料理

2019年6月11日 (火)

食の実験場 アメリカ ファーストフード帝国のゆくえ  鈴木透

著者はアメリカの食の歴史を3期に分けている。
第1は、イギリスの植民地時代から独立革命までのアメリカの形成期。白人入植者の食を支えたのは先住インディアンと黒人であった。第2は、19世紀後半から20世紀半ばにかけての産業社会の形成と工業国化の時期。食事に時間をかけないという発想がファーストフードの誕生につながった。第3は、1960年代以降の産業社会のあり方に対する抵抗と反省。ヒッピー文化や菜食主義者たちの影響によるオーガニックへ向かう動き。

イギリスの植民地時代、北部の白人入植者は先住インディアンの影響を受け、パンプキンパイ、コーンブレッドや七面鳥料理が生まれた。南部では黒人の影響を受けた米を使う料理が出現する。南部の家庭料理であるフライドチキンは、スパイスによる味付けは黒人から、揚げるという料理法は白人から受け継いでいる。
フランス人はミシシッピー川河口近くのニューオリンズを中心に住み着き、クレオールと呼ばれるフランス人と黒人の混血の人口が増えていった。
クレオール料理の代表はガンボーと呼ばれる雑炊のようなスープ。海産物、肉やソーセージ、トマトや玉ねぎ、豆など、あり合わせの材料で作ることが多いが、オクラでとろみをつけることが特徴的だ。米やオクラはアフリカ的だし、トマトやスパイスは先住民の影響があり、海産物を加えることはブイヤベースからきていてフランス的でもある。ガンボーは、アフリカ、先住インディアン、フランスの混血創作料理なのである。
クレオール料理のもう一つの代表ジャンバラヤは、トマト味のスパイシーなピラフで、具材はガンボー同様決まりはない。

Photo_20201120081901食の実験場アメリカ‐ファーストフード帝国のゆくえ
鈴木 透 
中公新書
2019年

工業国となっていくアメリカには、1890年代から1910年にかけて、主としてヨーロッパの低開発地域から移民が大量に流入した。イタリア系やユダヤ系、北欧系などが 中心で、エスニックフードの多様性が増した。
ドイツの惣菜を扱う店デリカテッセンが普及し、ハインツ社がケチャップを開発した。
ハンバーグはドイツの港ハンブルグから名付けられた。それをパンに挟んだハンバーガーは、1904年のセントルイスでの万国博覧会で誕生したいわれている。
ドイツのフランクフルトから持ち込まれたソーセージをパンに挟んだホットドッグは、コニーアイランドの遊園地で売られた。こうしてドイツの食が野外の手軽なフィンガーフードに応用されアメリカ独自の食文化へと発展していった。
自動車時代の本格的な幕開けとともに、本来食事を取ることができない場所や時間帯に食事を可能にする新たなタイプの外食産業・ファーストフードをアメリカに作り出した。

飲み物についてもアメリカならではの特徴がある。独立革命期に生じた紅茶離れは19世紀に入っても続いた。ラム酒と紅茶を飲むことは反愛国的行為とみなされた。現在、アメリカの一流ホテルで紅茶を頼むとティーパックが出てくるという。

飲料水の確保が困難だったため、植物の根で作ったアルコール分の低いルートビアが飲まれた。医薬品であった炭酸水を瓶に詰めることに成功したのはコカコーラ社である。アメリカにおける炭酸飲料は、病人の飲み物であったことや製造に薬剤師が関わっていたこと、ドラッグストアで売られていたことから、飲む薬としての性格をもっていた。ちなみにペプシコーラの名称はペプシンという消化酵素からきている。

ヒッピーたちは、効率優先からの脱却と多様性の復権を実現する、有機農業や自然食品を追い求めた。さらにヒッピーたちは有機栽培やヘルシーからエスニックにつながっていった。そこから生まれてきたのがカリフォルニアロールである。
いまアメリカの食が向かっているのは有機栽培の野菜を使った健康食だ。創作料理の最前線ではビーガンの影響がある。→人気ブログランキング

2019年3月26日 (火)

みそ汁はおかずです 瀬尾幸子

本書を立ち読みしていて、たいして新しい試みをしていないなと思った。本を棚に戻しかけて、待てよ、みそ汁は毎日食べるもの、奇抜さはなくて新しい試みは少なくていいと思い直した。ページの体裁がシンプルなのもいい。
帯には、第5回 料理レシピ大賞 in Japan 2018【料理部門】の大賞を受賞したと書いてある。賞を獲っているのは頼もしい。

B1fe08772e2544c586ac00676f4d9840みそ汁はおかずです
瀬尾 幸子
学研プラス
2017年

タイトルの『みそ汁はおかずです』の意味するところは、著者のレシピはなにをおいても、具沢山だからだ。
レシピにとんでもなく洋風だとか、著しくエスニックというような、奇抜なものはない。冷蔵庫に常備している食材や缶詰や、スーパーなどで簡単に手に入る食材が使われている。だから、作ってみようという気になる。ここが人気のポイントだ。
2人前で豆腐1丁はボリュームありすぎと思うが、それくらいの大胆さがないと大賞は獲れない。→人気ブログランキング

カラー完全版 日本食材百科事典/講談社プラスα文庫/1999年

2017年12月26日 (火)

ラーメン超進化論 「ミシュラン一つ星」への道 田中一明

本書の要点は、
1)ラーメン店が『ミシュランガイド』の1つ星に輝いた。
2)ニューカマーとして女性と外国人が加わった。
3)ラーメンづくりのコンセプトが変わった。の3つ。
ここ何年かのラーメンの進化は目を見張るものがある。その象徴的な出来事として挙げられるのが、『ミシュランガイド』の1つ星にラーメン店が輝いたことである。
Image_20201114135001ラーメン超進化論「ミシュラン一つ星」への道
田中一明
光文社新書 2017年

どのようような経過で、『ミシュランガイド』にラーメン店が掲載されるようになったのか。
ミシュランがラーメンに注目したのは、「ラーメンなどの大衆食を掲載しなければ、日本の食文化を十分に表現できているとは言えない」と判断したからではないかと著者は推察する。
まずは、新しいカテゴリーのビブグルマン部門が、2014年度版から設けられた。ビブグルマンとは、5000円以下でコースや単品料理などの食事が楽しめる、コストパフォーマンスの高いレストランである。
ビブグルマンにラーメン店22店が掲載されたのが、2015年度版。そしてついに、2016年度版には1つ星として「Japanese Soba Noodles 蔦」(巣鴨)が掲載され、2017年度版には「創作麺工房 鳴龍」(大塚)が掲載された。この2店は、いわば全国3万5千のラーメン店の頂点に立ったのである。

『ミシュランガイド』にラーメン店が掲載されたことで、ラーメンファンのすそ野が広がり、特に女性や外国人のファンが増えた。
2015年に始まった「ラーメン女子博」は盛況で、年々参加者数を伸ばしているという。男の目を気にしないで、女性が本音で行動できることが受けている。
また、味千ラーメン屋や一風堂に続けとばかり、海外に進出する店も多くなった。

一方、ラーメンの平均水準は上がっているのは確かだが、初めて訪れる店でどこか別の店で食べたような既視感を覚えるようなことが多いのは、ラーメンファンなら誰でも体験していることだ。それだけ、各店舗が他の店で出すラーメンを研究しているということでもある。

最先端を行くラーメン店の傾向は、味をどんどん進化させることだという。店を訪れる客が減ろうが増えようが、ラーメンの内容に満足できなくなれば、すぐさま見直しに取り掛かる。そのようなスタンスが当たり前になりつつあるという。
こしたことが、ミシュラン1つ星獲得の原動力となっている。→人気ブログランキング

2017年10月11日 (水)

ねじ曲げられた「イタリア料理」 ファブリツィオ・グラッセッリ

著者はかつて日本の大手ゼネコンに建築家として1年間招聘された。日本が気に入り、慶応大学で都市論や建築史・西洋美術史を教えたり、イタリアの食や文化についての本を書いたりマルチな活躍をしている。ダンテ・アリギエーリ協会の東京支部長。
本書はイタリアの食についての近代史。
Photo_20201210082401ねじ曲げられた「イタリア料理」
ファブリツィオ・グラッセッリ /水沢透 訳
光文社新書
2017年

まずはトマトについて。
16世紀新大陸からヨーロッパにもたらされたトマトは、18世紀の半ばに初めて貴族の食卓に上り、19世紀の終わり(日本では明治の中頃)に、やっとイタリアの南部でトマトソースが登場した。トマトの水煮缶詰が市場に出回るようになり、イタリア料理にトマトソースが定着した。
フランス人科学者のパスツールが発明した低温加熱殺菌法(パスツール法)により、トマトの水煮缶詰が可能になった。

次はピッツァ。
ピッツァの元祖は壊れたようなパンに具材を乗せ塩を振りかけたもので、ナポリの日雇い労働者のファーストフードだった。「現代ピッツァの誕生」は、1889年、王妃マルガリータがナポリを訪問したときに、庶民の食べ物を所望したことによる。
バジリコとモッツァレラとトマトソースで、新しい国として統一された(1871年)ばかりの三色旗を表した。のちに「マルガリータ」と呼ばれる創作ピッツァが献上されたのである。しかし、この三色旗ピッツァはイタリヤではあまり広まることはなかった。
ピッツァを広めたのはアメリカのイタリア人移民である。1905年にニューヨークでピッツェリアが売り出した三色旗ピッツァが、瞬く間に全米に広がった。
イタリアにマルガリータを広めたのは、第二次世界大戦で敗戦したイタリアに駐留したアメリカ人兵士である。またイタリアで伝統的なピッツァが広まったのは1970年代に入ってからのこと。
ちなみにピッツァの消費量は、ノルウェーが1位、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリアの順、日本は9位。

オリーブオイルについて。
まだ熟していないオリーブから生産されるエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルは、かなり最近になって登場した。その基準をEUが1991年に規定し、化学的な処理を行わず、他のオイルを混ぜることなく、酸度が0.8g以下(ヴァージンオイルは2.0%以下)のもので、苦味とピリピリした辛味が強い。
なお日本のエクストラ・ヴァージンのJAS規定は酸度が2.0%以下。
1960年代までイタリアでは、食用油としてラードやバターが用いられていた。オリーブオイルは、熟したオリーブから作る味がライトなものが用いられていた。1970年代に入ってイタリア料理が世界に普及し始めた頃、アメリカのイタリア系移民がイタリア料理に影響を及ぼした。エクストラ・ヴァージン・オイルを用い、それ以前のイタリア料理に比べて、素材に火を通しすぎない「クチーナ・モデルナ」と呼ばれる現代風のイタリア料理が流行った。
EUの規制では、エクストラ・ヴァージン・オイルとヴァージン・オイルは、原産地と製油所を明記することが義務付けられている。ただイタリア産という表記しかなかった場合には、イタリア国内で瓶詰めしただけという製品かもしれない。さらに、日本ではエクストラ・ヴァージン・オリーブオイル至上主義がまかり通り、偽装がほどこされた製品が出まわっている可能性が高い。

次はエスプレッソについて。
イタリア式コーヒーが、他のどこの国とも違ったアロマと独特な味わいを持っているのは確かだと著者は言う。エスプレッソ、カプチーノ、カフェラテ、マキアート、バリスタ、さまざまなイタリア語がいまやカフェ文化の「公用語」として用いられている。コーヒーが西洋世界に伝わったのはヴェネツィアが最初だった。近代コーヒー文化はイタリアで誕生したといっても過言でない。

イタリア人が自国の食に誇りを感じるようになったのは、そんなに昔のことではないという。いまや食に最も厳しい目を持っているのはイタリア人ではないだろうか。
日本で売られているハムの添加物の多さを例に挙げ、食の安全に関して、日本人はもっと関心を持つべきと提言する。→人気ブログランキング

2017年8月29日 (火)

カレーライス進化論 水野仁輔

最近の日本のカレー業界の隆盛ぶりは眼を見張るものがあるという。
金沢市を本拠地とする「ゴーゴーカレー」がニューヨークに出店して10年となり、今やニューヨークに6店舗、マサチューセッツに1店舗があり、さらに開店を計画しているという。
かつてニューヨークに出店した「吉野家」は撤退し、「牛角」「一風堂」「大戸屋」は事業を拡大できずにいるのを尻目に、「ゴーゴーカレー」のカツカレーが受け入れられている。

Image_20201206094401カレーライス進化論
水野仁輔
イースト新書Q
2017年

一方、ココイチの店舗数は2017年2月現在、1457店舗、国内は1296、海外は160。カレー専門店は日本で6000軒あるが、50店舗を超えているのはココイチとゴーゴーカレーだけ。なぜココイチはこれほど店舗数を増やせたのか、理由は味と人を育てることだという。
ココイチを運営する壱番屋は2015年、TOBによりハウス食品に傘下に入った。
ハウス食品はハウスバーモントカレーの中国での販売戦略として、まずはココイチでカレーライスを普及させ、同時にレトルトカレーを販売し、そしてカレールウを販売する作戦を遂行している。カレーを人民食にという目標を掲げ、おびただしい回数の試食会を催しているという。

日本のカレーのルーツはイギリスである。
イギリスでは二つの系統のカレー料理が生まれた。ひとつはカレー粉を使ったサンデーローストの余り肉のカレー料理、これはブリティッシュカレーのひとつである。
もうひとつは、イギリス人とインド人女性が結婚した家庭から生まれたアングロインディアンカレーの代表「チキンティッカマサラ」というカレー料理。骨なしのタンドリーチキンといったところ。

日本のカレーには4つのタイプがある。「ホテルのカレー」「洋食屋のカレー」「欧風カレー専門店のカレー」「家庭や給食のカレー」である。
これらは、調理テクニックの違いで分類されている。欧風カレーは、神保町の「ボンディ」で生まれた。デミグラスソースをカレーに入れたもの。ブイヨンを使うホテルのカレーはブリティッシュカレーに、洋食屋のカレーは海軍カレーにそのルーツがあるという。

カツカレーは、1918年に、浅草の洋食屋「河金」で生まれた。著者はカツカレー誕生100周年のイベントを企画したいという。→人気ブログランキング

カレーライス進化論/水野仁輔/イースト新書Q/ 2017年
カレーライスと日本人/森枝 卓士/講談社学術文庫/2015年

2017年8月24日 (木)

アンソロジー そば

そばの話は落ち着く。野趣豊な食べ方もあれば、なんの変哲もない日常の食べ方もあれば、上品な食べ方もあるのがそばだ。そばは歴史が語られる。それも室町時代や江戸時代のことだから重みがある。そばには救荒作物という要素もあるから軽くない。
ところで、本書の紙質はわら半紙のようにザラついている。そばの質感をイメージしたのではないかとの穿った見方もできるが、コストを抑えたのかもしれない。ところが、お世辞にも出来がいいとはいえないそばの写真が、キャプションなしでところどころ挟み込まれている。暗かったりピントが甘かったりしているが、これはこれで高度な写真のテクニックが使われているのだろう。カラーだからそれなりの経費もかかるだろう。帳尻があっているのかもしれない。ちなみに写真が載ってるページの紙は裏面はざらざらだが、表面はつるつるしている。
ともあれ、そばは渋い大人がエッセイの題材にする食べ物である。味の濃い ぎとぎとを好む若者向きではない。
本書はそんな書き手が揃っている。

517lfcei3l_sx339_bo1204203200_アンソロジー そば
池波正太郎 ほか
PARCO出版   
2014年

「蕎麦」池波正太郎 「蕎麦に寄り添う」島田雅彦 
「並木藪蕎麦 江戸前ソバの原点」杉浦日向子
「浅草 並木の藪の鴨なんばん」山口瞳
「噺家と蕎麦」五代 柳亭燕路  「あほのそばっ食いの最期」町田康
「蕎麦屋」吉行淳之介 「そば命」群ようこ 「いたちそば」東海林さだお
「蕎麦」松浦弥太郎  「そばよ!」川上未映子 「ざるそばの15分」入江相政
「人生はそばとうどん」福原義春 「博多うどん好きのそば狂い」タモリ 
「蕎麦すきずき」神吉拓郎 「名月とソバの会」獅子文六
「蕎麦屋の客人」小池昌代 「そば屋で夜遊び」中島らも
「そばの都、東京」尾辻克彦 「新蕎麦ー長月」川上弘美
「母のそば」丸木俊 「映画とそば」田中小実昌
「天おろしそばの日」荷宮和子 「そばという食べ物」吉村昭
「海辺の夕暮れ、至福の蕎麦」山下洋輔 「でっこびかっこび そばの旅」平松洋子
「そばと湯で温まる」川本三郎 「夢見蕎麦」村松友視
「最高の蕎麦」立松和平 「わんこそば」渡辺機恵子
「わんこそば」黒柳徹子 「旅の記憶にまじるもの」佐多稲子
「ソバはウドン粉に限る」色川武大 「ソバの味」太田愛人
「初めてソバを打つ」南らんぼう 「年越しそばと雑煮」大河内昭◯
「蕎麦汁の味」立原正秋 「わが家の年越しソバ異変」檀一雄
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アンソロジー そば/PARCO出版/2014年
アンソロジー カレーライス!!大盛り/杉田純子編/ちくま文庫/2018年
そばと私(文春文庫)
麺と日本人/角川文庫/2015年
アンソロジー 餃子/PARCO出版/2016年
アンソロジー ビール/PARCO出版/2014年
うなぎと日本人(角川文庫)
ずるずる、ラーメン(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
ぷくぷく、お肉(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
つやつや、ごはん(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年
ぐつぐつ、お鍋(おいしい文藝)/河出書房新社/2014年

2017年5月27日 (土)

ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本

本書は約130年前に、ラフカディオ・ハーンが書いた『クレオール料理』の抄訳である。抄訳とする代わりに、ハーンがクレオールの諺をまとめた『ゴンボ・ゼブ』から食べ物に関するいくつかの諺を載せ、さらにハーンが新聞に書いたエッセイやイラストも採用されていて、飽きさせない構成になっている。
1998年にTBSブリタニカより発刊された同名の本の復刻版。

ハーンは明治時代(1890年)に来日し、松江で英語教師として教鞭をとり、日本人女性と結婚し、帰化して小泉八雲と名乗った。その後、ハーンは東京帝国大学で英文学を教えるようになり、怪談話を執筆したり日本文化を英語圏に紹介したりした。こうした日本での業績は知られているが、アメリカでのハーンについてはあまり知られていない。
ハーンがなぜクレオール料理の本を執筆したのか、そのあたりのことは、冒頭の「ハーンとクレオール料理」で、監修者が紹介している

Image_20201205192401復刻版 ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本
ラフカディオ・ハーン/河島弘美 監修  鈴木あかね 訳
CCCメディアハウス
2017年

ハーン(1850年〜1904年)は、1850年にアイルランド人でイギリス陸軍医の父とギリシャ人の母との間にギリシャで生まれた。そのあと、一家はアイルランドに引っ越すが、母親が土地の暮らしに馴染めず帰国してしまい、また父親は別の女性と結婚してしまった。ハーンは大叔母に引きとられ少年時代を過ごすが、大叔母が破産したため、19歳でアメリカに渡った。オハイオで職を転々としたのち、27歳でニューオリンズの新聞記者として活躍しはじめた。その活躍ぶりは、〈当時ハーンの書いた文章を見ると、センセイショナルな犯罪記事をはじめ、物語、エッセイ、文芸評論など驚くほど多方面に及んでいる。〉と書かれている。

ハーンはニューオリンズのクレオール文化に興味をもった。美味しい料理を提供してくれるコートニー夫人と出会い、食べることになみなみならぬ関心を示したという。ハーンは、1884年にニューオリンズで開かれる博覧会に向けて『クレオール料理』を執筆した。その内容は、〈およそ家庭で作ろうとする食物でここに載っていないものがあろうかと思うほどである〉という。

クレオールとは、ルイジアナ地方に入植したフランス人とスペイン人およびその子孫をさすが、一般的にはフランス系やスペイン系の人々と有色人種の間にできた混血の子孫をも意味するようになった。さらに、クレオール料理とは、ニューオリンズ地域に発達した複数の食文化が混合してできあがった料理のことである。

本書にはレシピのみならず、料理の基礎から盛り付け、ワインの選び方まで料理全般について書かれている。例えば、美味しいパンを作るためのイースト菌の保存の仕方とか、亀のさばき方とか、冷製肉を美味しく盛りつける方法など。
冷蔵庫がない時代なので、防腐の意味合いもあるのか何種類ものピクルス料理が紹介されている。そのなかに、〈卵のピクルス〉というのがあって、要するにゆで卵の酢漬けなのだか、「冷製肉の付け合わせとしてこれに勝るものはないというほど」だそうだ。

獣肉・鳥類・鹿肉料理のための45種類のソースが紹介され、ケーキやお菓子、デザートにはかなりのページ数(全体の1/3以上)が割かれている。
もちろん、現在も使えるレシピである。→人気ブログランキング

食べるアメリカ人』 加藤裕子 13/03/11
アメリカの食卓』  本間千枝子 12/05/18
ジュリー&ジュリア』 (DVD) 12/05/15
クスクスの謎―人と人をつなげる粒パスタの魅力 』 にむら じゅんこ 12/04/08

2016年8月31日 (水)

エスカルゴ兄弟 津原泰水

本物のエスカルゴ料理が看板メニューの店をオープンさせ、軌道に乗せようと悪戦苦闘する人たちの物語。
著者のグルメ蘊蓄が炸裂し、ストーリーのキーとなっている。

編集社に勤める柳楽尚登(なぎらなおと 27歳)は、エスカルゴ専門店の厨房を任されることになった。エスカルゴ料理の店を出す理由は、絶滅寸前のブルゴーニュ種エスカルゴ「ポマティア」の完全養殖に成功した人物を、カメラマンの雨野秋彦が取材したことがきっかけであった。社に出入りする秋彦の話に社長がのったのだ。

Photo_20201202083401エスカルゴ兄弟
津原泰水(Tsuhara Yasumi
KADOKAWA/角川書店
2016年

開店に向けて、秋彦の父親がやっている立ち飲みモツ煮込み屋のリニューアル計画は、尚登の意志に関係なく進んでいて、店名は秋彦がこだわる「ぐるぐる」を意識して「スパイラル」になった。

モツ煮込み屋の看板娘・白髪の剛さんは「解雇されるから来るな」というし、秋彦の妹・梓は「上手くいくわけない」と、尚登にとってまったく旗色が悪い。

実家が讃岐うどん屋の尚登は、松坂のエスカルゴ・ファームに研修に行ったさいに、コシが命の讃岐うどんの宿敵である、ふにゃふにゃ食感の伊勢うどん屋の看板娘・ソフィー・マルロー似の桜に一目惚れしてしまう。そんな桜には、喉越し抜群の秋田稲庭うどんの老舗から縁談がきて、うどんの名産地が三つ巴の状況になる。

リニューアルにさいし解雇した剛さんを拝み倒して再雇用したことで、店はなんとか軌道に乗りつつあったが、尚登の出向取り消しという社長の無軌道な命令が下る。思いつきで事を決断する社長と秋彦に、尚登は振り回されるばかりである。
この危機に、料理に天賦の才をもつ梓が厨房に入るのだが、そうそう上手くはいかない。

終章は「続編に続く」を匂わせている。→人気ブログランキング

2016年2月12日 (金)

カレーライスと日本人 森枝卓士 

カレーライスの古典の名著が文庫で復刻された。本書の原本は、1989年に講談社現代新書として発刊されている。
カレーライスのルーツ探りからはじまる。
まずは、インドを取材するが、インドのカレーが日本に伝えられたという証拠をつかめないまま、著者はイギリスに渡る。
Photo_20210701083401カレーライスと日本人
森枝 卓士
講談社学術文庫
2015年

イギリスでの対応は、そんなこと調べてなんになるのかという冷たいものだった。
それでもめげず、今はネスレの傘下にあるC&Bの本社を訪ねる。
C&B社には資料がなかったが、以前に日本のテレビ局の取材で、C&B社がカレー粉を初めて商品化したことを知らされたという。
1884年の商品リストをみるとピクルス、ビネルガー、サラダオイル、肉魚の缶詰...など56項目あって、カリーパウダー&カリーペーストは28番目に載っている。このカリーパウダー&カリーペーストが日本に伝わり、カレーライスになった。

では、日本国内でのカレーはどのようにして広まったのか。
驚くことに、初めてのカレー料理の記載は、明治5年(1872年)発刊の『西洋料理指南』のカエル肉のカレーだという。明治19年(1886年)の『婦人雑誌』にカレーの作り方の記載があり、玉葱を使っているが、今のような野菜は入らない肉のカレーである。明治31年(1998年)の『日本料理法大全』にはカレーライスが登場し、カレーライスが和式洋食の座を獲得したといえるという。
夏目漱石の『三四郎』(1908年)に、カレーが出てくる。
『家庭実用献立と料理法』(大正4年刊、1915年)に、やっと具が入ったカレーが登場する。明治時代の「ソース型カレー」が、大正時代になって「シチュー型カレー」になった。

そして軍隊でカレーライスが採用され、調理法が広まっていった。軍隊でカレーが重宝された理由は一皿で栄養のバランスが良いからであった。
ちなみに、おふくろの味として君臨する肉じゃがも軍隊が発祥である。
昭和38年(1963年)、ハウス・バーモントカレーが発売されてから、家でカレーを作るといえばカレールウをと使うことが常識になった。

カレー粉がイギリスではなくインドから入ってきていたら、日本がカレー王国になったか疑問であるとし、日本には、欧米から学ぶことをありがたがるが、アジアのものだと見下す意識があったからという。

補遺では、これからは札幌のスープカレーのように、その地方特有のカレー文化が広まるのではないか。なぜならカレーは融通無碍だからと結ぶ。→人気ブログランキング

2015年6月 8日 (月)

バルサの食卓 上橋菜穂子・チーム北海道

本書には、ファンタジー小説『狐笛のかなた』『精霊の守り人』『獣の奏者』『天と地の守り人』などで、著者が発案した料理を実際に作って食し、レシピを紹介し、その料理に関するエッセイが挟み込まれている。バルサは「守り人シリーズ」の主人公で、短槍使いの女用心棒。
Image_20201128152701バルサの食卓
上橋菜穂子  チーム北海道
新潮文庫 2009年

物語に登場する料理を本にまとめるアイデアは、『大草原の「小さな家の料理の本」 ローラ・インガルス一家の物語から』『赤毛のアン レシピ・ノート』『ムーミン・ママのお料理の本』『鬼平料理帖』など、本作以外にもいくつかある。

本書の料理は『南極料理人』で有名な西村淳氏が担当し、そのほか西村氏の奥様や写真担当者などが、チーム北海道として参加している。

各作品に描かれている著者のオリジナル料理は、野趣豊かである。それを西村氏が現代風にアレンジしている。例えば「サンガ牛の炙り焼き」は、アレンジされてエスニック感が漂う「牛肉のローストビーフ風」となる。匂いが漂ってくるようで、その料理が登場する作品を読みたくなる。→人気ブログランキング
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