医学

『新薬の狩人たち 成功率0.1%の探求』ドナルド・R・キルシュ/オギ・オーガス

新薬を生み出す手法は、植物を片っ端から口に入れて薬を見つけていた頃と変わらない。化学式やDNAの組み合わせからコンピュータをつかって見つけ出す今も、片っ端からローラー作戦を展開しているのだ。

新薬の開発には10年以上、1000億円の費用がかかる。ドラッグハンター(新薬研究者)が提案した創薬プロジェクトのうち、経営陣から資金が提供されるのは5%、そのうち発売にこぎつけるのは2%、つまりドラッグハンターが薬を生み出す確率は0.1%である。最先端の研究所で働くドラッグハンターのほとんどが、そのキャリアの中で、新薬を世に送り出せないというのが現状だという。

新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求
ドナルド R キルシュ  オギ オーガス/寺島朋子
早川書房
2018年6月 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
売り上げランキング: 2,711

著者のドナルド・R・キルシュは、ベテランのドラッグハンター。スクイブ社(現ブリストル・マイヤーズ・スクイブ社)、アメリカン・サイアナミド社、ワイス社(共に現在はファイザー社)、カンブリア・ファーマシューティカルズ社で薬の開発に関わってきた。著者の経歴からもわかるように、製薬会社が合併を繰り返して巨大になっていったのは、新薬開発に長い期間と膨大な資金がかかり、小規模の会社では体力がもたないからである。

病気を一気に治してしまう薬は製薬会社にとってうまみがない。製薬会社は患者が恒久的に使わなければならない薬は大歓迎なのである。
例えば抗菌剤。抗菌剤は化膿性疾患が治ってしまえばもう使う必要がない。また細菌は耐性株に変異することにより、それまで効いていた抗菌剤が効かなくなる。さらに医師は耐性菌の出現を恐れて新しい抗菌剤を保留する傾向がある。
薬剤会社は高血圧薬や高脂血症の薬などの、一度使い出したら一生使い続けなければならない薬の開発に力を注ぐのである。
世界最大の製薬会社であるファイザー社は今後、抗菌剤の開発を行わないというショッキングな決断をしたという。

人類は薬をどのようにして手に入れてきたのか。
まずは植物由来の薬を手に入れた。薬になりそうな植物を片っ端から口に入れて薬を見つけてきたのだ。最古の薬としてアヘンがある。次にマラリア治療薬のキニーネ、吸入麻酔薬のエーテル、合成化学による鎮痛剤のアスピリン、さらに設計された薬である梅毒治療薬のサルバルサン。土壌由来のペニシリンなどの抗生物質、人間を冬眠させる目的でたどり着いたクロルプロマジン、さらに現在はヒトゲノムのDNAから得られるバイオ医薬品の候補がある。

19世紀の半ばにチバガイギー社(現在はノバルティス社)の科学者たちが、この宇宙の中にある薬になるかもしれない化合物の総数を計算した。その数なんと3×10の62乗種類、理解不可能なくらいの膨大な数である。
本書では、新薬探索における試行錯誤の比喩として、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説『バベルの図書館』が、何回か引き合いに出される。図書館は無数の6角形の部屋があらゆる方向に無限に連なり、各部屋の棚にはランダムな文字の組み合わせのタイトルが書かれた本が並んでいる。本の中身は1冊ずつちがい、ほとんどはナンセンスである。しかし叡智に満ちた本も稀にあり、それは「弁明の書」と呼ばれている。司書たちが「弁明の書」を探して館内をさすらう。ほとんどは一生かっても「弁明の書」に巡りあえない。製薬会社は、さまざまな構造の化合物からなるコレクションを持っている。著者は、「化合物ライブラリー」をバベルの図書館になぞらえ、ドラッグハンターを司書になぞらえている。

新薬開発は製薬会社にとって一か八かの博打のようなもので、映画制作に例えている。緻密な計算のもとに、最高の俳優を配して、十分な資金も調達して、いわば万全の体制を整え、当たるはずだと踏んで作られた映画が、『ローン・レンジャー』のことだが、大コケすることがある。創薬も同じような危険がつきまとうという。→人気ブログランキング

『遺伝子 親密なる人類史』 シッダールタ・ムカジー

がん研究者である著者は前作の『がん-4000年の歴史-』(『病の皇帝「がん」に挑む-人類4000年の苦闘』から改題)で、ピュリッツアー賞(2011年)を受賞している。幅広い知識と的確な比喩と巧みな話運びで、前作に比肩する内容である。

アリストテレスのメッセージの形で遺伝情報は伝えられるにはじまり、メンデルのエンドウ豆の実験から、遺伝子の生物化学的な解明、ゲンムの解読、遺伝子治療までの遺伝子にまつわる歴史が語られている。
そうした歴史とは別に、プロローグでは、著者の親族の3人が統合失調症や双極性障害と診断されたことを書いている。著者自身に高い確率で発症するかもしれない精神疾患に不安を抱いているのである。

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上
シッダールタ ムカジー/
仲野徹監修・田中文訳
早川書房
2018年2月
遺伝子‐親密なる人類史‐ 下
シッダールタ ムカジー
Siddhartha Mukherjee

そうした遺伝子の歴史だけではなく、優生学の標的となり断種手術を受けさせられた女性や、虚偽のデータに基づいてウイルスを用いた遺伝子治療が行われた男性など、歴史の犠牲者たちの生涯にも触れている。
また研究者たちの生い立ちや家族構成や人物像などのバックグラウンドや、ちょっとしたエピソードが語られて、研究者たちの息遣いが感じられ、まるで大河小説のようである。

後半は遺伝子学が直面する倫理的な問題に多くのページが割かれている。
遺伝子を操作することと、ゲノムを操作することはまったく話が違うと力説する。近い将来に予想される社会として、遺伝的な弱点が洗い出された男女と、改変された遺伝子を持つ男女が暮らす世界になるという。

〈生殖細胞系列の特定の遺伝子に「改変可能な」変異が存在することがわかったなら、両親には、精子や卵子の遺伝子を改変する遺伝子手術を受けるか、あるいは変異遺伝子を持つ胚の着床を避けるための着床前スクリーニングを受けるという選択肢が与えられる。このようにして最も重症なタイプの病気をもたらす遺伝子が、積極的な、あるいは消極的な選択によって、またはゲノム修正によって、ヒトゲノムからあらかじめ取り除かれる。〉

ミュータントを消し去ることで、人類の遺伝子のプールから病的な要素を生み出す遺伝子を消し去られる。遺伝子治療もしくは遺伝子操作の考え方がエスカレートすると、病気は次第に世界から消えて行くかもしれないが、それと同時にアイデンティティも消え、悲しみは消えるだろうが優しさも消えるだろうという。

完全な声明文マニフェスト(あるいはヒッチハイク・ガイド)を書くという課題は次の世代に任せるとして、13項目にわたるとりあえずの声明文を巻末に記している。→人気ブログランキング

遺伝子 親密なる人類史/早川書房/2018年
がん-4000年の歴史-/早川NF文庫/2016年

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『がん光免疫治療の登場』永山悦子 小林久隆(協力)

NIH(米国立衛生研究所)の小林久隆博士が開発した「光免疫治療」の臨床治験が、2018年3月から国立がん研究センター東病院で始まろうとしている。
「光免疫治療」は化学物質を結合させた分子標的薬(抗体)を静脈注射すると、薬ががん細胞と結びつき、それに近赤外線を当てると、化学物質が反応してがん細胞を破壊するというもの。アメリカで2015年に始めた治験では、他の治療で効果が認められなかった15人に行われ、14人でがんは縮小し7人はがんが消失したという。

がん光免疫療法の登場──手術や抗がん剤、放射線ではない画期的治療
永山 悦子 小林久隆(協力)
青灯社   2017年8月
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化学物質とは、新幹線などの車体の塗料に含まれる物質を水酸化させた「IR700」。「IR700付き抗体」を注射すると、抗体は全身のがんにたどりつき細胞膜にくっつく。そこに体外から近赤外線を当てると、「IR700」が水に溶けない性質に戻り細胞膜に傷がつく。細胞膜の傷から水分が入り込み、がん細胞が破壊される。この働きから「IR700付き抗体」を「ナノ・ダイナマイト」と名付けた。
細胞膜に1万個以上の傷がつくと、がん細胞が破壊されることが分かった。
この治療の利点は副作用が少ないことである。

がん細胞が破壊されると免疫の司令塔である免疫樹細胞ががんの存在に気づき、がんを攻撃する免疫の仕組みが作動し始める。がん細胞が破れない死に方では、樹細胞ががん細胞の死に気づかず免疫は誘導されない。

もうひとつの方法は、制御性T細胞を破壊する方法である。がん細胞が増殖するのは、体内の異物を攻撃する免疫が手出しできないように守られているためである。このがん細胞を免疫の攻撃から守っている「門番役」が、制御性T細胞。
制御性T細胞をピンポイントで攻撃した場合、目覚めたT細胞やNK細胞は制御性T細胞が守っていたがん細胞を攻撃するが、正常な細胞は攻撃しない。従って副作用は起こらない。
いったん目覚めたT細胞は、再び制御性T細胞と出会っても眠りにつくことはない。だから転移がんの周りに集まった制御性T細胞に邪魔されることなく、離れた場所のがん細胞も攻撃、破壊し続けることができると考えられる。
転移性がんが大きかったり、全身に散らばったりしている場合は、複数の場所のがんで制御性T細胞を破壊し、多くの攻撃型のT細胞を目覚めさせることで、一層攻撃力を高める方法が考えられているという。

オプジーボなどの免疫チェックポイント阻害剤を投与すると、がんを攻撃する免疫のみならず全身の免疫の働きが高まるため、自己免疫反応が避けられず、急性の間質性肺炎やⅠ型糖尿病など様々な副作用を起こす可能性がある。事実、副作用例が報告されている。

米国で治験を開始するための資金がなく足踏みしていところ、楽天の三木谷会長が資金提供をして研究の後押しをしたという。
ところで、光免疫療法の費用は10数万から数十万円と小林博士は見込んでいる。ちなみにオプジーボは3500万円。

小林博士の見通しによれば、「がん光免疫治療」は2〜3年後に厚労省の認可を得られ、10年以内には7〜8割のがん患者が使える抗体をそろえることができるようになるという。→人気ブログランキング

がん光免疫治療の登場/永山悦子  小林久隆(協力) /青灯社/2017年
がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ•ムカジー/早川NF文庫/2016年

『がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か』NHKスペシャル取材班

がん細胞の遺伝子を解析して、その結果をもとに行われる治療は「プレシジョン・メディシン(精密医療)」と呼ばれる。
本書は2016年11月に放送された番組『NHKスペシャル』に、2017年7月における最新情報を加味したものである。

がん遺伝子とは正常な細胞が持っている遺伝子の中で、変異する(傷がつく、DNA配列が変わる)と、細胞の異常増殖を引き起こす遺伝子のこと。がん抑制遺伝子とは細胞のがん化を抑制する遺伝子。正常な細胞ががん細胞に変わるきっかけとなるのは、がん遺伝子やがん抑制遺伝子にできた傷である。

がん遺伝子は、傷がつくことで遺伝子変異が生じて、異常なタンパク質が作られるようになり、このタンパク質が原因となって、異常な細胞増殖がはじまる。これががんの誕生である。
現在までに数100のがん遺伝子、100前後のがん抑制遺伝子がみつかっている。

がん治療革命の衝撃―プレシジョン・メディシンとは何か (NHK出版新書 527)

分子標的薬が標的とする分子は、主にがん細胞の異常増殖を促している異常たんぱく質である。分子標的薬はその異常たんぱく質と結合して働きを抑え込み、がん細胞の増殖を止める。
あるいは、がん細胞に栄養を運ぶ新たな血管を作る分子の働きを抑えて、がん細胞を兵糧攻めにするタイプ、また最近では、複数の分子を標的にするマルチターゲット薬と呼ばれる分子標的薬も開発されている。
分子標的薬のメリットは、効果が期待できるかどうか、治療の前に予想がつきやすいことである。しかし、分子標的薬は使い続けるとがんが耐性を獲得して、早ければ半年、長くとも数年で効かなくなることが多い。

がん細胞には正常な免疫細胞の攻撃を止める攻撃ブレーキボタンを押す機能がある。免疫チェックポイント阻害剤は免疫細胞のブレーキボタンをがん細胞から守る役割をもつ。免疫チェックポイント阻害剤の優れている点は、効き目が長く持続することである。
免疫チェックポイント阻害剤には劇的な効果があるため、がん治療にパラダイムシフトをもたらす新薬として注目されている。
現在、日本で保険が適応される免疫チェックポイント阻害剤は、オプジーボ(一般名ニボルマブ)、ヤーボイ(イピリムマブ)、キイトルーダ(ペンブロリズマブ)の3剤。

アメリカで動き出した次世代のプレシジョン・メディシンは、人工知能を使うというもの。がんに関する論文は世界で年間10数万件が発表され、1日では数百になる。IBMが開発したワトソン・ゲノミクスは、これらの情報をを学習し、患者のデータを入力し治療スケジュールを決める。その時間はわずか2〜3分だという。

プレシジョン・メディシンによりがん治療の考え方が根本から変わる。薬選びは臓器別から遺伝子変異別となる。がん治療は「あと5年で劇的に変わる」という。→人気ブログランキング

がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か/NHKスペシャル取材班/NHK出版新書/2017年
がん‐4000年の歴史-上下/シッダールタ•ムカジー/早川NF文庫/2016年

『花埋み』 渡辺淳一

本書は、日本の医師国家試験に合格した女医第1号である荻野ぎんの半生を描いている。
シーボルトの娘・楠本いね子が、女医の第1号として挙げられることがあるが、それは正しくない。ぎんより28歳年上のいね子は、明治3年に築地で産科を開業したが、その頃はまだ国家資格ではなかったので、極端なことを言えば、誰でも医者を名乗ることができた時代である。
なお、本書の「解説」を書いている吉村昭は著書『ふぉん・しほるとの娘』で、楠本いね子の生涯を描いている。

花埋み (新潮文庫)
渡辺 淳一
新潮文庫 1975年

ぎんは現在の埼玉県の旧家に生まれ、16歳で結婚したが、夫に淋疾をうつされた。順天堂病院で治療を受け、男性医師に局所の診察を受けることに著しい嫌悪を感じた。ぎんは女たちに同様の屈辱を味わいさせたくないとの思いで、女医を志した。
東京女子師範学校に入学したぎんは、それ以降、吟子と名乗るようになり、明治12年、第1期生として首席で卒業した。
医学を学ぶため、私塾の好寿院に入学した。男たちは吟子に執拗な嫌がらせをした。そんなイジメにもめげず、好寿院を優秀な成績で卒業した。
吟子は医術開業試験に合格し女医第1号となった。そして湯島に産婦人科荻野医院を開業し、大いに繁盛した。

やがてキリスト教に入信し社会運動に身を投じるようになった。
39歳のときに、周りの反対を押し切って13歳年下の男性と結婚した。夫はキリスト教徒の理想郷を作るという志のもとに北海道に渡り、数年後、吟子は後を追った。
夫婦で壮絶な苦労を強いられたにもかかわらず、夫は志半ばで病死した。吟子は札幌で開業しようとするが、吟子の習得した医術はすでに時代遅れのものになっていた。
失意のまま帰郷し、62歳で他界した。

吟子は札幌での開業をかつて医学を学んだとき助教師をしていた人物に相談する。すると「最近は、男の医師だからといって産婦人科の診察を拒む人などまずいません。女医である利点は少なくなっています」という。吟子が医者を目指した理由が、なんの意味をもたなくなったという衝撃的な答えが返ってきたのだ。

吟子は開業して3か月もすると、医者の限界を感じるようになったと著者は書いている。女医になったことで吟子の志は達成され、人生の目標を失ったのではないだろうか。それが猛反対を押し切っての結婚、名声を捨てての北海道行きにつながったのだろう。→人気ブログランキング

『エピジェネティクスー新しい生命像をえがく』仲野 徹

いま、エピジェネティクスについて、すごいスピードで研究が進んでいるが、あまり報道されず、本もあまり出ていないという。理由は、とっつきにくく理解が難しいからだという。本書はエピジェネティクスをわかりやすく解説する。

胎生前期に飢餓を経験した人は生活習慣病の罹患率が高い。また生まれたときの体重が低いほど、生活習慣病のリスクが高いという(バーカーの仮説)。
このことから、遺伝でもないDNAの塩基配列でもない、細胞におけるなにかが書き換えられそれが長期間にわたって維持するメカニズムが存在するのではないか。
さらに、一つの受精卵から、さまざまな細胞ができて器官を形成できるのはなぜか?
神経細胞や血液細胞のような細胞が、「それぞれの表現系を示すようになる過程において、遺伝子がどのように影響し合うのか」。
これらのメカニズムがエピジェネティクスである。

2008年に、〈エピジェネティックな特性とは、DNAの塩基配列の変化をともなわず、染色体における変化によって生じる、安定的に受け継がれうる表現系である〉という定義が提案された。
言い方を変えれば、エピジェネティクスとは遺伝子の働きをコントロールするメカニズムのことである。

分子生物学的には、エピジェネティクスは「ヒストンの修飾とDNAメチル化による遺伝子制御」である。
総延長1.8メートルにも及ぶDNAの2本の鎖が、わずか5マイクロメートル(1ミリメートルの200分の1)程度の直径しかない核の中にもつれずに収納されているのは、ヒストンという糸車に巻きついてコンパクトに折りたたまれているからである。
ヒストンは酵素による科学的修飾を受けることで、DNAの転写が活性化されたり抑制されたりしている。
エピジェネティックスな修飾とは、
①ヒストンがアセチル化を受けると遺伝子発現(転写)が活性化される。
②DNAがメチル化されると遺伝子発現は抑制される。
ことに集約される。

では、エピジェネティックな修飾はどういう場面で行われているのか。
遺伝子が動く現象には、DNA型トランスポゾン(転移)とレトロトランスポゾンがある。ヒトの遺伝子の40%はトランスポゾンされた遺伝子である。トランスポゾンは挿入先において突然変異を引き起こしうるので、その活性化は基本的に有害である。DNAのメチル化によって遺伝子発現が抑制された状態が保たれている。

アサガオの雀斑、小麦の春化、X線照射による突然変異の研究、ミツバチ社会における女王バチ、エピジェネティックな現象が関与している。
生後間もないラットを親がよく面倒をみるのとほったらかしのラットでは、ストレスに影響されにくい。セロトニンを介したエピジェネティック制御が影響を受ける。

エピジェネティクスで獲得した形質は、動物では遺伝しないが植物では遺伝子しうるという。つまり獲得形質が遺伝するということになる。
動物と植物の生殖細胞のできるタイミングの違いとDNA脱メチル化の違いから、植物では獲得されたエピジェネティックな変化が比較的容易に次世代に伝わりうるのである。実際に、環境ストレスなどによって生じたエピジェネティックな変化が、次世代に伝えられることが報告されている。

がんは突然変異が蓄積することによって発症する。突然変異を正常化することは不可能だが、エピジェネティックな異常は薬で操作が可能である。
DNAメチル化阻害剤だけでなく、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤も骨髄異形成症候群や急性白血病に治療に効果のあることが知られている。
エピジェネティックな状態を変化させることでがんを治療する、エピジェネティック創薬が脚光を浴びている。

エピジェネティクスについて、いまひとつ歯切れが悪いのは、〈言ってみれば、プレーヤーがわかり、それぞれのプレーヤーが何をするのかはわかっているが、ここのプレーヤーがゲノムのどの位置で働いているのか、どのようにしてそこで働くのかは、わかっていないのである。〉という。→人気ブログランキング

合成生物学の衝撃/須田桃子/文藝春秋/2018年
ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃/小林雅一/講談社現代新書/2016年
エピジェネティクス/仲野 徹/岩波新書/2014年
破壊する創造者ーウイルスがヒトを進化させた/フランク ライアン/ハヤカワNF文庫/2014年
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007年

『チーム•バチスタの栄光』海堂 尊

東城大学医学部附属病院の臓器統合外科・桐生助教授は、アメリカ帰りの凄腕心臓外科医。桐生率いるチーム•バチスタは、成功率60%といわれる拡張型心筋症に対する心臓小型化手術「バチスタ手術」の成功率100%を誇ってきた。その偉業はマスコミでも報道されたことがある。
それが、ここへきて3例の術中死が起こった。

新装版 チーム・バチスタの栄光 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
海堂 尊
宝島文庫  2015年10月

卒後15年目の神経内科田口講師は、病院長に呼び出され、バチスタ手術の術中死がリスク•マネジメント委員会の検討事案に値するかどうかの予備調査をして欲しいという。田口は不定愁訴外来、通称「愚痴外来」で1日限定5名の患者を細々と診療する窓際医師だ。
外部監査は、桐生自身が要請したものだった。

田口が、桐生を筆頭にチーム•バチスタのメンバー7名の聞き取り調査を順次行うなか、再びバチスタ手術が行われ、4例目の術中死が起こった。
田口はもはや手に負えないと、病院長にリスク•マネージメント委員会に委ねるべきだと進言した。

そこに現れたのが、厚生労働省大臣官房秘書課付技官・白鳥。
病院長が同級生の厚生労働省の局長に相談したところ派遣されたという。ぶっ飛んだ男・白鳥はアメリカ3泊4日、弾丸出張の帰国後その足で病院に駆けつけた。
白鳥が田口とともに、聞き取り調査を行うこととなった。

手術のビデオをすべて見たあとに、白鳥は事故ではなく殺人だという。
白鳥は、常識的な接し方をせず傍若無人。相手を傷つけても反省は皆無だ。白鳥は、論理を純粋に追求できる資質の持ち主で、そのことから「ロジカル•モンスター」の異名を持つ。白鳥が通った後はぺんぺん草も残らないことに由来し「火喰い島り」とも呼ばれている。
田口からすると、白鳥には論理に一貫性がないように思えるが、勘所は抑えている。

白鳥が留守にしている間に、バチスタ手術の予定患者が心臓発作を起こし緊急手術が行われた。白鳥の予告どおり、術中死となってしまった。
白鳥は死亡した患者の「Ai」を強く要求する。
そして死亡患者のMRI検査が行われ、犯人が突き止められる。→人気ブログランキング

「Ai」とは、オートプシー•イメージング(Autopsy imaging)・死亡時画像診断のこと。画像診断によって死因を検証する。
本作が発表された当時、日本ではAiの概念は浸透しておらず、Aiに目をつけた著者の慧眼は鋭い。そういう事情だから、白鳥はAiを行う前準備として、病院長に承諾を取り、病院長が放射線科部長を説得し、検査の際はMRI撮影室の周囲を人払いしている。

第4回「このミステリーがすごい!」(2005年)大賞受賞作。海堂尊の快心のデビュー作。
登場人物のキャラクターが巧みに描かれていて、アイデアに満ちあふれ、展開は緻密、医療ミステリーの傑作と評されるにふさわしい。

「このミステリーがすごい!」大賞受賞作
がん消滅の罠 完全寛解の謎』岩木 一麻(2016年)
女王はかえられない』降田 天(2014年)
チーム•バチスタの栄光』 海堂 尊 (2005年)

『がん消滅の罠 完全寛解の謎』

第15回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。巻末の選評では、4名中2名の選者が、「医療本格ミステリーの大傑作」と賛辞を送っている。
登場人物が描き切れていない感があるとしても、幾重にも仕掛けが施され、最後の1行にも驚きのトリップが仕組まれていて、ミステリの醍醐味を満喫できる。

がん治療の分野で学会では無名に等しい湾岸医療センターが、有名人や有力者たちに支持されている。その理由は、がんの早期診断と進行がんに対する独自療法により、飛びぬけた治療成績を上げているからだ。
呼吸器外科医の宇垣玲奈が手術を担当している。

【2017年・第15回『このミステリーがすごい!大賞』大賞受賞作】 がん消滅の罠 完全寛解の謎 (『このミス』大賞シリーズ)
岩木 一麻
宝島社   2017年1月
売り上げランキング: 74

日本がんセンターに勤務する呼吸器内科医の夏目が末期がんで余命半年と診断したシングルマザーが、完全寛解したという。夏目が書いた診断書によって保険給付金を受け取った末期がんの患者のうち完全寛解したケースは、このシングルマザーを含め4人いると告げられ、夏目は「ありえない」と思った。
高校時代からの友人で保険会社に勤める森川は、夏目に疑いの目を向けたが、夏目は潔白だった。
保険に加入して時間をおかず、保険金の支払い請求がされるケースを、保険会社は「早期事故」と呼び、慎重な調査を行う。いずれのケースも不正は見つからなかった。

湾岸医療センターの理事長は、10年前に夏目が大学に在籍していたときに、師事していた西條教授だった。教授が、突然、大学を辞めると言い出したとき、夏目が辞職の理由を尋ねると、「医師にはできず、医師でなければできず、そしてどんな医師にも成し遂げられなかったことをやるためです」と答えた。
教授室のホワイトボードに、「neoplasm(がん)」、「救済」、「TLS(腫瘍崩壊症候群)」という字が書かれていた。TLSとは、抗がん剤が著しい効果を発揮した際などに、腫瘍内部に蓄積されていた核酸、リン酸、カリウムなどが一気に血中に流れ出し、重度の電解質異常や急性腎不全を引き起こす病態のことである。これらの言葉に謎を解く鍵が隠されている。

森川が、湾岸医療センターに絡んだ保険金請求事例の社内データを調べると、二つの謎が浮かび上がった。
ひとつは、低所得者が末期がんと診断され、高額の保険金を手にしたあと、がんが完全寛解しているケースがいくつもあること。もうひとつは、早期がんと診断された有名人や社会的地位の高い患者が手術を受けたあと、転移が見つかり、抗がん剤治療を受ているケースが多いことである。
夏目たちは、二つの謎のからくりを解明しようと、湾岸医療センターの西條理事長と宇垣医師を探りだす。→人気ブログランキング

「このミステリーがすごい!」大賞受賞作
がん消滅の罠 完全寛解の謎』岩木 一麻(2016年)
女王はかえられない』降田 天(2014年)
チーム•バチスタの栄光』 海堂 尊 (2005年)

『サイボーグ化する動物たち』 エミリー・アンテス

バイオテクノロジーが、どのように動物たちにかかわっているかがテーマ。著者は旺盛な探究心で、会社や研究機関を訪れ担当者にインタビューし、それらの動物たちに会いに行く。原題は、『Frankenstein's Cat』。

最初のテーマは遺伝子組み換えである。米国では、サンゴやイソギンチャクのDNAを埋め込んだ観賞用の光る魚が、ペットショップで売られている。FDA(米食品医薬品衛生局)が許可した米国初の遺伝子組み換えペットである。
例えば、成長が早いサーモンや、人間にアレルギーを誘発する遺伝子をなくした猫を作ろうとしている。
ファーミングは単純な遺伝子操作によって、ヤギの乳やニワトリの卵から、人間の病気を治すための薬を抽出する方法のことである。

サイボーグ化する動物たち-ペットのクローンから昆虫のドローンまで
エミリー・アンテス/西田美緒子 訳
白揚社
2016年8月

遺伝子組み換えの動植物を販売する際には、FDAやEU当局の許可が必要である。規制当局は遺伝子組み換え動物の販売を容易に許可しない。また、ミュータントたちが研究室から抜け出すかもしれないことにも目を光らせている。

愛するペットを亡くした飼い主にとって、クローンは福音ともいえる技術だが、成功の確率が著しく低い上に、遺伝子が同じでも表現形が同じとは限らないのだ。ペットのクローンは今のところ商売にならない。
しかし、すでに何頭かのクローン牛が、米国最大の酪農産業博覧会で優勝していて、これらは種牛として活躍している。また、2012年には、国際馬術連盟がクローン馬を許可したという。

地球上にいる哺乳動物の1/4近くが絶滅の危機に瀕し、両生類ではおよそ1/3、鳥類では1/8が同様の状態であるという。動物の個体数は、最も多かった時点に比べて89%も減少してしまった。歴史上では5回の大絶滅が知られていて、5回目の大絶滅では恐竜が消え去った。多くの科学者は今が6度目のはじまりだと確信している。
冷凍動物園と呼ばれるDNAバンクは、マイナス225度に保たれている。大惨事が襲う前に、遺伝的多様性を保存しようとしているのである。

マグロ、ウミガメ、ゾウアザラシなどの海洋生物に、情報収集機器(タグ)を取り付け、データを集めている。データの解析から動物たちの知られざる生態が明らかになっている。

肢体が不自由な動物に、人工の装具をつけるリハビリテーションの分野がある。
漁船の網にひっかかり尾をなくしたイルカに、世界初の人工の尾びれをつけた。これを映画にしたのが『イルカと少年』(2011年)。
あるいは、去勢手術を受けた犬に人工睾丸をつける。これまでに49の国で25万匹以上が、CTI社の偽の睾丸が用いられたという。

猫やラット、甲虫や蛾やゴキブリに、電子機器を移植して自在に動かそうという試みがなされている。

最終章では、動物たちの権利と福祉について、心理学者ハロルド・ハーツォグの意見を紹介している。「(悩める中間域にいる人々は、)動物を心から愛しながら、たまには資源、物体、道具としての役割を負わせることもよしとする。動物を大切に扱うべきだと確信しながら、医学研究への利用禁止は望まない。家畜を人道的に飼育してほしいと気づかいながら、肉食をすっかりやめたくない。・・・私には、悩める中間域は完璧に筋が通っているという確信がある。モラルの窮地に陥るのは、大きな脳と寛大な心をもつ種では避けられないことだからだ」
著者は、動物の福祉を追求するために最新技術を活用すべきだと結論づけている。

6度目の大絶滅/エリザベス・コルバート/NHK出版/2015年
サイボーグ化する動物たち/エミリー・アンテス/白揚舎/2016
外来種は本当に悪者か?/フレッド・ピアス/草思社/2016年
爆発的進化論/更科功/新潮新書/2016年
ゲノム編集とは何か?/小林雅一/講談社現代新書/2016
がんー4000年の歴史/シッダールタ・ムカジー/早川NF文庫/2016
破壊する創造者ーウイルスが人を進化させた/フランク・ライアン/早川NF文庫/2014
生物と無生物のあいだ/福岡伸一/講談社現代新書/2007
人はどうして死ぬのかー死の遺伝子の謎/田村靖一/幻冬舎文庫/2010
できそこないの男たち/福岡伸一/光文社新書/2008
二重らせん/ジェームス・ワトソン/講談社文庫/1986年

『ふぉん・しいほるとの娘』上 吉村 昭

江戸後期から幕末・明治に至る時代を背景に、シーボルトとお滝(公的な妾)、その子孫たち、そして関わった人々を描いた大作である。上巻はシーボルトとお滝を中心に物語が展開し、下巻ではふたりの間に産まれたお稲とその娘タダ(高子)を中心に語られる。詳細な資料を元にする著者の実証主義がつらぬかれている。
本作は吉川英治文学賞(第13回 1979年)を受賞した。

ふぉん・しいほるとの娘〈上〉 (新潮文庫)
吉村 昭
新潮文庫
1993年年3月

1823年8月、オランダ商館付きの医官として長崎に着いたフランツ・フォン・シーボルトはドイツ人であり、オランダ語は日本人の通使より下手だったという。
シーボルトはオランダ政府から日本の国情調査を依頼されていた。つまりスパイの役割を担っていた。
シーボルトは、蘭方医の学習所兼診療所・鳴滝塾を開設する(1824年)。塾には、西洋の医学を吸収したいという日本の意欲あふれる医家たちが詰めかけ活況を呈した。
シーボルトは、門弟たちに惜しみなく医学を教え、日本の情勢をオランダ語で書かせレポートとして提出させた。優秀作品には賞を与えた。門弟たちにスパイ行為をさせていたことになる。

1825年(文政8年)2月、相次ぐ異国船の出没に、幕府は異国船掃攘令を発した。
4年に1回行われた商館長(カピタン)の江戸参府の旅に、シーボルトも同行した(1826年) 。
シーボルトは江戸に着くまで、各地で測量を行い植物を採取した。シーボルトの行く先々で、学者たちや大名たちがシーボルトに会いに宿舎に来訪した。
江戸では、シーボルトはさまざまな人物に会い、日本地図をはじめ数々の国禁の資料を手に入れた。

17歳の滝は「オランダ行き」と呼ばれるオランダ人向けの遊女で、27歳のシーボルトの妾になった。やがてお稲が生まれる(1827年)。
お稲が生まれて1年2ヶ月を経た頃、シーボルトは帰国の準備を始めた。
収集した1000種に及ぶ植物や日本地図を含めた膨大な資料を、オランダ船に乗せ長崎から持ち出そうとしたが、九州地方を襲った大暴風雨によって、シーボルトが帰国に使う船が坐洲してしまった。
これはシーボルトに疑いの目を向けていた幕府にとって好都合なことだった。

幕府の下知状が早飛脚によって長崎幕府にもたらされた。
シーボルトの所持している日本地図、蝦夷地図をはじめとする国禁の品々を取り戻し、シーボルト及び禁制の品々の譲渡に関係した者たちの取り調べを行うようにとの内容であった。
江戸では幕府の天文方・高橋作左衛門をはじめ、シーボルトに日本国の国禁の資料をわたした嫌疑で、シーボルトに接した人物が次々に捕まり、重罪となった(シーボルト事件1828年)。
したたかなシーボルトは、幕府の厳しい詮議をなんとかかわし、長崎を去ったのは、1829年12月であった。お稲は2歳半であった。

お滝は遊女の籍から解放され、関問屋俵屋の時次郎と結婚した。情が厚い時次郎はお稲を引き取った。お稲は寺子屋で評判になるほど聡明であった。
1840年、13歳のお稲は、お滝の反対を押し切って、シーボルトの弟子であった宇和島藩領卯之町で医業を営む蘭方医・二宮敬作に師事するために旅立った。
この時、お稲は混血児である自分は普通の結婚生活はできないと、悟っていた。

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