モーターサイクル・ダイアリーズ エルネスト・チェ・ゲバラ
1951年12月、エルンスト・チェ・ゲバラは、ブエノス大学医学部在学中に、夏の南アメリカ大陸を、友人のアルベルト・グラナードとともに旅した。
本書は、オートバイにまたがり、ブエノス・アイレスを出発したところからはじまり、アルゼンチンを大西洋岸沿いに下り、パンパを横切り、アンデス山脈を越えてチリに入り、チリを北上し、ペルー、コロンビアを通り、ベネゼイラの首都カラカスに到着したところで終わる。
モーターサイクル・ダイアリーズ エルネスト・チェ・ゲバラ/棚橋加奈江 訳 角川文庫 2004年 |
あるときは知人を訪ねて歓待され、あるときは医学生であることで病院に泊めてもらい、あるときは詐欺まがいの手口で食事にありついたりする。さらに、無銭宿泊までしてしまう。旅は、常に「行き当たりばったり」という大まかな方針があるだけだ。空腹と金がない状態は常につきまとい、ゲバラは持病の喘息に悩まされる。
悪路を行くバイクはしょっちゅう転倒を余儀なくされ故障を繰り返し、ついに壊れてしまう。そこから、ふたりは交渉能力を発揮し、トラックを利用してヒッチハイクで移動する。チリの中部では航路で北上するために密航を企てるが、きつい便所掃除の任務を課せられるなどして、なんとかペルーのリマにたどり着く。
リマでは、アルベルトがらい病研究者と偽り、ハンセン病療養所を見学させてもらい、病院に泊まることができた。数日間滞在し、騙された患者たちは集めた現金を渡してくれた。
崖っぷちの道路を転落の恐怖と戦いながらトラックに揺られ、山越えでは寒さに震え、河に浮かぶ船の上では、大群の蚊がゲバラたちの肉を刺しまくった。コロンビアでは軍の兵士の検閲を何回も受ける羽目になるが、何とかベネゼエラのカラカスにたどり着いた。
グラナードはカラカスのハンセン病患者の村に留まり、ゲバラは医学部を卒業するため帰国するところで手記は終わる。
巻末の年表によれば、1953年、ゲバラは通常なら6年かかる医学部の課程を3年で終えて、医師の資格を取得した。
ゲバラの人間的な魅力を大いに感じさせる手記だ。それにしても、母親にあてた手紙からは、ゲバラのマザコンぶりがうかがわれる。
本書に掲載されている《「チェ・ゲバラ」ラテンアメリカ・センター》の文書によると、この体験記録は、後年、ゲバラ自身が物語風に書き直したものである。→人気ブログランキング