料理

『ねじ曲げられた「イタリア料理」』 ファブリツィオ・グラッセッリ

著者はかつて日本の大手ゼネコンに建築家として1年間招聘された。日本が気に入り、慶応大学で都市論や建築史・西洋美術史を教えたり、イタリアの食や文化についての本を書いたりマルチな活躍をしている。ダンテ・アリギエーリ協会の東京支部長。
本書はイタリアの食についての近代史。

まずはトマトについて。
16世紀新大陸からヨーロッパにもたらされたトマトは、18世紀の半ばに初めて貴族の食卓に上り、19世紀の終わり(日本では明治の中頃)に、やっとイタリアの南部でトマトソースが登場した。トマトの水煮缶詰が市場に出回るようになり、イタリア料理にトマトソースが定着した。
フランス人科学者のパスツールが発明した低温加熱殺菌法(パスツール法)により、トマトの水煮缶詰が可能になった。

ねじ曲げられた「イタリア料理」 (光文社新書)
ファブリツィオ・グラッセッリ /水沢透 訳
光文社新書
2017年9月

次はピッツァ。
ピッツァの元祖は壊れたようなパンに具材を乗せ塩を振りかけたもので、ナポリの日雇い労働者のファーストフードだった。「現代ピッツァの誕生」は、1889年、王妃マルガリータがナポリを訪問したときに、庶民の食べ物を所望したことによる。
バジリコとモッツァレラとトマトソースで、新しい国として統一された(1871年)ばかりの三色旗を表した。のちに「マルガリータ」と呼ばれる創作ピッツァが献上されたのである。しかし、この三色旗ピッツァはイタリヤではあまり広まることはなかった。
ピッツァを広めたのはアメリカのイタリア人移民である。1905年にニューヨークでピッツェリアが売り出した三色旗ピッツァが、瞬く間に全米に広がった。
イタリアにマルガリータを広めたのは、第二次世界大戦で敗戦したイタリアに駐留したアメリカ人兵士である。またイタリアで伝統的なピッツァが広まったのは1970年代に入ってからのこと。
ちなみにピッツァの消費量は、ノルウェーが1位、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリアの順、日本は9位。

オリーブオイルについて。
まだ熟していないオリーブから生産されるエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルは、かなり最近になって登場した。その基準をEUが1991年に規定し、化学的な処理を行わず、他のオイルを混ぜることなく、酸度が0.8g以下(ヴァージンオイルは2.0%以下)のもので、苦味とピリピリした辛味が強い。
なお日本のエクストラ・ヴァージンのJAS規定は酸度が2.0%以下。
1960年代までイタリアでは、食用油としてラードやバターが用いられていた。オリーブオイルは、熟したオリーブから作る味がライトなものが用いられていた。1970年代に入ってイタリア料理が世界に普及し始めた頃、アメリカのイタリア系移民がイタリア料理に影響を及ぼした。エクストラ・ヴァージン・オイルを用い、それ以前のイタリア料理に比べて、素材に火を通しすぎない「クチーナ・モデルナ」と呼ばれる現代風のイタリア料理が流行った。
EUの規制では、エクストラ・ヴァージン・オイルとヴァージン・オイルは、原産地と製油所を明記することが義務付けられている。ただイタリア産という表記しかなかった場合には、イタリア国内で瓶詰めしただけという製品かもしれない。さらに、日本ではエクストラ・ヴァージン・オリーブオイル至上主義がまかり通り、偽装がほどこされた製品が出まわっている可能性が高い。

次はエスプレッソについて。
イタリア式コーヒーが、他のどこの国とも違ったアロマと独特な味わいを持っているのは確かだと著者は言う。エスプレッソ、カプチーノ、カフェラテ、マキアート、バリスタ、さまざまなイタリア語がいまやカフェ文化の「公用語」として用いられている。コーヒーが西洋世界に伝わったのはヴェネツィアが最初だった。近代コーヒー文化はイタリアで誕生したといっても過言でない。

イタリア人が自国の食に誇りを感じるようになったのは、そんなに昔のことではないという。いまや食に最も厳しい目を持っているのはイタリア人ではないだろうか。
日本で売られているハムの添加物の多さを例に挙げ、食の安全に関して、日本人はもっと関心を持つべきと提言する。→人気ブログランキング

『カレーライス進化論』水野仁輔

最近の日本のカレー業界の隆盛ぶりは眼を見張るものがあるという。
金沢市を本拠地とする「ゴーゴーカレー」がニューヨークに出店して10年となり、今やニューヨークに6店舗、マサチューセッツに1店舗があり、さらに開店を計画しているという。
かつてニューヨークに出店した「吉野家」は撤退し、「牛角」「一風堂」「大戸屋」は事業を拡大できずにいるのを尻目に、「ゴーゴーカレー」のカツカレーが受け入れられている。

カレーライス進化論 (イースト新書Q)
カレーライス進化論
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水野仁輔
イースト新書Q
2017年5月

一方、ココイチの店舗数は2017年2月現在、1457店舗、国内は1296、海外は160。カレー専門店は日本で6000軒あるが、50店舗を超えているのはココイチとゴーゴーカレーだけ。なぜココイチはこれほど店舗数を増やせたのか、理由は味と人を育てることだという。
ココイチを運営する壱番屋は2015年、TOBによりハウス食品に傘下に入った。
ハウス食品はハウスバーモントカレーの中国での販売戦略として、まずはココイチでカレーライスを普及させ、同時にレトルトカレーを販売し、そしてカレールウを販売する作戦を遂行している。カレーを人民食にという目標を掲げ、おびただしい回数の試食会を催しているという。

日本のカレーのルーツはイギリスである。
イギリスでは二つの系統のカレー料理が生まれた。ひとつはカレー粉を使ったサンデーローストの余り肉のカレー料理、これはブリティッシュカレーのひとつである。
もうひとつは、イギリス人とインド人女性が結婚した家庭から生まれたアングロインディアンカレーの代表「チキンティッカマサラ」というカレー料理。骨なしのタンドリーチキンといったところ。

日本のカレーには4つのタイプがある。「ホテルのカレー」「洋食屋のカレー」「欧風カレー専門店のカレー」「家庭や給食のカレー」である。
これらは、調理テクニックの違いで分類されている。欧風カレーは、神保町の「ボンディ」で生まれた。デミグラスソースをカレーに入れたもの。ブイヨンを使うホテルのカレーはブリティッシュカレーに、洋食屋のカレーは海軍カレーにそのルーツがあるという。→人気ブログランキング

カツカレーは、1918年に、浅草の洋食屋「河金」で生まれた。著者はカツカレー誕生100周年のイベントを企画したいという。

カレーライス進化論/水野仁輔/イースト新書Q/ 2017年
カレーライスと日本人/森枝 卓士/講談社学術文庫/2015年

『アンソロジー そば』

そばの話は落ち着く。野趣豊な食べ方もあれば、なんの変哲もない日常の食べ方もあれば、上品な食べ方もあるのがそばだ。そばは歴史が語られる。それも室町時代や江戸時代のことだから重みがある。そばには救荒作物という要素もあるから軽くない。
ところで、本書の紙質はわら半紙のようにザラついている。そばの質感をイメージしたのではないかとの穿った見方もできるが、コストを抑えたのかもしれない。ところが、お世辞にも出来がいいとはいえないそばの写真が、キャプションなしでところどころ挟み込まれている。暗かったりピントが甘かったりしているが、これはこれで高度な写真のテクニックが使われているのだろう。カラーだからそれなりの経費もかかるだろう。帳尻があっているのかもしれない。ちなみに写真が載ってるページの紙は裏面はざらざらだが、表面はつるつるしている。
ともあれ、そばは渋い大人がエッセイの題材にする食べ物である。味の濃い ぎとぎとを好む若者向きではない。
本書はそんな書き手が揃っている。→人気ブログランキング

アンソロジー そば
アンソロジー そば
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池波正太郎 ほか
PARCO出版   2014年12月

「蕎麦」池波正太郎 「蕎麦に寄り添う」島田雅彦 
「並木藪蕎麦 江戸前ソバの原点」杉浦日向子
「浅草 並木の藪の鴨なんばん」山口瞳
「噺家と蕎麦」五代 柳亭燕路  「あほのそばっ食いの最期」町田康
「蕎麦屋」吉行淳之介 「そば命」群ようこ 「いたちそば」東海林さだお
「蕎麦」松浦弥太郎  「そばよ!」川上未映子 「ざるそばの15分」入江相政
「人生はそばとうどん」福原義春 「博多うどん好きのそば狂い」タモリ 
「蕎麦すきずき」神吉拓郎 「名月とソバの会」獅子文六
「蕎麦屋の客人」小池昌代 「そば屋で夜遊び」中島らも
「そばの都、東京」尾辻克彦 「新蕎麦ー長月」川上弘美
「母のそば」丸木俊 「映画とそば」田中小実昌
「天おろしそばの日」荷宮和子 「そばという食べ物」吉村昭
「海辺の夕暮れ、至福の蕎麦」山下洋輔 「でっこびかっこび そばの旅」平松洋子
「そばと湯で温まる」川本三郎 「夢見蕎麦」村松友視
「最高の蕎麦」立松和平 「わんこそば」渡辺機恵子
「わんこそば」黒柳徹子 「旅の記憶にまじるもの」佐多稲子
「ソバはウドン粉に限る」色川武大 「ソバの味」太田愛人
「初めてソバを打つ」南らんぼう 「年越しそばと雑煮」大河内昭◯
「蕎麦汁の味」立原正秋 「わが家の年越しソバ異変」檀一雄

アンソロジー そば/PARCO出版/2014年
そばと私(文春文庫)
麺と日本人/角川文庫/2015年
アンソロジー 餃子/PARCO出版/2016年
アンソロジー カレーライス‼︎/PARCO出版/2013年
アンソロジー ビール/PARCO出版/2014年
うなぎと日本人(角川文庫)
ずるずる、ラーメン(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
ぷくぷく、お肉(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
つやつや、ごはん(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
ぐつぐつ、お鍋(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年

『ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』

本書は約130年前に、ラフカディオ・ハーンが書いた『クレオール料理』の抄訳である。抄訳とする代わりに、ハーンがクレオールの諺をまとめた『ゴンボ・ゼブ』から食べ物に関するいくつかの諺を載せ、さらにハーンが新聞に書いたエッセイやイラストも採用されていて、飽きさせない構成になっている。
1998年にTBSブリタニカより発刊された同名の本の復刻版。

ハーンは明治時代(1890年)に来日し、松江で英語教師として教鞭をとり、日本人女性と結婚し、帰化して小泉八雲と名乗った。その後、ハーンは東京帝国大学で英文学を教えるようになり、怪談話を執筆したり日本文化を英語圏に紹介したりした。こうした日本での業績は知られているが、アメリカでのハーンについてはあまり知られていない。
ハーンがなぜクレオール料理の本を執筆したのか、そのあたりのことは、冒頭の「ハーンとクレオール料理」で、監修者が紹介している。

復刻版 ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本
ラフカディオ・ハーン/河島弘美 監修 鈴木あかね 訳
CCCメディアハウス
2017年3月

ハーン(1850年〜1904年)は、1850年にアイルランド人でイギリス陸軍医の父とギリシャ人の母との間にギリシャで生まれた。そのあと、一家はアイルランドに引っ越すが、母親が土地の暮らしに馴染めず帰国してしまい、また父親は別の女性と結婚してしまった。ハーンは大叔母に引きとられ少年時代を過ごすが、大叔母が破産したため、19歳でアメリカに渡った。オハイオで職を転々としたのち、27歳でニューオリンズの新聞記者として活躍しはじめた。その活躍ぶりは、〈当時ハーンの書いた文章を見ると、センセイショナルな犯罪記事をはじめ、物語、エッセイ、文芸評論など驚くほど多方面に及んでいる。〉と書かれている。

ハーンはニューオリンズのクレオール文化に興味をもった。美味しい料理を提供してくれるコートニー夫人と出会い、食べることになみなみならぬ関心を示したという。ハーンは、1884年にニューオリンズで開かれる博覧会に向けて『クレオール料理』を執筆した。その内容は、〈およそ家庭で作ろうとする食物でここに載っていないものがあろうかと思うほどである〉という。

クレオールとは、ルイジアナ地方に入植したフランス人とスペイン人およびその子孫をさすが、一般的にはフランス系やスペイン系の人々と有色人種の間にできた混血の子孫をも意味するようになった。さらに、クレオール料理とは、ニューオリンズ地域に発達した複数の食文化が混合してできあがった料理のことである。

本書にはレシピのみならず、料理の基礎から盛り付け、ワインの選び方まで料理全般について書かれている。例えば、美味しいパンを作るためのイースト菌の保存の仕方とか、亀のさばき方とか、冷静肉を美味しく盛りつける方法など。
冷蔵庫がない時代なので、防腐の意味合いもあるのか何種類ものピクルス料理が紹介されている。そのなかに、〈卵のピクルス〉というのがあって、要するにゆで卵の酢漬けなのだか、「冷製肉の付け合わせとしてこれに勝るものはないというほど」だそうだ。

獣肉・鳥類・鹿肉料理のための45種類のソースが紹介され、ケーキやお菓子、デザートにはかなりのページ数(全体の1/3以上)が割かれている。
もちろん、現在も使えるレシピである。→人気ブログランキング

食べるアメリカ人』 加藤裕子 13/03/11
アメリカの食卓』  本間千枝子 12/05/18
ジュリー&ジュリア』 (DVD) 12/05/15
クスクスの謎―人と人をつなげる粒パスタの魅力 』 にむら じゅんこ 12/04/08

『エスカルゴ兄弟』津原泰水

本物のエスカルゴ料理が看板メニューの店をオープンさせ、軌道に乗せようと悪戦苦闘する人たちの物語。
著者のグルメ蘊蓄が炸裂し、ストーリーのキーとなっている。

編集社に勤める柳楽尚登(なぎらなおと 27歳)は、エスカルゴ専門店の厨房を任されることになった。エスカルゴ料理の店を出す理由は、絶滅寸前のブルゴーニュ種エスカルゴ「ポマティア」の完全養殖に成功した人物を、カメラマンの雨野秋彦が取材したことがきっかけであった。社に出入りする秋彦の話に社長がのったのだ。

エスカルゴ兄弟
エスカルゴ兄弟
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津原泰水(Tsuhara Yasumi
KADOKAWA/角川書店
2016年8月

開店に向けて、秋彦の父親がやっている立ち飲みモツ煮込み屋のリニューアル計画は、尚登の意志に関係なく進んでいて、店名は秋彦がこだわる「ぐるぐる」を意識して「スパイラル」になった。
モツ煮込み屋の看板娘・白髪の剛さんは「解雇されるから来るな」というし、秋彦の妹・梓は「上手くいくわけない」と、尚登にとってまったく旗色が悪い。

実家が讃岐うどん屋の尚登は、松坂のエスカルゴ・ファームに研修に行ったさいに、コシが命の讃岐うどんの宿敵である、ふにゃふにゃ食感の伊勢うどん屋の看板娘・ソフィー・マルロー似の桜に一目惚れしてしまう。そんな桜には、喉越し抜群の秋田稲庭うどんの老舗から縁談がきて、うどんの名産地が三つ巴の状況になる。

リニューアルにさいし解雇した剛さんを拝み倒して再雇用したことで、店はなんとか軌道に乗りつつあったが、尚登の出向取り消しという社長の無軌道な命令が下る。思いつきで事を決断する社長と秋彦に、尚登は振り回されるばかりである。
この危機に、料理に天賦の才をもつ梓が厨房に入るのだが、そうそう上手くはいかない。

終章は「続編に続く」を匂わせている。

『カレーライスと日本人』森枝卓士 

カレーライスの古典の名著が文庫で復刻された。本書の原本は、1989年に講談社現代新書として発刊されている。
カレーライスのルーツ探りからはじまる。
まずは、インドを取材するが、インドのカレーが日本に伝えられたという証拠をつかめないまま、著者はイギリスに渡る。

カレーライスと日本人 (講談社学術文庫)
森枝 卓士
講談社学術文庫 2015年8月

イギリスでの対応は、そんなこと調べてなんになるのかという冷たいものだった。
それでもめげず、今はネスレの傘下にあるC&Bの本社を訪ねる。
C&B社には資料がなかったが、以前に日本のテレビ局の取材で、C&B社がカレー粉を初めて商品化したことを知らされたという。
1884年の商品リストをみるとピクルス、ビネルガー、サラダオイル、肉魚の缶詰...など56項目あって、カリーパウダー&カリーペーストは28番目に載っている。このカリーパウダー&カリーペーストが日本に伝わり、カレーライスになった。

では、日本国内でのカレーはどのようにして広まったのか。
驚くことに、初めてのカレー料理の記載は、明治5年(1872年)発刊の『西洋料理指南』のカエル肉のカレーだという。明治19年(1886年)の『婦人雑誌』にカレーの作り方の記載があり、玉葱を使っているが、今のような野菜は入らない肉のカレーである。明治31年(1998年)の『日本料理法大全』にはカレーライスが登場し、カレーライスが和式洋食の座を獲得したといえるという。
夏目漱石の『三四郎』(1908年)に、カレーが出てくる。
『家庭実用献立と料理法』(大正4年刊、1915年)に、やっと具が入ったカレーが登場する。明治時代の「ソース型カレー」が、大正時代になって「シチュー型カレー」になった。

そして軍隊でカレーライスが採用され、調理法が広まっていった。軍隊でカレーが重宝された理由は一皿で栄養のバランスが良いからであった。
ちなみに、おふくろの味として君臨する肉じゃがも軍隊が発祥である。
昭和38年(1963年)、ハウス・バーモントカレーが発売されてから、家でカレーを作るといえばカレールウをと使うことが常識になった。

カレー粉がイギリスではなくインドから入ってきていたら、日本がカレー王国になったか疑問であるとし、日本には、欧米から学ぶことをありがたがるが、アジアのものだと見下す意識があったからという。

補遺では、これからは札幌のスープカレーのように、その地方特有のカレー文化が広まるのではないか。なぜならカレーは融通無碍だからと結ぶ。

『バルサの食卓』上橋菜穂子・チーム北海道

ファンタジー小説『狐笛のかなた』『精霊の守り人』『獣の奏者』『天と地の守り人』などで、著者が発案した料理を実際に作ってみて、レシピを紹介し、その料理に関するエッセイが挟み込まれて構成されている。バルサは「守り人シリーズ」の主人公で、短槍使いの女用心棒。

バルサの食卓 (新潮文庫)
上橋 菜穂子 チーム北海道
2009年8月 ★★★★

物語に登場する料理を本にまとめるアイデアは、『小さな家の料理の本』『赤毛のアン レシピ・ノート』『ムーミン・ママのお料理の本』『鬼平料理帖』など、本作以外にもいくつかある。

料理は『南極料理人』で有名な西村淳氏が担当し、そのほか西村氏の奥様や写真家などが、チーム北海道として参加している。

各作品に描かれている著者のオリジナル料理は、野趣豊かである。それを料理人が現代風にアレンジしている。
例えば「サンガ牛の炙り焼き」はエスニック感が漂うが、アレンジされた料理は「牛肉のローストビーフ風」となる。
詳しいレシピが載っているので、料理作りに挑戦することもできる。
料理の匂いすら漂ってくるような気がして、料理が登場する作品を読みたくなる仕掛けになっている。

→『精霊の守り人
→『闇の守り人
→『夢の守り人
→『虚空の旅人
→『神の守り人
来訪編

→『神の守り人
帰還編
→『蒼路の旅人
→『天地の守り人
第1部 ロタ王国編

→『天地の守り人
第2部 カンバル王国編

→『天地の守り人
第3部 新ヨゴ皇国編
→『流れ行く者
守り人短編集

→『バルサの食卓

→『孤笛のかなた
→『鹿の王 上下

『全国駅そば名店100選』鈴木弘毅

かつて、中央線御茶ノ水駅の神田駅側の出口から50メートル下ったところにあった立ち食いそば屋に、頻回に立ち寄った。「天玉そば」をよく食べた。
駅そばの定義は、駅構内または駅周辺(徒歩5分以内)に立地していること。安い早いセルフ、それと立ち食いであることの5項目。

全国駅そば名店100選 (新書y)
鈴木 弘毅 (Suzuki Hiroki
2015年2月

以前は優遇されアグラをかいていた感もあった駅そばだが、最近はコンコースや駅ナカに他のファーストフードの店が進出して、また駅前にもファーストフードやコンビニが出店して競争が激化しているという。
著者は、駅そばをいわゆる街の中の蕎麦屋と比較するのは、吉野家と料亭を比べるようなものだという。駅そばは、旨い不味いよりも、どれだけ話題を提供してくれるかで評価されるべきもののようだ。
駅そば発祥の地が軽井沢駅だというのは意外だ。→ブログランキングへ

BS放送の久米書店で本書が紹介され、著者は次のようなことを言っていた。
たぬきそばで、その店の実力がわかるのだそうだ。
女性を取り込めば、男も寄ってくる。
駅のホームだけではやっていけない、営業努力が必要。
駅そばで町おこしをしたところもある。

『料理長が多すぎる』レックス・スタウト

世界各地から選ばれた10名の有名料理人が架空の保養地カノーワ・スパに集まって、晩餐会が開かれる。
その前の夜に味見コンテストが行なわれ、嫌われ者の料理長が殺された。
殺された料理長は、回りを蹴落としてのし上がって功をなし名を遂げた人物である。
集まったほかの誰もが殺されて当然だと思っているような野心家だ。
同僚の料理長から女房をかっさらってもいる。女房を奪われた調理長も、その女房もカノーワ・スパに集まっている。

料理長が多すぎる (ハヤカワ・ミステリ文庫 35-1)
レックス・スタウト
平井イサク 訳
1978年10月

晩餐会に招待されていた探偵のネロ・ウルフによって、犯人探しが行なわれるのだが、蘭とビールを愛するネロはもちろん美食家、体重はざっと310ポンド(140キロ)ある。別名、安楽椅子探偵と呼ばれている。
ネロが歩き回ることはごく限られているため、どでかいネロの手足となって謎解きの手助けをするアーチー・グッドマンが「私」。
料理がそこかしこに現れて、食に興味がある者にとって楽しい謎解きタイプのミステリである。
晩餐会の料理にはアメリカ南部の素材が使われている。その晩餐会のメニュー表は以下。(2009年3月)→ブログランキングへ

ウェストヴァージニア州 カノーワ・スパー
1937年4月8日 木曜日
<アメリカン・ディナー>
殻つきベークド・オイスター
テラピン メリーランド風 型抜きビスケット添え
パン・ブロイルド・ヤング・ターキー
ライス・コロッケ マルメロ・ゼリー添え
リマ・ビーンズ クリーム煮 サリー・ラン
<スタウト流アヴォカード>
パイナップル・シャーベット スポンジ・ケーキ
ウィスコンシン・デーリー・チーズ ブラック・コーヒー

『ずるずる、ラーメン』

ラーメンに関するのエッセイ31作と漫画1作が収録されている。
筆者たちが、ラーメンに求めているのはタイトルから感じ取れるように、ジャンクさである。粗野で正統でないもの、悲哀や懐かしさを感じさせるもの。それゆえ、悲しいかな毒のような扱いをされても、決して栄養のバランスがいいとは論じられない食べ物が、ラーメンである。
それは、中華料理店のラーメンであろうと、ラーメン屋のラーメンであろうと、インスタントラーメンであろうと同じである。

ずるずる、ラーメン (おいしい文藝)

河出書房新社
2014年6月

・「なんだ、コレハ」のラーメンを食べた話。「駅路地裏裏ラーメンの謎」椎名誠
・ついラーメン3杯を食べてしまった。「度を越す人」宮沢章夫
・なじみのラーメン屋の一時閉店の事情。「相撲とラーメン」川本三郎
・山形の冷やしラーメン。「はっこいラーメン」角田光代
・親父と水商売系の若い女がやっている店。「麗しの愛人ラーメン」池上永一
・旨い味噌ラーメンを出した札幌のラーメン屋が閉店。「幻のラーメン」吉村昭
・天下一品でこってりラーメンと唐揚げ定食をつい食べてしまう。「すべてはこってりのために」津島記久子
・花粉症の原因であるぶた草を探そうと自転車で出かけて、たどり着いたとんでもないラーメン屋。「悪魔のマダム」久住昌之
・天願屋でラーメンを食べる。「静謐なラーメン」町田康
・ラーメンを食べる女性が増えることを願う。「ラーメン女子の実態」島本理生
・外国での取材旅行から帰ったら、絶対ラーメン屋に直行する。「ソウルフードか、ラーメンか?」内澤旬子
・中国で仕事をする弟が日本に帰国したときに食べたがるのはラーメン。「ラーメン」内館牧子
・午後2時のラーメン屋にてラーメンが出てくるまで。「午後2時のラーメン屋」東海林さだお
・札幌のラーメンは帰るための儀式。村松友視
・酒を飲んだ後にラーメンを食べることは、死の欲動(タナトス)としての塩漬けになる、という御高説。「タナトスのラーメン」千葉雅也
・母親と食べた屋台のラーメンにはじまり、冷やし中華は安物にかぎると結ぶ。「屋台のラーメン」林静一
・高校の寮住まいのころの、ラーメン屋と焼肉屋の思い出。「仙台のラーメンとホルモン焼き」丸山健二
・タンメンと焼き餃子は大田区が発祥。「焼き餃子とタンメンの発見」片岡義男
・小津安二郎監督の話。「支那そば大会」池部良
・『にっぽんラーメン物語』に書かれている、日本で最初にラーメンを食べた人物が水戸光圀という説は根拠が希薄である。「日本ラーメン史の大問題」丸谷才一
・真夜中にインスタントラーメンを作って食べる話。「真夜中のラーメン」北杜夫
・日本のラーメン、ワンタンはさっぱり旨くないが、シュウマイはちらほらいいのができるようになった。「ラーメンワンタンシューマイヤーイ」開高健
・台湾で食べた絶品のラーメンと小籠包。「元盅土鷄麺という名のソバ」古波蔵保好
・ニンニクたっぷりのベトナムラーメンを食べさせる店で、エロ写真展を開いた話。「カルロ・パンティとベトナムラーメン」荒木経惟
・行きつけの店で、〆に食べたヨーグルト入りトルコ風ラーメン。「トルコ風ラーメン」馳周
・ラーメン大好き小池さんのお嫁さんが3食手料理を作ってくれるのはいいが、インスタントラーメンを食べたいと言い出せない小池さんの葛藤。「あこがれのラーメン」藤子・F・不二雄/藤子不二雄A
・サッポロ一番みそラーメン歴37年。「わが人生のサッポロ一番みそラーメン」森下典子
・試食したチキンラーメンに始まるインスタントラーメンとの付き合い。「ラーメン時代」曽野綾子
・ビルマでカップヌードルを食べた話。「仏陀のラーメン」沢木耕太郎
・カップラーメンは容器の形が絶妙で量もちょうどいいが、カップ焼きそばは多すぎて持て余すといったようなことが書かれている。「ラーメンに風情はあるか」吉本隆明
・カップラーメンの雲呑麺に書かれている「至福の一杯」という言葉に惹かれる。「最近の至福」江國香織
・節約してラーメンを食べるのは健康という高い代価を払うこと。「ラーメン」石垣りん→ブログランキングへ