宗教

2023年1月11日 (水)

アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質 橋爪大三郎

なぜアメリカは宗教国家なのか?本書はこの疑問に答えてくれるという。
カトリックを除外すると、一番多いのは、バプティスト、次がメソジスト。アメリカは移民国家だから、それぞれの出身国の宗教を持ち込む。それにアメリカで生まれた宗派もある。モルモン教、エホバの証人、クリスチャン・サイエンス、アドヴェンティストと、多数だ。
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アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質
橋爪大三郎
光文社新書 
2022年10月 476頁

 本書は、ケンブリッジ版『アメリカの宗教の歴史』から引用してまとめたもので、『アメリカの宗教の歴史』のダイジェスト版といったところだ。それに著者の見解が添えられている。

最終的にはカソリック教徒が一番多くなるが、そうはさせじとアメリカに上陸し続けたのはプロテスタントだった。だからカソリックは阻害され続ける。一方、プロテスタントは分派していく。新宗教も生まれる。各国からの移民たちがそれぞれ祖国の宗派を持ち込む。
たどり着いた約束の地アメリカに、伝統的な風習や規範がないからキリスト教が拠り所なる。そして教会同士の切磋琢磨というかバトルというかが繰り返され、宗教国家アメリカが出来上がるというわけだ。

ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が起きた。ウェストファリア条約(1648年)で、住民の信仰は、君主と一致すべきと決められた。君主はプロテスタントかカソリックのいずれかを選択し、お互いを尊敬する。ヨーロッパの人々はそれぞれ生まれた国によって信仰する宗教が決まる。アメリカとは大きく違う。

イングランドは、1534年にヘンリー8世が国教会を樹立してカトリックから分かれた。イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、ベルギー、ドイツの一部、ポーランド、アイルランドがカトリック。ドイツの大部分と北欧がルター派。イングランドが国教会、スコットランドが長老派。スイスとオランダが改革派(カルヴィン派)、のように地域ごとに分かれることになった。
ドイツや北欧では唯一の正式な教会はルター派と決め政府が税を徴収して、教会を維持したり、牧師の給料を払ったりする。政教分離ではない。ルター派以外は信徒から金を集める。

カトリックは人びとが自由に教会を設立できない。教皇庁のコントロール下にある。
イングランド国教会もイングランド国王が取り仕切っているので、人びとが自由に教会を造ることはできない。

アメリカでは教会同士が競争する。新しい教会ができたり、潰れたり合併したり、信者を取り合いする。宗派間の争いにより、土地から追い出したり、追い出されたりして、宗派は生き残っていった。アメリカは教会が作った国だ。アメリカには伝統的な地域社会は存在しない。そのかわりにいくつもの教会がある。

大部分の人びとが教会の日曜礼拝に出席した。義務ではないが安息日が厳格だったので、ほかにすることがなかった。牧師たちは、皆さんの祖先は大西洋を渡ってやってきて、世界で最も純粋な教会を立ち上げた。旧約聖書の約束の地イスラエルのようなこの地に生まれたことは幸運だと、説教した。だからこそ、改革を怠ると神の怒りに触れると。

ローマ・カトリックはアメリカの植民地で憎まれた。残忍な外国の圧政者とみられ、ほとんどの植民地で非合法だった。ニューヨークにカトリックが入ったのは南北戦争の後だ。独立戦争のとき、カトリックはわずか1%だった。合衆国の成立後、カトリック教徒の移民が増え、今ではいちばん人数が多くなった。
カトリックとモルモン教は異質で恐れられた存在だった。
ヨーロッパのユダヤ人おおよそ3/1がアメリカに渡った。

メソジストは1784年に教会として旗揚げした。バプティストは個人の集まりなので、会衆を超えた組織を作りにくい。長老派の福音主義者ライマン・ビーチャーが牧師として活躍した。ぐずぐずしていると、西部はカトリックの手に落ちてしまう。そうなればキリスト教国家は成り立たなくなると訴えた。

一般に、キリスト教は植民地時代の初期が黄金時代でその後世俗化が進んで下火になると思われていた。アメリカに関しては誤解である。どれかの宗派に属する人は1776年には19%、1980年位は62%である。過去200年間教会のメンバーは増え続けている。ヨーロッパとは逆である。

トランプの支持者は福音派である。福音派はもとをたどれば敬虔主義である。大学の神学教育や知的な権威、教会の組織、牧師の決まり切った説教などどうでよいと思う。村から村、町から町を説教をして回る説教こそ本物だと思う。トランプはこの巡回説教司のにおいがする。素性が怪しく、いかがわしく、人間の弱さと悪さが透けてみえる。でも憎み切れない人懐っこさも併せ持っている。田舎の敬虔主義の人びとがかつて巡回説教師に惹かれたように、福音派の人びとがトランプに惹かれた。
福音派は、プロテスタントのほぼすべての教派に存在し、特に改革・長老派教会、バプティスト教会、メソジスト教会、ホーリネス教会、ペンテコステ派、カリスマ派の教会に多くみられる。

アメリカの特徴は、政府と無関係ないくつもの教会の組み合わせだ。イングランドは政府+国教会。ドイツは政府+ルター派。ロシアは政府+ロシア正教。フランスは政府+哲学。日本は政府+国家神道。ソ連は政府+共産党。中国は政府+中国共産党。政府と「無関係ないくつもの教会」が組になっているアメリカのような国は、どこにもない。→人気ブログランキング
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2018年9月28日 (金)

ホモ・デウス ユヴァル・ノア・ハラリ

前作『サピエンス全史』は、人類の過去を歴史学のみならず政治学、生物学、心理学、哲学などの横断的な幅広い知見に基づいて書かれ、世界的ベストセラーとなった。その続編ともいうべき本書は人類の未来を予測したもの。その手法は、前作同様、話題が多方面に展開され、まるでスケールの大きなエンターテイメント小説を読んでいるかのようだ。
飢饉と疫病と戦争は、もはや人類にとって対処が可能な課題になったという。人類に降りかかる災難の多くは政治の不手際がもたらしている。人類は困難を克服しつつあり、テクノロジーをよりどころに、次のステップに進もうとしているという。ちなみに、「ホモ」とは人間、「サピエンス」は賢い人、「デウス」は神の意味である。
Image_20201124091801ホモ・デウス 上:テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
2018年
Image_20201124091901ホモ・デウス 下:テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ
柴田裕之 訳

まずは、アルゴリズムについて。
〈アルゴリズムとは、計算し、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのことをいう。アルゴリズムは特定の計算ではなく、計算をするときに従う方法だ。〉
すべての事象は、人間も含めて、アルゴリズムで成り立っているという。つまりデジタル化できて計算式で表しうるということだろう。

人類は不死と至福と神性を手に入れようとするとしている。サピエンスのアップグレードは、次のように進んでいくとする。
〈じつは、無数の平凡な行動を通して、それはすでにたった今も起こりつつある。毎日、膨大な数の人が、スマートフォンに自分の人生をより前より少しだけ多く制御することを許したり、新しくてより有効な抗うつ薬を試したりしている。人間は健康と幸福と力を追求しながら、自らの機能をまず一つ、次にもう一つ、さらにもう一つという具合に徐々に変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうだろう。 〉

魂などというものは突き詰めていけば存在しない。宗教は人間が都合で考え出したもので、聖典を書きそれを多種多用に解釈した。人間至上主義は、神や宗教は人間がこの世を作り出したものだから、神を冒涜するなどと気遣う必要はないと考えるという。不老不死の手段があれば、セレブたちはあらゆる犠牲わ払って、間違いなく手を出すだろうという。

ポストヒューマンとは、ごく一部のセレブ達だけの話であり、神のように振る舞う一握りの人間のことだ。これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。彼らは社会を支配するという。

残念ながら、庶民は超人たちに支配される劣等カーストとなる。AIたちが人間を押しのけてほとんどすべてのことをやってしまうから、劣等カーストに属する人たちには仕事がない。その余剰の人たちはどうやって生きてゆくのか。
ゲームでもやって時間を潰すことになるかもしれないというのだが、そうもいかないだろう。→人気ブログランキング

ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ  河出書房新社 2018年
『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社 2016年
『ポストヒューマンSF傑作選 スティーヴ・フィーバー』山岸真編  ハヤカワ文庫 2010年

2018年4月20日 (金)

オリジン ダン・ブラウン

ラングドン・シリーズの第5弾。本書のテーマは「宗教の終焉」。
本書の冒頭には、〈この小説に登場する芸術作品、建築物、場所、科学、宗教団体は、すべて現実のものである。〉と記されていて、舞台となるグッゲンハイム美術館、サグラダ・ファミリア教会の詳細な描写は、本書の魅力のひとつである。
Image_20201216195301 オリジン 上
ダン・ブラウン/越前敏弥
2018年
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KADOKAWA /角川書店

スペインの北、ビルバオにあるグッゲンハイム美術館にVIPを集め、天才的な頭脳をもち世界をリードしてきた未来学者のエドモンド・カーシュが、「人類の来し方と行く末」についての新説を発表しようとしている。カーシュは無神論者として有名である。

カーシュから前もって新説を聞かされた、ユダヤ教のラビ、イスラム教の博士、カソリック教会のバルデスピーノ司教は、宗教界ひいては世界を混乱に陥れることを恐れている。発表は1か月後と聞かされていたが、それが早められたのだ。ラビは自殺し、博士も死んでしまう。

カーシュの恩師であるハーヴァード大学教授で宗教象徴学者のロバート・ラングドンや、美術館の館長でありスペイン王子の婚約者であるアンブラ・ビダル、そして多くの聴衆が見守るなか、カーシュは講演をはじめる。これから本題に入ろうとしたその時、カーシュは銃撃され殺される。
近くにいたグランドンとビダルが犯人と疑われ、警察に追われる身となった。ふたりの逃亡を助けるのは、カーシュが開発したAIのウィンストンである。
パルマール教会の宰輔からカーシュの殺害を命じられたのは、スペインの退役海軍提督アビラだった。

講演の内容が世界に流れることを阻止しようとする勢力によって、カーシュは殺害されたのだ。グランドンは、講演のDVDにアクセスするパスワードがサグラダ・ファミリアの地下室にある書物に書かれている47文字と突き止めた。
スペイン警察や暗殺者アビラの追跡を終結させるには、カーシュのビデオを公開すればいいのだ。
この後、二重三重のどんでん返しが仕掛けられている。

新説とは一体どういうものなのか。
抽象的には、宗教の時代は終わりを向かえつつあり科学の時代が幕を開けようとしている、というもの。言い方を変えれば、神ではなく物理で生命が誕生し、将来人間はポストヒューマンとなる。つまり、進化論とレイモンド・カーツワイルの言うシンギュラリティを受け入れることである。→人気ブログランキング

2017年12月22日 (金)

日本の10大新宗教 島田裕巳

日本人は無宗教といわれるが、著者はそうとらえていない。
日本は、神道と仏教という二つの宗教が組み合わされた形態をとっているために、自分たちを神道の信者とも仏教の信者とも決めかねている。そこから特定の宗教に属していないという意識が生まれるという。けれども現実には神道と仏教に関わり、その儀式に参加しているわけで、その点では、キリスト教徒やイスラム教徒の場合と変わらないとする。
そんな日本の土壌で、新宗教は神道か仏教の影響を必ず受けていて、多くはどちらの宗教の影響も受けているという。
Image_20201206100001日本の10大新宗教
島田 裕巳
幻冬社新書
2007年

本書が取り上げている10教団は、天理教、大本、生長の家、天照大神宮教と璽宇、立正佼成会と霊友会、創価学会、世界救世教・神慈秀明会と真光系教団、PL教団、真如苑、GLA(ジー・エル・エー総合本部)。これらの教団の成り立ちや現状をコンパクトに捉えた好著。

カルトの範疇に入る新宗教はリストアップしなかったというが、カルトと新宗教の線引きは難しいという。

社会的に問題を起こす新宗教の教団がカルトとして糾弾されるのは、その教団が、世直しの思想や終末論を強調したときだという。世直しの思想や終末論は、新宗教が勢力を拡大する際の強力な手段である。危機感を煽ることは信者を過激な布教活動に走らせることになり、社会問題を引き起こしやすい。
新宗教が問題を起こすもう一つ理由は、積極的な金集めを行ったときである。新宗教は、何かと巨大で豪華な建造物を建てたがる。

信者数を増やしてきた新宗教は、その過程で弾圧や取り締まりを受けている場合が多い。弾圧や取り締まりを受けることで、自分たちのあり方を反省し、社会性のある行動を取るようになるのが普通だという。そこに新宗教の成熟の過程を見ることができるという。逆に、問題を起こし続けて弾圧や取り締まりを受け続ければ、いつまでもカルトとしての批判を免れない。

例えば、幾人かの有名女優を信者として擁する「真如苑」が公表している信者数は、90万人である。著者の分析と一致するという。通常教団はデータを水増しすることが多いが、水増しをしないところを見ると、真如苑は新宗教として成熟し落ち着いた状況にあるという。→人気ブログランキング

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

 

2015年12月10日 (木)

現代アメリカ宗教地図 藤原聖子

生活において「神が重要」と答えたアメリカ人は54.2%と、先進国では飛び抜けて高い。ちなみに日本は5.4%。アメリカは宗教の国である。

アメリカ人の各宗教との関わりを人口比率で見ると、プロテスタント51.3%、カトリック23.9%、モルモン1.7%、エホバの証人0.7%、正教0.6%、ユダヤ教1.7%、仏教0.7%、イスラム教0.6%、ヒンドゥー0.4%、リベラル度の強いクリスチャン0.7%、無所属(無神論、不可知論など)16.1%、わからない0.8%、となる。キリスト教が75.8%を占めている。
本書の特徴は、ユーチューブからの情報を多用していることである。

D58b18b25e584bce8675e2751ab1bc36 現代アメリカ宗教地図
藤原 聖子 (Fujiwara Satoko
平凡社新書
2009年

 アメリカの政教分離は、国家は特定の宗教を優遇しないことを示すだけで、政治の領域から宗教を排除することを意味しない。アメリカの信仰の自由とは、どこでも祈る場所を提供することである。

宗教上の保守は父親は外で働き、母親は専業主婦として家庭を守る。性のモラルをはじめとする道徳を強調する。
対して、リベラルは道徳よりも「反差別」に重きを起き、女性、民族・人種的マイノリティ、性的弱者の差別に反対する。国際問題や環境問題にも関心が高い。
保守は、聖書を神の言葉と絶対視しその言葉を文字通り受け取る。世界は神が創造したと信じ、進化論を否定する。天国と地獄の存在や近未来の終末の到来を信じ、天国での救いを最大の目標とする。教会に熱心に通う。
同性愛に反対し、人工中絶に反対し、公立高校に宗教教育の導入を求め、そうしたことを政界に働きかける。
宗教上のリベラルには二つのパターンがあって、リベラル派プロテスタントと呼ばれる人たちで、聖書は人が書いたものと認識している。もうひとつは、東洋の宗教やヨガやスピリチャルなものにひかれているという人たちである。

保守派プロテスタントが目指しているのは、古き良きアメリカを取り戻すことである。
「文化戦争」という言葉が、使われるようになったのは1990年代で、冷戦終結が影響している。保守派の敵が、共産圏から国内のリベラル派に移ったことによる。
人工中絶、同性婚や同性愛者の権利を認めるか、公立学校での宗教的祈りや反進化論教育などを認めるかが争点になっている。

クリスチャンシオニズムという保守派プロテスタントの考えは、イスラエルとパレスチナ紛争をハルマゲドンの始まりと捉え、敵であるユダヤ教徒を支援すれば、終末が近づき敬虔なクリスチャンである自分たちが救われる日が近づくとする。アメリカがイスラエルを支援する理由はここにあるという。
保守派プロテスタントは、ユダヤ教徒はいずれはキリスト教に改宗し、そうでなければ死滅すると考えている。
保守派プロテスタントは、自分たちの宗派以外は天国に行けないと信じているから、改宗を促す。
なんという都合のいい考え方なのか。

何かと面倒を引き起こすのは、保守派プロテスタントということだ。→人気ブログランキング

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

2015年10月26日 (月)

仏像図解新書 石井亜矢子 岩崎 隼

仏の種類(尊格)は数え切れないくらいあるという。それほど多い理由は、(大乗)仏教には釈迦に帰依した異教の神々も仏に組み入れるという、度量の広さがあったからだ。イラストは、それぞれの仏像の特徴を見事にとらえていてわかり易い。
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石井亜矢子 岩崎 隼
小学館新書
2010年

日本の仏像は「如来・菩薩・明王・天」の4つのグループに大別することができる。
このグループ分けは、役割分担であり上下関係でもある。

如来には修行を完成した者という意味がある。仏教の称号の中で最高のもの。
釈迦を仏陀と呼ぶが、もともと仏陀という言葉は、釈迦だけでなく悟りを開いた者すべてを指すものだった。広い意味での仏陀の呼名のひとつが如来。ゆえに仏陀と如来は同義語と考えいい。
菩薩は如来になるための修行中の仏様、それゆえに若い。
明王は如来が化身した姿で悪人を従わせるため、恐ろしい顔をしている。
天は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道にいる仏のこと。
八部衆は、釈迦に帰依した異教の神々、彼らはすべて古代インドの鬼神や邪神の類である。八部衆には阿修羅がいる。

それぞれの仏像の尊格について詳しく解説し、有名な仏像が安置されている寺社を紹介している。→人気ブログランキング

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

2015年10月20日 (火)

満つる月の如し 仏師・定朝 澤田瞳子

時は、藤原道長が栄華を極めた平安時代(794~1192年)中期。天賦の才をもつ弱冠16歳の仏師・定朝(じょうちょう)と20歳代にして内供奉(ないぐぶ)の座についた僧侶・隆範(りゅうはん)を中心に繰り広げられる物語。
デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を受賞した澤田瞳子の第2作目。本作品は、第32回(2013年)新田次郎文学賞、第2回(2012年)本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞した。
タイトルの『満つる月の如し』は、定朝様式の仏像が「尊様満月の如し」と賞賛されたことによる。
Photo_20201217122601満つる月の如し 仏師・定朝
澤田瞳子(Sawada Touko
徳間文庫
2014年(←単行本2012年)

七条仏所の棟梁・康尚(こうじょう)の息子・定朝は並外れた技量の仏師と評価されている。隆範は、破損された仏像の顔をたちどころに修理した定朝の技に驚嘆し、延暦寺に安置する薬師如来像の造像を依頼するのだった。
はじめは、固辞する定朝であったが、七条仏所の仏師た定朝の彫る仏像は、見る者に仏の慈悲を感じさせた。

売れっ子仏師となった定朝であるが、大皇太后彰子の念持仏の造仏をよりも、盲の僧侶がいて孤児たちが住み着く貧乏寺の造像を優先したのだった。
隆範は、貧しい民のための造仏を優先した定朝に苛立つ自分を恥じていた。
隆範の後押しもあって、定朝は18歳の若さで仏師として初めて法橋位に就いたのだった。

一方、道長の権謀術数によって皇太子の座を追われた敦明(あつあきら)親王は、鬱憤を晴らすかのように狼藉の限りを尽くし、洛中の貴族たち誰もが恐る存在だった。
そんな敦明の妻が病床に伏すと、妻のための念持仏を彫るよう定朝を恫喝したが、定朝は要求に応じるつもりは到底ない。

やがて敦明を陥れようとする政治的謀略に、定朝と隆範は巻き込まれていくのであった。

奈良仏教史が専門の著者ならではの知識に裏付けられた描写と、多くの人物を登場させることによって生まれるストーリーの奥行の深さにより、読み応えがある傑作になっている。→人気ブログランキング

月人壮士(つきひとおとこ)/中央公論新社/2019年
落花/中央公論新社/2019年
秋萩の散る/徳間書店/2016年
師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録/徳間書店/2015年
ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録/徳間文庫/2016年
京都はんなり暮らし/徳間文庫/2015年
与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記/光文社/2015年
若冲/文藝春秋/2015年
満つる月の如し 仏師・定朝/徳間文庫/2014年
泣くな道真 ―太宰府の詩―/集英社文庫/2014年

2015年9月 6日 (日)

完全教祖マニュアル 架神恭介 辰巳一世


新興宗教の教祖になるという現実離れした視点から宗教にアプローチすると、宗教がかかえる危うさやが見えてくる。

傍から見れば、宗教ほど利己的で胡散臭いものはないだろう。その点は、新興宗教であろうと3大宗教であろうと違わない。 本書は、経営者を目指す人の、毛色の変わった啓発本とも捉えられる。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)
完全教祖マニュアル
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架神 恭介 辰巳 一世
ちくま新書
2009年11月

著者が、なにを置いても伝えたいことが、表紙に抜粋されている。
それは以下。

〈宗教の本質というのは、むしろ反社会性にこそあるのです。・・・特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝だということを胸に刻んでおいてください。 〉

ユダヤ教徒であったイエスは、娼婦や徴税人の話を聞いたり、安息日に医術を施したりしていた。イエスの行動は、今日、社会的に何も問題のないことであるが、当時のユダヤ教社会では反社会的だった。つまり為政者にとってやり過ぎだったのだ。イスラム教でも仏教でも、超人的な能力を発揮したエピソードである。

本書の語り口は、ジョークを交え軽くかつ大胆であるが、その実、鋭く深い。
教祖になるために成すべきことは、次のふたつ。
人(信者)をハッピーにする。ほか(社会、他の宗教)との差別化をはかる。
宗教の本質は反社会的なものという著者の指摘は的を射ている。→人気ブログランキングへ

完全教祖マニュアル架神恭介×辰巳一世 ちくま新書 2009年
マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女岡田温司 中公新書 2005年
不思議なキリスト教橋爪大三郎×大澤真幸 講談社新書 2011年
新約聖書 ~イエスと二人のマリア~DVD ジャコモ・カンピオッティ 2012年
ファンシイダンスDVD 周防正行 1989年 
星の旅人たちDVD エミリオ・エステヴェス 2010年
アレクサンドリアDVD アレハンドロ・アメナーバル 2009年
セブンDVD デヴィッド・フィンチャー 1995年

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2014年1月14日 (火)

マグダラのマリア  エロスとアガペーの聖女 岡田温司

マグダラのマリアは、マグダラで生まれ育ったマリアという意味である。マグダラはイスラエル北東部ガリラヤ湖北西岸にあった町で、現在はミグダルとよばれる。
イエスによって回心した罪深い女、聖女にして娼婦、このマグダラのマリアのイメージは、固定されたものではなく時代とともに揺らいでいたという。それはジェンダー間の葛藤の産物だという。このマグダラのマリアに対するステレオタイプなイメージが、いつ頃どのようにできあがったのかが、本書のテーマである。
Image_20201208163701マグダラのマリア ―エロスとアガペーの聖女
岡田温司 (Okada Atsushi
中公新書
2005年

マグダラはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書で、おもに磔刑、埋葬、復活に関わる場面に登場している。しかし、回心した娼婦という彼女の核心に関わるアイデンティティについての記載はまったくないという。4人の福音書記者たちの間には、マグダラに対する評価に違いがある。ルカはマグダラに対して手厳しい。率直にいえば、イエスの復活に最初に立ち会ったのが女のマグダラというのは、男の信徒として認めがたいということなのだろう。
原始キリスト教において、マグダラが娼婦であったという記録はないという。

マグダラの人物像が、今のように「娼婦から改悛して熱心な信徒になった」という濡れ衣を着せられるのは、14世紀からだという。これは男性が女性信徒に説教するときに都合が良かった。「いにしえの娼婦よりも昨今の女性の振る舞いには目に余るものがある。マグダラを見習って信仰に身を捧げなさい」というふうに利用されたのである。マグダラは美しく品格があったから、そのような筋書きが受け入れられたのだという。
罪深い生活を送ったマグダラが改悛し、聖女として聖母マリアに近づくことができた。いくら罪深くとも改悛すれば何とかなる。娼婦と聖女、落差が大きければ大きいほど説得力があるのだ。

当時、女子修道院は恵まれない女性たちの避難場所であった。そこには、娼婦、夫に先立たれた妻、家庭内暴力から逃れる女、レイプされた女、父に連れらてきた娘、孤児、病人など、マグダラに共感を持つ女性は大勢いた。
さらに、16世紀のローマでは、コルティジャーナ(高級娼婦)たちが、貴族や皇帝や教皇たちの愛人として囲われた事実がある。マグダラはコルティジャーナたちにとって、信仰の対象として必須の存在だったのである。彼女たちのアイドルといってもいい。
華美な服装を身にまとい多数の装飾品を身につける姿も許されるし、身体の線をあらわにし恍惚の表情でエロティックな姿も許される。そんな聖女マグダラは、絵を依頼する貴族や教会にとっても画家たちにとっても、恰好の題材であったに違いない。

悪魔の化身であるエヴァは忌避の対象であり、聖母マリアは近づき難い天上人である。いつの間にか濡れ衣を着せられたマグダラのマリアは、その間を埋めるグラデュエーションの存在として、人びとに受け入れられたのだろう。→人気ブログランキング 

→『不思議なキリスト教』 (講談社現代新書)2011年
→『新約聖書  ~イエスと二人のマリア~』2012年

2012年5月 1日 (火)

『ツリー・オブ・ライフ』 

ツリー・オブ・ライフ [DVD]

ツリー・オブ・ライフ

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ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 (2012-03-07)
原題:The Tree of Life
監督:テレンス・マリック
製作国:アメリカ 2011年

Amazon.co.jp で詳細を見る

 

ジャック(ショーン・ペン)は実業家として成功していたが、人生の岐路に立っている。
少年時代を回想することで、救いをえることができるのか。
1950年代、テキサスの小さな田舎町で、ジャックは両親と2人の弟に囲まれて静かな生活を送っていた。
一見平穏そうな一家だったが、ジャックにとっては心が安らがなかった。
父親(ブラッド・ピット)は社会的な成功がすべてという考えで、子供たちに厳格に接していた。母親(ジェシカ・チャステイン)は、子供たちを包み込む優しい女だった。
ジャックは、父に反感を抱きながら、父と同じような考え方を持つようになり、葛藤を繰り返すのだった。
ごく平凡な一家の物語に、宇宙創成そして地球の歴史をたどるイメージの映像を挟み込むことによって、何を表現したかったのか。
神だろうか、ちっぽけな人間の存在だろうか、人間の奢りに対する戒めだろうか。

カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞したが、初映では賞賛とブーイングがあいなかばして起こったそうだ。

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