革命と戦争のクラシック音楽 片山杜秀
クラシック音楽と戦争が強く結びついていることを、近代ヨーロッパ史の中で明らかにする。一見無関係のような戦争と芸術であるが、芸術は政変や戦争を描写し、時に兵士を鼓舞してきた。音楽はあらゆる芸術の中で特に戦争や暴力との関わりが深いという。
1756年のモーツアルト誕生から100年余りの間、激動のヨーロッパで作曲されたクラシックの楽曲と、戦争に代表される政治的な事件との関わりを考察している。
革命と戦争のクラシック音楽 片山杜秀(Katayama Morihide) NHK出版新書 2019年 |
マリア・テレジアは息子のヨーセフ2世を軍人として育てた。ヨーセフ2世が好んだのは閲兵式、軍隊行進、軍事パレードである。7年戦争の始まる年(1756年)に生まれたモーツアルトは、ハプスブルグ帝国の音楽家である。
『フィガロの結婚』(1786年)には、少年ケルビーノの軍隊入りを揶揄するような軍歌調のアリアがある。
ヨーゼフ2世は墺土戦争(オーストリアとオスマン帝国、1787年〜91年)を始める。
1783年、モーツアルトは『トルコ行進曲』を作曲した。本物のトルコ軍楽の行進曲は、『ジェッディン・デデン』という曲が有名。この曲は向田邦子のテレビドラマの『阿修羅のごとく』のタイトル・ミュジックとして使われた。
オスマン帝国のやかましい軍楽隊に負けないためにヨーロッパやロシアの音楽はどんどん音量が増えた。このことは、西洋クラシック音楽の一つの核心であると著者は主張している。
フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』は、南フランスから駆けつけた義勇兵が歌っていた軍歌であり行進歌である。『ラ・マルセイエーズ』を歌うことで、結束し鼓舞され、フランス国民軍はプロイセン軍を退けた(1792年)。
ディッタースドルフの交響曲『バスティーユ襲撃』(1790年代)では、『ラ・マルセイエーズ』のフレーズを引用している。
戦争と革命の時代を総まとめするのはハイドンの弟子であるベートーヴェン(1770年〜1827年)である。音楽家が王家や貴族や教会のお抱えであった。それが崩れたのがフランス革命(1789年)である。その次の世代はフリーランスに近い生き方が強いられていく。
1799年、ピアノソナタ第8番ハ短調『悲愴(パテティック)』は、ナポレオンがクーデターを起こした年に作曲された。ベートーヴェンは、貴族的な訳知りの喜びや悲しみではなく、フランス革命からの新時代にふさわしい、市民、民衆、群衆にまで、ダイレクトに伝わる喜びや悲しみを探求した作曲家であるとする。
チャイコフスキーの『大序曲"1812年"』(1880年)は、ナポレオン戦争(1803〜1815年)におけるナポレオン軍のロシアからの敗退を弦楽器の響きで描写した作品。トルストイの大河小説『戦争と平和』の10年後に生まれている。
『大序曲』の祖曲となったのは、ベートーヴェンの『戦争交響曲(ウェリントンの勝利)』(1813年)である。『ウェリントンの勝利』こそベートヴェンに成功をもたらした。『ウェリントンの勝利』も『大序曲』も、断末魔状態のナポレオンを描いている。
ショスタコーヴィチの交響曲7番『レニングラード』(1941年)が直接戦争につながる音楽として最も有名。ナチスドイツがレニングラード包囲した長期戦に題材をとった。
『ラ・マルエイエーズ』も『歓喜の歌』も、みんなで連帯することで外敵や裏切り者をやっつけようとする戦争の歌であると本書は結ばれる。→人気ブログランキング