伝記

2017年1月26日 (木)

モーターサイクル・ダイアリーズ エルネスト・チェ・ゲバラ

1951年12月、エルンスト・チェ・ゲバラは、ブエノス大学医学部在学中に、夏の南アメリカ大陸を、友人のアルベルト・グラナードとともに旅した。
本書は、オートバイにまたがり、ブエノス・アイレスを出発したところからはじまり、アルゼンチンを大西洋岸沿いに下り、パンパを横切り、アンデス山脈を越えてチリに入り、チリを北上し、ペルー、コロンビアを通り、ベネゼイラの首都カラカスに到着したところで終わる。
Image_20201211101701モーターサイクル・ダイアリーズ
エルネスト・チェ・ゲバラ/棚橋加奈江 訳
角川文庫
2004年

あるときは知人を訪ねて歓待され、あるときは医学生であることで病院に泊めてもらい、あるときは詐欺まがいの手口で食事にありついたりする。さらに、無銭宿泊までしてしまう。旅は、常に「行き当たりばったり」という大まかな方針があるだけだ。空腹と金がない状態は常につきまとい、ゲバラは持病の喘息に悩まされる。

悪路を行くバイクはしょっちゅう転倒を余儀なくされ故障を繰り返し、ついに壊れてしまう。そこから、ふたりは交渉能力を発揮し、トラックを利用してヒッチハイクで移動する。チリの中部では航路で北上するために密航を企てるが、きつい便所掃除の任務を課せられるなどして、なんとかペルーのリマにたどり着く。
リマでは、アルベルトがらい病研究者と偽り、ハンセン病療養所を見学させてもらい、病院に泊まることができた。数日間滞在し、騙された患者たちは集めた現金を渡してくれた。

崖っぷちの道路を転落の恐怖と戦いながらトラックに揺られ、山越えでは寒さに震え、河に浮かぶ船の上では、大群の蚊がゲバラたちの肉を刺しまくった。コロンビアでは軍の兵士の検閲を何回も受ける羽目になるが、何とかベネゼエラのカラカスにたどり着いた。
グラナードはカラカスのハンセン病患者の村に留まり、ゲバラは医学部を卒業するため帰国するところで手記は終わる。

巻末の年表によれば、1953年、ゲバラは通常なら6年かかる医学部の課程を3年で終えて、医師の資格を取得した。

ゲバラの人間的な魅力を大いに感じさせる手記だ。それにしても、母親にあてた手紙からは、ゲバラのマザコンぶりがうかがわれる。
本書に掲載されている《「チェ・ゲバラ」ラテンアメリカ・センター》の文書によると、この体験記録は、後年、ゲバラ自身が物語風に書き直したものである。→人気ブログランキング

2016年4月14日 (木)

アイム・ノット・ゼア

ボブ・ディランは、時代の変遷とともに自らの音楽性を変化させてきた。その強引とも思える変貌ぶりはファンを戸惑わせたりあるいは怒らせたりした。
初期には、プロテスト・ソングを歌うフォーク・シンガーとして脚光を浴び、脱皮してロックン・ローラーになり、あるいは映画俳優として活動し、リズム&ブルースを歌い、ゴスペルに傾倒したりもした。一時は歌わなくなったこともあった。才能が豊かすぎる飽きっぽい人なのだろう。自分のイメージが固定してしまうのを嫌い、次々とイメージチェンジし、しがみつくファンに揺さぶって振り落とし、熱狂的なファンだけが残った。
Image_20201218175401アイム・ノット・ゼア
I'm Not There
監督:トッド・ヘインズ
脚本:トッド・ヘインズ/オーレン・ムーヴァーマン
音楽:ボブ・ディラン
アメリカ 2007年 136分
数日前(2016年4月)の新聞に、ボブ・ディランが「天国への扉」と名付けた鉄の彫刻の展覧会をロンドンで開いたと載っていた。「アイオワの鉄鉱山の町で育ち、毎日鉄の匂いを嗅いでいんだ」とインタビューに答えた。ともかく多才なのだ。表現のスタイルを変えただけでディラン自身の本質はおそらく変わっていないのだろう。

『アイム・ノット・ゼア』は、『千の風になって』の歌詞のようなタイトルだ。

13111811_2本作では、ボブ・ディランという固有名詞をまったく使わずに、6つのエピソードを別の人物が演じていて、それぞれがひとつのストーリーとして成り立つ構成になっている。変幻自在なディランを描くには、こうした手法がふさわしいかもしれない。

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映画は、19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボー(ベン・ウィショー)が「なぜプロテスト・ミュージックをやめたのか?」という質問を受けている場面から始まる。このランボーが詩的な的を射たようなあるいははぐらかしたようなことをごたごた話し、いかにもディランらしい話の内容なのだが、彼は6つのエピソードをつなぐ役割を担う。

1959年、憧れのウディ・ガスリーに会いに行こうと「ファシストを殺すマシン」と書かれたギターケースを持つ黒人少年ウディ(マーカス・カール・フランクリン)は、貨物列車に乗り込み、ある黒人ブルース・シンガーの家に転がり込む。そこで「今の世界のことを歌いなさい」と女主人に助言を受け、再び旅に出る。そして入院しているウディ・ガスリーの病室にたどり着き、ギターを弾きながら歌うのだった。望みがかなったのだ。

60年代後半、プロテストソングを歌うジャック・ロリンズ(クリスチャン・ベール)は時代の寵児として脚光を浴びていた。しかしパーティでJFKの殺害犯を称えるようなことを語り、反感を買い身を隠すことになる。
約20年後、彼は教会でジョン牧師と名乗ってゴスペルを歌っていた。

ベトナム戦争が本格化した1965年、俳優のロビー(ヒース・レジャー)は、美大生のクレア(シャルロット・ゲンズブール)と出会い結婚する。しかし2人の間は次第にぎくしゃくし始める。8年後、1973年、ベトナム戦争からの米軍撤退のニュースをテレビで見ていたクレアは離婚を決意する。

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1965年、ジュード(ケイト・ブランシェット)はロックバンドを率いてフォーク・フェスティバルに出演しブーイングにさらされる。その後、彼はバンドと共にロンドンに向かい、ライブで再びロックを演奏する。
このケイト・ブランシェットが演じるディランが、もっともディラン本人に似ているところに、監督の遊び心と目の確かさ表れている。

西部の町リドルでビリー(リチャード・ギア)はひっそり暮らしていた。道路建設のため町民に立ち退き命令が下る。ビリーはその黒幕がギャレットであることを突き止め、ギャレットの演説会で彼の悪行を批判する。町民たちはその言葉で一斉に蜂起する。
そしてビリーは安住の地を求めて放浪の旅に出る。彼のギターケースには「ファシストを殺すマシン」と書かれていた。少年ウディが持っていたギターである。→人気ブログランキング

ボブ・ディラン解体新書
アイム・ノット・ゼア』(DVD)

2014年10月 1日 (水)

アンディ・ウォーホルを撃った女

1968年、アンディ・ウォーホルを銃で撃ち重症を負わせたヴァレリー・ソラナスは、自らの考えに凝り固まっていた。ソラナスは不遇な少女時代を過ごし、やがてレスビアンに目覚めた。独自に「男性切り刻み協会(The Society of Cutting Up Men)」を組織し『SCUM宣言』を自費出版して、レスビアンたちに男性蔑視の過激な思想を呼びかけたが、世間の反応は冷たかった。「男性切り刻み協会」とはなんとも凄まじいネーミングである。
9b7e8c94929c45f3a6643742f5a478d1I SHOT ANDY WARHOL / アンディ・ウォーホルを撃った女
I Shot Andy Warhol
監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン/ダニエル・ミナハン
音楽:ジョン・ケイル
アメリカ  1996年  105分

当時、時代のカリスマであったウォーホルなら自分の考えを受け入れてくれると思った彼女は、ウォーホルが主催するファクトリーに出入りするようになる。ソラナスはウォーホルの男も女も超越したような中性的なところに、自分を理解してくれそうな印象を持ったのかもしれない。

定職に就いていないソラナスは、男に体を売って生活費を稼がなければならない悲惨な状況にあった。

人の出入りの多いファクトリーでは、ウォーホルのお気に入りのファッショナブルで才色兼備の女性たちがいて、作品製作を担う男性と女性がいて、その他の取り巻きがいた。男性マネジャーには、ウォーホルに有益でない人物が必要以上に彼に近づかないようにガードするという役目もあった。

この映画では省略されているが、ウォーホルはソラナスをアングラ映画に出演させている。
そんなこともあり、ソラナスにはウォーホルが自分の考えに賛同したかに思えた。しかし、マネージャーに辛辣な言葉を浴びせられ、実際はウォーホルが彼女を鼻にもかけていなかったとわかり、彼女は逆恨みし犯行に及んだのだった。

本作も、ウォーホルと恋愛関係にあったイーディ・セジウィックを描いた『ファクトリーガール』(2006年)も、ウォーホルを冷たい人物として描いている。実際の映像で見たウォーホルには、例えばかつてTDKビデオテープのコマーシャルに出ていたが、そのような冷たさと中性的なもの、それとソラナスにも通じるエキセントリックなものが感じられるのである。→人気ブログランキング

2014年9月 7日 (日)

ハンナ・アーレント

哲学者ハンナ・アーレントの半生を描いた伝記映画である。
映画の冒頭、「ドイツ系ユダヤ人ハンナ・アーレントは、ハイデガーに師事、哲学を学ぶ。1933年ナチスの迫害を逃れて亡命先で夫ハインリヒと出会い、その後アメリカへ。物語は1960年ナチス戦犯アイヒマンが潜伏先で捕らえられたところから始まる。―」
とテロップが流れる。

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Hannah Arendt
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
脚本:マルガレーテ・フォン・トロッタ/パメラ・カッツ
音楽:アンドレ・マーゲンターラー
ドイツ ルクセンブルグ フランス  2012年  114分 

ハンナ(バルバラ・スコヴァ)は、全体主義を産んだ政治思想を研究する著名な哲学者であった。
彼女は『ニューヨーカー』誌から、エルサレムで開かれるアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、記事を書く仕事の依頼を引き受ける。
記事の執筆者として彼女ほどの適任者はいないだろう。
書いた分から雑誌に載せたいという出版社の申し出に対し、彼女は全部書き上げてからと断っている。ハンナにすれば、苦悩の末に書き上げる記事はセンセーショナルなものになると承知していて、世間の雑音に惑わされることなく、書き上げたかったのだろう。
そして1963年に、『イエルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』を発表する。

その内容は、まさに世界を揺るがすセンセーショナルなものであった。
まずイエルサレムの地方裁判所で行われ、アイヒマンを絞首刑と判決した裁判に正統性があるのかと問う。アイヒマンはただ上からの命令を伝達しただけであり、思考不能であったとした。凡庸な悪と根源的な悪とは異なるとし、アイヒマンは凡庸な悪に過ぎない。またユダヤ人の中には指導的な人物がいたとしている。そうでなければ600万人もの人間が殺されるはずがないとした。

ハンナはナチスの大量殺人行為を哲学的に理論づけたのである。それはモラルでは割り切れないものであった。
彼女には、恥知らず、アイヒマンと同等、傲慢、死者の魂を踏みにじる、民族の裏切り者といった、批判が浴びせられた。さらに、古くからの友人が離れていき、大学から辞職勧告されたが、批判する人は彼女のどこが間違っているのかを指摘できていないと、引き下がらなかった。
ハンナの同調者もいた。それは、最愛の夫や友人の作家メアリー、そしてハンナの講義に熱心に耳を傾けた学生たちであった。

彼女は思考することで人間は強くなれるという信念を持つに至った。
思考することは、彼女が哲学の道を歩み始めたときに、ハイデガーが繰り返し語ったことだった。皮肉にも、当時ハンナと不倫関係にあったハイデガーは、やがてナチ党員となりヒトラー総督を褒め称える演説を行っている。→人気ブログランキング

2014年6月12日 (木)

大統領の料理人

ミッテラン大統領の女性料理人ダニエル・デルプエシュの実話をもとに作られた。南極基地のシーンとエリゼ宮でのシーンが交互に映し出される。大統領の料理人に抜擢された主人公は、そのあと南極観測基地の料理人になり、さらに新天地に向かう。
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Les saveurs du Palais
監督:クリスチャン・ヴァンサン
原案:ダニエル・マゼ=デルプシュ
脚本:クリスチャン・ヴァンサン/エチエンヌ・コマール
フランス  2012年 95分

フランスの田舎町でレストランを経営するオルタンス(カトリーヌ・フロ)は、大統領のプライベート料理人としてエリゼ宮へ招聘される。なぜ自分が選ばれたかを訊ねると、ジュエル・ロブションの紹介があったと告げられる。オルタンスは「そういえば、何かの会で名刺を交換したことがあったわ」とつぶやく。

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オルタンスを待ち受けていたのは、宮殿の料理のすべてを担当してきた厨房の男社会。彼女は働きすぎで足が疲労骨折となりながらも、優秀な助手ニコラの献身的な働きに支えられ、大統領の信頼を得ていくのだが、なにかと料理長一派とぶつかる。

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一方、フランスの南極基地では、エリゼ宮を去ったあとのオルタンスが大統領の元料理人として、マスコミに追いかけられる。ともかく、彼女の作る料理が抜群に旨くて、隊員たちは食事のたびに目をキラキラ輝かせている。
マスコミ記者もオルタンスの料理に舌鼓を打つのだった。

エリゼ宮でのオルタンスの仕事が軌道に乗り始めたころ、彼女の作る料理が大統領の持病である糖尿病を悪化させたと、医者や栄養士がケチをつけ始める。さらに、トリュフの仕入れに使った交通費が個人的なものとされ、食材の値段が高すぎるとか、オルタンスの締め出し包囲網が狭められていく。そうして、ついにオルタンスは「やってられないわ」とエリゼ宮を出て行くのである。

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オルタンスの立場を理解している大統領は、厨房に行き言葉をかける。孤軍奮闘する女料理人と常に孤独で決断を迫られる大統領には相通じるものがあった。

南極基地では、オルタンスの任期が終わりに近づき、惜しまれながらのさよならパーティが開かれる。そしてオルタンスは、極上のトリュフを求めて新天地に旅立っていく。→人気ブログランキング

【食に関する映画】(サイト内リンク)
大統領の料理人』(12年)
シェフ! ~三つ星レストランの舞台裏にようこそ~』(12年)
二郎は鮨の夢を見る』(11年)
洋菓子店 コアンドル』(11年)
エル・ブリの秘密  世界一予約の取れないレストラン』(11年)
トースト~幸せになるためのレシピ~』(10年)
再会の食卓』(10年)
食堂かたつむり』(10年)
ラーメンガール』(09年)
女と銃と荒野の麺屋』(09年)
ジュリー&ジュリア』(09年)
ミラノ、愛に生きる』(09年)
幸せのレシピ』(07年)
UDON』(06年)
サイドウェイ』(04年)
フライド・グリーン・トマト』(91年)
料理長(シェフ)殿、ご用心』(78年)

2013年5月13日 (月)

アイリス

実在の作家アイリス・マードックを、若い頃はケイト・ウィンスレットが、アルツハイマー病を患った晩年はジュディ・デンチが鬼気迫る演技で演じている。若い頃と晩年が交互に映し出される。
ジョンを演じたジム・ブロードベントがアカデミー賞助演男優賞を受賞した。
ジム・ブロードベントは『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(11年)で、本作と似た役柄のサッチャー首相の夫デニスを演じた。
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Iris
監督:リチャード・エアー
脚本:リチャード・エアー/チャールズ・ウッド
原作:ジョン・ベイリー
音楽:ジェームズ・ホーナー
イギリス  アメリカ  2001年  91分 

 

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自由奔放で才能あふれる魅力的なアイリスの夫は生半可な男には務まらない。
心が広い、男女関係に疎い、そういうことに気がつかない純粋な、言い方を変えれば鈍感な男に限る。
オックスフォード大学の講師であるジョンは、こうした条件を兼ね備えたアイリスにぴったりの男である。都合のいいことに6歳年下のジョンはアイリスに、一目惚れしてしまう。
アイリスもジョンに惹かれるようになり、ふたりは結婚する。

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結婚してからもアイリスの奔放さは変わらない。アイリスの男性関係に悩まされるが、ひたすら彼女を愛するジョンは苦悩を乗り越えていく。
そんなアイリスはイギリスを代表する小説家として活躍するようになる。

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そして40年後、年老いたアイリスにアルツハイマーの症状が現れる。病気の進行は予想以上に早く、知的だったアイリスがどんどん朽ちていく。そのアイリスをジョンは献身的に介護しようとするが、彼も寄る年波には勝てず、アイリスを施設に預けることにする。

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夫婦の永遠の愛が描かれた感動の伝記ドラマ。
ジョンは若い頃はアイリスの奔放な男性遍歴に悩まされ、老いてからはアルツハイマー病を患った彼女を介護する。傍から見れば、アイリスに振り回された人生に見えるが、彼にとってはアイリスと一緒にいられることが至福だったのだろう。

湖だか池だかで泳ぐシーンが数囘出てくるが、水が少し濁っている。『裏切りのサーカス』でも同じようにあまりきれいでない淡水で泳ぐシーンがあるが、イギリスでは少しくらい濁った水は気にしないのかもしれない。
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【ケイト・ウィンスレット出演作品】
おとなのけんか』Carnage/2011年
『コンテイジョン』Contagion/2011年
『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』Mildred Pierce /2011年
愛を読むひと』The Reader/2008年
リトル・チルドレン』Little Children/2006年
エターナル・サンシャイン』Eternal Sunshine of the Spotless Mind/2004年
ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』The Life of David Gale/2003年 
アイリス』Iris/2001年
『エニグマ』Enigma/2001年
『タイタニック』Titanic/1997年
いつか晴れた日に』Sense and Sensibility/1995年
『乙女の祈り』Heavenly Creatures/1994年

2013年3月25日 (月)

ウォーク・ザ・ライン 君につづく道

カントリーおよびロック・ミュージシャンのジョニー・キャッシュ(1932年2月26日~2003年9月12日)の自伝をもとにした伝記映画。
ジョニー役のホアキン・フェニックス< とジェーン・カーター役のリース・ウィザースプーンは、映画中の歌をすべてを吹き替えなしで歌っている。ふたりとも歌手として十分に通用する歌声である。
本作品は、アカデミー賞の主演男優賞、主演女優賞などにノミネートされ、ウィザースプーンが主演女優賞を受賞した。
音楽を担当したT.ボーン・バーネットは、アカデミー賞やグラミー賞の常連。
最近ではダイアナ・クラールの『Glad Rag Doll』(12年)をプロデュースしている。

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監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド/ギル・デニス
音楽:T.ボーン・バーネット
アメリカ 2005年 136分 

主人公のジョニーは、綿花栽培の小作人農家で育った。
兄は優等生タイプ。綿花を摘むのも早いし、本をよく読んでいて物知り、ジョニーの憧れだった。ジョニーはラジオで音楽ばかり聴いていた。両親にとって兄は自慢の息子、ジョニーはみそっかす、怒られてばかりいた。
ある日、兄が電気ノコギリで材木を切っているときに、機械に巻き込まれて命を失ってしまう。家族は悲嘆にくれ、父のジョニーに対する風当たりはますます強くなっていく。
この兄への思いと父親のジョニーへの対応が、その後のジョニーのコンプレックスとなり彼を苦しめる。

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高校を卒業すると1950年に、ジョニーは空軍に入隊しヨーロッパに配属される。故郷から離れて暮らす寂しさを、彼は作曲することで紛らわせていた。
空軍を除隊した彼は、初恋のヴィヴィアン(ジニファー・グッドウィン)と結婚し、訪問セールスの仕事を始める。
しかし、セールスマンの仕事に身が入らず、心はいつもうわの空。バンド仲間と好きな曲を弾いて歌っているときだけが幸せだった。
ある日、ジョニーはレコード屋に飛び込んでオーディションの約束を取りつける。
空軍時代に書いた曲をバンド仲間と歌った彼は合格し、ミュージシャンとして活動を始めることになるのだった。

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その後は徐々に人気が出て、プロのミュージシャンととしてツアーに出るようになる。
そんなツアーで、少年時代からの憧れの的だったタレントのジューン・カーターと共演したジョニーは、彼女にぞっこん惚れ込んでしまう。
その後、ジョニーは妻との関係が悪化して、アルコールとドラッグでストレスを紛らわす生活を送るようになる。そして、彼はギターのボディに覚醒剤を隠して密輸した罪で逮捕され、どん底へ落ちてしまう。
ファンからも、仕事仲間からも、家族からも見離され、生きる希望を失っていた彼に、ジューンは手を差し延べ、ふたりで歌うようになる。これを機会にジョニーは復活をかけ再起しようとする

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1968年に、ジョニーは刑務所でのコンサートを成功させて復活を果たす。
ジョニーはジェーンに会うたびに求婚し続けた。
そしてカナダのステージ上で、ジョニーはジューンに40回目のプロポーズをし、ついに彼女の承諾を受けるのだった。
執念深さに脱帽。

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この作品は、ふたりが歌うシーンがたっぷり出てきて、歌いっぷりが堂に入っていて、聴き応え見応えがある。→人気ブログランキング
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2013年2月23日 (土)

シスタースマイル ドミニクの歌

本作品は実話をもとに作られた。
主人公のジャニーヌは、両親の束縛から逃れるために修道院に入り、『ドミニク』を歌い一世を風靡するシンガーソングライターになる。そのあと、修道院から自由になるために環俗し、一転してカソリック教会を批判する歌を歌うが、世間には振り向かれず行き詰まってしまう。そんな頑固で純粋な生き方をした女性をセシル・ド・フランスが、好演している。

Image_20201130094301シスタースマイル ドミニクの歌
Sister Smile Soeur  Sourire
監督:ステイン・コニンクス
脚本:クリス・ヴァン・デル・スタッペン/ステイン・コニンクス/アリアン・フェート
音楽:ブリュノ・フォンテーヌ
製作国:仏・ベルギー   2009年 124分 

1950年代末のベルギー。
ジャニーヌの家業はパン屋、両親と従姉妹の4人で暮らしていた。
両親はジャニーヌが平凡な結婚をして、パン屋を継いでくれることを望んでいた。しかし、ジャニーヌは折り合いの悪い母親から逃れ、大切なギターとエルヴィス・プレスリーのプロマイドをもって、ドミニコ会フィシェルモン修道院に入り修道女になる道を選んだ。

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修道院では、愛用のギターを取り上げられてしまう。修道女になるには6年間もの修行が必要であることがわかる。
彼女は、修道院の厳格な規律に縛られる生活に反発するが、修道会の聖人ドミニコを讃える『ドミニク』を作って歌ったところ、修道女たちに絶賛される。

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この歌がレコードになると、瞬く間に全米のヒットチャート入りし、ジャニーヌはシスター・スマイルと名乗り、一夜にして国際的な人気歌手となった。『ドミニク』はエルヴィス・プレスリーのレコードをも凌ぐ300万枚の大ヒットとなり、彼女は印税の大半を修道院に寄付していた。
世間は謎のシスターの素顔を知りたがり、教会にマスコミが押し寄せ、ファンも教会に大挙して訪れるようになる。さらに音信不通だった両親も、スターになった彼女のサインをもらいに、修道院に面会に来るのだった。

子供の頃、「♪ドミニク、ニク、ニク♪」と、意味も考えずにピクニックの歌だろうと思って口ずさんだ歌に、こんなドラマがあったとは驚きである。

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やがて、修道院を出たジャニーヌは、カトリック教会の保守的な体質に批判的な行動をとるようになる。1967年には、産児制限を指示する歌『黄金のピルのために神の栄光あれ』を発売したものの、まったく売れなかった。環俗したシスターに、世間は振り向かなかったのだ。
ドミニクはいわばカソリックを賛辞する歌、一方『黄金のピルのために神の栄光あれ』はカソリックの保守性を批判する歌である。このギャップをファンが受け入れるのは難しい。

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失意のジャニーヌは、かつての親友アニー(サンドリーヌ・ブランク)を訪ね、2人は新しい家を借りて共同生活を始める。このことがスキャンダルとして新聞に載り、母親からは恥知らずと罵られるのだった。

悪いことは続くものだ。
その後、ベルギー政府から彼女に対して5万米ドルの追徴税が課せられる。これに対してジャニーヌは、金は修道院に寄付したと主張したが、寄付であったことを示す領収書が存在しなかった。まともなマネージメントが行われなかったのだ。彼女の言い分は認められず、惨憺たる経済状態に陥ってしまう。
やがて、生きる希望を失った、ジャニーヌはアニーとともに自ら命を絶った。セシル・ド・フランスは存在感のある、訳ありの女性を演じたらぴか一です。→人気ブログランキング

【セシル・ド・フランス出演作品】
少年と自転車』(12年)
ヒアアフター』(10年)
シスタースマイル ドミニクの歌』(09年)
ある秘密 ~愛に焦がれて~』(07年)
モンテーニュー通りのカフェ』(06年)
スパニッシュアパートメント』(02年)

2012年9月27日 (木)

デザート・フラワー

本作は、ワリス・ディリーの自伝『砂漠の女ディリー』の映画化。
ソマリアの遊牧民に生まれ、貧しい小児期から少女期を送り、その後ロンドンでトップモデルとなるまでの波瀾万丈の半生を描いたもの。ワリスを演じたのはエチオピア出身のモデル、リヤ・ケベデである。
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監督:シェリー・ホーマン
脚本:シェリー・ホーマン
原作:ワリス・ディリー 『砂漠の女ディリー』
製作:ピーター・ヘルマン
音楽:マルティン・トードシャローヴ
製作国:ドイツ/ オーストリア/ フランス  2009年  127分

13歳のときにワリスは、60過ぎの男にラクダ5頭との交換で妻にさせられそうになったところを逃げ出し、砂漠を横切って生死の境をさまよいながら港に辿り着きロンドンに渡った。
ロンドンでは大使館で下働きをしていたものの、ソマリアが政情不安となり大使館は閉鎖され、不法滞在の身となった。

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ホームレスの生活をしていたところ、ダンサーを目指すマリリン(サリー・ホーキンス)にまとわりつき、彼女のアパートに潜り込んだ。
ワリスは、英語を上手く話すことができなかったが、それでもなんとかハンバーガーショップでの清掃の仕事につくことができた。
その店に、
客として現れた高名な写真家のドナルドソンに横顔を気に入られ、モデルとしてデビューすることになる。

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そんなある日、下腹部の激痛に襲われたワリスを、マリリンが救急病院に連れて行く。
そこでワリスの下腹部を診察した担当医は、腹痛は割礼が原因であり、割礼部の切開を勧めるのであった。
しかし、ソマリア出身の看護師が現れ、部族の掟を守るべきだと忠告され、ワリスは手術を諦めるのだった。悩んだ末に新しい人生を踏み出そうと決意した彼女は、手術を受けることにする。
その後、彼女はパスポートを獲得し、世界的なモデルとして活躍するようになる。

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トップモデルとなったワリスは、自分が3歳の時に受けた割礼について、WHOにおいて報告した。
このワリスの演説によって、アフリカの一部の地域で行なわれている女性虐待の事実が、世界の人々の知るところとなった。

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アフリカでの女性の割礼は、多くは生後数日から3歳くらいまでに行われ、陰唇と陰核を切除し小さな穴だけを残し縫い合わせる、いわば性器切除であるという。
麻酔をするわけでなく清潔な器具があるわけでもなく、感染により命を落とすこともしばしばであるという。
ワリスのように、排尿や生理にさいして激しい痛みを伴う後遺症に悩まされることもある。
女性は割礼を受けていなければ結婚が許されず、結婚すると夫が刃物で縫合部を切り裂くとのことだ。
WHOの啓蒙にもかかわらず、こうした割礼は今でも行われているという。

主人公ワリスのモデルとしての成功の物語ばかりでなく、彼女自身が受けた割礼の悲惨さが、強く印象に残る作品だ。→人気ブログランキング

2012年8月 4日 (土)

サガンー悲しみよ こんにちはー

1954年、サガンがソルボンヌ大学生の18歳のときに、『悲しみよ こんにちは』を書き、華々しくデヴューするところから映画は始まる。
「バルザックには及ばない、文法的に間違いがある」との新聞批評にサガンは唇を尖らせる。そんな否定的な見方をものともせず、サガンはまたたく間に世界的なベストセラー作家になった。
そして、人気と実力を備えた作家になっていく。

サガンに扮するシルヴィー・テステューの演技が見事だ。
金髪のショートカット、痩せて少年っぽい体型、首を右に傾けてたり髪に手をやる癖が、いかにもサガンっぽい。両手をポケットに突っ込んで、かつかつと靴の音を立てる歩き方、猫背で、片時もタバコを放さない、刹那的でどこか疲れたような雰囲気が漂う。サガンその人に見える。

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原題:Sagan
監督:ディアーヌ・キュリス
脚本:ディアーヌ・キュリス/マルティーヌ・モリコーニ/クレール・ルマレシャル
音楽:アルマン・アマール
製作国:フランス  2008年 

大金持ちとなったサガンにはいつも取り巻きがいた。細かいことには頓着せず、金の勘定は他人に任せ、贅沢で気ままな暮らしを謳歌するサガンだったが、恋愛や結婚はトラブル続きで、傷心を紛らわすための酒とギャンブル、そして麻薬に手を出した。

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あるとき、自ら運転する愛車ジャガーで交通事故を起こし大怪我を負った。その痛みを和らげるために使った麻薬が、のちの麻薬常習につながったと描かれている。その後、麻薬不法所持で警察の家宅捜索を受け捕まっている。

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サガンには2度の結婚と離婚歴があり、二度目の結婚で一人息子のドニが産まれている。ドニはカメラマンとして成功しアメリカに渡るが母親とは疎遠であった。本作ではサガンがドニを寄せ付けなかったように描かれている。
サガンはバイセクシャルであり、長く一緒に暮らしたファッションデザイナーのペギー・ロッシュは心の支えであった。ペギーの死後は編集者のアニック・ゲイユと暮らした。

晩年は税金の支払いがままならず、慣れ親しんだ自宅を売り払らわなければならなかった。重度の麻薬中毒となったサガンは、2004年、孤独のなか心臓病により69歳の生涯を閉じた。→人気ブログランキング

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