料理

『カレーライス進化論』水野仁輔

最近の日本のカレー業界の隆盛ぶりは眼を見張るものがあるという。
金沢市を本拠地とする「ゴーゴーカレー」がニューヨークに出店して10年となり、今やニューヨークに6店舗、マサチューセッツに1店舗があり、さらに開店を計画しているという。
かつてニューヨークに出店した「吉野家」は撤退し、「牛角」「一風堂」「大戸屋」は事業を拡大できずにいるのを尻目に、「ゴーゴーカレー」のカツカレーが受け入れられている。

カレーライス進化論 (イースト新書Q)
カレーライス進化論
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水野仁輔
イースト新書Q
2017年5月

一方、ココイチの店舗数は2017年2月現在、1457店舗、国内は1296、海外は160。カレー専門店は日本で6000軒あるが、50店舗を超えているのはココイチとゴーゴーカレーだけ。なぜココイチはこれほど店舗数を増やせたのか、理由は味と人を育てることだという。
ココイチを運営する壱番屋は2015年、TOBによりハウス食品に傘下に入った。
ハウス食品はハウスバーモントカレーの中国での販売戦略として、まずはココイチでカレーライスを普及させ、同時にレトルトカレーを販売し、そしてカレールウを販売する作戦を遂行している。カレーを人民食にという目標を掲げ、おびただしい回数の試食会を催しているという。

日本のカレーのルーツはイギリスである。
イギリスでは二つの系統のカレー料理が生まれた。ひとつはカレー粉を使ったサンデーローストの余り肉のカレー料理、これはブリティッシュカレーのひとつである。
もうひとつは、イギリス人とインド人女性が結婚した家庭から生まれたアングロインディアンカレーの代表「チキンティッカマサラ」というカレー料理。骨なしのタンドリーチキンといったところ。

日本のカレーには4つのタイプがある。「ホテルのカレー」「洋食屋のカレー」「欧風カレー専門店のカレー」「家庭や給食のカレー」である。
これらは、調理テクニックの違いで分類されている。欧風カレーは、神保町の「ボンディ」で生まれた。デミグラスソースをカレーに入れたもの。ブイヨンを使うホテルのカレーはブリティッシュカレーに、洋食屋のカレーは海軍カレーにそのルーツがあるという。→人気ブログランキング

カツカレーは、1918年に、浅草の洋食屋「河金」で生まれた。著者はカツカレー誕生100周年のイベントを企画したいという。

カレーライス進化論/水野仁輔/イースト新書Q/ 2017年
カレーライスと日本人/森枝 卓士/講談社学術文庫/2015年

『アンソロジー そば』

そばの話は落ち着く。野趣豊な食べ方もあれば、なんの変哲もない日常の食べ方もあれば、上品な食べ方もあるのがそばだ。そばは歴史が語られる。それも室町時代や江戸時代のことだから重みがある。そばには救荒作物という要素もあるから軽くない。
ところで、本書の紙質はわら半紙のようにザラついている。そばの質感をイメージしたのではないかとの穿った見方もできるが、コストを抑えたのかもしれない。ところが、お世辞にも出来がいいとはいえないそばの写真が、キャプションなしでところどころ挟み込まれている。暗かったりピントが甘かったりしているが、これはこれで高度な写真のテクニックが使われているのだろう。カラーだからそれなりの経費もかかるだろう。帳尻があっているのかもしれない。ちなみに写真が載ってるページの紙は裏面はざらざらだが、表面はつるつるしている。
ともあれ、そばは渋い大人がエッセイの題材にする食べ物である。味の濃い ぎとぎとを好む若者向きではない。
本書はそんな書き手が揃っている。→人気ブログランキング

アンソロジー そば
アンソロジー そば
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池波正太郎 ほか
PARCO出版   2014年12月

「蕎麦」池波正太郎 「蕎麦に寄り添う」島田雅彦 
「並木藪蕎麦 江戸前ソバの原点」杉浦日向子
「浅草 並木の藪の鴨なんばん」山口瞳
「噺家と蕎麦」五代 柳亭燕路  「あほのそばっ食いの最期」町田康
「蕎麦屋」吉行淳之介 「そば命」群ようこ 「いたちそば」東海林さだお
「蕎麦」松浦弥太郎  「そばよ!」川上未映子 「ざるそばの15分」入江相政
「人生はそばとうどん」福原義春 「博多うどん好きのそば狂い」タモリ 
「蕎麦すきずき」神吉拓郎 「名月とソバの会」獅子文六
「蕎麦屋の客人」小池昌代 「そば屋で夜遊び」中島らも
「そばの都、東京」尾辻克彦 「新蕎麦ー長月」川上弘美
「母のそば」丸木俊 「映画とそば」田中小実昌
「天おろしそばの日」荷宮和子 「そばという食べ物」吉村昭
「海辺の夕暮れ、至福の蕎麦」山下洋輔 「でっこびかっこび そばの旅」平松洋子
「そばと湯で温まる」川本三郎 「夢見蕎麦」村松友視
「最高の蕎麦」立松和平 「わんこそば」渡辺機恵子
「わんこそば」黒柳徹子 「旅の記憶にまじるもの」佐多稲子
「ソバはウドン粉に限る」色川武大 「ソバの味」太田愛人
「初めてソバを打つ」南らんぼう 「年越しそばと雑煮」大河内昭◯
「蕎麦汁の味」立原正秋 「わが家の年越しソバ異変」檀一雄

アンソロジー そば/PARCO出版/2014年
アンソロジー 餃子/PARCO出版/2016年
アンソロジー カレーライス‼︎/PARCO出版/2013年
アンソロジー ビール/PARCO出版/2014年
麺と日本人/角川文庫/2015年
ずるずる、ラーメン(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
ぷくぷく、お肉(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
つやつや、ごはん(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
ぐつぐつ、お鍋(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年

『ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』

本書は約130年前に、ラフカディオ・ハーンが書いた『クレオール料理』の抄訳である。抄訳とする代わりに、ハーンがクレオールの諺をまとめた『ゴンボ・ゼブ』から食べ物に関するいくつかの諺を載せ、さらにハーンが新聞に書いたエッセイやイラストも採用されていて、飽きさせない構成になっている。
1998年にTBSブリタニカより発刊された同名の本の復刻版。

ハーンは明治時代(1890年)に来日し、松江で英語教師として教鞭をとり、日本人女性と結婚し、帰化して小泉八雲と名乗った。その後、ハーンは東京帝国大学で英文学を教えるようになり、怪談話を執筆したり日本文化を英語圏に紹介したりした。こうした日本での業績は知られているが、アメリカでのハーンについてはあまり知られていない。
ハーンがなぜクレオール料理の本を執筆したのか、そのあたりのことは、冒頭の「ハーンとクレオール料理」で、監修者が紹介している。

復刻版 ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本
ラフカディオ・ハーン/河島弘美 監修 鈴木あかね 訳
CCCメディアハウス
2017年3月

ハーン(1850年〜1904年)は、1850年にアイルランド人でイギリス陸軍医の父とギリシャ人の母との間にギリシャで生まれた。そのあと、一家はアイルランドに引っ越すが、母親が土地の暮らしに馴染めず帰国してしまい、また父親は別の女性と結婚してしまった。ハーンは大叔母に引きとられ少年時代を過ごすが、大叔母が破産したため、19歳でアメリカに渡った。オハイオで職を転々としたのち、27歳でニューオリンズの新聞記者として活躍しはじめた。その活躍ぶりは、〈当時ハーンの書いた文章を見ると、センセイショナルな犯罪記事をはじめ、物語、エッセイ、文芸評論など驚くほど多方面に及んでいる。〉と書かれている。

ハーンはニューオリンズのクレオール文化に興味をもった。美味しい料理を提供してくれるコートニー夫人と出会い、食べることになみなみならぬ関心を示したという。ハーンは、1884年にニューオリンズで開かれる博覧会に向けて『クレオール料理』を執筆した。その内容は、〈およそ家庭で作ろうとする食物でここに載っていないものがあろうかと思うほどである〉という。

クレオールとは、ルイジアナ地方に入植したフランス人とスペイン人およびその子孫をさすが、一般的にはフランス系やスペイン系の人々と有色人種の間にできた混血の子孫をも意味するようになった。さらに、クレオール料理とは、ニューオリンズ地域に発達した複数の食文化が混合してできあがった料理のことである。

本書にはレシピのみならず、料理の基礎から盛り付け、ワインの選び方まで料理全般について書かれている。例えば、美味しいパンを作るためのイースト菌の保存の仕方とか、亀のさばき方とか、冷静肉を美味しく盛りつける方法など。
冷蔵庫がない時代なので、防腐の意味合いもあるのか何種類ものピクルス料理が紹介されている。そのなかに、〈卵のピクルス〉というのがあって、要するにゆで卵の酢漬けなのだか、「冷製肉の付け合わせとしてこれに勝るものはないというほど」だそうだ。

獣肉・鳥類・鹿肉料理のための45種類のソースが紹介され、ケーキやお菓子、デザートにはかなりのページ数(全体の1/3以上)が割かれている。
もちろん、現在も使えるレシピである。→人気ブログランキング

食べるアメリカ人』 加藤裕子 13/03/11
アメリカの食卓』  本間千枝子 12/05/18
ジュリー&ジュリア』 (DVD) 12/05/15
クスクスの謎―人と人をつなげる粒パスタの魅力 』 にむら じゅんこ 12/04/08

『エスカルゴ兄弟』津原泰水

本物のエスカルゴ料理が看板メニューの店をオープンさせ、軌道に乗せようと悪戦苦闘する人たちの物語。
著者のグルメ蘊蓄が炸裂し、ストーリーのキーとなっている。

編集社に勤める柳楽尚登(なぎらなおと 27歳)は、エスカルゴ専門店の厨房を任されることになった。エスカルゴ料理の店を出す理由は、絶滅寸前のブルゴーニュ種エスカルゴ「ポマティア」の完全養殖に成功した人物を、カメラマンの雨野秋彦が取材したことがきっかけであった。社に出入りする秋彦の話に社長がのったのだ。

エスカルゴ兄弟
エスカルゴ兄弟
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津原泰水(Tsuhara Yasumi
KADOKAWA/角川書店
2016年8月

開店に向けて、秋彦の父親がやっている立ち飲みモツ煮込み屋のリニューアル計画は、尚登の意志に関係なく進んでいて、店名は秋彦がこだわる「ぐるぐる」を意識して「スパイラル」になった。
モツ煮込み屋の看板娘・白髪の剛さんは「解雇されるから来るな」というし、秋彦の妹・梓は「上手くいくわけない」と、尚登にとってまったく旗色が悪い。

実家が讃岐うどん屋の尚登は、松坂のエスカルゴ・ファームに研修に行ったさいに、コシが命の讃岐うどんの宿敵である、ふにゃふにゃ食感の伊勢うどん屋の看板娘・ソフィー・マルロー似の桜に一目惚れしてしまう。そんな桜には、喉越し抜群の秋田稲庭うどんの老舗から縁談がきて、うどんの名産地が三つ巴の状況になる。

リニューアルにさいし解雇した剛さんを拝み倒して再雇用したことで、店はなんとか軌道に乗りつつあったが、尚登の出向取り消しという社長の無軌道な命令が下る。思いつきで事を決断する社長と秋彦に、尚登は振り回されるばかりである。
この危機に、料理に天賦の才をもつ梓が厨房に入るのだが、そうそう上手くはいかない。

終章は「続編に続く」を匂わせている。

『カレーライスと日本人』森枝卓士 

カレーライスの古典の名著が文庫で復刻された。本書の原本は、1989年に講談社現代新書として発刊されている。
カレーライスのルーツ探りからはじまる。
まずは、インドを取材するが、インドのカレーが日本に伝えられたという証拠をつかめないまま、著者はイギリスに渡る。

カレーライスと日本人 (講談社学術文庫)
森枝 卓士
講談社学術文庫 2015年8月

イギリスでの対応は、そんなこと調べてなんになるのかという冷たいものだった。
それでもめげず、今はネスレの傘下にあるC&Bの本社を訪ねる。
C&B社には資料がなかったが、以前に日本のテレビ局の取材で、C&B社がカレー粉を初めて商品化したことを知らされたという。
1884年の商品リストをみるとピクルス、ビネルガー、サラダオイル、肉魚の缶詰...など56項目あって、カリーパウダー&カリーペーストは28番目に載っている。このカリーパウダー&カリーペーストが日本に伝わり、カレーライスになった。

では、日本国内でのカレーはどのようにして広まったのか。
驚くことに、初めてのカレー料理の記載は、明治5年(1872年)発刊の『西洋料理指南』のカエル肉のカレーだという。明治19年(1886年)の『婦人雑誌』にカレーの作り方の記載があり、玉葱を使っているが、今のような野菜は入らない肉のカレーである。明治31年(1998年)の『日本料理法大全』にはカレーライスが登場し、カレーライスが和式洋食の座を獲得したといえるという。
夏目漱石の『三四郎』(1908年)に、カレーが出てくる。
『家庭実用献立と料理法』(大正4年刊、1915年)に、やっと具が入ったカレーが登場する。明治時代の「ソース型カレー」が、大正時代になって「シチュー型カレー」になった。

そして軍隊でカレーライスが採用され、調理法が広まっていった。軍隊でカレーが重宝された理由は一皿で栄養のバランスが良いからであった。
ちなみに、おふくろの味として君臨する肉じゃがも軍隊が発祥である。
昭和38年(1963年)、ハウス・バーモントカレーが発売されてから、家でカレーを作るといえばカレールウをと使うことが常識になった。

カレー粉がイギリスではなくインドから入ってきていたら、日本がカレー王国になったか疑問であるとし、日本には、欧米から学ぶことをありがたがるが、アジアのものだと見下す意識があったからという。

補遺では、これからは札幌のスープカレーのように、その地方特有のカレー文化が広まるのではないか。なぜならカレーは融通無碍だからと結ぶ。

『バルサの食卓』上橋菜穂子・チーム北海道

ファンタジー小説『狐笛のかなた』『精霊の守り人』『獣の奏者』『天と地の守り人』などで、著者が発案した料理を実際に作ってみて、レシピを紹介し、その料理に関するエッセイが挟み込まれて構成されている。バルサは「守り人シリーズ」の主人公で、短槍使いの女用心棒。

バルサの食卓 (新潮文庫)
上橋 菜穂子 チーム北海道
2009年8月 ★★★★

物語に登場する料理を本にまとめるアイデアは、『小さな家の料理の本』『赤毛のアン レシピ・ノート』『ムーミン・ママのお料理の本』『鬼平料理帖』など、本作以外にもいくつかある。

料理は『南極料理人』で有名な西村淳氏が担当し、そのほか西村氏の奥様や写真家などが、チーム北海道として参加している。

各作品に描かれている著者のオリジナル料理は、野趣豊かである。それを料理人が現代風にアレンジしている。
例えば「サンガ牛の炙り焼き」はエスニック感が漂うが、アレンジされた料理は「牛肉のローストビーフ風」となる。
詳しいレシピが載っているので、料理作りに挑戦することもできる。
料理の匂いすら漂ってくるような気がして、料理が登場する作品を読みたくなる仕掛けになっている。

→『精霊の守り人
→『闇の守り人
→『夢の守り人
→『虚空の旅人
→『神の守り人
来訪編

→『神の守り人
帰還編
→『蒼路の旅人
→『天地の守り人
第1部 ロタ王国編

→『天地の守り人
第2部 カンバル王国編

→『天地の守り人
第3部 新ヨゴ皇国編
→『流れ行く者
守り人短編集

→『バルサの食卓

→『孤笛のかなた
→『鹿の王 上下

『全国駅そば名店100選』鈴木弘毅

かつて、中央線御茶ノ水駅の神田駅側の出口から50メートル下ったところにあった立ち食いそば屋に、頻回に立ち寄った。「天玉そば」をよく食べた。
駅そばの定義は、駅構内または駅周辺(徒歩5分以内)に立地していること。安い早いセルフ、それと立ち食いであることの5項目。

全国駅そば名店100選 (新書y)
鈴木 弘毅 (Suzuki Hiroki
2015年2月

以前は優遇されアグラをかいていた感もあった駅そばだが、最近はコンコースや駅ナカに他のファーストフードの店が進出して、また駅前にもファーストフードやコンビニが出店して競争が激化しているという。
著者は、駅そばをいわゆる街の中の蕎麦屋と比較するのは、吉野家と料亭を比べるようなものだという。駅そばは、旨い不味いよりも、どれだけ話題を提供してくれるかで評価されるべきもののようだ。
駅そば発祥の地が軽井沢駅だというのは意外だ。→ブログランキングへ

BS放送の久米書店で本書が紹介され、著者は次のようなことを言っていた。
たぬきそばで、その店の実力がわかるのだそうだ。
女性を取り込めば、男も寄ってくる。
駅のホームだけではやっていけない、営業努力が必要。
駅そばで町おこしをしたところもある。

『料理長が多すぎる』レックス・スタウト

世界各地から選ばれた10名の有名料理人が架空の保養地カノーワ・スパに集まって、晩餐会が開かれる。
その前の夜に味見コンテストが行なわれ、嫌われ者の料理長が殺された。
殺された料理長は、回りを蹴落としてのし上がって功をなし名を遂げた人物である。
集まったほかの誰もが殺されて当然だと思っているような野心家だ。
同僚の料理長から女房をかっさらってもいる。女房を奪われた調理長も、その女房もカノーワ・スパに集まっている。

料理長が多すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 35-1)
レックス・スタウト
平井イサク 訳
1978年10月

晩餐会に招待されていた探偵のネロ・ウルフによって、犯人探しが行なわれるのだが、蘭とビールを愛するネロはもちろん美食家、体重はざっと310ポンド(140キロ)ある。別名、安楽椅子探偵と呼ばれている。
ネロが歩き回ることはごく限られているため、どでかいネロの手足となって謎解きの手助けをするアーチー・グッドマンが「私」。
料理がそこかしこに現れて、食に興味がある者にとって楽しい謎解きタイプのミステリである。
晩餐会の料理にはアメリカ南部の素材が使われている。その晩餐会のメニュー表は以下。(2009年3月)→ブログランキングへ

ウェストヴァージニア州 カノーワ・スパー
1937年4月8日 木曜日
<アメリカン・ディナー>
殻つきベークド・オイスター
テラピン メリーランド風 型抜きビスケット添え
パン・ブロイルド・ヤング・ターキー
ライス・コロッケ マルメロ・ゼリー添え
リマ・ビーンズ クリーム煮 サリー・ラン
<スタウト流アヴォカード>
パイナップル・シャーベット スポンジ・ケーキ
ウィスコンシン・デーリー・チーズ ブラック・コーヒー

『ずるずる、ラーメン』

ラーメンに関するのエッセイ31作と漫画1作が収録されている。
筆者たちが、ラーメンに求めているのはタイトルから感じ取れるように、ジャンクさである。粗野で正統でないもの、悲哀や懐かしさを感じさせるもの。それゆえ、悲しいかな毒のような扱いをされても、決して栄養のバランスがいいとは論じられない食べ物が、ラーメンである。
それは、中華料理店のラーメンであろうと、ラーメン屋のラーメンであろうと、インスタントラーメンであろうと同じである。

ずるずる、ラーメン (おいしい文藝)

河出書房新社
2014年6月

・「なんだ、コレハ」のラーメンを食べた話。「駅路地裏裏ラーメンの謎」椎名誠
・ついラーメン3杯を食べてしまった。「度を越す人」宮沢章夫
・なじみのラーメン屋の一時閉店の事情。「相撲とラーメン」川本三郎
・山形の冷やしラーメン。「はっこいラーメン」角田光代
・親父と水商売系の若い女がやっている店。「麗しの愛人ラーメン」池上永一
・旨い味噌ラーメンを出した札幌のラーメン屋が閉店。「幻のラーメン」吉村昭
・天下一品でこってりラーメンと唐揚げ定食をつい食べてしまう。「すべてはこってりのために」津島記久子
・花粉症の原因であるぶた草を探そうと自転車で出かけて、たどり着いたとんでもないラーメン屋。「悪魔のマダム」久住昌之
・天願屋でラーメンを食べる。「静謐なラーメン」町田康
・ラーメンを食べる女性が増えることを願う。「ラーメン女子の実態」島本理生
・外国での取材旅行から帰ったら、絶対ラーメン屋に直行する。「ソウルフードか、ラーメンか?」内澤旬子
・中国で仕事をする弟が日本に帰国したときに食べたがるのはラーメン。「ラーメン」内館牧子
・午後2時のラーメン屋にてラーメンが出てくるまで。「午後2時のラーメン屋」東海林さだお
・札幌のラーメンは帰るための儀式。村松友視
・酒を飲んだ後にラーメンを食べることは、死の欲動(タナトス)としての塩漬けになる、という御高説。「タナトスのラーメン」千葉雅也
・母親と食べた屋台のラーメンにはじまり、冷やし中華は安物にかぎると結ぶ。「屋台のラーメン」林静一
・高校の寮住まいのころの、ラーメン屋と焼肉屋の思い出。「仙台のラーメンとホルモン焼き」丸山健二
・タンメンと焼き餃子は大田区が発祥。「焼き餃子とタンメンの発見」片岡義男
・小津安二郎監督の話。「支那そば大会」池部良
・『にっぽんラーメン物語』に書かれている、日本で最初にラーメンを食べた人物が水戸光圀という説は根拠が希薄である。「日本ラーメン史の大問題」丸谷才一
・真夜中にインスタントラーメンを作って食べる話。「真夜中のラーメン」北杜夫
・日本のラーメン、ワンタンはさっぱり旨くないが、シュウマイはちらほらいいのができるようになった。「ラーメンワンタンシューマイヤーイ」開高健
・台湾で食べた絶品のラーメンと小籠包。「元盅土鷄麺という名のソバ」古波蔵保好
・ニンニクたっぷりのベトナムラーメンを食べさせる店で、エロ写真展を開いた話。「カルロ・パンティとベトナムラーメン」荒木経惟
・行きつけの店で、〆に食べたヨーグルト入りトルコ風ラーメン。「トルコ風ラーメン」馳周
・ラーメン大好き小池さんのお嫁さんが3食手料理を作ってくれるのはいいが、インスタントラーメンを食べたいと言い出せない小池さんの葛藤。「あこがれのラーメン」藤子・F・不二雄/藤子不二雄A
・サッポロ一番みそラーメン歴37年。「わが人生のサッポロ一番みそラーメン」森下典子
・試食したチキンラーメンに始まるインスタントラーメンとの付き合い。「ラーメン時代」曽野綾子
・ビルマでカップヌードルを食べた話。「仏陀のラーメン」沢木耕太郎
・カップラーメンは容器の形が絶妙で量もちょうどいいが、カップ焼きそばは多すぎて持て余すといったようなことが書かれている。「ラーメンに風情はあるか」吉本隆明
・カップラーメンの雲呑麺に書かれている「至福の一杯」という言葉に惹かれる。「最近の至福」江國香織
・節約してラーメンを食べるのは健康という高い代価を払うこと。「ラーメン」石垣りん→ブログランキングへ

『世界の野菜を旅する』玉村豊男

食の大国フランスへの留学経験がある著者は、野菜のルーツを求めて旅し自ら野菜を栽培し資料を渉猟して、野菜と食に関する薀蓄が満載された本書を書いた。
伝わってきた穀物や野菜によって、その土地の文化や歴史が、それまでとはまったく違ったものになってしまうことがある。例えば、わが国が瑞穂の国となったのは大陸からの渡来人がコメを持ち込んだおかげであるし、戦後にパン文化が広まったのはアメリカ政府の強引な小麦販路拡大政策のせいである。
穀物や野菜を通して歴史的な出来事を見ると別の視界が開けてくるのである。

世界の野菜を旅する (講談社現代新書)
世界の野菜を旅する
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玉村豊男(Tamamura Toyoo
講談社新書
2010年10月 ★★★★★

本書に書かれている野菜にまつわる歴史的な出来事を挙げると、
ジャガイモがヨーロッパにもたらされたのは、1532年にスペインのフランシスコ・ピサロたちがペルーを征服したときである。持ち帰ったジャガイモが教皇に献上された。ジャガイモは貧者のパンと呼ばれ、飢饉をのり越えるための救荒作物として、ヨーロッパからスカンジナビア、イギリスやアイルランドに広がっていった。
ヨーロッパにおいてベト病がジャガイモを襲い飢饉が起こった1845年からの7年間で、アイルランドでは150万人が餓死し、150万人がアメリカに移住した。アイルランドが麦の栽培を止めて、主食をジャガイモに切り替えたことが悲劇につながったという。

コロンブスがコショウを求めてカリブ海に迷い込み、インドと思って先住民をインディアンと呼び、さらに、トウガラシをコショウと信じ込み、食物史における大間違いを犯してしまったというのは有名な話である。ちなみに、トウガラシが原料なのに九州特産の柚子コショウが柚子トウガラシと呼ばれないのは、コロンブスのせいである。柚子コショウの方がネーミングとして魅了的ではある。
ヨーロッパがコショウ、グローブ、ナツメグ、シナモン、クミン、カルダモンなどの香辛料を必要としたのは、肉の保存ためだった。著者は、香辛料をまぶした腐りかけたジビエのえも言われぬ旨さが、貴族たちを魅了したのではないかという。

17世紀にh入り、西インド諸島でサトウキビから砂糖が作られるようになり、その砂糖がヨーロッパに持ち込まれ、最後はデザートにするというフルコースの順番が確定したという。ちなみに、デザートはサービスするの反対語で、テーブルの上のものをすべて下げる行為をいう。これで前半戦は終わり、ここからお待ちかねの後半戦という区切りの意味する言葉。
西インド諸島でサトウキビ栽培や砂糖生産に、アフリカから1000万人もの黒人が奴隷として送られた。これが、アメリカ大陸にその後も続く奴隷制度の悲劇をもたらしたのである。
ヨーロッパでは、地中海周辺の南の地域でしかサトウキビは栽培できなかった。ナポレオンが甜菜糖(ビーツ)に目を付け、フランスで甜菜糖の栽培に成功し砂糖を作ることができるようになり、砂糖の値段が下落したという。さらに、ナポレオンが戦争のための食料の保存法に懸賞金をかけ、缶詰が開発されたという。ナポレオンは食の歴史にも大きな足跡を残していた。
とういうような蘊蓄が、たっぷりと書かれている。→ブログランキングへ

『学校は食卓である』玉村豊男 講談社新書 2010年
世界の野菜を旅する』玉村豊男 講談社新書 2010年
『料理の四面体』玉村豊男 中公文庫 2010年

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