美術展

『楽園のカンヴァス』原田マハ

キュレーターとしてのキャリアがあり、印象派に造詣が深い著者だからこそ書くことができた絵画ミステリの傑作である。

大原美術館(倉敷市)の監視員を務める早川織江は、母親と娘と暮らすシングルマザーである。織江に反抗する娘は西洋人とのハーフだ。
織江のもとに、東京で開かれる「アンリ・ルソー展」のキュレーターを引き受けてくれようにと依頼が舞い込む。美術展には、MoMAが所有する門外不出だったルソーの名画「夢」を貸し出すという。


楽園のカンヴァス(新潮文庫)

楽園のカンヴァス
posted with amazlet at 20.03.16
原田マハ
新潮文庫
2014年 ✳︎10

話は16年前のスイスの国際都市バーゼルに巻き戻される。
MoMAのアシスタント・キュレーターであるティムにもとに、大富豪コンラート・バトラーから、極秘での鑑定依頼が届いた。
ティムはアンリ・ルソーの研究家であるがまだ駆け出し。宛名をチーフ・キュレーターのトム・ブラウンと間違ったのではないかという後ろめたさを引きずりながら、極秘でバーゼルに向かう。
鑑定を依頼されたもう一人の人物は、パリ大学のオリエ・ハヤカワである。
ふたりに求められたのは、ルソーの「夢」とまったく同じ構図の「夢をみる」の真贋を鑑定するというもの。毎日、指定された謎の古書を1章ずつ読み、最後に真贋を決めて作品講評を書き、その優劣で勝者を決めるというのだ。しかも、勝者には「夢をみる」の取り扱い権利(ハンドリング・ライト)が譲渡されるという。つまり真作であろうと贋作であろうと、勝った方が「夢をみる」を手中にするということである。

古書にはルソーとピカソとの交友が記載されている。さらに、ルソーが恋をした人妻ヤドヴィガやその夫、アポリネールやマリー・ローランサン、そして1900年代初頭のパリに暮らした芸術家たちが顔を出す。ピカソやアポリネールが音頭をとって、そのほかの芸術家たちも集まって、ルソーとヤドヴィカを主賓とした「夜会」の様子が描かれている。

オリエと対決するティムは、オリエに対し思慕の念を抱いていることを自覚する。ティムとオリエの背後には、「夢をみる」を手に入れようとする黒幕たちの思惑が幾重にも交錯しているのだった。

16年前、パリ第4大学留学中の織江は、新進気鋭のルソーの研究者として世界的に注目を集める存在だった。
MoMAのチーフ・キュレーターとなったティム・ブラウンは、ルソーの門外不出の大作「夢」を日本に貸し出すにあたり、その交渉相手を織江に指名したのだ。→人気ブログランキング

デトロイト美術館の奇跡/新潮文庫/2020年
美しき愚か者たちのタブロー/文藝春秋/2019年
モダン The Modern/文藝春秋/2015年
楽園のカンヴァス/原田マハ /新潮文庫/2014年

カラヴァッジョ展@国立西洋美術館

若冲展の行列をフルマラソンに例えるならば、カラヴァッジョ展(2016年3月1日〜6月12日)の行列は、チケット売り場に50名ほどが並んでいたものの、クールダウンのようなものだった。

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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)が活躍したのは、ルネッサンスが終わりバロックに繋がろうとする、マニエリスムと呼ばれる、いわば中だるみの時代。しかし、カルヴァッジョ自身は時代の流れとは関係なく、美術史に燦然と輝く足跡を残し、その天才ぶりを誇示している。カラヴァッジョは下書きなしで直接キャンバスに描いていたという。

本美術展には、カラヴァッジョの真筆が10点ほどあり、あとは、カラヴァッジョの画法を模倣した同時代の、あるいは後世のカラヴァジェスティ(カラヴァジェスキ)たちの作品が展示されている。

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ガラヴァッジョはイタリアの北部、ミラノの出身だから、オランダやベルギーなどの影響を受けている。
『女占い師』は、オランダの風俗画につながるテーマである。指輪を外して盗もうとするロマ族(ジプシー)の女。男はまんざらでもなさそうな顔をしている。
『トカゲに噛まれる少年』のように、カラヴァッジョの特徴は、一瞬の動きを写真のように切り取って描くことだという。

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『ナルキッソス』はトランプの構図である。
『果物籠を持つ少年』は、あえてピントを果物に合わせている。
『バッカス』は、赤ワインの入ったヴェネチアンワイングラスを回して、けだるそうにしている少年が描かれている。バッカスだから神様らしく描かなければならないところを、ぽっちゃりでマッチョに描いている。

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『法悦のマグダラのマリア』は、400年ぶりにカラヴァッジョの真作と認定され、全世界に先駆けて今回日本で公開されたという。カラヴァッジョ自身の改悛の情を表しているのではないかとのうがった見方もある。
半開きの口に白目をむき出し、青白い肌を晒した女性の姿は、まさに「法悦」の姿である。
こうした名画が、400年ぶりカラヴァッジョの真作として認められるという「事件」からうかがわれることは、ヨーロッパには有名画家の真作の予備軍がまだまだあるということだろう。
カラヴァッジョの光と影の使い方はオランダのレンブラント(1606〜1669年)らに影響を与えたという。

カラヴァッジョは、やんちゃ、アドレナリン出っぱなし、喧嘩っ早い、禁止されているにもかかわらず常に剣を持っていた、警察沙汰に何度もなっている、といういわくつきの人物であった。カラヴァッジョの悪行が記載されたバリオーネ裁判所の記録が展示されていた。

ついには、テニスの試合の掛け金をめぐって喧嘩の相手を絞め殺した。警察に追われる身になり4年間の逃亡生活の末、なんとか罪を免れそうになり、シチリア島からローマに帰る途中で熱病で亡くなったという。38歳という若さだった。

生誕300年記念 若冲展@東京都美術館

東京都美術館で開催されている「生誕300年記念 若冲展」(2016.4.22〜5.24)は、ウィークデイの5月18日(水)に、主催者が「320分待ち」の掲示を出したとニュースで取り上げられていた。
無謀にも、5月22日(日)に出かけた。
9時30分開場なので、9時前に着けばなんとかなるだろうという目論見は甘かった。8時45分に着いたものの、チケットを買う長蛇の列ができていて、最後尾が動物園の入り口まで伸びていた。
きょうは日本中が高気圧に覆われて好天だという。昼過ぎには30℃を超えそうな気配だ。チケットを手にするのに1時間半かかった。

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チケットを手にすると早足に移動し入館の列についた。
列は、上野公園内の同じ所を何回か蛇腹のように折り返し、あるいはぐにゃぐにゃと曲がり、トイレの周りをカーブして、美術館の真裏に当たる荷物搬入搬出口にまで達していた。ここが全行程の折り返し点である。あとは先ほどのトイレを再びカーブして、美術館の敷地に沿って正面の門に至る。

まるでマラソンだった。
係員が「水分補給と体温調整に気をつけてください」とアナウンスをして回り、給水所が何か所か設けられていた。日傘の貸し出しもあった。
けたたましいサイレンを鳴らし、救急車が熱中症でやられたおばさんを運んでいった。
門に入って一安心と思いきや、そこから1時間待ち入館してからも待ち、展示室に入ったのは、12時を10分過ぎていた。

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若冲の魅力を一言で表せば「いまでも斬新さを感じさせる独創性とユーモア」だろう。

展示室内も凄まじく混雑していて、係員は「立ち止まらないでください」、「この会場は混んでいるので、別の階から見てください」と言う。そんなこと言われても炎天下で4時間近く並んだ客には、もはや順路に逆らってまで移動する気力はなく、ただ流れに逆らわぬよう鳴りを潜めているのが精一杯なのだ。
「音声ガイドを聞きながら鑑賞すると停滞しますので、音声ガイドは後で聞いてください」などと、神経を逆撫でするような言葉をひきりなしに口にしていた。

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そんな無体な状況のなか、若冲の鶏たちはそこかしこで鳴き声をあげて閲覧客を歓迎してくれてるようであったし、『象と鯨図屏風』は「よく来たな」と迎えてくれるようであった。『鳥獣花木図屏風』は「パラダイスへようこそ」と言っているようだった。
『釈迦三尊像』は、「苦行を乗り越えてお集まりのみなさん、極楽にいけますよ」と優しく語っていた。

→『若冲』澤田瞳子

 

『美術館の舞台裏』高橋明也

民間美術館である三菱一号館の初代館長という美術展の裏側を知り尽くした立場から、美術展の内情を書いている。
まずは、美術館の経済的窮状を訴える。

かつて、美術展は西ヨーロッパや北米の美術館を中心に、有名絵画の貸借りで成り立っていた。学究的な性格を強く持ちながら地道に作られてきた展覧会は、近年はアジアや中東南米などの新興国が加わることで、商業化路線へ大きく舵をとらざるをえなくなったという。
その原因のひとつが日本にあった。バブル期に、来場者数を増やす展覧会作りをを目指した結果、海外の美術館は日本の海外展を資金獲得に利用する方向に走り出した。

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには

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高橋 明也
ちくま新書  2015年12月

美術館が美術展を開催するには、海外との強いパイプを持っていることが重要であった。かつて、日本でこうしたことが可能なのは新聞社をおいてほかになかった。今も、新聞社が主催に名を連ねる海外展が多いのはその名残りであるという。

展覧会の企画は通常5〜6年前から立ちあがる。
〈展覧会作りがスタートすると、海外の折衝においては、展覧会コーディネータや画商、収集家、研究者をはじめ共催する美術館がある場合には、美術関係者との打ち合わせに追われるようになる。国内においては、「チラシ・ポスター・カタログデザイン」「音声ガイド」制作スタッフとの打ち合わせ、「内装デザイン・施工」「運送・展示業務」関係業者とのやりとり、そのほか「保険」「監視業務」に関わる取引先との交渉もあれば、「ミュージアムショップでの商品展開」をどうするかというさまざまな業務が発生する。〉
こうした美術展10本のうち1本くらい、収支がプラスになることがあるという。

ジャーナリズムの長というべき新聞社が展覧会に直接関わるという日本の特殊な構図により、マスコミは紹介はできても批評せずの風潮がすっかりできあがっていることに苦言を呈している。海外では時には痛烈に批判し、時には賞賛する。こうした緊張関係こそ、展覧会に関わる関係者に必要なものだという。

バブル期以降は、ルノアールやモネ、ゴッホ、さらにはシャガール、ピカソなど、日本人に馴染みの深い作家の作品ばかりが、貸し出しを求められるようになり、欧米の美術館は困惑したという。

これからの美術展は、無名作家をキャスティングすることも必要である。
トレンドはファッションブランドの回顧展、マンガやセクシャリティという今までにないテーマが取り上げられている。

ガレの庭展@東京都庭園美術館

東京都庭園美術館は恵比寿からの直線距離は近いが、恵比寿と白金台の間に目黒川の崖があり迂回しなくてはならないと、遠回りする理由をタクシーの運転手が説明する。
庭園美術館の門から建物までの道は広く、道の両側のところどころに植えてあるソメイヨシノはまだ咲いていないが、梅は満開だった。美術館は灰色がかったクリーム色の落ち着いた造りである。

東京都庭園美術館は旧朝香宮邸であるとパンフレットに書かれている。
朝香宮邸は1933年に竣工、幾何学的なアール・デコ様式が存分に取り入れられた建物である。1947年朝香宮家が皇籍を離脱してからは、吉田茂が公邸として1954年まで使用した。赤坂迎賓館が改装されるまでの1955年から1974年までの間は、迎賓館として使われた。そして東京都に委譲され、1983年、東京都庭園美術館として一般に公開されるに至った。

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第一次世界大戦以降、アール・ヌーボーは世紀末の頽廃的なデザインとして廃れ、かわりに幾何学的模様を尊重するアール・デコへ移り変わる。1960年代にアメリカでアール・ヌーボーのリバイバルが起こるまでは、美術史上ほとんど顧みられることがなかったという。
そんな歴史を踏まえると、アール・デコ様式の朝香宮邸で、アール・ヌーボーの旗手であるエミール・ガレの美術展が行われるのは、味なマッチングと言えるだろう。

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館に入ると、右に行くべきやら左に行くべきやら、順路が示されていない。あるいは示されていても、あまりにも控え目で目につかないから、まあ適当にというゆったりとした空気が漂っていた。

ガレの作品には、アイデアをものしようとする強い意図がみえる。植物や昆虫を題材にしたガラス工芸品は、それぞれに工夫が施され、悪趣味とされかねないくらいに派手である。ガレの特徴は、それぞれの動植物がもつ特徴を少し大げさに表現しているところにある。
ガレは、伝統的な様式の継承にはじまり、東方文化への憧景、特にジャポニズムへの強い関心があった。それらを独自に解釈し、豊かな想像力と遊び心で作品を作り上げた。
オルセー美術館所蔵の作品の下絵も展示されていた。
それぞれの作品の所蔵元が書かれていたが、多くが北澤美術館(諏訪市)の所蔵であった。まるで、北澤美術館の出張美術展のようであった。

 

ガレ(1846〜1904年)は陶磁器焼きと家具製造の家に生まれた。
1877年父親に代わって、フランス北東部の都市ナンシーにある工場の責任者となった。翌1878年のパリ万博には意欲的な作品を何点か出品し、銀賞と銅賞を受賞している。その後は毎年のように新しい作品を商品登録している。
おりしも、フランスではジャポニズムが流行していたころで、日本趣向を取り入れた作品を数多く手がけている。特に、1885年より、留学中の農商務省官僚高島得三と交流を持ち、日本の文化や植物などの知識を得たといわれる。

さらにガレは広大な庭で、約3,000種の植物(このうち400種以上が日本の品種、シーボルトから苗を購入した品種もあった)を育てる植物マニアであった。本作品展のタイトルにもなっている2ヘクタールの広大な庭の見取り図が示されていた(ガレの庭展 2015年1月16日〜4月10日)。

レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の挑戦@江戸東京博物館

連休だったので、チケットを手にするまで60分、『糸巻きの聖母』を見るためにさらに75分も列に並ばなければならないという、まるで修行のような美術展であった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)とは、ダ・ヴィンチ村出身のレオナルドという意味だという。
14歳のときに、フィレンツェのヴェロッキオの工房に修行に入った。
絵画から兵器と、なんでも手がけるヴェロッキオの影響を受けて、ダ・ヴィンチも様々なことに興味をもった。
人体の解剖は30回関わったというし、空を飛ぶための研究には20年もかけている。
何しろ売れっ子画家なので絵の注文はどんどんくるが、作品を最後まで仕上げるのは稀で、途中で投げ出したり、はじめから手をつけなかったり、注文を反故にすることがしばしばあったという。

『鳥の飛翔に関する手稿』など、ダ・ヴィンチ直筆の資料をじっくり見たいところだったが、何しろ混んでいるので早めに切り上げ、『糸巻きの聖母』の列に加わった。

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『糸巻きの聖母』を見るための列にたどり着くまでに、『糸巻きの聖母』のレプリカや他の作家の模写などが並んでいた。「『糸巻きの聖母』は、75分待ちです」という掲示にうんざりしながらも、「ここまで来たのだから見ないで帰るわけにはいかない」と気持ちを奮い立たせ、列に加わった。
列にいる間、音声ガイドを聞き直し、あるいは列に加わっている客たちを観察して、時間を潰した。なかには、薄暗い照明のなか本を読んでる人もいた。連れとのべつ喋っている人もいたが、大抵は何をするともなくただ列が前に進むに身を任せている人たちだった。

『糸巻きの聖母』の前を、横に蛇行するように赤いテープで仕切られていた。
最初は遠くで、列が進むと段々近づくという閲覧システムなので、遠目から至近距離までたっぷりな時間をかけて鑑賞できた。
いよいよ真正面の至近距離で鑑賞できるポジションにきてじっくり見ようと思っても、そこでいすわれるような雰囲気はない。閲覧者がしばしとどまろうと儚い抵抗を試みても、列は氷河のようにじわりじわり動いていき、その動きには誰も抗しきれなかった。

『糸巻きの聖母』は、聖母に抱かれたキリストが、十字架を暗示する糸巻きを手にもって遊んでいる構図である。背景には『モナリザ』と同じような丘や岩肌が描かれている。聖母の「静」とキリストの「動」が見事に調和して描かれているが、漫画的である。
なお『糸巻きの聖母』は、バクルー公爵家の個人所有である。

ダ・ヴィンチの弟子についても触れられていた。
弟子のサライは、平気で嘘をつき盗み癖があってだらしないという性癖の持ち主であったが、ダ・ヴィンチは生涯そばにおいたという。ダ・ヴィンチがホモセクシャルだったこともあるが、サライは憎めない性格だったという。

天才、男色、偏屈が、ダ・ヴィンチを語る上でのキーワードである。
(2016年1月16日〜4月10日)

『恋するフェルメール 37作品への旅』有吉玉青

フェルメール、フェルーメールと世間が騒ぐ前から、フェルメールの追っかけをやっていたと著者は胸を張る。昨日今日のにわかフェルメール好きとは、格が違うという。

著者のフェルメール作品との最初の関わりは奇妙なものだった。
ボストンにあるイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館にあるはずの〈合奏〉を見にいったことろ、係員から「it was stolen」と説明を受けた。〈合奏〉はその6ヶ月前、1990年3月18日に、2度目の盗難にあっていた。それ以来〈合奏〉は行方知れずのままである。

恋するフェルメール 37作品への旅 (講談社文庫)
有吉 玉青
講談社文庫 2010年9月

フェルメール・ラバーとしての矜恃がところどころに顔を出す。たとえば、フェルメールの絵を風俗画などと軽々しく呼んでほしくないとしている。また、〈フルートを持つ女〉は、フェルメールの時間が流れていないから、フェルメールの作品ではないと言い切ったり、〈ヴァージナル前に座る女〉は、はっきりいって下手だと、同伴者と確認しあったりする。フェルメールを本当に愛しているからこそ、よくないものはよくないと言えるとする。

フェルメール作品踏破物としては、本書(単行本は2007年7月刊行)の他に、『フェルメール全点踏破の旅』(朽木ゆり子 2006年9月)、『フェルメール 光の王国』(福岡伸一 2011年8月)がある。個人的に、この3冊を「フェルメール踏破物御三家」と呼んでいる。本書が他の2冊と異なるところは、多分に主観的な視点から書いていることである。

作者のベスト・フェルメールは〈牛乳を注ぐ女〉である。
よく指摘されていることだが、初期の作品にはフェルメールたらしめる構図や室内に満ちる光がないという。また、晩年の作品は額縁や布の質感に衰えが見られるという。

恋するフェルメール  37作品への旅』有吉玉青(2016.02.25)
フェルメールになれなかった男20世紀最大の贋作事件』フランク・ウイン(2014.04.09)
真珠の耳飾りの少女』(映画)(2012.11.04)
深読みフェルメール』朽木ゆり子×福岡伸一(2012.11.02)
フェルメール 静けさの謎を解く』藤田令伊(2011.12.21)
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国』福岡伸一(2011.10.28)

ボッティチェリ展@東京都美術館

雲ひとつない冬晴れの休日、東京都美術館はごった返していた。
この度の「ボッティチェリ展」(2016年1月16日〜4月3日)は、作品の質といい作品の多さといい、日伊国交樹立150周年を記念しての展覧会にふさわしい内容である。

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ポスターのボッティチェリ作『書物の母子像』は抜きん出た作品である。
聖母マリアのわが子を見つめる表情は慈愛に満ちている。母を見上げる幼児キリストには愛らしさの中に凛々しさがある。幼児が大人びているが、いづれ人々の苦難を背負って立つ身であることを、ボッティチェリは意図してそう描いたのだろう。幼児の腕の金のイバラはこれからの苦難の生涯を象徴している。聖母の青衣の顔料は高価なラピスラズリが使われているという。

ボッティチェリの画家としての生涯を4章に分けて紹介している。
はじめの部屋(第1章)には、アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435頃〜1488)の作品が数点展示されている。ヴェロッキオはレオナルド・ダ・ヴィンチの師として名高い。ボッティチリもヴェロッキオの工房にいたことがあるという。

第2章は、ボッティチェリの師匠、フィリッポ・リッピ(1406〜1469)の作品が並んでいる。
ボッティチェリ(1444/45〜1510)は15歳のときに、フィリッポ・リッピ(1406〜1469)の弟子になった。フィリッポは修道士でありながらは破天荒な人物で、50歳のときに21歳の尼さんと駆け落ちをした。そのふたりの間に生まれたのが、ボッティチェリの弟子となるフィリッピーノ・リッピ(1457〜1504)である。
ボッティチェリはフィリッポの作風を忠実の真似ていたが、やがて師を凌ぐ力量を兼ね備えるようになる。聖母子像を比較すると、ボッティチェリがフィリッポの影響を大いに受けていることがわかる。

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第3章は、ボッティチェリの作品を並べている。
『ラーマ家の東方三博士の礼拝』は、本美術展の最初に展示されている作品である。
依頼主ラーマは両替商を営む人物で、銀行業は当時は不名誉な職業だった。そこで教会に寄付をして自分と同じ名前の聖人を画家に描かせたりしていた。
本作には、聖母子に跪く当主のコジモ・デ・メディチをはじめメディチ家の人物が何人も描かれている。
真ん中に聖母子を配し、他の人物を下方に広がるように配置して、立体的な構図を作り上げている。アニメを思わせる線描で人物が描かれているのが特徴である。それぞれの人物が個性的に描かれているところが素晴らしい。左端のこちらを向いている人物がボッティチェリ自身である。

次は、『美しきシモネッタの肖像』。フィレンツェ一の美人と謳われたシモネッタ・ヴェスブッチを描いた作品で、繊細な髪の毛や緩やかな衣服が見事に描き出されている。

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ボッティチェリの画家としての生涯は、フィレンツェのメディチ家の隆盛とともにあった。コジモの孫であるロレンツォが亡くなると、ジローラモ・サヴォナローラがフィレツェ共和国の顧問となり厳しい神権政治を敷いた。フィレンツェの腐敗と繁栄を極めたメディチ家を批判した。
この状況の変化は、ボッティチェリの画風に影響を与え、『オリーブ園の祈り』に見られるようにな遠近法を無視した陰鬱な宗教絵画を描くようになる。

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第4章は、ボッティチェリの弟子フィリピーノ・リッピを紹介している。
ボッテチェリに比肩する技量を備えている。
フィリッポ、ボッティチェリ、フィリピーノの3人の聖母子像を比べると、ボッティチェリの作品にはふたりにはない崇高さが感じられる。

フィレンツエで起こったルネッサンスの息吹は、ヴェネチアやローマに移り、ラファエロ(1483〜1520)やミケランジェロ(1475〜1564)やダヴィンチ(1452〜1519)が活躍した「ルネッサンス盛期」につながっていく。
圧巻の美術展であった。

パリ・リトグラフ工房idemからー現代アーティスト20人の叫びと囁き@東京ステーションギャラリー

東京ステーション・ギャラリーのリトグラフ展に行く。
パリ・モンパルナスの工房からピカソやマチスやシャガールのリトグラフが生まれたという。今も存在するその工房で作られたリトグラフ130点を集めた美術展である。
本展は、原田マハの小説『ロマンシェ』と連動している。

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まずはエレベータで3階に向かい、リトグラフを順に見るのだが、知っている作家が少ないので、さっぱり入り込めない。

現代アートを見るときに、まず何が描かれているのか、人物が描かれているのか、人物の一部が描かれているのかにこだわってしまう。
あるいは動物だとか何か見覚えのあるものを探して、そこから何を描こうとしたのか作者の意図を探るという見方をしている。
現代アートは、「自分で何を感じるかなのだ」という鉄則にのっとり、自問するがさっぱり何も出てこないことが多い。

次は階段を降りて2階へ行く。
ステーションギャラリーの造りであるが、部屋の天井が矢鱈と高い、特に階段は吹き抜けのようになっている。階段の壁は、かつての駅の外壁を利用した古いレンガ仕立てになっていて、アーティスティックな、なんとも言えない趣がある。
2階では、映画監督のデヴィット・リンチの作品が、数多く飾られていた。映画は『マルホランド・ドライブ』やテレビの『ツインピークス』のようにわかりにくいのに、アートは意図するところがなんとなくわかる作品が多かった。

リトグラフ工房のビデオが流れていて、職人たちが石板に絵の具を塗り機械を操作しリトグラフを印刷する様が、モノクロで映し出されていた。ガムを噛みながら無言で無表情の職人がガシャン、ガシャンとリトグラフを刷る様は、まさにアートに見えた。
本展のポスターは、JRの『テーブルに寄りかかる男(1915-1916)の前のポートレート、パブロ・ピカソ、パリ、フランス』。工房の壁に、拡大したピカソの目を貼りつけたもの。
現代アートは押し並べて暗い。

『ロマシェ』のあらすじは、パリに渡った主人公がidemで作成したリトグラフを、日本で公開するというものらしい。グッズ販売の図書コーナーに『ロマンシェ』が平積みされているが、売れ行きはどうなのだろう。

パリ・リトグラフ工房idemからー現代アーティスト20人の叫びと囁き
東京ステーションギャラリー
2015年12月5日〜2月7日

プラド美術館展@三菱一号館

プラド美術館展(2015年10月10日〜2016年1月31日)には、ハプスブルグ家とブルボン家が所有していた美術品の数々を所蔵する、世界に冠たるプラド美術館が提供した作品群が展示されている。こんな機会はまたとないだろうと、嫌が上にも期待は高まってしまう。

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ポスターには、「エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、ムリーリョなど日本初86点が初来日!」あるいは、「世界に20点しか存在しない奇跡の画家ボスの直筆が初来日!」との宣伝文句が踊っている。えっ、ここで「直筆」という言葉を使うのとツッコミを入れたくなった。

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まずは、ヒエロニムス・ボス(1450頃〜1516年)の『愚者の石の除去』である。
ネーデルラント(オランダ)では、頭の石が大きくなると愚か者になるため、石を切除する手術が必要だと信じられていたという。
この絵で患者の頭から出ている石ではなく青い花。
手術をする外科医は漏斗をかぶっていて、本を頭に乗せて頬づえをついているのは患者の妻。隣にいる司祭は妻の間男だという。異能の作家ボスらしい、人を食った絵だ。
ちなみに、マイケル・コナリーのミステリ『シティ・オブ・ボーンズ』などの主人公ハリー・ボッシュ刑事は、母親がヒエロニムス・ボッシュからとって名付けた。

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ポスターになっている『ロザリオの聖母』(バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作)は、キリストを抱き慈愛に満ちた清楚な表情のマリア像であった。サイズが166×112cmで大きい分、迫力があった。

エル・グレコの『エジブトへの逃避』『受胎告知』は、女性の描き方にグレコらしさが見られた。ゴヤの『傷を負った石工』は労災事故の1コマを描いた大作である。
ティツィアーノの『十字架を背負うキリスト』は臨場感が感じられ、流石だと思った。

ポスターに採用されている髪をアップにした貴婦人は、『マリア・ルイサ・デ・パルマ』(アントン・ラファエル・メングス作 )である。化粧が現代風で数種類の頬紅を使い分けているとのこと、艶やかだ。

三菱一号館は、美術展にはいささか狭い。
空間を最大限に使って、まずエレベーターで3階に上がりいくつかの展示室を回る。次に2階に降りるといくつかの展示室があり、さらに廊下を通り別の展示室に行くという順路になっている。廊下の床は木製で、靴の音がコツコツと響く。明治に建てられた洋館ならではの造りゆえに靴の音が大きく響くのだろう。

昨年の11月に本美術展に来たが印象が薄かったので、もう一度見ることにした。しかし、印象は変わらなかった。→人気ブログランキングへ

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