夫婦善哉 織田作之助
織田作之助の『夫婦善哉』は、青空文庫で読むことができる。
粗筋は、甲斐性なしの男とくっつくと女は苦労するが、いずれは落ち着くところに落ち着いたという話である。
芸者の下地ッ子の蝶子は、妻子持ちの柳吉とくっついてしまう。柳吉は理髪店の小物を扱う卸問屋の若旦那であった。床に臥す柳吉の父親は柳吉を勘当する。
やがて妹が養子と結婚して店を継いだ。柳吉は廃嫡となった。
夫婦善哉 織田作之助 青空文庫 1940年 |
蝶子はヤトナ芸者となって働きだした。ヤトナとは臨時雇で宴会や婚礼に出張する有芸仲居のことで、芸者の花代よりは随分安上りだから、けちくさい宴会からの需要が多く、儲けも少なかった。ヤトナ芸者の仕事は体力を使ったが、蝶子はもともと陽気な性格だったから、さほど苦にはならなかった。
柳吉は仕事に就いても3ヶ月で辞めてくるし、昔取った杵柄で理髪店の小物を扱う店を始めるが、まったく流行らず閉店する。
やがて、二人の名前からとった「蝶柳」という関東煮屋をはじめ、それなりに繁盛していたものの、柳吉が遊びはじめ店を閉めることになった。次は果物やをやったが、うまくいかなかった。
柳吉が腎結核にかかり、蝶子の母親が子宮癌にかかってどちらも入院した。柳吉は手術を受けたが、母親は亡くなった。
柳吉は湯崎温泉で出養生した。蝶子は実家に帰ってヤトナで稼ぎ柳吉に仕送りした。近所の金持ちから妾にならないかとの打診があった。
芸妓仲間が鉱山の社長夫人になっていた。1000円を期限なしで貸してくれるという。その金でカフェを開いた。それなりに順調だったが、女給たちが売春を始め、一旦全員を辞めさせて、おとなしそうな女を雇い直した。
そんな折、親父の具合が悪いと柳吉の娘が伝えにきた。親父は死んだが、蝶子は葬式に出ることを許されなかった。柳吉から蝶子の父親に蝶子と別れて九州で暮らすとの手紙が送られてきた。あまりのショックで蝶子はカフェの2階でガス自殺未遂を起こした。
10日後、柳吉がカフェに現れて、養子を騙すために蝶子と別れたように見せかけて、遺産を手に入れたという。
ふたりで「夫婦善哉」という店に入って、ぜんざいを啜った。
蝶子と柳吉は義太夫に凝りだした。蝶子が三味線を弾いて柳吉が浄瑠璃を唸り、素人義大会で二等賞をもらった。賞品は大きな座布団で蝶子の大きな尻の下に敷かれている。→人気ブログランキング
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