宗教

『オリジン 上下』 ダン・ブラウン

ラングドン・シリーズの第5弾。本書のテーマは「宗教の終焉」。
本書の冒頭には、〈この小説に登場する芸術作品、建築物、場所、科学、宗教団体は、すべて現実のものである。〉と記されていて、舞台となるグッゲンハイム美術館、サグラダ・ファミリア教会の詳細な描写は、本書の魅力のひとつである。

スペインの北、ビルバオにあるグッゲンハイム美術館にVIPを集め、天才的な頭脳をもち世界をリードしてきた未来学者のエドモンド・カーシュが、「人類の来し方と行く末」についての新説を発表しようとしている。カーシュは無神論者として有名である。

オリジン 上 (角川書店単行本)
オリジン 上
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ダン・ブラウン/越前敏弥
2018年2月
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オリジン 下 (角川書店単行本)
オリジン 下
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KADOKAWA / 角川書店
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カーシュから前もって新説を聞かされた、ユダヤ教のラビ、イスラム教の博士、カソリック教会のバルデスピーノ司教は、宗教界ひいては世界を混乱に陥れることを恐れている。発表は1か月後と聞かされていたが、それが早められたのだ。ラビは自殺し、博士も死んでしまう。

カーシュの恩師であるハーヴァード大学教授で宗教象徴学者のロバート・ラングドンや、美術館の館長でありスペイン王子の婚約者であるアンブラ・ビダル、そして多くの聴衆が見守るなか、カーシュは講演をはじめる。これから本題に入ろうとしたその時、カーシュは銃撃され殺される。
近くにいたグランドンとビダルが犯人と疑われ、警察に追われる身となった。ふたりの逃亡を助けるのは、カーシュが開発したAIのウィンストンである。
パルマール教会の宰輔からカーシュの殺害を命じられたのは、スペインの退役海軍提督アビラだった。

講演の内容が世界に流れることを阻止しようとする勢力によって、カーシュは殺害されたのだ。グランドンは、講演のDVDにアクセスするパスワードがサグラダ・ファミリアの地下室にある書物に書かれている47文字と突き止めた。
スペイン警察や暗殺者アビラの追跡を終結させるには、カーシュのビデオを公開すればいいのだ。
この後、二重三重のどんでん返しが仕掛けられている。

新説とは一体どういうものなのか。
抽象的には、宗教の時代は終わりを向かえつつあり科学の時代が幕を開けようとしている、というもの。言い方を変えれば、神ではなく物理で生命が誕生し、将来人間はポストヒューマンとなる。つまり、進化論とレイモンド・カーツワイルの言うシンギュラリティを受け入れることである。→人気ブログランキング

『日本の10大新宗教』島田裕巳

日本人は無宗教といわれるが、著者はそうとらえていない。
日本は、神道と仏教という二つの宗教が組み合わされた形態をとっているために、自分たちを神道の信者とも仏教の信者とも決めかねている。そこから特定の宗教に属していないという意識が生まれるという。けれども現実には神道と仏教に関わり、その儀式に参加しているわけで、その点では、キリスト教徒やイスラム教徒の場合と変わらないとする。
そんな日本の土壌で、新宗教は神道か仏教の影響を必ず受けていて、多くはどちらの宗教の影響も受けているという。

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)
日本の10大新宗教
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島田 裕巳
幻冬社新書 2007年

本書が取り上げている10教団は、天理教、大本、生長の家、天照大神宮教と璽宇、立正佼成会と霊友会、創価学会、世界救世教・神慈秀明会と真光系教団、PL教団、真如苑、GLA(ジー・エル・エー総合本部)。これらの教団の成り立ちや現状をコンパクトに捉えた好著。
カルトの範疇に入る新宗教はリストアップしなかったというが、カルトと新宗教の線引きは難しいという。

社会的に問題を起こす新宗教の教団がカルトとして糾弾されるのは、その教団が、世直しの思想や終末論を強調したときだという。世直しの思想や終末論は、新宗教が勢力を拡大する際の強力な手段である。危機感を煽ることは信者を過激な布教活動に走らせることになり、社会問題を引き起こしやすい。
新宗教が問題を起こすもう一つ理由は、積極的な金集めを行ったときである。新宗教は、何かと巨大で豪華な建造物を建てたがる。

信者数を増やしてきた新宗教は、その過程で弾圧や取り締まりを受けている場合が多い。弾圧や取り締まりを受けることで、自分たちのあり方を反省し、社会性のある行動を取るようになるのが普通だという。そこに新宗教の成熟の過程を見ることができるという。逆に、問題を起こし続けて弾圧や取り締まりを受け続ければ、いつまでもカルトとしての批判を免れない。

例えば、幾人かの有名女優を信者として擁する「真如苑」が公表している信者数は、90万人である。著者の分析と一致するという。通常教団はデータを水増しすることが多いが、水増しをしないところを見ると、真如苑は新宗教として成熟し落ち着いた状況にあるという。→人気ブログランキング

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

『現代アメリカ宗教地図』藤原聖子

生活において「神が重要」と答えたアメリカ人は54.2%と、先進国では飛び抜けて高い。ちなみに日本は5.4%。アメリカは宗教の国である。

アメリカ人の各宗教との関わりを人口比率で見ると、プロテスタント51.3%、カトリック23.9%、モルモン1.7%、エホバの証人0.7%、正教0.6%、ユダヤ教1.7%、仏教0.7%、イスラム教0.6%、ヒンドゥー0.4%、リベラル度の強いクリスチャン0.7%、無所属(無神論、不可知論など)16.1%、わからない0.8%、となる。キリスト教が75.8%を占めている。
本書の特徴は、ユーチューブからの情報を多用していることである。

現代アメリカ宗教地図 (平凡社新書)
藤原 聖子 (Fujiwara Satoko
平凡社新書 2009年8月

アメリカの政教分離は、国家は特定の宗教を優遇しないことを示すだけで、政治の領域から宗教を排除することを意味しない。
アメリカの信仰の自由とは、どこでも祈る場所を提供することである。

宗教上の保守は父親は外で働き、母親は専業主婦として家庭を守る。性のモラルをはじめとする道徳を強調する。
対して、リベラルは道徳よりも「反差別」に重きを起き、女性、民族・人種的マイノリティ、性的弱者の差別に反対する。国際問題や環境問題にも関心が高い。
保守は、聖書を神の言葉と絶対視しその言葉を文字通り受け取る。世界は神が創造したと信じ、進化論を否定する。天国と地獄の存在や近未来の終末の到来を信じ、天国での救いを最大の目標とする。教会に熱心に通う。
同性愛に反対し、人工中絶に反対し、公立高校に宗教教育の導入を求め、そうしたことを政界に働きかける。
宗教上のリベラルには二つのパターンがあって、リベラル派プロテスタントと呼ばれる人たちで、聖書は人が書いたものと認識している。もうひとつは、東洋の宗教やヨガやスピリチャルなものにひかれているという人たちである。

保守派プロテスタントが目指しているのは、古き良きアメリカを取り戻すことである。
「文化戦争」という言葉が、使われるようになったのは1990年代で、冷戦終結が影響している。保守派の敵が、共産圏から国内のリベラル派に移ったことによる。
人工中絶、同性婚や同性愛者の権利を認めるか、公立学校での宗教的祈りや反進化論教育などを認めるかが争点になっている。

クリスチャンシオニズムという保守派プロテスタントの考えは、イスラエルとパレスチナ紛争をハルマゲドンの始まりと捉え、敵であるユダヤ教徒を支援すれば、終末が近づき敬虔なクリスチャンである自分たちが救われる日が近づくとする。アメリカがイスラエルを支援する理由はここにあるという。
保守派プロテスタントは、ユダヤ教徒はいずれはキリスト教に改宗し、そうでなければ死滅すると考えている。
保守派プロテスタントは、自分たちの宗派以外は天国に行けないと信じているから、改宗を促す。
なんという都合のいい考え方なのか。
何かと面倒を引き起こすのは、保守派プロテスタントということだ。→人気ブログランキング

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

『仏像図解新書』石井亜矢子 岩崎 隼

仏の種類(尊格)は数え切れないくらいあるという。それほど多い理由は、(大乗)仏教には釈迦に帰依した異教の神々も仏に組み入れるという、度量の広さがあったからだ。イラストは、それぞれの仏像の特徴を見事にとらえていてわかり易い。

仏像図解新書 (小学館101新書)
仏像図解新書
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石井亜矢子 岩崎 隼
小学館新書
2010年4月 ★★★★★

日本の仏像は「如来・菩薩・明王・天」の4つのグループに大別することができる。
このグループ分けは、役割分担であり上下関係でもある。

如来には修行を完成した者という意味がある。仏教の称号の中で最高のもの。
釈迦を仏陀と呼ぶが、もともと仏陀という言葉は、釈迦だけでなく悟りを開いた者すべてを指すものだった。広い意味での仏陀の呼名のひとつが如来。ゆえにブッダと如来は同義語と考えいい。
菩薩は如来になるための修行中の仏様、それゆえに若い。
明王は如来が化身した姿で悪人を従わせるため、恐ろしい顔をしている。
天は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道にいる仏のこと。
八部衆は、釈迦に帰依した異教の神々、彼らはすべて古代インドの鬼神や邪神の類である。八部衆には阿修羅がいる。

それぞれの仏像の尊格について詳しく解説し、有名な仏像が安置されている寺社を紹介している。→人気ブログランキングへ

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

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『満つる月の如し 仏師・定朝』

時は、藤原道長が栄華を極めた平安時代(794~1192年)中期。天賦の才をもつ弱冠16歳の仏師・定朝(じょうちょう)と20歳代にして内供奉(ないぐぶ)の座についた僧侶・隆範(りゅうはん)を中心に繰り広げられる物語。
デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を受賞した澤田瞳子の第2作目。本作品は、第32回(2013年)新田次郎文学賞、第2回(2012年)本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞した。
タイトルの『満つる月の如し』は、定朝様式の仏像が「尊様満月の如し」と賞賛されたことによる。

満つる月の如し: 仏師・定朝 (徳間文庫 さ 31-7)
澤田瞳子(Sawada Touko
徳間文庫
2014年10月(←単行本2012年3月) ★★★★★

七条仏所の棟梁・康尚(こうじょう)の息子・定朝は並外れた技量の仏師と評価されている。隆範は、破損された仏像の顔をたちどころに修理した定朝の技に驚嘆し、延暦寺に安置する薬師如来像の造像を依頼するのだった。
はじめは、固辞する定朝であったが、七条仏所の仏師た定朝の彫る仏像は、見る者に仏の慈悲を感じさせた。

売れっ子仏師となった定朝であるが、大皇太后彰子の念持仏の造仏をよりも、盲の僧侶がいて孤児たちが住み着く貧乏寺の造像を優先したのだった。
隆範は、貧しい民のための造仏を優先した定朝に苛立つ自分を恥じていた。
隆範の後押しもあって、定朝は18歳の若さで仏師として初めて法橋位に就いたのだった。

一方、道長の権謀術数によって皇太子の座を追われた敦明(あつあきら)親王は、鬱憤を晴らすかのように狼藉の限りを尽くし、洛中の貴族たち誰もが恐る存在だった。
そんな敦明の妻が病床に伏すと、妻のための念持仏を彫るよう定朝を恫喝したが、定朝は要求に応じるつもりは到底ない。

やがて敦明を陥れようとする政治的謀略に、定朝と隆範は巻き込まれていくのであった。

奈良仏教史が専門の著者ならではの知識に裏付けられた描写と、多くの人物を登場させることによって生まれるストーリーの奥行の深さにより、読み応えがある傑作になっている。→人気ブログランキングへ

与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記/澤田瞳子/光文社/2015年
【2015.06.30】若冲/澤田 瞳子/文藝春秋/2015年
【2015.10.20】満つる月の如し 仏師・定朝/澤田瞳子/徳間文庫/2014年
泣くな道真 ー太宰府の詩ー/澤田瞳子/集英社文庫/2014年

『完全教祖マニュアル』架神恭介 辰巳一世

新興宗教の教祖になるという現実離れした視点から宗教にアプローチすると、宗教がかかえる危うさや非社会性が見えてくる。
傍から見れば、宗教ほど利己的で胡散臭いものはないだろう。その点は、新興宗教であろうと3大宗教であろうと違わない。
本書は、経営者を目指す人の、毛色の変わった啓発本とも捉えられる。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)
完全教祖マニュアル
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架神 恭介 辰巳 一世
ちくま新書
2009年11月

著者が、なにを置いても伝えたいことが、表紙に抜粋されている。
それは以下。
〈皆さんの中に、宗教に関して次のような持論をお持ちの方はいませんか。すなわち、「宗教は社会の安寧秩序を保ち、人々の道徳心を向上させるものであり、社会を乱すものであってはならない」と。残念ながら、これはとんだ見当はずれなので直ちに忘れてください。宗教の本質というのは、むしろ反社会性にこそあるのです。〉この後本文では次のように書かれている。〈特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝だということを胸に刻んでおいてください。 〉

ユダヤ教徒であったイエスは、娼婦や徴税人の話を聞いたり、安息日に医術を施したりしていた。イエスの行動は、今日、社会的に何も問題のないことであるが、当時のユダヤ教社会では反社会的だった。こうしたことは、イスラム教にも仏教にもみられる。

本書の語り口は、ジョークを交え軽くかつ大胆であるが、その実、鋭く深い。
教祖になるために成すべきことは、次のふたつ。
人(信者)をハッピーにする。ほか(社会、他の宗教)との差別化をはかる。
宗教の本質は反社会的なものという著者の指摘は的を射ている。→人気ブログランキングへ

完全教祖マニュアル架神恭介×辰巳一世 ちくま新書 2009年
マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女岡田温司 中公新書 2005年
不思議なキリスト教橋爪大三郎×大澤真幸 講談社新書 2011年
新約聖書 ~イエスと二人のマリア~DVD ジャコモ・カンピオッティ 2012年
ファンシイダンスDVD 周防正行 1989年 
星の旅人たちDVD エミリオ・エステヴェス 2010年
アレクサンドリアDVD アレハンドロ・アメナーバル 2009年
セブンDVD デヴィッド・フィンチャー 1995年

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『マグダラのマリア  エロスとアガペーの聖女』岡田温司

マグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書)
岡田温司 (Okada Atsushi
中公新書
2005年1月

マグダラのマリアは、マグダラで生まれ育ったマリアという意味である。マグダラはイスラエル北東部ガリラヤ湖北西岸にあった町で、現在はミグダルとよばれる。

イエスによって回心した罪深い女、聖女にして娼婦、このマグダラのマリアのイメージは、固定されたものではなく時代とともに揺らいでいたという。それはジェンダー間の葛藤の産物だという。このマグダラのマリアに対するステレオタイプなイメージが、いつ頃どのようにできあがったのかが、本書のテーマである。

マグダラはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書で、おもに磔刑、埋葬、復活に関わる場面に登場している。しかし、回心した娼婦という彼女の核心に関わるアイデンティティについての記載はまったくないという。4人の福音書記者たちの間には、マグダラに対する評価に違いがある。ルカはマグダラに対して手厳しい。率直にいえば、イエスの復活に最初に立ち会ったのが女のマグダラというのは、男の信徒として認めがたいということなのだろう。
原始キリスト教において、マグダラが娼婦であったという記録はないという。

マグダラの人物像が、今のように「娼婦から改悛して熱心な信徒になった」という濡れ衣を着せられるのは、14世紀からだという。これは男性が女性信徒に説教するときに都合が良かった。「いにしえの娼婦よりも昨今の女性の振る舞いには目に余るものがある。マグダラを見習って信仰に身を捧げなさい」というふうに利用されたのである。マグダラは美しく品格があったから、そのような筋書きが受け入れられたのだという。
罪深い生活を送ったマグダラが改悛し、聖女として聖母マリアに近づくことができた。いくら罪深くとも改悛すれば何とかなる。娼婦と聖女、落差が大きければ大きいほど説得力があるのだ。

当時、女子修道院は恵まれない女性たちの避難場所であった。そこには、娼婦、夫に先立たれた妻、家庭内暴力から逃れる女、レイプされた女、父に連れらてきた娘、孤児、病人など、マグダラに共感を持つ女性は大勢いた。
さらに、16世紀のローマでは、コルティジャーナ(高級娼婦)たちが、貴族や皇帝や教皇たちの愛人として囲われた事実がある。マグダラはコルティジャーナたちにとって、信仰の対象として必須の存在だったのである。彼女たちのアイドルといってもいい。
華美な服装を身にまとい多数の装飾品を身につける姿も許されるし、身体の線をあらわにし恍惚の表情でエロティックな姿も許される。そんな聖女マグダラは、絵を依頼する貴族や教会にとっても画家たちにとっても、恰好の題材であったに違いない。

悪魔の化身であるエヴァは忌避の対象であり、聖母マリアは近づき難い天上人である。いつの間にか濡れ衣を着せられたマグダラのマリアは、その間を埋めるグラデュエーションの存在として、人びとに受け入れられたのだろう。→ブログランキングへ

→『不思議なキリスト教』 (講談社現代新書)11年
→『新約聖書  ~イエスと二人のマリア~』12年

『ツリー・オブ・ライフ』 

ツリー・オブ・ライフ [DVD]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 (2012-03-07)
原題:The Tree of Life
監督:テレンス・マリック
製作国:アメリカ 2011年

タイトルの「生命の樹」は、アダムとイヴがその実を食べてエデンの園を追放された樹のこと。

ジャック(ショーン・ペン)は実業家として成功していたが、人生の岐路に立っている。
少年時代を回想することで、救いをえることができるのか。
1950年代、テキサスの小さな田舎町で、ジャックは両親と2人の弟に囲まれて静かな生活を送っていた。
一見平穏そうな一家だったが、ジャックにとっては心が安らがなかった。
父親(ブラッド・ピット)は社会的な成功がすべてという考えで、子供たちに厳格に接していた。母親(ジェシカ・チャステイン)は、子供たちを包み込む優しい女だった。
ジャックは、父に反感を抱きながら、父と同じような考え方を持つようになり、葛藤を繰り返すのだった。
ごく平凡な一家の物語に、宇宙創成そして地球の歴史をたどるイメージの映像を挟み込むことによって、何を表現したかったのか。
神だろうか、ちっぽけな人間の存在だろうか、人間の奢りに対する戒めだろうか。

カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞したが、初映では賞賛とブーイングがあいなかばして起こったそうだ。

『クスクスの謎―人と人をつなげる粒パスタの魅力 』 にむら じゅんこ

現在、クスクスが主食として日常的に食べられている地域は、いわゆる「マグレブ5国」。アルジェリア、モロッコ、チュニジア、モーリタリア、リビアの西部である。
さらに、フランスでは国民食となりつつあるとのこと。

クスクスの謎―人と人をつなげる粒パスタの魅力 (平凡社新書)
にむら じゅんこ
平凡社
2012年1月13日
ISBN 978-4-582-85623-1
★★★★★

日本ではほとんど人口に膾炙していないクスクスはどんなものなのか。
『トレゾーフランス語辞典』によると、
《蒸された硬質小麦をベースに作られるアフリカ料理。肉(羊、鶏、ラクダなど)と野菜類、豆類、時には干し葡萄などを煮込んだスープが一緒に添えられる。》

クスクスの起源は定かではないが、一般的には北アフリカが有力だ。
いつ頃発明されたかも諸説がある。
いずれにしても、ユダヤ教徒もイスラム教徒もキリスト教徒も食べてきた異文化融合の食べ物であるとする。クスクスには歴史が染み込んでいる。

クスクスの材料は小麦ばかりでなく、キビ、アワ、モロコシ、キャッサバ、芋類、タピオカ、ドングリ、米などと多彩である。
粒の大きさもいろいろあり、パスタのようなひも状のものもある。
味付けも、加える食材も、バリエーションは無数であると言っていい。
スープをかけたり、スープにいれたり、スープを添えたり、千変万化なのである。
クスクスは、ダイエット食にも、健康食にも、デザートにも変貌する。
妊婦の滋養、強壮、お祭りの料理、結婚式の料理、貧民救済の食事、恋愛に効くクスクス、呪術用など、その多様性は限りない。

本書は、クスクスを愛する著者の明快な筆さばきによって、クスクスを食べたことがなくとも引き込まれてしまう秀逸な食文化論になっている。

『ふしぎなキリスト教』 橋爪 大三郎 × 大澤 真幸

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
橋爪 大三郎 × 大澤 真幸
講談社
2011年5月
★★★★★


近代化とは、西洋からキリスト教に由来するアイデアや制度やものの考え方を、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程であるとしている。今後、新たな社会を選択したり、新たな制度を作り出していくためには、キリスト教を理解しなければならないという。

多民族の国では、自然を崇拝する多神教では統率がとれず立ち行かなかった。そういう国で一神教、つまりキリスト教やイスラム教などの世界宗教が広まった。

一神教では神は絶対である。一神教で偶像崇拝が許されないのは、偶像は人間が作るものだから。偶像を崇めることは人間が自分自身を崇めることになるという。

キリスト教は、神の子であるキリストがいることで 、一神教として不思議な状況が生まれているという。人間そのものが間違った存在であり、人間はどうやても罪(神に背くこと)を犯してしまう、それが原罪である。キリストの贖罪は、人間の罪を引き受けたということである。そこで、キリストが救い主だと受け入れた人は特別に赦されるかもしれないという。つまり裏口入学みたいなもの。キリスト(神の子)を崇めれば神エホバを崇めることになるという、なんとも、一神教らしくない解釈がされた。

キリスト教はユダヤ教の上に成り立っている二段ロケットのようなもの。イエスは、律法を廃棄して愛に置きかえた。ユダヤ教での多数の律法が、キリスト教では「主を愛しなさい、隣人を愛しなさい」のふたつになっという。

イスラム教の方がキリスト教よりも宗教として首尾一貫性があり、16世紀まではイスラム世界が有利であったという。なぜ、キリスト教が世界を牛耳っていったのか。キリスト教に、ユダヤ教やイスラム教のような律法がなかったからだろうという。律法がないから、人間が自由に法律を作ることができた。さらに、キリスト教には宗教法がないので、人間が神学や自然科学を研究する必要があったという。そうしたことにより、キリスト教世界が発展していったとしている。

日本人には神に支配されたくないという感情がある。「はまると怖い」というのが、大多数の日本人の共通感覚。マルクス主義も一神教に似た思想であるから、日本人がマルクス主義を受け入れないという感覚と似ているという。

ふたりの社会学者が対談の形式で、わかりやすくキリスト教を論じている。キリスト教には一神教として不完全な部分があり、イエス・キリストという不思議な存在がある。だからこそ、西洋社会は発展することができたのだろう。