絵画

『美術館の舞台裏』高橋明也

民間美術館である三菱一号館の初代館長という美術展の裏側を知り尽くした立場から、美術展の内情を書いている。
まずは、美術館の経済的窮状を訴える。

かつて、美術展は西ヨーロッパや北米の美術館を中心に、有名絵画の貸借りで成り立っていた。学究的な性格を強く持ちながら地道に作られてきた展覧会は、近年はアジアや中東南米などの新興国が加わることで、商業化路線へ大きく舵をとらざるをえなくなったという。
その原因のひとつが日本にあった。バブル期に、来場者数を増やす展覧会作りをを目指した結果、海外の美術館は日本の海外展を資金獲得に利用する方向に走り出した。

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)
高橋 明也
ちくま新書  2015年12月

美術館が美術展を開催するには、海外との強いパイプを持っていることが重要であった。かつて、日本でこうしたことが可能なのは新聞社をおいてほかになかった。今も、新聞社が主催に名を連ねる海外展が多いのはその名残りであるという。

展覧会の企画は通常5〜6年前から立ちあがる。
〈展覧会作りがスタートすると、海外の折衝においては、展覧会コーディネータや画商、収集家、研究者をはじめ共催する美術館がある場合には、美術関係者との打ち合わせに追われるようになる。国内においては、「チラシ・ポスター・カタログデザイン」「音声ガイド」制作スタッフとの打ち合わせ、「内装デザイン・施工」「運送・展示業務」関係業者とのやりとり、そのほか「保険」「監視業務」に関わる取引先との交渉もあれば、「ミュージアムショップでの商品展開」をどうするかというさまざまな業務が発生する。〉
こうした美術展10本のうち1本くらい、収支がプラスになることがあるという。

ジャーナリズムの長というべき新聞社が展覧会に直接関わるという日本の特殊な構図により、マスコミは紹介はできても批評せずの風潮がすっかりできあがっていることに苦言を呈している。海外では時には痛烈に批判し、時には賞賛する。こうした緊張関係こそ、展覧会に関わる関係者に必要なものだという。

バブル期以降は、ルノアールやモネ、ゴッホ、さらにはシャガール、ピカソなど、日本人に馴染みの深い作家の作品ばかりが、貸し出しを求められるようになり、欧米の美術館は困惑したという。

これからの美術展は、無名作家をキャスティングすることも必要である。
トレンドはファッションブランドの回顧展、マンガやセクシャリティという今までにないテーマが取り上げられている。

『ヤマザキマリの 偏愛ルネサンス美術論』ヤマザキマリ

著者は映画『テルマエ・ロマエ』(2012年)の原作者。17歳でイタリアに渡り国立美術学校で美術史と油絵を学んだ。
ルネサンスは、普通であることに満足しない変人たちが成し遂げたムーブメントであるとする。美術史を扱っているにも関わらず堅苦しさがない。

まずは、フィレンツェで起こった〈初期ルネサンス〉を、サンドロ・ボッティチェリ(1444/45〜1510)を中心にとりあげる。ボッティチェリの師は破天荒な修道士のフィリッポ・リッピ、息子のフィリッピーノ・リッピはボッティチェリの弟子であった。3人の共通点は少女漫画風と言っていいロマチックなところだという。
初期ルネサンスのパトロンは、フィレンツェのメディチ家に代表される資産家たちであった。

ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 (集英社新書)
ヤマザキ マリ
集英社新書
2015年12月 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

次に、舞台はローマに移り、ラファエロ・サンティ(1483〜1520)、ミケランジェロ・ブオナロティ(1475〜1564)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)の三大巨匠が活躍する〈ルネサンス盛期〉となる。
この頃のパトロンは資産家たちから教会に変わる。

その画家がどのように女性像を描いたかを見れば、その画家の人格が推し量れるというのが、著者の持論。
ラファエロは、女性の美を一番認識した人物で、好感が持てるという。ミケランジェロが描く女性は、プロレスラーと見紛う筋骨隆々で色気も何もあったものではないと、筋肉フェチぶりを嘆く。ダ・ヴィンチは、マルチな才能を持った人物だが、人間嫌いでホモセクシャルであった。温かい母性や女性特有の柔らかさを感じられない女性を描いているが、芸術性の高さは認めている。

〈盛期ルネサンス〉の後をヴァザーリは〈マニエリスム〉と呼んだ。マニエリスムとはマンネリと語源となる言葉である。

フィレンツェやローマ以外のイタリアの都市、ヴェネチアやシチリアで活動した人物たちや、フランドルやドイツなどの北方地域で活躍した人物を紹介している。それらの人物の中には、自然描写の名手アレブレヒト・デュラー(1471〜1528)、北方のミケランジェロと呼ばれたハンス・ホルバイン(1497〜1543)、ジャーナリスティックな風刺画を描いたピーテル・ブュルーゲル(1525〜1569)などの特徴的な画風をもった人物がいる。

本書では、誇張と偏見があるといわれるジョルジュ・ヴァザーリ(1511〜1574)の『芸術家列伝』が、ところどころで引用されている。

『恋するフェルメール 37作品への旅』有吉玉青

フェルメール、フェルーメールと世間が騒ぐ前から、フェルメールの追っかけをやっていたと著者は胸を張る。昨日今日のにわかフェルメール好きとは、格が違うという。

著者のフェルメール作品との最初の関わりは奇妙なものだった。
ボストンにあるイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館にあるはずの〈合奏〉を見にいったことろ、係員から「it was stolen」と説明を受けた。〈合奏〉はその6ヶ月前、1990年3月18日に、2度目の盗難にあっていた。それ以来〈合奏〉は行方知れずのままである。

恋するフェルメール 37作品への旅 (講談社文庫)
有吉 玉青
講談社文庫 2010年9月

フェルメール・ラバーとしての矜恃がところどころに顔を出す。たとえば、フェルメールの絵を風俗画などと軽々しく呼んでほしくないとしている。また、〈フルートを持つ女〉は、フェルメールの時間が流れていないから、フェルメールの作品ではないと言い切ったり、〈ヴァージナル前に座る女〉は、はっきりいって下手だと、同伴者と確認しあったりする。フェルメールを本当に愛しているからこそ、よくないものはよくないと言えるとする。

フェルメール作品踏破物としては、本書(単行本は2007年7月刊行)の他に、『フェルメール全点踏破の旅』(朽木ゆり子 2006年9月)、『フェルメール 光の王国』(福岡伸一 2011年8月)がある。個人的に、この3冊を「フェルメール踏破物御三家」と呼んでいる。本書が他の2冊と異なるところは、多分に主観的な視点から書いていることである。

作者のベスト・フェルメールは〈牛乳を注ぐ女〉である。
よく指摘されていることだが、初期の作品にはフェルメールたらしめる構図や室内に満ちる光がないという。また、晩年の作品は額縁や布の質感に衰えが見られるという。

恋するフェルメール  37作品への旅』有吉玉青(2016.02.25)
フェルメールになれなかった男20世紀最大の贋作事件』フランク・ウイン(2014.04.09)
真珠の耳飾りの少女』(映画)(2012.11.04)
深読みフェルメール』朽木ゆり子×福岡伸一(2012.11.02)
フェルメール 静けさの謎を解く』藤田令伊(2011.12.21)
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国』福岡伸一(2011.10.28)

『ピカソは本当に偉いのか?』西岡文彦

パブロ・ピカソを中心に、近代美術の変遷を解説している。
ピカソの作品は油彩1万3千点、版画・素描・陶器など油彩以外が13万点という膨大な数に上る。作品にせよ、金にせよ、女性問題にせよ、ピカソだからこそまかり通った理由があった。

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)
西岡 文彦
新潮文庫
2012年10月 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

『アヴィニオンの娘たち』を描いたとき、ピカソはすでに売れていたので、評価がどうであろうと構わなかった。だから実験的な作品を描くことができたという。
アカデミーの理論教育の教材がヌードだったため、画家にとってヌードを描くことは論文を描くようなもの。最新の手法でヌードを描くことは最新の学説を発表することだった。『アヴィニオンの娘たち』はピカソが世に問うた「新理論の論文」なのである。

ピカソは何人もの女性と生活をともにしたが、結婚したのは二人である。最初の妻オルガとジャクリーヌである。
次々と女性と関係を結び、捨てていく。「ピカソはまず女を犯し、それから絵を描くのです。相手が私であれ誰であり、同じことでした」とはマリー・テレーズの言葉。孫娘がピカソを、「人間の苦悩の熱狂的ファン」と評している。それほど冷たい面を持ち合わせていた人物ということになる。

近代絵画の出発点は、写真に対抗して写実描写を放棄せざるを得なかったことである。
「ピカソを偉い」とする芸術という概念の登場は、美術館というものの誕生と密接に関連している。
教会にあれば神の威光を表し、宮殿にあれば王の権威を表し、市民の家庭にあれば暮らしを美しく彩るというそれぞれの場面で、実用的な目的を持っていた美術は、美術館の登場で象牙の塔ともいうべき、権威ある施設の登場によって、用途から切り離されてしまい、美術品それ自体の持つ色や形の美しさ、細工の巧みさだけが鑑賞されるようになった。以降、美術館なる場所に飾られることを最終ゴールとして作成されるようになる。
美術が実用性というものを軽蔑するようになったのはこの時からである。

審美主義的価値観から見ればピカソの絵は美しくない。
しかし、プロの目から見ると、ピカソの描く線は完璧だという。言い換えれば、ピカソの絵は美しくないが驚異的にうまい。

1929年ニューヨーク現代美術館(MoMA)創設された。
初代館長アレフレッド・バーは、MoMAの威信にかけて、『アヴィニオンの娘たち』を手に入れようとした。
ピカソに関する利権を独占しようとする画商との権力争いや、ピカソ自身の優柔不断と格闘しながら、15年を費やして1939年に、ピカソの1939年大回顧展にこぎつけた。
バーの見る目は正しかったのである。

『巨大化する現代アートビジネス』ダニエル・グラム&カトリーヌ・ラムール

緻密なフィールド・スタディと何人かのキーパーソンに対するインタビューをもとに、現代アートビジネスの現状をおよそ余すところなく伝えている。

1998年に、クリスティーズが、それまで戦後からとされていた現代アートの境界線を、1960年代から現代までと定義した。これにより、若手のアーティストを前面に押し出すことができ、市場が活性化したという。ある意味で、この定義付けが現代アートビジネスを象徴している。市場が活性化するなら、定義すら変えてしまうという姿勢である。ビジネスから見た現代アートは、もはや投機の対象や資産の隠し場所でしかないのかもしれない。
作品を買い上げ倉庫に保管しておいて、高値が付きそうな頃合いを見計らってオークションにかける。アーティストを無視したことが、平然と行われているのが現状である。

巨大化する現代アートビジネス
ダニエル・グラム&カトリーヌ・ラムール/鳥取絹子 訳
紀伊國屋書店  2015年7月

名のあるアーティストのまわりには彼を支える星雲のような一群がいて、それはギャラリーであり、コレクターであり、一部の美術館やメディアからなっているという。
つまり互助機能が働く集団ということであろう。

変化し続けるアートの世界を、先頭集団の100人が牽引している。
彼らはメガコレクターであり、大画商であり、中には美術館の学芸員やアートフェアのディレクターや展覧会のコミッショナー、アートアドバイザーや批評家もいる。重要なのは「彼らはアートの世界で力を持っている」ことであるという。
イギリスの『アート・レヴュー』誌ではアート業界で最も影響力のある100人「パワー100」を、アメリカの『アート・ニューズ』誌では200人のトップコレクターの人名録を発表している。

社会学者アランクマンは次のように語っている。
評価を守るためには、幻想を維持しなければならない。売れなくなれば、下支えする。何をするのかはさておき、先頭を走るアーティストの凋落は阻止しなければならないのだ。

ニューヨーク・メトロポリタン美術館の元館長の現代アートを取り巻く環境を危惧するインタビューが、切実である。
美術館がだせる金額では、 いまのトップアーティストの作品を買うことは不可能である。それほど値段が釣りあがっているということなのだ。

中国市場が活発な理由は、中国人アーティストの作品を、中国人が評価し購入するという内向きの流れが出来上がっているからである。
また、芸術大国フランスの凋落について解説している。原因は国の政策の立ち遅れにあった。

こうしたアートの世界を、すでに1世紀も前に、マルセル・デュシャンが指摘している。つまり、「我々には貨幣に代わるものが沢山ある。貨幣としての金、貨幣としてのプラチナ、そして今や貨幣としてのアートだ!」→人気ブログランキングへ

『ヨイ豊』 梶よう子

黒船来航以来、日本国中が浮足だち徳川幕府の屋台骨が揺らいでいた。
浮世絵(錦絵)の世界も大きな曲がり角にさしかかっていた。そんななか、三代目歌川豊国が亡くなり、画号の相続をめぐり入り婿の清太郎は苦悩する。
第154回(2016年1月)直木賞候補作。

ヨイ豊
ヨイ豊
posted with amazlet at 16.01.21
梶 よう子
講談社  2015年10月 ✴︎✴︎✴︎✴︎

名所の歌川広重、武者の国芳、そして似顔の三代豊国。歌川の三羽烏と呼ばれた三人は同時代に活躍したが、すでに、広重、国芳が亡くなり、さらに豊国を失ったいま、誰が歌川を率いていくのか。版元たちも弟子たちも固唾を飲んで見守っている。

清太郎は真面目が取り柄。画力がありそこそこ売れるのだが、これぞとういう光るものがない。絵を描く力は修練である程度上達するが、見る目は天賦の才であり、清太郎にはそれがないことを自覚しているのだ。
清太郎の一回り下の八十八(やそはち)には、誰もが一目置くずば抜けた画力がある。ところが、兄弟子であろうと師匠であろうとずけずけものを言う。住む所も女房もころころ変える落ち着きのなさ。それに、版元や役者と平気で喧嘩するような男だが、憎めない性格ときている。

版元も弟子たちも清太郎が豊国を継ぐことを願っている。豊国一門の安泰のためという大義の要素が色濃い。鷹揚な性格の妻でさえ、いつまでたっても煮え切らない清太郎をせっつくのだった。それを百も承知の清太郎は、悩みに悩みぬくのだ。

江戸末期から明治にかけての変わり目の時代に、やがて消え去る運命の浮世絵師たちの生き様を描く力作。最後のたたみかける短い文章の連続は、激動の時代に生きる人々の息遣いを感じさせる。→人気ブログランキングへ

→【2015.06.30】『若冲』澤田瞳子

『サザビーズ』石坂泰章

外からは知りえない、画商の仕事や絵画オークションの内側が書かれている。
帰国子女の著者は、大学卒業後、三菱商事に勤務し、その後画商として独立して成功したのち、サザビーズ日本の代表取締役に就任する。
著者は、画商時代、丸ビルと丸の内全体をウォホールの作品で飾るイベントを手がけ成功を収めた。さらにウォーホルのユニクロTシャツを販売にこぎつけ大成功を収めている。

画商の立場からすると、絵画を美術館に納めてしまうと、それでビジネスチャンスは失われてしまう。通常の売買なら、あと何度か訪れるはずのビジネスチャンスを補充する意味で、普通より高く買ってもらうことになるという。
画廊にしろオークション会社にしろ、絵画の売買で利益を得ることが目的であるから、控えめに語られているものの、突き詰めるとシビアな姿勢が貫かれている。

オークション会社が鑑定機関も兼ねていると思っている人が多いが、オークション会社に鑑定書は義務づけられていない。
買う場合頼りになるには、作品のたどってきた来歴や展覧履歴のほか、最終的には自分の目である。
オークション会社が贋作を扱ったとなれば信用に関わる。贋作を排除しなければならない。
本物でない作品に出会った場合、何かが違うと直感が働く。人物画の場合だと、「よく手足を見ろ」と言われる。うまい贋作家でも顔は一生懸命描いても、ほかでふと手を抜くことがある。
作家の特徴がテンコ盛りになっている作品も危ない。シャガールで言えば、花、サーカス、故郷、花嫁、エッフル塔すべてが入った作品は注意を要する。絵はいくらまねて描いても、その人間の心情が表れる。この場合、贋作者の欲が現れたのだ。

オークションを仕切るオークショニアは資格が必要である。
オークショニアは、値段が決まりそうになっても、まだ値が上がると見るや言葉で煽って、やりとりを活発にするテクニックを持っている。
アートは価格があってないようなものなどと言われるがそうではない。もしそうなら資産として持てるはずがない。さまざまな要因で価格は変動するが、やがて、落ち着くところに落ち着くのである。→人気ブログランキングへ

フェルメール帰属『聖プラクセディス』

国立西洋美術館の常設展に、今年の3月から『聖プラクセディス』(1665年ごろ)が展示されている。『聖プラクセディス』はヨハネス・フェルメール(1632~1675年)の作とされ、昨年7月に、ロンドンでのクリスティーズの競売で、日本人が約11億円で落札した。本作品のタイトルの下には、フェルメール「作」ではなく、「帰属」と書かれている。本作品は、フェルメールの作かどうか専門家の間で意見が分かれているため、国立西洋美術館が配慮して、「帰属」という見慣れない単語を使ったのである。

クリスティーズがフェルメールの真作として本作品を競売にかけたのは、白色絵の具に含まれる鉛の同位体比が、フェルメールの初期の作品に使われている白色絵の具と同じであったという分析結果による。フェルメールの作ではないとする専門家の主張は、本作品はイタリアのフェリーチェ・フィチェレッリが描いた『聖プラクセディス』と構図がまったく同じで、フェルメールではない誰かが模写したと思われるが、フィチェレッリの作品がイタリアから国外に出た形跡はなく、またフェルメールは恐らくイタリアを訪れていないはずだとする。ただし、フェルメール作では左手に十字架を持っている。

私の推測だが、フェルメールの真作と認めることに慎重な風潮は、もうひとつの理由があると思う。ヨーロッパで第2次世界大戦が終焉した1945年7月に発覚した、オランダのハン・ファン・メーヘレンによる美術史上最悪の贋作事件があるからではないだろうか。ファン・メーヘレンは、敵国ナチス・ドイツのナンバー2であったヘルマン・ゲーリングに、フェルメール作とされる『姦通の女』を売った容疑で国家反逆罪を問われ逮捕された。裁判の過程で明らかにされたのは、『姦通の女』はファン・メーヘレン自身が描いた贋作という仰天の事実であった。また、当時の高名な美術評論家がフェルメールの真作と褒め称え、オランダの国宝級の作品に祭り上げられた『エマオの食事』も、ファン・メーヘレンの手によるものだった。
この事件は、『フェルメールになれなかった男』(フランク・ウイン、ちくま文庫)に、詳しく書かれている。

殉教者の流した血を布でふき取り壺に入れる聖女が描かれた『聖プラクセディス』からは、気のせいかもしれないが、オーラが放たれているように見えた。→人気ブログランキングへ

『アート鑑賞、超入門!』藤田令伊

美術展に行くと、音声ガイドを借りて、会場のセッションごとに掲げられているパネルの説明文をじっくり読むことにしている。説明文で美術展の意図と大まかな流れをつかみ、ガイドで作品のバックグラウンドを知る。
美術展の目玉の作品は時間をかけてじっくり見て、他は入場者の流れに身を委ね、順路に沿って展示室を巡り、すっかり美術展を制覇した気分になって、グッズ売り場にたどり着くというのが、いつものパターンであった。
本書に照らし合わせると私の鑑賞法は、お話にならないくらい、ダメ。

アート鑑賞、超入門!  7つの視点 (集英社新書)
藤田令伊(Fujita Rei
2015年1月 ★★★★★

著者は、アートの「主体的」な鑑賞の方法をさまざまな観点からわかりやすく解説している。
たとえば、描かれていることを言葉で説明してみる(ディスクリプション)。
その作品を買うつもり(エア買い付け)で見る。
見たアートについて他人と話をしてみる。
知識があると先入観となって、そのままの心で見ることができにくくなる。知識は部下であると考える、意思決定はあくまで自分。
あえて肯定的に見たり否定的に見たりすると、多角的に見ることができる。
スキーマ(考え方のクセ)を崩せるかがポイント。スキーマを崩せば、新しい「気づき」が生まれる。
など、あくまで「主体的」にがテーマ。目から鱗のアート鑑賞法が紹介されている。→ブログランキングへ

現代アート、超入門!』藤田令伊【2013.09.29】
フェルメール 静けさの謎を解く』藤田令伊【2011.12.23】

ル ヴァン美術館

11月◯日(月) sun

ル ヴァン美術館は、国道18号のバイパスから細い道に入って5~6キロ行ったところにある。周りは畑で、 美術館に隣接してカフェがあり、カフェの裏手にある10台ほどの駐車スペースに車を停めた。

11月3日をもって冬季の閉館期間に入るとのこと。
つまり今日、ただいま午後3時、そろそろ閉館するのだと、カフェの係の女性がニコニコしながら言う。 もうすぐ冬ですからとつけたした。
この辺りはゴールデンウィークに観光客が訪れるが、その後しばらくは賑わうことはないので、開館は6月とのこと。バラが満開のころだそうだ。

今年の開館中は、春のアートフェティバル/ローズ フェスティバル バラとお茶の会/フラワーアレンジメント 体験教室/サマーコンサート/秋のアートフェスティバル などが開かれた。

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今年の企画展は『大正の理想 西村伊作 その生活と芸術』。
ル ヴァン美術館はもともと西村伊作の作品を所有している美術館である。
西村伊作(1884~1963年)は、日常生活のなかに芸術をとり入れ生活を豊かにするという発想で活動した人物である。
絵を描き陶器を作り、西洋建築の設計し、女性服のデザインを手がけた。 西村は、与謝野晶子、与謝野鉄幹、石井柏亭とともに文化学院を創設したという。

隣接するカフェのウッドデッキで庭を眺めながらコーヒーを飲むことにした。
紅葉をすぎた木々の葉は散りはじめ、芝生は緑色が薄れところどころ赤茶けている。コートをはおりひざ掛け毛布を借りて、晩秋の空をハックにくっきりと見える浅間山を眺めながらコーヒーを飲んだ。
ちなみに、ル ヴァンとは、風が通り抜ける道という意味らしい。
風は冷たいが、ここのコーヒーは旨い。→ブログランキングへ

ル ヴァン美術館
長野県北佐久郡軽井沢町長倉957-10

【2014.11.05】ル ヴァン美術館
【2014.07.31】北斎館(信州小布施)/ウィキペディアのこと
【2014.05.08】千住博美術館/軽井沢現代美術館
【2013.09.27】セゾン現代美術館