医学

『がん検診は、線虫のしごと 精度は9割「生物診断」が命を救う』広津崇亮

線虫によるがん検査が2020年1月から実用化される。線虫にはカイチュウやギョウチュウやアニサキスが含まれ、地球上に1億種いるという。検査に使われる線虫は体長がたった1mmのシー・エレガンス(C.elegans)である。シー・エレガンスは雌雄同体で、生まれてくるのはクローンだから遺伝的な個体差がなく、凍結保存しておくと10年先20年先でも生き返る。


がん検診は、線虫のしごと 精度は9割「生物診断」が命を救う (光文社新書)

広津崇亮(Hirotsu Takaaki
光文社新書 ✳10
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シャーレに健常者の尿をたらすとシー・エレガンスは尿を避けるが、がん患者の尿には寄っていく。ほぼ全身のがんを調べることができる。ステージ0〜1の早期がんも、9割の確率で検知できるという驚異の精度である。しかも尿1滴で検査が可能である。

著者は20年間に及ぶ線虫研究から、線虫にがんの分泌物質を嗅ぎ分ける能力があることを発見した。犬にがんの匂いを嗅ぎ分けられるなら線虫にも嗅ぎ分けられるはずだと思ったことがきっかけだという。
2015年、九州大学の助教だった著者は、線虫がん検査「N-NOSE」を実用化するため、大学を辞めベンチャー企業の実業家に転身した。

従来のがん検診は、時間がかかる、苦痛を伴う、場合によっては危険を伴うこともある、ニ次スクリーニング検査や精密検査しかなかった。心身の負担が大きく、自覚症状のない段階で受ける気にはなれないような検査だ。

「N-NOSE」は、「簡便・高精度・安価・早期発見が可能・苦痛がない・全身網羅的」という一次がん検診の理想的な条件を備えもつ。検査率が低迷する日本のがん検診に、風穴をあける画期的な検査法である。

著者の目は日本だけに向けられているわけではない。実用化の7年後の2027年には日本国内6000万人、東アジアと東南アジアで2億人、インドで1億人、北米で1億5千万人、合計8億1千万人に、「N-NOSE」が普及することを目指している。さらに、がん以外の疾病の早期発見の可能性を追求している。

線虫がん検査の開発にまつわる話だけでなく、起業してからの経緯にも惹きつけられる。起業を目指す若い人たちに示唆に富むアドバイスが書かれている。進取の気性をもつ著者の力強いエネルギーが感じられる。

がん検診は、線虫のしごと 精度は9割「生物診断」が命を救う/広津崇亮/光文社新書/2019年
ビタミンDとケトン食 最強のがん治療/古川健司/光文社新書/2019年
がん免疫療法とはなにか/本庶 佑/岩波新書/2019年
がん光免疫治療の登場/永山悦子 小林久隆(協力) /青灯社/2017年
がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
ケトン食ががんを消す/古川健司/光文社新書/2016年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016年
がん幹細胞の謎にせまる/山崎裕人/ちくま新書/2015年

『ケトン食ががんを消す』古川健司

極端な糖質制限による、がん細胞の「兵糧攻め」がケトン食である。
がん細胞が栄養源としているのは、主にブドウ糖(グルコース)である。それも、正常細胞よりも3〜8倍ものブドウ糖を取り入れなければならない。
一方、正常細胞は、ブドウ糖の供給が途絶えても、緊急用のエネルギーを皮下脂肪からのケトン体でまかなうことができる。
著者は、がんに対する食による治療が長年軽視されてきたと力説する。


ケトン食ががんを消す (光文社新書)

ケトン食ががんを消す
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古川 健司
光文社新書 2016年
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がん細胞のエネルギー産生は、細胞質内に酸素がない状態で糖を分解し乳酸を放出する効率の悪い「嫌気性解糖」が行われている。このエネルギー産生経路では、ブドウ糖1分子あたり2分子のATPを作るだけ(正常細胞が1分子のブドウ糖で36分子のATPを作る) 。がん細胞は十分な酸素存在下でも、嫌気的な糖利用を行う。

がん細胞にはケトン体をエネルギーに変える酵素がない。がん患者の糖質摂取量を極端に少なくすることで、がん細胞の分裂が抑制され、がんを縮小、場合によっては死滅させることも可能になる。

ケトン体のアセト酢酸とβ-ヒドロキシン酪酸の増加で、血液や体液の濃度が酸性になった場合をケトアシドーシスという。糖質制限で、医師たちが懸念するのはこのケトアシドーシスである。これは1型糖尿病に多くみられ、嘔吐や頭痛、頻脈、意識障害や昏睡を引き起こす。
インシュリンが正常である限り、ケトン体がいくら増えてもケトアシドーシスには陥らない。

胎児はケトン体で生きている。胎児のケトン体量は1600μmol/L以上ある。がんの細胞分裂のスピードは、胎児の細胞分裂のそれに匹敵するといわれる。たとえ胎児の遺伝子にコピーミスがあっても、ケトン体と低血糖ががん化を抑制していると考えられる。ケトン体1600μmol/L以上が、がん細胞が正常細胞へリセットされる目安になるにではないか。
総ケトン体指数が一定以上の数値まで上昇すると、なんらかのがん抑制遺伝子のスイッチ入り、がんが縮小するのではないかと著者は考える。

「免疫栄養ケトン食」によるがん治療は、ケトン食+EPA(エイコサペンタエン酸)+タンパク質の組み合わせである。
【セミケトジェニック免疫栄養療法 】糖質摂取量80g以下(主食は通常食の1/3、野菜などから糖質を摂るほうが望ましい):がん予防、がん再発予防の食事療法で、がん治療ではない。
【ケトジェニック免疫栄養療法】40g以下:がん治療の維持療法である。
【スーパーケトジェニック免疫栄養療法】20g 以下(95%カット)が治療食である。

ビタミンDとケトン食 最強のがん治療/古川健司/光文社新書/2019年
がん免疫療法とはなにか/本庶 佑/岩波新書/2019年
がん光免疫治療の登場/永山悦子 小林久隆(協力) /青灯社/2017年
がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
ケトン食ががんを消す/古川健司/光文社新書/2016年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016年
がん幹細胞の謎にせまる/山崎裕人/ちくま新書/2015年

『ビタミンDとケトン食 最強のがん治療』古川健司

本書に記載されていることがこの通りだとすれば、非活性型ビタミンDの多量摂取はがん治療の補助療法として大いに推奨される。

日本人女性のビタミンD不足は顕著であり、世界的にも現代人はビタミンDが不足がちだという。著者が勤務する病院の看護師50名のビタミンD濃度を計測したところ、正常値は1人もおらず、3人が不足、47人が欠乏症という惨憺たる結果だったという。
ちなみに、「ビタミンD充足状態」30μg以上、「不足」20〜29.9、「欠乏」20.0未満である。


ビタミンDとケトン食 最強のがん治療 (光文社新書)

光文社新書 2019年 ✳︎10
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がん患者のビタミンD濃度は、統計学的に有意に低値であるとするデーターが示される。がん細胞に暴走を許している大きな要因が、ビタミンDの欠乏であるとする。
また、ビタミンDが高い場合がんにかかりにくいというデータが示される。

では、ビタミンDががん治療に効く働きとはどのようなものか。
1)がん細胞の増殖の抑制。
2)がん細胞のアポトーシスの促進。(アポトーシスとは体内に組み込まれているプログラムされた細胞死)
3)がん細胞の血管新生の抑制
4)オートファジーの抑制。(オートファジーとは、細胞それ自体が細胞内の異常なタンパク質を分解し、リサイクルする働き。生存のための「自食」とも呼ばれる)

大腸がんはビタミンDが最も強力に作用するがんの一つであることが、諸外国の報告で明らかにされている。ビタミンDの血中濃度が、大腸がんや乳がんをはじめとする多くのがんの発生やその抑制に関わっていることが、多数の研究から明らかになっている。

著者は、がん治療では、1日に最低でもビタミンDを50μg、症状によっては100〜150μgのビタミンDを摂取する必要があると結論づけた。ただし、摂取するのは非活性型ビタミンD(サプリメント)である。
非活性型ビタミンDは肝臓に一旦蓄えられ、必要に応じて腎臓で活性化される。医師が処方する活性型ビタミンDは、副甲状腺ホルモンのコントロールを受けないため、高カルシウム血症や腎障害などの副作用がある。非活性型は副甲状腺ホルモンやカルシウム濃度によってコントロールされているため安全性が高い。

様々な病気に関与するビタミンD。
がん、心・血管疾患(不整脈、心筋梗塞、虚血性心疾患、動脈硬化、大動脈瘤)。生活習慣病(2型糖尿病)、高血圧、脂質異常症など)。自己免疫疾患(関節リウマチ、アトピーや花粉症などのアレルギー、1型糖尿病、甲状腺機能障害など)。感染症(インフルエンザ、肺炎など)。精神疾患(うつ病など)。

巻末のケース・スタディでは、「ビタミンD 免疫栄養ケトン食」で治療を行った末期がん患者の驚異的な回復ぶりが記載されている。がん腫が消え寛解に至ったケースも何例かある。ケトン食が受け入れられないケースでは、ビタミンDだけでも著しい効果があがっている。

ビタミンDとケトン食 最強のがん治療/古川健司/光文社新書/2019年
がん免疫療法とはなにか/本庶 佑/岩波新書/2019年
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がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
ケトン食ががんを消す/古川健司/光文社新書/2016年
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がん幹細胞の謎にせまる/山崎裕人/ちくま新書/2015年

『水底の橋 鹿の王』上橋菜穂子

尊厳死につながる議論が展開され、医療の本質に迫ろうとする大胆な試みを貫くファンタジー。
大国・東乎瑠(ツオル)の次期宮廷祭司医長の座をめぐる争いに、オタワル医療の運命がかかっている。進歩派はオタワル医術を受け入れるが、守旧派はオタワル医術の排除を目論んでいる。
オタワルは、国をもたない民である。250年前、黒狼病で王国が滅びたあと、山々に囲まれた地で、土木、建築、ガラス、機械工芸など技術力を伝えてきた。東乎瑠国の妃の難病をオタワルの医術師が完治させたことで、オタワルの医術の優秀さは東乎瑠の貴族たちに頼りにされている。


鹿の王 水底の橋

鹿の王 水底の橋
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上橋 菜穂子
角川書店 2019年3月 ✳8
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しかし、治療に役立つことならなんでも取り入れるオタワル医療と、治療は神聖なものであるべきとする東乎瑠の医療とは、相容れないものがある。
東乎瑠の医療は、例えば、薬は動物由来のものは「穢れ」を理由に忌み嫌う。したがって、オタワル医療で最先端の技術である、輸血や馬の血清を用いる血清療法は、清心教の医療では禁忌である。
清心教の信徒たちは、獣由来の薬を使うことで多少は命が伸びるかもしれないが、穢れた身で生きるよりは、心安らいで草木の薬でいきたいと願う。清心教の司祭医・真那の姪が重い病気にかかっていて、真那の手に負えないのでホッサルに診てほしいとミラルを通じて依頼があった。
ホッサルは、オタワル王国の聖王の末裔で天才的な医術師、ミラルは、ホッサルの恋人で医師でもある。
もし、ホッサルがなにか失態を演ずれば、それを口実にオタワル医師の粛清が推し進められるだろう。あえて火中の栗を拾うべく、ホッサルとミラルは真那の姪の診察に向かった。

ホッサルは、真那から清心教医術の源流とされる秘境・花部に行くように勧められる。
花部への道中、山津波に飲み込まれそうになったとき、ミラルをかばったホッサルは骨折し、奇しくも花部流医術を受けることになる。

ついには、次期宮廷祭司医長の有力候補に毒が盛られる事件が起こり、ストーリーは佳境に入る。

→『精霊の守り人
→『闇の守り人
→『夢の守り人
→『虚空の旅人
→『神の守り人
来訪編

→『神の守り人
帰還編
→『蒼路の旅人
→『天地の守り人
第1部 ロタ王国編

→『天地の守り人
第2部 カンバル王国編

→『天地の守り人
第3部 新ヨゴ皇国編
→『流れ行く者 守り人
短編集

→『バルサの食卓
→『孤笛のかなた
→『鹿の王
→『水底の橋 鹿の王 

『がん免疫療法とは何か』本庶 佑

著者は「免疫チェックポイント阻害剤」の開発の基礎となる研究により、2018年のノーベル賞医学生理学賞を受賞した。免疫機能にはアクセルとブレーキを促すメカニズムがあり、免疫細胞の正常な活動にブレーキがかけられているために、がん細胞は増殖する。ブレーキの機能を停止させることにより、がん細胞を攻撃するリンパ球の活動性を賦活することができる。著者らはブレーキかけるPD-1を発見し、PD-1抗体を作り出した。
巻末には、著者のノーベル賞受賞晩餐会でのスピーチが掲載されている。


がん免疫療法とは何か (岩波新書)

がん免疫療法とは何か
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本庶 佑
岩波新書
2019年  ✳︎7

免疫反応とは、体内に入ってきたあるいは体内でできた非自己を見つけ出しやっつけてしまうことである。免疫反応は、抗体を産生するB細胞(Bリンパ球)と抗体の産生を助けたり感染細胞を直接殺すT細胞が(Tリンパ球)という二種類の細胞で起こる。

リンパ球は抗原に結合すると、結合したという信号が細胞の中に伝えられ分子のリン酸化が進み、そのリンパ球が分裂し他の免疫細胞を動員して初めて、免疫反応が成立するのである。したがって、この抗原認識後の反応の閾値の制御は、免疫応答にとって極めて重要である。
現在この閾値の制御に関わる分子として、いわゆるアクセルとブレーキの両方が存在する。ブレーキとしてはCTLA-4とPD-1、アクセルとしてはC-28とアイコス(ICOS)という分子が存在する。アクセルを操作する試みは長く行われたが成功しなかった。今日、最も有力な制御はブレーキの弱体化によるものである。
ブレーキをかけるタンパク質は、1987年にCTLA-4が見出され、著者たちが1992年にPD-1を発見した。

がん細胞は正常細胞の100倍から1千倍の頻度で、遺伝子に異変を蓄積していく。そのため、がん細胞が発現する非自己の抗原は1種類ではなく変化していく。1種類の新しい抗原をめがけた免疫療法では、新たな「新しい抗原」をもった細胞が生まれた場合には無効になってしまう。
これに対してブレーキ役を破壊することで、全ての免疫系のリンパ球、特にキラー・リンパ球(がん細胞を破壊できる能力を持つ。細胞障害性T細胞)を動員することができる。

2002~03年当時、がんの免疫療法の評判は悪かった。試みがことごとく失敗したからだという。著者たちは、1992年にPD-1を発見し、2002年に抗体を作ることに成功した。小野薬品にPD-1抗体の製品化を依頼し、小野薬品はアメリカのベンチャー・メダレックス社との共同開発で「オプジーボ(一般名ニボルマブ)」を作り上げた。オプジーボの臨床治験が始まったのが2006年である。日本で保険適応になったのが2014年である。

免疫ブレーキ停止法で、がん細胞の変化をどこまでも追いかけてやっつける力を持つことが可能になった。この治療法がすべてのがんに適応される日がやってくると著者は考えている。
PD-1抗体は10年以内にがん治療の第一選択薬となり、そのマーケットも年間数兆円の規模のものになると、多くの人が予測している。→人気ブログランキング

ビタミンDとケトン食 最強のがん治療/古川健司/光文社新書/2019年
がん免疫療法とはなにか/本庶 佑/岩波新書/2019年
ケトン食ががんを消す/古川健司/光文社新書/2016年
がん光免疫治療の登場/永山悦子 小林久隆(協力) /青灯社/2017年
がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016年
がん幹細胞の謎にせまる/山崎裕人/ちくま新書/2015年

『新薬の狩人たち 成功率0.1%の探求』ドナルド・R・キルシュ/オギ・オーガス

新薬を生み出す手法は、植物を片っ端から口に入れて薬を見つけていた頃と変わらない。化学式やDNAの組み合わせからコンピュータをつかって見つけ出す今も、片っ端からローラー作戦を展開しているのだ。

新薬の開発には10年以上、1000億円の費用がかかる。ドラッグハンター(新薬研究者)が提案した創薬プロジェクトのうち、経営陣から資金が提供されるのは5%、そのうち発売にこぎつけるのは2%、つまりドラッグハンターが薬を生み出す確率は0.1%である。最先端の研究所で働くドラッグハンターのほとんどが、そのキャリアの中で、新薬を世に送り出せないというのが現状だという。

新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求
ドナルド R キルシュ  オギ オーガス/寺島朋子
早川書房
2018年6月 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
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著者のドナルド・R・キルシュは、ベテランのドラッグハンター。スクイブ社(現ブリストル・マイヤーズ・スクイブ社)、アメリカン・サイアナミド社、ワイス社(共に現在はファイザー社)、カンブリア・ファーマシューティカルズ社で薬の開発に関わってきた。著者の経歴からもわかるように、製薬会社が合併を繰り返して巨大になっていったのは、新薬開発に長い期間と膨大な資金がかかり、小規模の会社では体力がもたないからである。

病気を一気に治してしまう薬は製薬会社にとってうまみがない。製薬会社は患者が恒久的に使わなければならない薬は大歓迎なのである。
例えば抗菌剤。抗菌剤は化膿性疾患が治ってしまえばもう使う必要がない。また細菌は耐性株に変異することにより、それまで効いていた抗菌剤が効かなくなる。さらに医師は耐性菌の出現を恐れて新しい抗菌剤を保留する傾向がある。
薬剤会社は高血圧薬や高脂血症の薬などの、一度使い出したら一生使い続けなければならない薬の開発に力を注ぐのである。
世界最大の製薬会社であるファイザー社は今後、抗菌剤の開発を行わないというショッキングな決断をしたという。

人類は薬をどのようにして手に入れてきたのか。
まずは植物由来の薬を手に入れた。薬になりそうな植物を片っ端から口に入れて薬を見つけてきたのだ。最古の薬としてアヘンがある。次にマラリア治療薬のキニーネ、吸入麻酔薬のエーテル、合成化学による鎮痛剤のアスピリン、さらに設計された薬である梅毒治療薬のサルバルサン。土壌由来のペニシリンなどの抗生物質、人間を冬眠させる目的でたどり着いたクロルプロマジン、さらに現在はヒトゲノムのDNAから得られるバイオ医薬品の候補がある。

19世紀の半ばにチバガイギー社(現在はノバルティス社)の科学者たちが、この宇宙の中にある薬になるかもしれない化合物の総数を計算した。その数なんと3×10の62乗種類、理解不可能なくらいの膨大な数である。
本書では、新薬探索における試行錯誤の比喩として、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説『バベルの図書館』が、何回か引き合いに出される。図書館は無数の6角形の部屋があらゆる方向に無限に連なり、各部屋の棚にはランダムな文字の組み合わせのタイトルが書かれた本が並んでいる。本の中身は1冊ずつちがい、ほとんどはナンセンスである。しかし叡智に満ちた本も稀にあり、それは「弁明の書」と呼ばれている。司書たちが「弁明の書」を探して館内をさすらう。ほとんどは一生かっても「弁明の書」に巡りあえない。製薬会社は、さまざまな構造の化合物からなるコレクションを持っている。著者は、「化合物ライブラリー」をバベルの図書館になぞらえ、ドラッグハンターを司書になぞらえている。

新薬開発は製薬会社にとって一か八かの博打のようなもので、映画制作に例えている。緻密な計算のもとに、最高の俳優を配して、十分な資金も調達して、いわば万全の体制を整え、当たるはずだと踏んで作られた映画が、『ローン・レンジャー』のことだが、大コケすることがある。創薬も同じような危険がつきまとうという。→人気ブログランキング

『遺伝子 親密なる人類史』 シッダールタ・ムカジー

がん研究者である著者は前作の『がん-4000年の歴史-』(『病の皇帝「がん」に挑む-人類4000年の苦闘』から改題)で、ピュリッツアー賞(2011年)を受賞している。幅広い知識と的確な比喩と巧みな話運びで、前作に比肩する内容である。

アリストテレスのメッセージの形で遺伝情報は伝えられるにはじまり、メンデルのエンドウ豆の実験から、遺伝子の生物化学的な解明、ゲンムの解読、遺伝子治療までの遺伝子にまつわる歴史が語られている。
そうした歴史とは別に、プロローグでは、著者の親族の3人が統合失調症や双極性障害と診断されたことを書いている。著者自身に高い確率で発症するかもしれない精神疾患に不安を抱いているのである。

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上
シッダールタ ムカジー/
仲野徹監修・田中文訳
早川書房
2018年2月
遺伝子‐親密なる人類史‐ 下
シッダールタ ムカジー
Siddhartha Mukherjee

そうした遺伝子の歴史だけではなく、優生学の標的となり断種手術を受けさせられた女性や、虚偽のデータに基づいてウイルスを用いた遺伝子治療が行われた男性など、歴史の犠牲者たちの生涯にも触れている。
また研究者たちの生い立ちや家族構成や人物像などのバックグラウンドや、ちょっとしたエピソードが語られて、研究者たちの息遣いが感じられ、まるで大河小説のようである。

後半は遺伝子学が直面する倫理的な問題に多くのページが割かれている。
遺伝子を操作することと、ゲノムを操作することはまったく話が違うと力説する。近い将来に予想される社会として、遺伝的な弱点が洗い出された男女と、改変された遺伝子を持つ男女が暮らす世界になるという。

〈生殖細胞系列の特定の遺伝子に「改変可能な」変異が存在することがわかったなら、両親には、精子や卵子の遺伝子を改変する遺伝子手術を受けるか、あるいは変異遺伝子を持つ胚の着床を避けるための着床前スクリーニングを受けるという選択肢が与えられる。このようにして最も重症なタイプの病気をもたらす遺伝子が、積極的な、あるいは消極的な選択によって、またはゲノム修正によって、ヒトゲノムからあらかじめ取り除かれる。〉

ミュータントを消し去ることで、人類の遺伝子のプールから病的な要素を生み出す遺伝子を消し去られる。遺伝子治療もしくは遺伝子操作の考え方がエスカレートすると、病気は次第に世界から消えて行くかもしれないが、それと同時にアイデンティティも消え、悲しみは消えるだろうが優しさも消えるだろうという。

完全な声明文マニフェスト(あるいはヒッチハイク・ガイド)を書くという課題は次の世代に任せるとして、13項目にわたるとりあえずの声明文を巻末に記している。→人気ブログランキング

遺伝子 親密なる人類史/早川書房/2018年
がん-4000年の歴史-/早川NF文庫/2016年

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『がん光免疫治療の登場』永山悦子 小林久隆(協力)

NIH(米国立衛生研究所)の小林久隆博士が開発した「光免疫治療」の臨床治験が、2018年3月から国立がん研究センター東病院で始まろうとしている。
「光免疫治療」は化学物質を結合させた分子標的薬(抗体)を静脈注射すると、薬ががん細胞と結びつき、それに近赤外線を当てると、化学物質が反応してがん細胞を破壊するというもの。アメリカで2015年に始めた治験では、他の治療で効果が認められなかった15人に行われ、14人でがんは縮小し7人はがんが消失したという。

がん光免疫療法の登場──手術や抗がん剤、放射線ではない画期的治療

がん光免疫療法の登場──手術や抗がん剤、放射線ではない画期的治療

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永山 悦子 小林久隆(協力)
青灯社   2017年8月
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細胞膜に1万個以上の傷がつくと、がん細胞が破壊されることが分かった。
この治療の利点は副作用が少ないことである。

がん細胞が破壊されると免疫の司令塔である免疫樹細胞ががんの存在に気づき、がんを攻撃する免疫の仕組みが作動し始める。がん細胞が破れない死に方では、樹細胞ががん細胞の死に気づかず免疫は誘導されない。

もうひとつの方法は、制御性T細胞を破壊する方法である。がん細胞が増殖するのは、体内の異物を攻撃する免疫が手出しできないように守られているためである。このがん細胞を免疫の攻撃から守っている「門番役」が、制御性T細胞。
制御性T細胞をピンポイントで攻撃した場合、目覚めたT細胞やNK細胞は制御性T細胞が守っていたがん細胞を攻撃するが、正常な細胞は攻撃しない。従って副作用は起こらない。
いったん目覚めたT細胞は、再び制御性T細胞と出会っても眠りにつくことはない。だから転移がんの周りに集まった制御性T細胞に邪魔されることなく、離れた場所のがん細胞も攻撃、破壊し続けることができると考えられる。
転移性がんが大きかったり、全身に散らばったりしている場合は、複数の場所のがんで制御性T細胞を破壊し、多くの攻撃型のT細胞を目覚めさせることで、一層攻撃力を高める方法が考えられているという。

オプジーボなどの免疫チェックポイント阻害剤を投与すると、がんを攻撃する免疫のみならず全身の免疫の働きが高まるため、自己免疫反応が避けられず、急性の間質性肺炎やⅠ型糖尿病など様々な副作用を起こす可能性がある。事実、副作用例が報告されている。

米国で治験を開始するための資金がなく足踏みしていところ、楽天の三木谷会長が資金提供をして研究の後押しをしたという。
ところで、光免疫療法の費用は10数万から数十万円と小林博士は見込んでいる。ちなみにオプジーボは3500万円。

小林博士の見通しによれば、「がん光免疫治療」は2〜3年後に厚労省の認可を得られ、10年以内には7〜8割のがん患者が使える抗体をそろえることができるようになるという。

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がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
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『がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か』NHKスペシャル取材班

がん細胞の遺伝子を解析して、その結果をもとに行われる治療は「プレシジョン・メディシン(精密医療)」と呼ばれる。
本書は2016年11月に放送された番組『NHKスペシャル』に、2017年7月における最新情報を加味したものである。

がん遺伝子とは正常な細胞が持っている遺伝子の中で、変異する(傷がつく、DNA配列が変わる)と、細胞の異常増殖を引き起こす遺伝子のこと。がん抑制遺伝子とは細胞のがん化を抑制する遺伝子。正常な細胞ががん細胞に変わるきっかけとなるのは、がん遺伝子やがん抑制遺伝子にできた傷である。

がん遺伝子は、傷がつくことで遺伝子変異が生じて、異常なタンパク質が作られるようになり、このタンパク質が原因となって、異常な細胞増殖がはじまる。これががんの誕生である。
現在までに数100のがん遺伝子、100前後のがん抑制遺伝子がみつかっている。

がん治療革命の衝撃―プレシジョン・メディシンとは何か (NHK出版新書 527)

がん治療革命の衝撃―プレシジョン・メディシンとは何か

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NHKスペシャル取材班
NHK出版
2017年9月

 

分子標的薬が標的とする分子は、主にがん細胞の異常増殖を促している異常たんぱく質である。分子標的薬はその異常たんぱく質と結合して働きを抑え込み、がん細胞の増殖を止める。
あるいは、がん細胞に栄養を運ぶ新たな血管を作る分子の働きを抑えて、がん細胞を兵糧攻めにするタイプ、また最近では、複数の分子を標的にするマルチターゲット薬と呼ばれる分子標的薬も開発されている。
分子標的薬のメリットは、効果が期待できるかどうか、治療の前に予想がつきやすいことである。しかし、分子標的薬は使い続けるとがんが耐性を獲得して、早ければ半年、長くとも数年で効かなくなることが多い。

がん細胞には正常な免疫細胞の攻撃を止める攻撃ブレーキボタンを押す機能がある。免疫チェックポイント阻害剤は免疫細胞のブレーキボタンをがん細胞から守る役割をもつ。免疫チェックポイント阻害剤の優れている点は、効き目が長く持続することである。
免疫チェックポイント阻害剤には劇的な効果があるため、がん治療にパラダイムシフトをもたらす新薬として注目されている。
現在、日本で保険が適応される免疫チェックポイント阻害剤は、オプジーボ(一般名ニボルマブ)、ヤーボイ(イピリムマブ)、キイトルーダ(ペンブロリズマブ)の3剤。

アメリカで動き出した次世代のプレシジョン・メディシンは、人工知能を使うというもの。がんに関する論文は世界で年間10数万件が発表され、1日では数百になる。IBMが開発したワトソン・ゲノミクスは、これらの情報をを学習し、患者のデータを入力し治療スケジュールを決める。その時間はわずか2〜3分だという。

プレシジョン・メディシンによりがん治療の考え方が根本から変わる。薬選びは臓器別から遺伝子変異別となる。がん治療は「あと5年で劇的に変わる」という。

がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ•ムカジー/早川NF文庫/2016年

『花埋み』 渡辺淳一

本書は、日本の医師国家試験に合格した女医第1号である荻野ぎんの半生を描いている。
シーボルトの娘・楠本いね子が、女医の第1号として挙げられることがあるが、それは正しくない。ぎんより28歳年上のいね子は、明治3年に築地で産科を開業したが、その頃はまだ国家資格ではなかったので、極端なことを言えば、誰でも医者を名乗ることができた時代である。
なお、本書の「解説」を書いている吉村昭は著書『ふぉん・しほるとの娘』で、楠本いね子の生涯を描いている。

花埋み (新潮文庫)
花埋み(はなうずみ)
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渡辺 淳一
新潮文庫 1975年

ぎんは現在の埼玉県の旧家に生まれ、16歳で結婚したが、夫に淋疾をうつされた。順天堂病院で治療を受け、男性医師に局所の診察を受けることに著しい嫌悪を感じた。ぎんは女たちに同様の屈辱を味わいさせたくないとの思いで、女医を志した。
東京女子師範学校に入学したぎんは、それ以降、吟子と名乗るようになり、明治12年、第1期生として首席で卒業した。
医学を学ぶため、私塾の好寿院に入学した。男たちは吟子に執拗な嫌がらせをした。そんなイジメにもめげず、好寿院を優秀な成績で卒業した。
吟子は医術開業試験に合格し女医第1号となった。そして湯島に産婦人科荻野医院を開業し、大いに繁盛した。

やがてキリスト教に入信し社会運動に身を投じるようになった。
39歳のときに、周りの反対を押し切って13歳年下の男性と結婚した。夫はキリスト教徒の理想郷を作るという志のもとに北海道に渡り、数年後、吟子は後を追った。
夫婦で壮絶な苦労を強いられたにもかかわらず、夫は志半ばで病死した。吟子は札幌で開業しようとするが、吟子の習得した医術はすでに時代遅れのものになっていた。
失意のまま帰郷し、62歳で他界した。

吟子は札幌での開業をかつて医学を学んだとき助教師をしていた人物に相談する。すると「最近は、男の医師だからといって産婦人科の診察を拒む人などまずいません。女医である利点は少なくなっています」という。吟子が医者を目指した理由が、なんの意味をもたなくなったという衝撃的な答えが返ってきたのだ。

吟子は開業して3か月もすると、医者の限界を感じるようになったと著者は書いている。女医になったことで吟子の志は達成され、人生の目標を失ったのではないだろうか。それが猛反対を押し切っての結婚、名声を捨てての北海道行きにつながったのだろう。

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