庫
2010年7月

分裂・増殖する機能を持つ細胞は「再生系」と呼ばれ、増殖せずに生き続ける細胞は「非再生系」である。
ほとんどの細胞が再生系細胞である。
非再生系の細胞の代表として挙げられるのは、脳の中枢神経細胞や心臓の心筋細胞である。
人間の非再生系細胞の寿命はおおよそ100年、人間の寿命に一致している。

人間の再生系細胞は細胞分裂を50~60回繰り返すと、それ以上は分裂ができなくなり死を迎える(ヘイフリック限界)。
DNAの末端には、テロメアと呼ばれる「TTAGGG」の6文字の配列が1000~2000回繰り返し続いている。
細胞分裂のたびにこの配列の20個分ずつがなくなり、細胞分裂を繰り返しテロメアが半分くらいの長さになると、その細胞はアポトーシスを迎える。つまりテロメアは、細胞分裂のカウンターと考えられている。

成人の身体は約60兆個の細胞でできていて、1日に死ぬ細胞の数は3000億~4000億個、約200分の1が死んでいることになる。その重さは約200グラム、毎日ステーキ1枚分の細胞が死に、新しい細胞に置き換わっている。

<オスとメスの染色体が、ランダムな遺伝子の組み換えによって新しい遺伝子組成を持った受精卵は、・・・・・・2倍、4倍、8倍と分裂して8細胞期になったあたりで、・・・・・・“不良品”である場合、アポトーシスのスイッチを入れることで、その有害な遺伝子組成を除去しているのです。P143>
つまり受精卵には、自らが生きるべきか死ぬべきかの判別能力が備わっているということである。

生物の進化は遺伝子の突然変異によったもたらされる。
その突然変異がその種にとって望ましくない突然変異を起こした場合、その遺伝子を持つ受精卵が自ら死んでいく必要がある。アポトーシスにより、その種にとって都合のよい突然変異を選別して進化を調整しているのである。

<地球の環境が変わりゆくなか、生物の個体を通してしか存続できない遺伝子にとって、生物を環境に適応させていくには「性=遺伝子の組み換え」と「死=遺伝子の消去」を伴う仕組み以上によい方法はないのかもしれません。P148>
地球上の生物は、死によって生を更新することにより、生命を遺して伝えることができるのである。

アポトーシスという面から見ると、ガンとはどういうものなのか。
<実は日々、みなさんの身体のなかでもガン細胞はできています。ガン細胞がひとつやふたつあるだけでガンを発症するわけではありませ。ガン細胞にアポトーシスを起こす力が残っていれば、異常な細胞として免疫細胞によってアポトーシスが起こされ、消去されます。
・・・・・・腫瘍には良性のものと悪性のものがあり、良性のものはガンとは呼びません。
では良性と悪性を分けるものは何かと言えば、「アポトーシスを回避して“不死化”できるかどうか」。ガンには必要条件として「細胞が異常に増殖できること」、十分条件として「細胞がアポトーシスを抑制できること」が挙げられ、必要十分条件がそろった場合に初めてガンになるわけです。P84>

まえがき  私がなぜ「死」の謎を追うのか
第1章   ある病理学者の発見
第2章  「死」から見る生物学
第3章  「死の科学」との出会い
第4章   アポトーシス研究を活かして、難病に挑む
第5章   ゲノム創薬最前線
第6章  「死の科学」が教えてくれること
あとがき

細胞死をコントロールする薬を研究することにより、ガン、アルツハイマー病、AIDS、糖尿病などの治療薬が開発につながる可能性がある。